間章第一話 ~白薔薇園のお茶会~
プライベートと仕事で修羅場の波状攻撃にあい、しばらく更新できませんでしたが、私は元気です()
男は、馬車から降りると、憂鬱な気分で目の前の屋敷を見上げる。
その屋敷は、帝都郊外にいくつかある皇族用の別邸であり、現在はとある皇族母娘に与えられているものだった。
皇室の名で最高の人材と材料を集めて作られた屋敷に庭園は見事なものであり、何度見ても飽きるようなものではない。
男にとって問題は、この屋敷の主だった。
「あ、部長! お疲れ様です!」
「ああ、アンナ。久しぶりだね。元気なようで何よりだよ」
参謀本部傘下戦史研究部長の肩書を持つ男は、自らが皇女エレーナの下へと送り込んだ部下に先導され、庭園の方へと案内されていくのだった。
「部長、こちらです」
アンナに先導された戦史研究部長がたどり着いたところは、生垣で作られた簡易な迷路の奥に用意されたささやかなお茶会場だった。
そして、白薔薇を愛でる美女の姿が目に入ると、戦史研究部長は跪く。
「ソフィア殿下、お久しゅうございます」
「あら、部長殿。お久しゅうございますわ。今日は畏まった場でもないのですから、もっと楽になさって。『平民皇女』などに、そこまで気を使わないでください。さあ、こちらへどうぞ」
『いつもの』やり取りを経て、招かれるままに戦史研究部長は、ソフィア殿下と向き合って席に着く。
そして、席に着く二人の中間の位置にアンナが屋敷からメイドの持ってきたティーセットでお茶を入れ、三人だけになると会話が始まった。
「しかし殿下。御身をそこまで卑下なさるのも、ほどほどになさっていただけませんか? お母上が平民の出であるとしても、殿下は疑いようもなく皇女殿下です。それに、この度も、殿下には大変お世話になりました」
「あら、先の王国侵攻の失敗後の人事異動で、部長殿と同じ派閥の方々も出世なさったことかしら?」
「ええ。それに関しましては、重ねて御礼申し上げます」
「お気になさらないでくださいな。あれは、私が何かをしたというよりも、エレーナ閥全体の決定ですもの」
「それでも、間に立ってお話を進めてくださったのは、殿下でございます」
大筋はエレーナ閥の総意でも、個々の人事には戦史研究部長の属する派閥への配慮がある程度見られていた。そして、そんな配慮は、直接交渉に来ていたことで派閥としての希望を把握していた目の前の皇女が関わらずにできることではない。
そんな事情もあり、あくまで礼を述べる戦史研究部長に対し、ソフィアは彼にとって思いもよらない言葉を紡いだ。
「そんなつまらないことで大げさにされるなんて、水臭いですわ。だって、『私たち』の向かう目標は同じなんですから」
「目標、ですか?」
「ええ。エレーナ様の更なる栄達。でしょう?」
「……そうですね、『殿下』と『私』の目標は同じですね」
――白々しい。
それが、彼の感想だった。
ソフィアは、エレーナが歴史の表舞台に立つより以前から、宮廷内で積極的に動いていた。
その結果、彼女は、会うだけであれば、三大派閥長も含んだ宮廷内の誰とでも会えると評されるほどに広い人脈を得たのだ。
だというのに、エレーナにつくと宣言するまで、彼女はどこの誰にも肩入れせず、敵対もせず、そのために誰も彼女の目的が読めなかった。だからといって、ガリエテ平原の戦い以前に誰も注目していなかったエレーナのために、そのずっと以前から動いていたなど、それこそ普通は考えられない。
自分たちの派閥が、三大派閥一強の体制を打破する存在としてエレーナ閥に期待しているように、目の前の皇女にも、エレーナ閥の栄達の先にある、ソフィア自身の目的があるはず。なのに、腹の内は全く見えない。
そんな彼女と『私たち』などと一緒くたにされることが、どうしても抵抗があった。
彼は、そんな、どうしても腹の内を読みきれない彼女のことが苦手だった。
「難しい顔をされて、どうかなさいましたか?」
言われ、戦史研究部長は、思考が表情に漏れていたことに気付いた。
所属派閥の幹部と呼ばれるようになり、腹芸の必要が出て必死に学んだつもりだったが、やはり自分の性には合わないな。――などと考えつつ、一応は言いつくろうために口を開いた。
「いえ、同じ目標を持つとはいえ、随分とこちらが頼ってしまって申し訳ないと思いまして。今回の人事のこと然り、カール殿やその私兵団を得ながら干されそうになっていたエレーナ殿下へと仕事を回すようにお話を通してくれたりと」
「それはお互い様ですわ。ヴィッテ将軍が冤罪で軍事法廷に送られた時、エレーナ様たちの力になりそうなところにあの子を助けてほしいってお話を通して回っていたのに、まったく思いもよらなかったあなたを頼ったんですもの。後で顛末を聞いて、まるで見当違いに動いたことに冷や汗をかきましたが、補給記録から軍の動きを証明しようだなんて方法があること、いい勉強になりましたわ」
「大したことはしていませんよ。ただ、見たいと言われた記録を見せたまでです」
「そこで三大派閥に睨まれるリスクを負ってまで動いてくださったこと、感謝していますのよ」
そこで二人は笑みを浮かべ、同時にお茶に口をつける。
戦史研究部長が、ようやくジャブの打ち合いが終わったかと一息ついていると、ソフィアが口を開いた。
「ところで部長殿。お忙しい中お招きしたのは、あなたにちょっとお願いしたいことがあるからですの」
「お願いしたいこと、ですか?」
「ええ。ちょっと、三大派閥について探ってほしいのですわ」
場に緊張が走る。
表向きには中立を表明している派閥に属する人間が、三大派閥に敵対したともとられかねない動きをすれば、派閥全体の将来にも関わる。
おいそれとうなずける話ではなかった。
「そこまで心配なさらずとも大丈夫です。特に何を探ってほしいということもありませんの。ただ、三大派閥の動向に探りを入れてくだされば」
「……それに、何の意味が? 確かにその程度ならば敵対行動とまでは取られないように立ち回りようもありますが、そんな表面的な情報、あなたならすぐに手に入るでしょう?」
「このお願いをしているのは、あなただけではないの。中立系派閥、すべてにお願いしていますの」
「つまり、探って得られるものでなく、探ることそのものに意味があると? 確かに、皆で動くならば、三大派閥も警戒して、不用意に動くということは考えにくくはなりますが……」
「ええ。まあ、相手によってどこまで事情をお伝えするかは選ばせてもらっていますが」
「ほう、私にはどこまでお聞かせいただけるので?」
「どうせアンナちゃんから報告が行ってしまいますもの。あなたに隠し事をする意味などありませんわ」
そんなことを言いながら核心は話さない、なんだかんだと全員に陰で同じ話をする。
そうしていろんな人間に特別なんだと思い込ませる罠かもしれない、と警戒しつつも、今度はそんな内心を隠しつつ、話の続きに耳を傾けた。
「近々、カール殿が帝都を空けますの。詳細は後ほど説明しますけど、領地の方で少々問題が起きたそうで、カール殿は、どこかしらの勢力の組織的な動きがあるかもしれないと考えていたわ」
「その組織的動きが三大派閥のもので、中小派閥が一斉に動くことで、一つの牽制にしたいと?」
「それは可能性の一つ。そもそも三大派閥による動きなのかも不明ですし、当たれば嬉しい、といった程度ですわね」
「それでは、何のために動かれているので?」
当然の疑問に、一層笑みを深めたソフィアが口を開く。
「部長殿は、先の王国侵攻戦におけるエレーナ閥の動きをどう考えます?」
「素晴らしいものでした。城攻めにおいては、士気の高い兵の籠る堅城に対し、逸りもせず、しっかりと囮としての役目をやり遂げた。ヴィッテ子爵が居るとはいえ、エレーナ殿下もカール殿も若いというのに、自分たちの功に焦らず、よく戦争全体を見て我慢できたと評せるでしょう」
「その後はどうです?」
「敵地からの撤退戦だというのに、随分と損害が少なかった。将の力量は撤退戦においてこそ問われると言う者もおりますが、そういう意味では殿を務めたカール殿は、並外れた将器を示したと言える」
「そうですか。――でも、地味だとは思いませんか?」
さっきと同じ笑みのはずだった。
ただ、今の彼は、その深まった笑みから背筋が凍るような気味の悪さを感じていた。
「専門家からすれば並外れた活躍でも、一般人からすれば、城も落とせず、敵軍から命からがら逃げてきただけ。ガリエテ平原のような、その後の王国による侵攻戦のような、戦術でもって戦略をひっくり返すような目を引く派手さは、どこにもありません」
「ですが、それは仕方のないことかと。兵力に戦場に政治状況に、その他、与えられた状況下で最善を尽くさざるを得ないのが戦争ですので」
「ええ。ですから、エレーナ閥は、その条件を与えられる側ではなく、与える側にならねばならないと、そうは思いませんか? おそらく今回の動きそのものだけでは大した効果はないでしょうけど、やれる限りのことはやれるうちにやっておきませんと」
その言葉の意味を理解し、戦史研究部長は思わず笑ってしまった。
目の前の皇女の考えるエレーナの『栄達』と、自分たちが考える『栄達』は、まるっきり別物だと気付いたからだ。
「なるほど。今回、エレーナ閥は、三大派閥の描くままに、数ある王国への侵攻ルートの中で堅城ウェセックス城を攻めざるを得なくなり、三大派閥の敗北によって一刻も早く王国領から逃げださなくてはならなくなった。条件を与える側、つまりは戦争の絵図を描く側に回るには、最低でも三大派閥を押しのける必要があります。帝国内での一大勢力になる、程度では不十分ですね」
「今回の戦い、ガリエテ平原で多くの人材を失った王国は、その補充のために経験不足の者たちを用いざるを得ず、兵も指揮官も質が大きく下がったなどと言われていました。でも、ガリエテ平原に兵を送り込めなかったアルベマール閥は、なおも中級・下級指揮官に十分な人材があることを示しましたわ」
「ですな。アルベマール公爵の息子であるウェセックス伯爵の軍勢の動きの滑らかさは、聞いた限りでは、中級・下級に優秀な指揮官が居なくては上が優秀でもついていけないでしょう。それに、本隊の方も、アルベマール派の軍勢は他の王国軍よりも動きがよかったと聞いております」
「落ちたりといえども、王国は油断できる相手ではないということは、今回の遠征の失敗で皆が感じるところ。お父様の――皇帝陛下の病状も少しずつ悪化する中で、時間的猶予は大きくありません。今後も、エレーナ閥がすりつぶされずに生き残るには、戦争を描ける力が必要で、カール殿であればきっとできると考えておりますわ」
言いたいことは分かったが、同時に、戦史研究部長は舌を巻いていた。
「殿下がおっしゃること、ごもっともです。ですが、失礼ながら、殿下がそこまで軍事にも明るいとは存じ上げませんでした」
「ふふ、別にそこまで詳しいわけではないの。ただ、そこの頼れるお友達に、色々と教えてもらっていますの」
「ほう、アンナが」
「そうなんですよ、部長。殿下はお伝えすればすぐに理解なされてしまって、本当に驚くばかりです」
「いやだわ。きっと、先生が優秀だからね」
そうして、一定の礼儀はわきまえつつも、友人同士のように楽しそうに会話する女子二名を見て、戦史研究部長は何とも言えない気分になる。
今は同じ陣営で戦う仲だし、仲良くなることはよいことだ。カールのファンであるアンナの影響で、ソフィアの知識がカールびいきな方向に偏りそうな片鱗も見えたが、アンナも優秀であるし、そこまで大問題にはならないだろうと思う。
ただ、皇女が、名門の士官学校卒業生とはいえ一地方貴族の娘と友人のように接する姿に、ソフィアの恐ろしさを垣間見た気がしたのだった。
そして、同時に一つの疑問がわいた。
「殿下、一つよろしいですか?」
「ええ、部長殿。なんですか?」
「あなたは、どうしてそこまでエレーナ殿下に肩入れする気に。それこそ、今の政治状況を完全にひっくり返しかねないほどに」
「だって、私はあの子の『お姉ちゃん』ですもの」
そんな答えになってないこと以上を語る気はないらしいソフィアは、戦史研究部長がさらに口を開く前に、先手を打ちにかかった。
「それじゃあ、堅苦しいお話はここまでにしましょう。どうぞ、そちらのパイも召し上がってちょうだい」
「では、遠慮なく……おや、これはおいしいベリーパイだ! これはどちらで購入された一品で?」
「いいえ、私とお母様で作りましたの! 気に入っていただけて良かったわ!」
そう語るソフィアの顔は、彼には、ただの無邪気な女の子にしか見えなかった。
結果、さらにソフィアの腹の内が読めなくなり、心中で頭を抱えるのだった。




