第九章最終話 ~約束~
ソフィア殿下とのお茶会を辞した後、俺はエレーナ様の待つ、元帥府内の元帥執務室へと赴いていた。
「座れ」
「……失礼します」
先ほどの会議のまま、ローテーブルを挟んでソファに向かい合うエレーナ様は殺気を振りまいていた。
「先ほどはご苦労だった。政治の方は、上手くいったのだろう?」
「ええ、殿下にも事前にお願いしていた通りに動いていただいたおかげです」
まあ、『で、このケジメのため、『首狩り皇女』にいくつの首を差し出すのだ?』って脚本書いて、このセリフ言ってくださいって言ったのは俺だけどさ。
ちゃんと事前にブックを配布して、エレーナ様がそんなことを言うって事前に伝えてた一部の連中までちびるような殺気を振りまいてくれとは頼んでないんだよなぁ。
今もなお変わらぬ殺気を振りまいてるってことは、きっと原因は俺の件なんだろうなと、嫌でも気づかされた。
「で、今日こそ話を聞かせてもらおうか。お前のことを、な」
「申し訳ありませんが、私の考えは変わりません。殿を引き受けた判断は、あの時点で最善であり、最も合理的です。その考えに誤りはないです」
「申し訳ないとは思うわけだ」
「エレーナ様の心情的な部分については、理解できるとは言いませんが、申し訳ないとは思います。ただ、それと私の言葉の正しさは別のお話です。曲げる気はありません」
そんな言葉を発し終わるや否や、エレーナ様は立ち上がって剣を抜き放ち、俺の首筋に突き付ける。
「言ったはずだ。私の部下を馬鹿にするようなことを言うものは、誰であろうと許さないと」
「馬鹿にもしていませんし、軽んじても居ません。むしろ、あなたの機嫌を取るためだけに思ってもいないことを言うような不誠実なことはできません。あなたの部下として、私を信じてくれるあなたへ返せる、私の忠義です」
ここで、嘘でも反省した、命を大事にしますと言っておけば、もっと穏便に終わったかもしれない。
だが、その場しのぎの言葉では問題の先送りになるだけだし、彼女の信頼に対してそんな不誠実なことはしたくないというのも本当だった。
そうして、首筋に剣を突き付けられたまま、ただ静かに時間が過ぎる。
最初は、そんな本気で殺されるわけがなかろうと高をくくっていたわけだが、時間と共に「あれ? もしかして、この人ならやりかねない……?」なんて思いが少しずつ湧いてくる。
さて、目の前の戦闘センスの塊からどうすれば逃げ延びられるかと本気でシミュレーションを開始したころのことだ。
「……私だって、分かってるんだ。戦場に立つ以上、誰だっていつ死ぬかもしれない身だ。私のわがまま一つで、それが覆ることはないんだと。時には、誰であっても死地に立たざるを得ないんだと……!」
俺の首筋に突きつけられていた剣が床に落ちる。
「それでも、私はお前を失いたくない。お前が居なくなったらなんて、考えたくない……」
そのまま、目の前の少女は崩れ落ちる。
それは、自らの感情を持て余し、どうすればいいのかを見失ったただの少女の姿だった。
「エレーナ様がどうおっしゃろうと、現状の人材を見れば、私が死んでも十分に元帥府は機能するでしょう」
「……うん。お前が言うなら、そうなんだろう」
「戦場に出る以上、絶対に死なないなんて約束はできません」
「……うん」
「だから、約束します。いついかなる時も、私が死ねばあなたが悲しむと、そのことは決して忘れない。忘れず、全力を尽くします。それで、許してくれませんか?」
「いやだ」
心臓が跳ねる。
ここに来るまでに必死に考えた流れが止まって、一気に冷や汗が出る。
ここからどうするかと全力で考えていると、ふわりと覆いかぶさってきた少女に抱きしめられた。
「私は、私を置いて先にお前が死ぬなど、絶対に許さん。ここまで一緒に苦労をしてきたのだ。お前だけ先に楽になろうなどと、絶対に許さん――だから、約束だ。お前が先に死ねば私は絶対に許さないことも、絶対に忘れるな」
「御意のままに」
それから、俺とエレーナ様は以前と同じように接するようになった。
ただ、なぜか周囲の元帥府幹部陣が俺を見る目が、なぜか以前よりも温かいものになった気がした。
●少し前に投稿したIFは、次章と本章の間に移動し、こちらに置いときます。
そして、今回は章末キャラデータなどをお休みし、次の章の投稿に移ります。
次は、間章として、ちょっとしたエピソードをいくつかだけで、そう長くならない予定です。
●後書きネタ
『ウェセックス城退却戦』
第一次世界大戦直後、短期間に帝国相手に大損害を被ったことから崩壊寸前であった王国軍が、王国にとどめを刺さんと攻め込んできた帝国軍本隊に王都目前の最終防衛線まで帝国軍を誘引して勝利した後、当時ウェセックス城を包囲していたエレーナ軍団が行った撤退戦。
戦争全体の趨勢はすでに決まった後であり、兵数から見るとそこまで規模の大きな戦いではなかったものの、戦線全体で帝国軍の総退却が行われる中、すでに軍師として名をはせていたカールを囮という危険な役割に置き、さらにエレーナ自ら部隊を反転させて追撃するウェセックス伯爵軍に襲い掛かるというのは、敵中に孤立する危険もはらむ、非常に危険な策であった。
実際、王国軍は本隊での勝利が決定的になると、エレーナの首を確実に取るべくウェセックス伯爵軍へと速やかに大規模な援軍を送っており、エレーナの動きがあと半日遅ければ、援軍を得た追撃隊との戦闘は避けられなかったと言われている。加えて、エレーナ元帥府の当時の幹部陣にもいかに危険な作戦であるかは認識されており、エレーナが引き返すことに猛烈に反対し、カールを見捨てるようにと主張する幹部をエレーナ自ら殴り飛ばして反転したと言われている。
以上のような経緯から、『史上最も危険な大博打の一つ』として戦史学会において有名になり、いくつもの研究論文が書かれた。
帝国史用語辞典(帝国歴史保存協会、第九版、大陸歴千九百九十七年)の同項目より抜粋