第十章第一話 ~『幸福薬』~
『幸福薬』を巡る騒動の始まりは、一見すると全く関係ない、マイセン辺境伯との会談中のことだった。
「鉄砲、か……」
「はい。いかがでしょう?」
その日、先のウェセックス城からの退却戦で使用した鉄砲について話を聞きたいと呼び出された俺は、帝都のマイセン辺境伯の屋敷で二人きりの報告会を行っていた。
一定の実績もあるし、うまくすれば鉄砲開発にマイセン辺境伯の協力も得られるのではないかとの期待も抱えて、しっかりと資料もまとめてきた。
俺が渡した仕様書を黙って読んでいたマイセン辺境伯は、しばらくすると、大きくため息を吐いた。
「なるほど、この威力は確かに魅力的だな。特に、重装騎兵隊を一方的に殲滅したという実績も申し分ない」
「はい。そのための鉄砲ですから」
「だが、金がかかりすぎるし、精度が悪く射程も短い。火薬とやらの制作費も安くないし、鉄砲とやらの本体の方も破損するまでが早すぎる。費用や運用のしやすさを考えるのなら、鉄砲隊百人を運用する資金で、弓兵隊五千人を用意する方が、よほど使いやすいな」
「し、しかし、これはまだ試作品! 課題はこれからつぶせばいいものです!」
「そうだな。その通りだ」
マズい流れを何とかしようと慌てて口を開けば、してやったりという顔ですぐに返事が来た。
完全にはめられたわけだが、話自身は良い方に転びそうだしと、嬉しそうなマイセン辺境伯の言葉をただ聞いていた。
「今後、研究費を我が家からも出そう。それに、実戦データを取ることを考えれば、マントイフェル領のみならず、帝都のエレーナ師団にも試験部隊をつけさせたほうが良いな」
「ありがとうございます。ただ、三大派閥らに今情報を掴まれるのは面白くありませんし、秘匿を考えると難しいかと思うのですが……」
「その辺はこちらでも考える。とりあえず金をどう極秘裏に流すかは、お前の祖父と今度飲むときにでも相談しておこう」
「えっと、うちの祖父と飲む予定、ですか? 会食や会合などではなく?」
それは思わず漏れた質問だった。
一地方を預かる辺境伯と地方の一男爵家。会食や会合などの仕事の場ならともかく、完全プライベートで合うようなノリで当然に予定があるのは驚きだ。
「まあ、どこかの誰かさんたちのおかげで色々と意気投合してな。たまに飲んでおる。まあ今回は、『幸福薬』の件の話もせねばならんから、多少は仕事も入ってくるのだが」
「幸福薬、ですか……」
名前を聞くだけでうさん臭さしか感じない薬にいぶかし気な顔をすれば、大したことないような軽い返事が返ってきた。
「禁制品だ。なんでも、使うとこの上ない幸福感に包まれて無上の喜びを感じられるとか何とかって触れ込みだが、実際はどうだか。それが、西方地域で最近流通していてな。とはいえ、酷くても、本人が廃人になる程度で、暴れたりはしないから周囲に迷惑がかかるようなものでもない。興奮しすぎて周囲に危害を加えだすようなものならばともかく、実害はほとんどないからな。一応、情報を共有する程度だ」
そう言われて屋敷に帰ったが、どうも嫌な感じが抜けない。
そこで、実家から幸福薬関連の資料を送ってくるようにと伝え、送られてきた資料を見た俺は、すぐさま諜報担当のオットーを呼び出した。
「なあ、オットー。この資料、どう思う?」
「……最近、マントイフェル領にて、急激に幸福薬の摘発が増えていますな。それこそ、爆発的に」
「お前が同じ事をしろと言われて、できるか?」
「そうですね……それまでずっとゼロだったものをこれだけ摘発されるだけ流すとなるとかなり大量に捌かないといけません。少しずつ流通させていては、先んじて多少の検挙は行われるでしょう。そうなると、一気に流せるだけの人員に、施設に、現物にとかなり必要です」
「で、その辺の犯罪組織程度にできると思うか?」
「いや、最低でも、よほど金回りの良い大貴族の全面的な協力は欲しいところです」
そこまで聞いて、俺の考えは確信に変わった。
必要な根回しを済ませた後で、俺はエレーナ様のところへと赴いた。
「しばらく実家に帰りたい? ギュンターとオットーもつれてか」
首をかしげながら、自分の執務室の椅子に腰かけるエレーナ様。
その両脇は、親衛隊長のフィーネと、副親衛隊長のハンナが固めていた。
「はい。この幸福薬、今放置すれば、西方地域全体の経済に悪影響を与えかねませんので」
もちろん、エレーナ様がそれだけで理解できるはずもなく。
一応、そうして薬が蔓延することで生産性の低下などの社会への悪影響に結びつきかねず、しかも大規模な組織的な動きが見え隠れすることから、その結果を狙って誰かが動いている可能性まで説明した。
まあ、結果は予想通りだったけど。
「よく分からんが、カールがそこまで必要があると思うのなら、そうなのだろう。構わんぞ」
って訳で、サクッと許可も取り、退室しようとした時のことだ。
不意に、フィーネが口を開いた。
「カール様。ご実家に戻られたとして、どう動かれるおつもりです?」
「え? まあ、そうだな。オットーたちに色々と調べてもらいつつ、俺自身はフーニィに協力を要請しようかと。商業ギルドの仕切る自由都市だし、裏とはいえ流通関係は詳しいだろうしな」
「いえ。無理ですよ、フーニィじゃ。あそこは、表の方に傾きすぎていますから。同じ商人でも、もっと裏の方にも顔が効く人でないと」
言われて考える。
真偽はフーニィに当たってみないと分からないが、確かに、一理あるように聞こえる。
「だがな、フィーネ。そんな都合のいい知り合いでもいるのか?」
「ええ、もちろんですよカール様。――というわけでエレーナ様。私もカール様についていかせてもらってもよろしいですか?」
「ってことがあってついてきてくれたのは良いんだがな。なんでこんなことになってるんだ?」
今の俺は、それはもう立派な馬車列内の中でも一際立派な馬車の中にいる。
気付けばズデスレン政庁の前まで迎えに来て、あれよあれよと連れ込まれてしまったのだ。
そして、向かいにはオットーが、隣には普段着だというワンピースドレス姿のフィーネが座っていた。
「そりゃ、英雄様をお迎えするとなれば、相応のおもてなしが必要ですので。うちの父も張り切ったんでしょう」
確かに、私兵団を結成したころ、訓練終わりの井戸端で、フィーネの実家が商人上がりの準男爵とは聞いてたが、今回の状況で娘直々に裏側とのつながりあるから役に立つと太鼓判を押される当たり、随分ときな臭いもんだ。
まあ、大貴族なんて大体どこも、その程度じゃないようなきな臭さを抱えてるものなんで、どうこう言うつもりはない。
ソフィア殿下の暗躍を見てきた俺の感想は、そうだった。
「ほら、カール様。あれがうちの実家です。うちの家族も出迎えに出てきているようですね」
そう言われて窓の外を見れば、マントイフェル領では見たこともないような立派なお屋敷があった。
てか、あれの維持費だけで、どれだけの金が飛んでいくのやら……。
「すごいでしょう? うちのお屋敷は」
「あ、ああ。本当にびっくりしたよ」
「娘をエレーナ様のところに『売り飛ばして』まで築き上げたものですからね。この立派さは及第点を上げてもいいですが、うちの父にはもう少し頑張ってほしかったところですね」
なぜか自慢げにそう言うフィーネに、軽口で返せばいいのか深刻に受け止めればいいのか、正解が分からなかった俺は悪くないと思う。
前の分の感想返しは、今回の分と合わせてまた改めてやるので、今日のところはご容赦を……
ちゃんと感想は読ませていただいてますので!




