第七王子カイ
王宮は広く、上品な白壁に華麗な装飾が施されている。
絵画が飾られている廊下を曲がったあたりで、カイがふと足を止めた。
「どうなさいました?」
「サーラ」
「はい」
「陛下に会うんだし、ドレスとか着なくていいの?」
廊下の絵画には、着飾った貴婦人の肖像が何枚も並んでいる。
それを指さして、カイは首をかしげた。
「もう、着替えに何時間かかると思ってるんですか!」
「それもそうか」
カイは、にへらっと笑った。
サーラはぷうと頬を膨らませた。若干、赤くなっている。
「お気遣いは感謝します。でも、わたしはカイ様の従卒ですから」
「従卒らしい格好で十分だってこと?」
「はい」
「サーラがそう言うなら、いいか」
カイとサーラは王の私室へ入った。
私的な部屋とはいえ、その広さはちょっとしたサロンほどある。音楽やダンスパーティーを楽しめそうなほどの広さがある。
「疲れているところ、呼び立ててすまないな」
国王エサルレッドは、口ではそう言いつつ、あまり気にしていない様子だった。
カヴァデイル王国の国王にして、カイの異母兄。悠然と椅子に座ったその姿は、優美であり余裕がある。
「座りたまえ」
「失礼いたします」
カイだけが豪華な長椅子に座る。国王と向かい合ったかたちだ。
サーラはカイのうしろに控えた。
「此度のこと、ご苦労だった。臣民も喜んでいる」
「恐縮です」
「そなたは今年、十八だったな。その若さでこの活躍……兄として、誇りに思うぞ」
「もったいなきお言葉」
カイの返事は短かった。言葉を選んでいるのだ。
「それにしても、我が父のもとに水晶人が生まれてくれてよかった。でなければ、クリスタルズも結成されなかったであろう」
水晶人は生来の質であるが、特定の血統に生まれるわけではない。まるで気まぐれのごとく――神の加護を受けて生まれてくる、とこの世界では解釈されていた。
「我らが父祖、雷神トニトルスが地を撃つとき、水晶が生まれる……」
この世界の言い伝えだ。
最高神にして雷を司る神トニトルス。彼の雷撃が大地に落ちるとき、宝石の水晶ができるという。ゆえに水晶は聖なる石とされる。
それになぞらえて、黒石病に耐性のある者を、水晶人というのだ。
そしてカヴァデイル王家は、雷神トニトルスの血統とされていた。
神の血を引く王家に、水晶人が生まれたのは、まさに僥倖だった。
「いまや我が王家の基盤は、そなたのおかげで盤石なものとなっておる。諸侯はこぞって我らに助けを求め、結果、忠誠を誓う……よいことだ」
「それも陛下のご威光あってのことです」
「褒めるな。クリスタルズを作りしは、我らの父王であるし……私は何もしておらぬ」
国王は自嘲気味に笑った。
「それよりも、気をつけておいた方がよいぞ。いくら末弟の第七王子といえど、そなたの活躍を快く思わぬ者もいる」
そう、カイは先王の末子――カヴァデイル王国の第七王子である。本来なら王位など回ってこない立場だが、民からの支持は高い。それを厭う者も少なくはない。
カイ自身、そんな政治のゴタゴタには興味がない。しかし知っておくことは大事だった。
「肝に銘じておきます」
その時、ごとりと音がした。
サーラが即座に身構える。
だが姿を現したのは、猫だった。漆黒の毛並みが美しい。
「そ、その猫は?」
「ああ、数日前に迷い込んできたのだ。美しいだろう?」
猫は、国王の膝になんの躊躇もなく飛び乗る。人慣れしている。
「ナーオ」
「よしよし、ご覧。これが私の自慢の弟と、その護衛だ」
サーラは即座に構えを解き、一礼する。
「失礼いたしました、陛下」
「よいよい、こうでなくては困る」
国王は鷹揚に手を振った。
「陛下、失礼いたします」
国王の侍女が入ってきた。手に書状の載ったトレイを持っている。
国王は膝から猫を下ろす。書状を受け取って目を通すと、ふう、とため息をついた。
「いかがなさいましたか?」
「死霊術師ライオネル・シーグローヴを知っているか?」
「名前だけは……。確か、我らが西部に行っているあいだに、逮捕されたと聞きましたが」
「うむ。罪状は黒疫鬼の使役。本来であれば、すでに処刑されていてもおかしくない身ではあるが……」
人を苦しみの果てに死に至らしめる黒石病。根源たる黒疫鬼を使役するなど、万死に値する罪のはずである。
「ライオネルの研究成果が本当であれば、この国を守る手立てになると言い出した者が少なくなくてな……それで処刑はされず、宮廷魔道士らが調べていたのだ」
確かに、厄介な黒疫鬼を自在に操ることができれば――人々はもはや病に怯えずに済む。
ライオネルの研究成果を調べるため、幾人もの宮廷魔道士が、彼の屋敷を家捜しした。また、ライオネル自身から成果を吐かせるため、彼は生かされていたのだという。
「それで、どうしたのです?」
「今し方入った知らせだ。ライオネルが逃亡した」
「えっ!?」
「おそらく手引きした者がいる。貴族の中にも信望者が多いとは聞いていたが……」
国王は手を組む。
「我が弟、カイよ。国王の名のもとに命ず。ライオネルを討伐せよ」
「承知いたしました」
こうなっては致し方ない。
カイは命令に従うだけだ。ずっとそうしてきた。
「では、準備がありますので……これで失礼いたします」
「うむ。雷神トニトルスの加護があらんことを」
礼をして部屋を出ようとした時、カイはひとつ思い出した。
「あの、陛下」
「何だね?」
「クリスタルズのことですが」
水晶人で構成されし黒疫鬼討伐隊クリスタルズ。名誉も功績も申し分ない彼らだが、ひとつだけ欠点があった。
「新しい水晶人の補充は……」
「国中に呼びかけてはいるがな、一向に応える者はおらぬ」
「ですよねぇー……」
また四人だけで戦うのか。クリスタルズの人手不足は深刻だった。
「やはり不安か」
「いえ、詮のないことです」
水晶人はまれにしか生まれない。
同じ時代に、同じくらいの年頃の水晶人が四人集っただけでも奇跡だった。
「行くぞ、サーラ」
「はい」
サーラは丁寧に国王に礼をし、カイとともに部屋を出ていった。
「水晶人、か。そなたらの未来には、何が待っているのか……」
国王のつぶやきは、広い部屋の中に吸い込まれていった。
初出:2016年丙申04月24日