第四話 ~聖女の翼は、未だ大空を知らず~
第三皇女殿下の極秘襲来事件から五日後の晴れた朝。
俺とギュンターは帝都を発って、護衛に囲まれながら領地へと帰る馬車の中に居た。
招待状の処理のためにここまで残っていた俺は、論功行賞に出てきた西方諸侯の中で一番最後まで帝都に残っていた。
義兄上のところも、去年生まれた息子のこともあるし用事も終わったからって、三日前に領地であるゴーテ子爵領に帰っていったからな。
「で、ギュンター。第三皇女様の件、ある程度は調べが済んだか?」
「はい。まあ、西方諸侯と繋がりがある者は中央ではあまり力がないので裏の事情は手が回りませんでしたが、少々推測混じりにはなったものの全容は掴めたかと」
皇女殿下で将軍閣下な人が、初陣でたまたま目立った、程度のド田舎貴族に興味を持って直々に口説きに来るなんて、普通じゃない。もっと実績のある軍人を引っ張り放題だろうしな。
しかも、護衛を一人だけつけてこそこそやってくるあたりが本当に怪しすぎる。
中央に軍籍を持たない諸侯には、皇帝が領軍を率いて参陣を命ずる以外は中央の軍事権が及ばないので引き抜きたければ口説くのは当たり前だが、それならそれでもっと堂々とできるはずだ。
中央で特に失うもののない俺が、そんな怪しすぎる話を受ける理由なんてない。
「そもそもの始まりは、エレーナ殿下と、その祖父であるマイセン辺境伯の対立ですな。これは、西方では割と有名な話でもあります」
対立の原因は、皇女殿下が軍人として功績を挙げたいと望み、マイセン辺境伯がそれに猛反対していること。
母を亡くし後ろ盾になるべきマイセン辺境伯も失脚したことで両親の血筋の良さからは程遠いほどに力のない孫娘が、分かりやすく功績の挙げられる軍での栄達で力を得ようとし、中央で十分な援護をできる基盤を失ったから無茶をするなと祖父が止める。
孫娘がそこで大人しくすれば終わるのだが、あろうことか、直接に父親である皇帝陛下に軍籍を寄越せと談判したのだ。
才が希少な魔法兵は女性も普通に居ることから女性の社会進出そのものへの意識面での壁が低かったことと、皇帝一族の権威の源泉が軍を率いて外敵を倒す『強さ』にあるとの歴史的な経緯からすれば、皇族女子が軍に入りたいと言うのを止める理由は特になく、皇帝陛下に認められたらしい。
推測になるが、これに一番困ったのは現在実権を握ってる連中だろう。
まず、皇族軍人を下っ端にするわけにもいかず、先例に倣うならば将軍待遇は必要。すると、指揮官として師団クラスの指揮官にでもするか、軍官僚や作戦立案に関わる部署の幹部くらいのポストは最低でも用意せねばならない。
しかし、かつて強敵だった西方派閥が勝手に失脚して去ったというのに、その西方派閥のトップの孫娘にポストを与えればその部下に西方諸侯が任じられることにもなりかねず、復権の足掛かりを与えるに等しい行為だ。
「それで、権限があやふやで何もできず部下も居ない適当な名誉職を与えて、事実上の無役にしたのか」
「ええ。しかし、先の戦いが流れを変えたのです」
まず、『傭兵』というものは、この世界では戦時にしか存在しない。
平時における彼らのほとんどは、仕事がない状況で食い扶持を稼ぐために略奪を行い、山賊だの盗賊だのと呼ばれて討伐対象だったりするのだ。
そこに先の、俺が活躍した戦争が起きた。
両軍合わせて十万以上の人員が動く大戦に、仕事が来たといくつもの傭兵団が帝国西部を目指した。
しかし、終わる前にたどり着いて報酬にありつけた者たちは良いが、間に合わなかった者たちには何の保障もなく、移動先でまた略奪生活に逆戻りだ。
「そうして、諸侯領で暴れる者たちは各諸侯が、皇帝陛下の直轄領で暴れている者たちは中央軍が対処するようです。どれも、数は百から二百で、荷馬を数頭と粗末な装備を持つだけの一般的な傭兵団のようです。ただ、正式には辞令が降りていないらしく、軽く探りを入れたところ、エレーナ殿下が出陣なされることは公には知られていないようです。以前から前線勤務を希望していたそうですので、姫様自身から言い出した可能性が高いとは思いますが」
「で、肝心の姫様の戦力が、自分の親衛隊の少女たち約百名か……」
少女だけなのは仕方ない。皇女殿下の身辺警護が主任務なんだから、異性では不便もあるし、男が居ると醜聞に繋がりかねないからな。
ただなぁ……。
「五年前に西方地域の準貴族や平民の娘を中心に皇女殿下自ら集め、それから猛訓練をしているそうですから、練度は大丈夫でしょう。経費については宮廷費から潤沢に出ているようで、全員分の軍馬や良質な装備も揃っているようです」
「でも、全員が初陣なんだよな」
『傭兵』が金にならない戦いで不利になっても粘り強く戦うほどに戦意が高いとは思えないし、略奪でなんとか生活してる連中の栄養状態や健康管理もお察しだから、普通にやれば押し勝てるはずなんだ。
でも、初陣ばかりだと、どうなるか分からない。
俺も我を失ってやらかしたし、覚悟を決めたつもりでもすごく怖かった。
だからこそ、二百に満たない少数部隊で三万の敵と戦い抜くという、少数部隊での戦いに実績のある俺に目を付けたのだろう。
きっと、これまでも色々と声を掛けて失敗してきた彼女たちにとって、たった一度でも経験があって結果を出している人間の存在は、喉から手が出るほどに欲しいはず。
「本当に、親衛隊だけで送り出されると思う?」
「そうでなければ、誰かに出陣そのものを潰されるでしょう。百やそこらの賊相手という極めて小さな案件に将軍クラスを複数出すわけにもいきませんから、部隊を付ければ皇女殿下の傘下に入ります。仮に臨時配属にして戦後に取り上げるとして、せっかく宙ぶらりんな地位に皇女殿下があるのに、そんな方法で兵力を持てる前例を作れば、同じ方法で兵力を寄越せ、と言われて大きな功績を作られる可能性ができてしまいますからな」
つまり、勝ってもエレーナ姫の得られるものはとても少なく、負けて戦死でもすれば邪魔者が消える。どう転んでも、仕掛けた者たちに損はない。
そんな範囲でしか、エレーナ姫は戦わせてもらえない。
それでも、今のエレーナ姫にはそんな小さな実績でも積み上げないとどうにもならない状態。
「やっぱりさ、母方のおじいさんのマイセン辺境伯に頭を下げて助けてもらうしかないんじゃないか? 地方駐留連隊の連隊長職って、維持費は連隊長の負担だけど、売官の対象だろ。大貴族が子供の生まれたお祝いだって生まれたての赤ん坊を連隊長にしたり、箔付けにいくつも持って全部の連隊に別々の命令が出たらそれぞれの副連隊長に丸投げしたりしてるアレ。一個連隊で三千名弱の兵を抱えてるから、エレーナ殿下に一個連隊でも与えれば、かなり動けるし。正式に討伐命令が降りたら、孫娘の命のために折れると思うんだけど」
「いえ、皇女殿下をすぐさま軟禁して、皇女殿下の名前で辞退をするのではないかと。賊討伐を断ったくらいなら、予備役編入か軍籍剥奪という、おそらくはマイセン辺境伯の望む通りの展開ですしな。後は、どこか相応の家に嫁に出されるまで大人しくさせておけば命の危険はありませんし」
孫可愛さ、ってやつだろうか。
自分自身がかなり痛い目に遭ってる魔境に、満足な援護もなく孫娘が飛び込んでほしくないってのは分からないでもないが。
「じゃあ、殿下はどうするかな。一応は身内の、西方のどこかの諸侯に支援を求めるとか?」
「これまで、マイセン辺境伯から、我らの皇女殿下への対応について特段メッセージはありません。今のマイセン辺境伯は、派閥内で配分できるような中央の利権もポストもありませんから、その意向に逆らうこともできます。しかし、帝都で『大やけど』をしてから十数年しか経っておらず、真っ先に殿下の後ろ盾になるべきマイセン辺境伯が動かない状況で、中央に私財を突っ込むものが居るのかどうか……」
ほへぇー、皇女殿下も大変だな。
そうして馬車に数日揺られ、マイセン辺境伯の居城へとたどり着いた。
中央で失脚したとは言っても、西方を取りまとめる大物の帝都の屋敷を訪れないわけにもいかず挨拶に行った際、帰りの宿泊地の提供を申し出られ、その際に行う西方諸侯を集めてのパーティに招待されたのだ。
夕刻に到着し、マイセン辺境伯への面会とパーティは明日とのこと。
中央とは違って、関わることも少なくないだろうご近所さんたちの集まりだ。そのうえ、俺の訪問に合わせるってことは、主役級の扱いでもあるだろう。
中央で無駄に積んだ社交経験をフル活用してやる!
なんて、割り当てられた豪華な客室でひっそりと決意を燃やしていると、扉を叩く音が。
「はい、どちら様ですか?」
「長旅でお疲れのところを失礼します。お茶をいかがですか?」
ありがたい気遣いに、断る理由はない。
扉を開けると、俺と同い年くらいの金髪ポニーテールなメイドさんが入ってきて、流れるような優雅な所作であっという間にお茶の準備を整えてしまう。
一口飲めば、これはおいしい。
そして、大きな家だけあってメイドさんのレベルも高いんだなぁ、と思いながら、これからを考える。
と言っても大げさな話じゃなくて、夕食までどうするかってことだ。
馬車で座り続けたし少し散歩でもしたいんだけど、土地鑑がないからどうすべきか分からないのだ。
別に、アテもなく冒険しても良いんだけど……。
「ねえ」
「はい」
「夕食まで散歩でもしたいんだけど、ちょうど良い目的地とか名所とかってないかな?」
「そうですねぇ……」
少し考え込んだメイドさんだけど、すぐに何かを思いついたようだ。
「そんなに遠出もできないでしょうし、この城の最上階にある見張り所などいかがです? 城壁の外まで一望できますし、この時間なら夕日がきれいですよ」
「え? そんなところ、入っていいの?」
「大丈夫ですよ。私も幼いころは、よくそこでみんなで遊びました。戦時以外は使われていない場所ですし、今日は掃除の日でもないはずですから」
せっかく薦められたし、その見張り所に行くことにする。
階段を上り続けて到着すれば、確かに言うだけのものがある。
眼下に広がる夕陽に照らし出された景色は、思わず息を飲むほどに美しい。
十分にその絶景を堪能した俺が、そろそろ帰ろうかと思った時のことだ。
「おお、カールではないか」
「え? ……エ、エレーナ皇女殿下!? どうしてここに!?」
「うん? 自分の祖父の家に来るのに、理由が必要か? ここは幼いころから友人たちと遊んだ思い出の場所で、懐かしくてやってきただけだぞ」
あ、やべ。これ、嵌められたわ。