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第二席 少女の手料理は舌に美し

 刺し入ってくるような眩しさ。

 耳をつつく鳥の声。

 そして鼻をくすぐる香。

「ふ、あぁあ……朝かぁ」

 それらに意識を引き上げられた少年があくび交じりに呟く。

 重たく閉じたまぶた。接着剤を落とすように目を塞ぐ落とし戸を擦りながら、少年はその身を起こす。

「あれ? 僕の部屋じゃ、ない?」

 ようやく持ち上がったまぶたの下から覗いた目で見た辺りの景色に、鈍い声で独り言。

 木板そのままの壁に、つっかえ棒で支えた落とし窓。

 そこから差し込む朝日は、寝床の敷かれた板張りの床と、その奥の土間を照らしている。

 火の掛った竈には鍋がかかって、そこから食欲をそそる香りが立ち上っている。

 その鍋の斜め脇には三角巾の後ろから長い金髪を一房垂らした少女の背中が。

「……あ、おはようございます。トシヤスさん」

 少年の視線に気づいてか振り返り、笑顔で朝の挨拶をする。

「お、おはようございます、フミニアさん」

 花のほころび開くようなその笑顔に、トシヤスと呼ばれた少年も戸惑い交じりに頭を下げて返事をする。

「もうすぐに出来ますから、待っててくださいね?」

「は、はい」

 返ってきた挨拶に、金髪の少女フミニアは笑みのまま頷いて再び鍋へ向き直る。

 鼻歌混じりに料理へ戻った背中を見ながら、トシヤスこと古賀利康は、自身に降りかかった災難を思い出した。

 昨日の昼間。午前を埋めた茶道の稽古からの帰り道。

 その途中、ふと気まぐれに近道をしようと道を変えたのだが、それがいけなかった。

 気がつけば鬱蒼と茂る森の中。

 並ぶ幹が壁、かかる枝葉が屋根といった具合の天然の迷路へと迷い込んでいたのだ。

 町からいきなりに迷い込んだ深い森。

 どこまでも続く木々の群れ。それに戸惑いを抱きながらも、利康は見覚えの無い森の出口を目指して歩いた。

 だが馴染みない森で勘が働くはずもなく、利康はただ徒にさまようばかりであった。

 そうして雪駄で草葉を踏んで森の中を迷い続ける。

 幸いにも人を襲うような猛獣こそ現れてはこなかった。が、当てもなく森を歩む脚は重みを増し、呼吸もまた激しく荒れて乱れる。

 そんな利康の目の前に現れたのが、金髪のエルフ耳の少女、今朝食の支度をしているフミニアであった。

 たまたま森に木の実や薬草の採集に来ていたフミニアと出逢い、森の開けた場所にある彼女の家にまで案内され、そのまま保護される形で泊めてもらったのだ。

 そして昨夜、利康の持った茶道具に興味を持ったフミニアに、感謝の意味を込めて足りないづくしではあったが不時の野点薄茶を実演して見せたのだった。

 元の世界では空想の産物であり、実在するはずの無いエルフ耳の少女。そして前触れの無く唐突に迷い込んだ存在し得ない森。

 恐らくは元いた世界とは全く異なる世界へ転移させられたのだろう。

 そこまで自身の現状を思い出し、頭から眠気が抜けたところで、利康は未だに自身が薄手の襦袢姿で首を隠すほどの髪も流しっぱなしに寝床の中にいることに気づく。

 慌て気味に髪を一つにまとめると、とりあえず着物はそのままに寝床を作る敷物と掛け布団をたたみまとめて、床の間の隅へ運ぶ。

「お待たせしました。さあ、朝ご飯にしましょう」

「あ、はい。今テーブルを」

 そこで丁度スープが仕上がって振り返ったフミニアに、利康は壁に立てかけてあったローテーブルを掴んでうなづく。

 利康の出した短足のテーブル。

 その上には木の器の中に湯気を立てる赤と緑の野菜が浮かぶスープと、焼きたての平たいパンが二人前。

 素朴ながら温かで美味そうな朝食を前に、利康は藁編みの敷物に正座。居住まいを正す。

 テーブルをはさんだその正面。同じ敷物に崩し座りで対したフミニアは、そんな利康に微笑みながら、その両手を緩やかに膨らんだ胸の前で組む。

「ふふ……大地と森より授かった恵みに感謝を」

「いただきます」

 食材とそれをもたらしたものへの感謝を捧げるフミニア。

 利康もまたそれに続いて合掌。同様の祈りを異なる形で口にして、家主に遅れて料理に手を出す。

 まずはスープに添えてあった木匙を手に、汁を赤い野菜と合わせて一掬い。

 香草の香りほのかなそれを口に含むと、いくつもの野菜のうま味の溶け込んだ豊かな味が広がる。

 あっさりとした確かな甘味をベースに、やや目立つトマトに似た酸味は、具としてあった赤い野菜だろうか。それらが柔らかな熱とともに、舌を中心に口中にじわりと染みる。

 そんなスープの味わいが残っているうちに利康は主食である平パンを掴む。

 無発酵なのかナンに近いそれ。

 しかし平たくもふっくらと焼き上げられたそれは、内に含んだ熱で掴んだ手に噛みついてくる。

「あつつ……」

 その熱とは裏腹に頬を緩ませながら裂いていけば、パリパリと緩く色づいたところが音を立てて割れる。

 そのギザついた裂け目から口に含めば、ザクザクと音を立てる食感が楽しい。

 香ばしく焼き上がった薄お焦げ。それから噛み進めば、今度は柔らかな弾力へとバトンタッチ。

 平パンそのものに厚みは確かに無い。だがしかし深々と歯は沈み、その裂け目から馴染みの無い新鮮な風味が踊り出る。

 幾つもの穀物粉を混ぜ練り合わせているのだろう。噛めば噛むほどにその風味が、歯ごたえが、次々と口の中で彩りを変えて行く。

 他の味わいの助けなどなくとも充分に楽しめる平パンを飲み込むと、またスープへ匙を入れる。

 今度は葉野菜の甘みがメインとなったスープを食べれば、続けて平パンの風味を楽しむ。

 土間と床の間がある古き日本の家を思わせる家。そこで洋風のスープとナンに似たパンを食べる。

 どうにもめちゃくちゃな取り合わせに思えるが、利康は背筋を伸ばしたまま、気にした風もなく朝食を味わっていく。

「……昨夜も思いましたけど、すごいきれいですね」

 流れるように進む利康の食事振りに、フミニアはスープに吹きかけていた息を止めて、感心したように呟く。

 それを聞いた利康は夢中で動かしていた手を止めて、視線を上げる。

「そう言われると、照れますね。特に品性高くを気取っているつもりは無いんですけど」

 口の中のものを飲み込んでから、たれ目がちな目を照れ臭そうに細めて返す利康。

 それにフミニアは慌てて首を左右に。

「い、いえ! 無理してそれらしく振る舞おうとしてるように見えるとかじゃなくてですね、ただいつも姿勢が綺麗でっていうか、どんどん食べてるのに下品になってないのがすごいと思ったと言いますか……」

「ああいや、ごめんなさい。受け取り方が斜めに穿ち過ぎでしたね。ありがとう」

 急ぎでフォローの言葉を並べ連ねるフミニア。そんな彼女に利康は誉め言葉を穿って受けた事を詫び、今度は素直な礼を返す。

「茶やその他の作法は小さな頃から厳しく仕込まれてまして、近ごろは至らない場所を皮肉られてばかりでしたから、つい……」

 そこまで言って利康は言い訳を並べた自分に恥じ入って口を閉じる。

 事実、元の暮らしでは小学校の入学を境に箸の上げ下げにまで常に指導、指摘が入る毎日。高校に入学してからはさらに厳しく、とにかく今より上へ上へと常日頃から何気ない所作の一つ一つにまで、洗練された高みへと求められていた。

 だがそんな日々からくる苦痛と嫌気は、目の前のエルフ耳の少女には何の関係もない。

 にもかかわらず、何も知らずにかけられた純粋な褒め言葉を、親や師のねじくれた叱咤と同じく取ってしまった。

 素直な言葉と思いをそのままに受け止めなかったこと、そしてそれを正当化しようとしかけたこと。

 利康はその二つを深く恥じて深く息を吐く。

「え、えっと……」

「すみません変に落ち込んだりして、せっかく美味しい朝食なのに……」

 落ち込む自分を見て戸惑うフミニア。それに利康は苦笑交じりに詫びて、再び木のスプーンを手に取る。

 そうして空気が重みを増すのにどうにか歯止めのかかった食卓で朝食の続きを進める二人。

「……ところでフミニアさん」

「は、はい!? なんでしょう!?」

 利康が和やかな食卓の空気を乱した責任を感じて、別の話を切り出そうと声をかける。と、エルフ耳の少女は跳ね上がるようにその背筋を伸ばして応える。

 そんな反応に利康は堪らず、湧きあがってくるままに笑みをこぼす。

「も、もう! わ、笑わなくてもいいじゃないですか!」

「あはは、ごめんなさい。でも、あんな空気でしたけどちょっと話しかけただけであんな……ははは」

 オーバーな反応に恥ずかしがるフミニア。それに利康は謝りながら笑いを抑えようとするが、目の前の少女の姿に限りなく湧きあがるものを堪えることが出来ない。

「もぉう……」

 肩を震わせて抑えきれぬ笑みを溢し続ける少年の姿に、フミニアはその桃色の唇を尖らせる。

「……それで、ご用はなんですか?」

 不満げに唇を尖らせながら、本題を促すフミニア。

 空気が気安さを取り戻した中、利康は未だに湧き上がり続ける笑いを飲み込み封じる。

「ああ、はい。僕みたいなのって多いんですか? 知らない場所からいきなり飛ばされてきた迷子って」

 そして込み上げた笑いに遮られていた話を、改めて切り出す。

「いえ、トシヤスさんみたいに見たことも聞いたこともない世界からっていうのは、私は聞いたこと無いですね。でもどうしてそんなことを?」

 世界を飛び越えた転移者の例。それが過去に無いかという問いに、フミニアは首を左右に。そして質問の意図を尋ね返す。

「僕を見つけてすんなり保護してくれたり、なんだかお決まりのルールやパターンでもあるように思えたので……」

「ああ……森を迷っている方自体はよくいらっしゃいますので。私が見つけたのはトシヤスさんが初めてなんですけど」

 利康が推測を立てた理由にそう返して、フミニアは微笑む。

「今まで迷ってた人たちはどうしてるんです? 森の外に案内するとか?」

「それもありますね。村の者が森の外の村にまで案内したり。でも定住される方も多いんですよ? 元々この村を目指して森に入ったという方もいらっしゃいますし」

 食事の合間に挟んだ続けての質問。それにフミニアもまた千切った平パンをスープに浸しながらにこやかに答える。

「じゃあ、僕の場合はどうなるんでしょう? 出てきた最初の場所を探そうにも、でたらめに歩き回ってたからさっぱりで、それにそこが見つかっても帰れるかは……」

「うーん……帰り道については、私ではちょっと……分からないですね」

 異なる世界に投げ出された迷い人。前例のないそれの当事者となったことに利康は不安に目を伏せて呟く。

 対するフミニアも申し訳なさそうに眉を寄せて、帰還の力にはなれないと正直に告げる。

「でも、力になってくれそうな人たちに心当たりはあるので、連絡してみますから。安心してください」

 しかしすぐに頼れるツテへの連絡を約束。

 微笑みを添えたその言葉を受けて、利康も不安顔を消してうなづく。

「はい。ありがとうございます」

「それに、帰り道探しがどう転んでも、ウチには居てかまいませんからね」

「うぇえぇッ!?」

 そして立て続けに安心材料として提供された同居提案に、今度は利康が正座のまま跳び上がる。

「いや、ちょ!? 住処の心配が無いのはありがたいけども!?」

「もしかして迷惑、でした?」

 そんな利康の反応に、上目づかいに窺うフミニア。

「いやいや、そんなことは無いけど! でも男女で同居なんて……」

 それに利康はきっぱりと断ることも、もろ手を上げて受け入れることもできず、ただ戸惑うことしかできなかった。

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