武人ジェラルド
その頃、カイたちは酒場の料理に舌鼓を打っていた。
「いや、やっぱ宮廷の料理より、こっちの方が懐かしいかなー」
カイが喜んで食べているのは、魚の香草焼きだ。ハーブの香りが魚の臭みを消して、身のうまみだけを引き出している。
そして驚くべきは、調味料に醤油が使われている点だ。
「こちらでの醤油の歴史は、二百年ほどと言います。その頃、転生してきた人に、知識を持った人がいたのでしょうね」
「うんうん、やっぱ知識チートはいいなぁ!」
「たまにお米も食べたくなりますが……それはないようですね」
サーラがつぶやく。
醤油は、豊富に採れる豆のおかげで安定供給されている。しかし米にはまだお目にかかったことはない。この世界にはない植物なのかもしれない。
「先人に感謝感謝」
と、ここまではにこやかな昼食だったのだが。
「おう、ずいぶんと美人がいるじゃねぇの」
下卑た声が、三人の食事を邪魔する。
酔っ払いだった。かなり呑んでいるらしく、酒の臭いがひどい。
「その青い髪に青い目……水神アクアリア様のご加護かい」
酔客はいやらしい視線で、サーラの全身を睨め上げる。
「ちょうどいいやぁ。水神様の甘露を、俺にも分けちゃあくれないか?」
「お断りします」
サーラは不快そうな視線を酔客に送った。
だが、それに気付くほど彼に理性は残っていないようだ。
「そう連れないこと言うなよぉ、な?」
酔客はサーラの肩に手を伸ばす。
「すまない、そこまでにしてくれないか」
カイが酔客の腕を軽く押さえた。
「なんだ、こいつ! 若造が口出してんじゃねぇぞぉ!」
酔客はカイの腕を振り払い、赤くなった顔をさらに赤くした。逆効果だったようだ。
「そこまでにしてもらおう」
冷たい声がかかった。ジェラルドがすっくと立ち上がる。頭ひとつ抜きん出た長身で、酔客を見下ろす。
酔客は一瞬ひるんだが、それで収まるような場ではなかった。
「へ、へっ、上等だ! 体がでけぇだけで俺に勝てると……」
酔客が殴りかかろうとした瞬間、その体は大きく宙を舞っていた。
どんがらがっしゃと派手な音を立てて、酔客は別のテーブルを巻き込んで床に伸びた。幸いそのテーブルには客がおらず、壊れてもいないようだったが。
「痛いだけで済んだな。奇跡の神プローディギに感謝することだ」
「あっちゃー……」
カイが頭を抱える。
ジェラルドは真面目なのが取り柄だ。だが欠点もある。カイのこととなると周囲が見えなくなるのだ。
「あの、ジェラルド……?」
当然、酔客を派手に投げ飛ばしたジェラルドは酒場中の注目を浴びる。
「お、おい、あれ、〈魔槍の騎士〉じゃねぇか!?」
「み、見たことあるぞ! クリスタルズだ!」
酒場はたちまちパニックに陥った。
後ろ暗い連中は酒代も払わずに逃げ出し、そうでない者はジェラルドたちが次にどう行動するかを固唾を飲んで見守っている。
一方のカイたちも、迂闊に動けなかった。
さすがのジェラルドもやりすぎたと悟ったのか、視線を前に向けたまま動かない。
カイもサーラも、この場をどう切り抜けようか、必死で頭を働かせている。
「あ、あ、あのー……」
沈黙を破ったのは、意外にも、酒場の亭主だった。
「魔槍の騎士様とお見受けします。こ、こんな酒場で、何のご用でしょう?」
魔槍の騎士――ジェラルドのあだ名だ。
彼は国王から騎士の称号を受けるとともに、奇跡を司る神プローティギから魔槍を与えられた身である。普段から左耳に揺れる、イヤリングがそうだった。
「いやっ、すまない、ご亭主。こんなつもりじゃなかったんだ」
カイが席を立つ。さすがにフードを取って、亭主に詫びの礼をする。
「ま、ま、まさか、第七王子殿下……!」
「何やってんだ、ジェラルド――!」
ニコラスが叫んだ。情報屋の男などほっぽり出して、こちらへ駆けてくる。
「殿下に絡んだ賊を投げただけだ」
「アホか! こういう場ではもっと静かにやるんだよ! これからの仕事に差し支える!」
「ああ、ニコラスもそう怒らないで」
カイはジェラルドとニコラスをなだめる。
その時、サーラはいいことを思いついたようだ。
「こういう場合、いっそもっとにぎやかにしてしまえばいいのでは?」
サーラが小さな革袋を取り出した。財布だ。
「飲み逃げ連中の酒代、わたしたちの食事代、それから、今から始まる宴会代でいかがかしら?」
「え、宴会代?」
酒場の亭主に、サーラは財布ごと中身を手渡した。じゃらり、と重い音がする。
「そう、ここからの酒代は、わたしたちの奢りです! 大いに呑んでくださいな!」
「え、え、マジか?」
「やったー!」
「いいぞ、姉ちゃんー!」
陽気な声と指笛が飛んでくる。
「さ、サーラ、いいの?」
あの財布の中身は、サーラのポケットマネーのはずだ。
カイが心配そうにサーラを見つめると、サーラはクスクスと笑った。
「ジェラルド殿、あとで払ってくださいね」
「……承知した」
ジェラルドが肩を落とし、サーラはにっこり笑った。
その日から、その酒場は「第七王子カイ様御用達!」の看板を掲げて営業するようになったという。
初出:2016年丙申10月01日