第九席 姉妹の事情
「違う世界からやってきた……ね」
薄茶のお代わりを受け取りながらアイアノは小さく呟く。
「間違いないと思うわ、姉さん。トシヤスさんにとって身近な文化は私たちにはまったく馴染みがないものだもの」
茶碗を両手に包み持って言うフミニア。
その脚はすでに正座から横座りの形に崩されている。
アイアノを迎えてまずは一服してもらった後、二人は本題である転移についての話を切り出し伝えた。
森を満たす魔力に波紋を起こした原因。
それが利康を巻き込んだ異様な転移であったと聞いて、アイアノは小さく唸りながら納得がいったようにうなづいた。
だがしかし、異なる世界と言う存在。そしてそんな場所からの前触れの無い転移現象。それらについてはさすがに眉つばだと思ったのか、半信半疑な風に苦笑していた。
長い話に乾き疲れた口とのどを湿らせる。そのための二杯目の茶を抱えながら、アイアノは本当の話だと主張する妹へ首を縦に振る。
「べつにウソだなんて思ってないわ」
分かっていると言うように繰り返しうなづいて見せて、茶を一口。
そして器に残った茶に目を落としながら苦笑を浮かべる。
「トシヤス、だっけ? 体に染みついてる天然自然のエネルギーから、どこの精霊のトコで暮らしてたか読み取ってみたんだけど……アタシはトシヤスの暮らしてた場所を探せなかったわ」
「姉さん、それってどういう……?」
「辿ってみたはいいけれど、まるで遮られたみたいにぷつりと切れちゃってるの」
「それって、そこまで分かるものなんですか? こんなにすぐ確信が持てるくらいに」
「この場合はすぐにぶつ切れになってるからこそね。海を挟んだ別の陸地くらいに距離があっても、方向と大まかな距離感くらいならすぐにでも探れるもの」
フミニアとトシヤスの疑問に、一つ一つ答えて行くアイアノ。
つまり利康の転移前の住処について、この世界には大雑把な方角すら探し出せなかったことから、異世界からの転移者であるという話を信じたのだという。
「それで……僕は元の世界に戻れるんでしょうか?」
異世界転移という現象を信じてもらえたところで、利康は帰還の可能性があるのか尋ねる。
一方、フミニアはうつむいてその愛らしい顔を曇らせる。
アイアノはそんな妹を横目で一瞥。しかしすぐに利康を正面におさめて首を横に振る。
「いまの状況じゃすぐには無理よ。魔力波紋の中心点を見てきたけど、もう何の異常も見られなかったし」
そう言ってアイアノは茶をもう一口。そして肩をすくめて息をつく。
「ま、アタシが転移の瞬間に出くわしたとしても、どうにもできなかったと思うけどね」
「そう、ですか……」
今すぐ元の世界へ帰るのは無理。そのアイアノの見立てに、利康は目を伏せてため息をひとつ。
「気を落とさないで、トシヤスさん。今すぐは無理でも、きっと戻る手段は見つかりますから。ね、姉さん?」
フミニアは沈んだ顔を見せる利康へ励ましの言葉をかけて、すぐ隣の姉に顔を向ける。
するとアイアノは器を置いて腕を組む。
「まあね。どれくらいかかるか分からないけど、見つからないとは言いきれないかな?」
あくまでも可能性は否定しないという形ではあるが、妹の意思を無下にしないようにうなづくアイアノ。
「姉さんお願い。トシヤスさんを故郷まで送り届ける方法を探して欲しいの」
「お姉ちゃんに任せてちょ! ……って言いたいとこだけど、しょーじきアタシと父さんでも確実になんとかできるとは限らないよ?」
利康の送還を助けてほしいというフミニアが願う。だがアイアノは薄い胸を叩きかけた腕を下げてしぶる。
「でもまあ、この件は森ノ都に持ち帰って父さんも巻き込んで研究してみるよ」
ダメ元だから期待はしないでね。と、言葉の末に付け加えてアイアノは苦笑交じりに肩をすくめる。
「ありがとう、姉さん」
「それで構いません。お願いします」
フミニアの礼に続き、実際に世話になる利康も指をついて深く頭を下げる。
「やめてってばくすぐったい。まだなーんも成果を上げてないんだからさ」
するとアイアノは苦笑いのまま広げた手をひらひらとあおがせる。
「とにかく専門外も良いトコだし、たぶん時間もすごくかかるから、帰るために動き出すまではフミニアの傍にいてやってよ。この子寂しがりでさ、誰かにそばにいて欲しいみたいだから」
「ちょ!? 姉さんッ!?」
姉からの思いがけない一言に、目を白黒させるフミニア。
幼い弱さを暴露されたことの恥じらいに、フミニアの顔は尖った耳まで赤く染まる。
「それは、むしろ僕の方からお願いしないといけないくらいですから、願ったりかなったりなんですけど……」
真っ赤になった顔を両手で隠したフミニアをよそに、利康はアイアノの話しにうなづく。
「けど? なんか気になるの?」
アイアノは指の隙間から自分たちを覗き見る妹を微笑ましげに見ながら、利康の言葉尻に首を傾げる。
「どうして、フミニアが寂しがりと知って離れて暮らしてるんですか? それも合うのに何日もかかる距離を置いて」
利康が口に出した疑問。
それにアイアノは苦々しげに下唇を噛み、フミニアも顔に満ちていた血を引かせてうつむく。
「どうにもできなかったことなんだろうってことは察してるつもりです。でも、訳は聞かせてください」
そんな姉妹の様子に、利康は内心「やらかした」と冷や汗でずぶ濡れになっていた。
六秒でも時間を戻せる能力があるのなら、喜んで戻して質問を吐かずに飲み込みたい。
利康は腹を中から疼かせるような思いを抱えながらも、耳の尖った姉妹の言葉を待つ。
対するフミニアとアイアノは互いに目配せ。するとフミニアが小さくあごを引いてうなづき、アイアノがそれに無言の返事。
そしてアイアノはため息をひとつ。続いて利康へ向き直り口を開く。
「フミニアをエルフの都から追い出した連中がいるのよ」
吐き捨てるような一言。
軽蔑と嫌悪の情に彩られた声音は、元が可憐であるだけにいやにおどろおどろしく響く。
その暗い情念は吐きだされた方角のみならず、放ったアイアノ自身の身の回りにも澱みとなって絡みついているように感じられる。
「なぜです? フミニアが追放なんてされる理由がどこに? 見ず知らずだった僕が森で迷っているのを助けてくれるような優しい彼女がッ!?」
アイアノに尋ねる利康の声の調子が強くなる。
詰め寄るようなほどに勢い付いてしまっていたが、意識したところで後の祭りだ。取り返せるものではない。
「そんなこと! 言われなくたってッ!」
強く打たれれば大きく響く。
その言葉通り利康の勢いを跳ね返すように顔をあげるアイアノ。
「……ごめんよ」
「いえ……こちらこそすみません」
だが二人は顔を見合わせると、こみ上げた気まずさに苦い顔をしてうつむく。
二人はそのまま会話を再開する事も出来ずに沈黙。
フミニアもまた沈黙を切り開く話題を探して、視線をさまよわせている。
そんな三人の間を柔らかな風が吹き抜けて、草の香が流れていく。
風とは裏腹に、沈黙に澱み始める空気。
その中で利康が噛みしめていた唇を放す。
「……その優しさが過去に仇になった、ということですか? 異種族立ち入り禁止の場所にまで、保護のために招き入れた……とか?」
問いかけ、途切れた会話を再開させる利康。
だがその問いに、アイアノは首を横に振る。
「……もっと単純で胸糞悪い話よ。フミニアがハーフエルフだから都に住むのを許さないのよ! あのすっからかんの枯れ木ども……ッ!!」
荒々しく言い放つアイアノ。
その言葉じりの罵倒は特に強烈で、枯れ木と揶揄される連中への怒りを肌に感じるほど。
しかしその罵声以上に利康の印象に残ったのは、フミニアが都を追いやられた理由そのもの。
「ハーフエルフ?」
言葉をなぞる形で利康が聞き返す。
するとフミニアはばつが悪そうに目をそらして、アイアノが据わった目を利康に向ける。
「あ、いや! フミニアさんがハーフだからどうこうなんて言いませんよ!?」
そんな姉妹の反応に、利康はあわてて他意は無いと主張する。
「エルフでもなんでもフミニアさんはフミニアさんで、僕にとっては恩人にかわりないんですから!」
「私は、私……かわりない……」
するとフミニアは、利康の言葉を噛みしめるように繰り返しつぶやく。
まろやかに膨らむ胸に手を置いたその様子は、心の内におきたぬくもりを抱き留めようとしているようである。
が、そんな妹とは対照的に、アイアノの目はいまだ疑念に鋭く細められている。
「ならどういう意味?」
力強いその目は嘘やごまかしを重ねた壁を容易く貫いてしまいそうで。
実際、精神を司る精霊の動きを監視しているのだろう。ほんの少しでもフミニアに対する蔑視の念があればたちどころに見破って見せるだろう。
利康としては先に語ったのが偽りない本心であるため心配はない。
だが、あまりにも気の立った目はそれだけで恐ろしく。その恐怖心がやましさからくるものだと見なされないかという面では心配がある。
そんなアイアノの目に居心地悪さを感じながらも、利康はいつまでも黙っているわけには行かないと心を決める。
「話を聞きますと、アイアノさんが都に住めているのは純血のエルフだからなんですよね? ならどうして、妹のフミニアさんだけハーフなのかって……ただ僕は、それが気になってしまって」
余計なもので飾らず、ただ思ったままの疑問だけを素直に口に出す利康。
フミニアがハーフ、アイアノが純粋なエルフだと言う話を聞けば、二人の容姿の違いにも納得はできる。
人間とのハーフであるためにフミニアの方が耳が短く、また体格も姉よりも充実しているのだろう。
だが、姉妹で純血とハーフだと言うのは不自然な事態だ。
もちろん片親が違う可能性はある。もしくは実は姉妹ではなく、身寄りを無くした親戚を養子に引き取ったという形なのかもしれない。
が、これらはあくまで利康の中の推測でしかない。
無駄な好奇心で、余計な詮索。
そう言われても仕方がない。だが利康は聞かれたまま、正直に自分の中に浮かんだ疑問をアイアノへ告げた。
利康の言葉を受けたアイアノは、黙って正面の彫り浅顔に収まったたれ目を見据える。
目を透して心を、精神の動きを見抜こうとするようなその目。
先の質問から変わることなく向けられていた緑の目であったが、ふいにその目が放つ圧力が消えて失せる。
「そっちも単純な話。アタシも純血っぽいだけ。アタシらの爺さま婆さまの何人かはハーフエルフなのよ」
そしてため息に続いて吐きだされたのは、姉妹のルーツに関わる衝撃の事実。
「ええっと、父さんの方の婆さんと母さん方の爺さん……フミ、あと誰だっけ?」
「私が知ってるのは、後はイァドの方の曾お爺さんに、お母さんのお婆ちゃんがそう」
「ああ、そうだったそうだった」
しかし本人たちの語り口に気負ったところは無く。ただ気軽に諳んじている家系図を擦り合わせている。
「隔世遺伝……ってことですか?」
「なにそれ?」
思い浮かんだ単語を呟く利康に、エルフ耳の姉妹が揃って首を傾げる。
「え……っと、ですね。祖父母が持っていて親が持っていない特徴が、孫の世代で出ると言いますか……先祖がえり? って言っていいのかな?」
「ああうん。そういうものなのかな?」
遺伝という概念があるのかも不明な世界ではあるが、どうにか言葉のニュアンスが伝わったらしいことに利康は息を一つ。
それからアイアノが語ったところによれば、すでにエルフの都に住む者のほとんど、特に姉妹の親以降の世代はエルフとしての形質と寿命を備えた混血児なのだという。
これは二人の曽祖父母世代を襲った病が原因にある。
その代に生まれてきた子どものほとんどが虚弱で、赤子のうちに大半が死亡するという恐ろしい事態が起こった。
正確にはその数世代まえから兆候はあり、爆発的に発症したのがその世代ということなのだとか。
ともかくその弱い赤子しか生まれない奇病のために、元々少産だったエルフは数を大きく減らすことになった。
さらに生き残って成長した者同士で子を成そうにも、さらに虚弱な子しか生まれないのでは、という心配がつきまとった。
そこでエルフの血を絶やさぬため、苦肉の策としてハーフエルフとの混血が実行に移されたのだと。
そうして掛け合わせて生まれる子どもは、単純に考えて四分の三はエルフの血を引いているのである。純粋なエルフと変わらぬものも生まれる可能性がある。
はたしてその計画は目論見通り、次の世代のエルフを生みだすことに成功。
生まれた赤子はみな健康で、病死する者なく大人へと成長していった。
そうした者たちの子孫が増えることで、エルフはその数を増やし、滅亡をまぬがれたのだという。
「だから、今生きてるエルフのほとんどにハーフエルフを蔑んでるのはいないのよ」
そう言ってアイアノは軽く息をつく。
「ゴーメン。お湯でいいからちょーだい」
「ええ。どうぞ」
長い説明で渇いたのどを潤すために水を求めるアイアノへ、利康は鍋から汲んだ湯を分厚い木の器に注いで渡す。
アイアノは受け取った温かな湯を一口。
薄桃色の唇とのどを湿らせてもう一度息をつく。
「でも、それでしたらどうして?」
そんなアイアノへ、利康は納得できずに首をひねる。
先の説明とおりならば、フミニアが都を追われる理由は無いはずなのだ。
だがアイアノは落ち着くようにとばかりに片手をあげて利康を制止する。
そして利康が黙って待っている間に、白湯をもう一口。しっとりと湿らせた唇を開く。
「さっきもぼやいちゃったけど、すっからかんの枯れ木どものせいなんよ」
言いながらアイアノは不快げに眉を寄せる。
口に出すのも忌まわしいとばかりの苦い顔。それを努めて抑えながら、続きを語り出す。
「たしかに……最後の純血エルフたちは希少で、年齢も重ねてる敬うべき存在よ? でもね、差別意識の妄執に取りつかれた古木なんかを、いつまでもシ階級の主流にしておくのはバカな話よ!」
「シ階級?」
「エルフの身分制度の最上位階級です。二十一名の長老たちだけが名乗ることを許されている称号です」
アイアノの言葉に混じっていた利康に馴染みの無い言葉。それをフミニアが補足する。
エルフたちは年齢と血筋。そして積み上げた功績によって「シ」「チ」「バ」の三階級に分かれているのだと。
ちなみにアイアノは中位の「チ」階級である。
なおハーフエルフはやはりと言うべきか、チ階級のアイアノの妹であるフミニアでも、バ階級ですらないのだという。
この階級制度、特に重要視されるのは年齢と血筋である。
特に政に関わるシ階級は、数が限定されることもあって特に厳重なのだと。
「つまり混血を拒んだ純血主義者連中が、自分たちの血統を盾にシ階級の席を埋めてるってワケね」
アイアノはそこで言葉を切ると、鼻を鳴らして口の端をつり上げる。
「まあ、連中は不幸にも後継者に先立たれてるから、血筋と地位くらいにしかしがみつく物が無いんだろうけどね」
純血主義が仇となって、皮肉にも血統の断絶が見えている長老たち。
自分たち姉妹を引き裂いた敵でもある彼らを皮肉ると、アイアノは残った白湯をあおるように飲む。
「あー……! 気分悪い話しちゃったね。せっかくこんな催ししてもらったのに」
そして大きく息を吐きだすと、先ほどまで苦々しげな顔が幻だったような陽気な笑みで利康とフミニアにひとこと詫びる。
「いえ。質問したのは僕ですから」
「私もトシヤスさんにお願いしただけだもの」
揃って気にしないでと、やんわりと受けとる利康とフミニア。
アイアノはそれに微笑み小さく会釈。
そして青い器を両手で持ち上げて、じっくりと回し眺める。
「それにしても面白い形式のお茶会だよね。道具も独特なものぞろいだし」
アイアノは器のみならず、茶筅やらにも目をやりながらそうつぶやく。
その好奇心に輝く緑の目に、利康は口の端をゆるめる。
「そこは異世界の文化ということで。むしろ受け入れてもらえるか心配だったくらいなんですが」
「いやいや、そんな心配はごむよーってヤツよ? アタシが新しモノ好きなのは自覚があるけど、エルフ的にはイイ感じよ?」
内心に抱えていた心配ごとを吐露する利康を、アイアノは軽快に笑い飛ばす。
「アタシも覚えたいね。今度から手ほどきしてもらっちゃってもいい?」
「あ、私も本格的に覚えたいです! 私にも教えてください!」
初見に湧いた興味のまま習いたいと言い出すアイアノと、その姉に続くかたちで志願するフミニア。
姉妹揃っての申し出に、利康は湧きあがる喜びのままに顔を柔らかく緩める。
「ええ。修行中の未熟者ですが、精一杯やらせてもらいます」
そして微笑みのままに頭を下げ、快く二人の指南役を請け負う。
読んで下さってありがとうございます。
次回は2月8日午前0時に更新いたします。