第十六席 すべてを注いでお濃一服
午後の日差しに、暖まった空気の滑り入るフミニアの家。
利康はその板間に正座。
布の四辺を指で磨る四方捌きとちり打ちをした帛紗で棗茶器に茶杓、さらに木製の水差しの蓋と、茶道具を拭き清めていく。
その手順の中、利康は屋内の暖かさのためにか汗ばむ。
また同時に、喘ぐような息を吐く。
ひどい暑さに蒸され苛まれているような反応である。
確かにいい陽気ではあるし、利康の目の前には火から下ろされたばかりの鍋もある。
だがフミニア宅は扉や窓を閉め切られているいるわけでは無く、温度も実際には暑く感じるほどではない。
それが証拠に、この場にいる他の者は誰も汗ひとつかいていない。
しかしながら利康は、ため息を繰り返してあきらかに集中を妨げられている様子である。
「なかなかいい敷物だね、これは」
ちらりと視線を送ったその先。そこにはあぐらのような形で藁織の座布団に座ったミッテウルが。
アイアノを見送りついでの採取仕事の途中。なぜか村近くにまで来ていたミッテウルと出会った一行はそのまま村へUターン。
そのままフミニアの家まで、三人揃ったイァド一家と共に逆戻り。茶でミッテウルをもてなすこととなったのであった。
突然の茶席に、利康としては内心「どうしてこうなった」の連続であった。
しかしやると決まったからには躊躇は無い。
待たせぬように手早く。出来うる限りの支度を整えていまに至る。
「うん。トシヤスさんが故郷のものを参考に考えたのよ」
「他にもいーろいろ作っててさぁ、まーだとっておきを出して無いっぽいんだよね」
「ほぅ……それはそれは」
フミニア、アイアノと続けての言葉を受けて、にこやかに利康を見るミッテウル。
しかし利康には、その目がまるで笑っているようには見えない。
フミニアの厚意でとはいえ、若い娘の家に男が上がり込んで世話になっていたとしたら。その父親から睨まれるのもさもありなん。
その威圧感には、利康もそのまっすぐな背筋を丸めて身が縮こまりそうな思いになる。 萎縮している内心を察して、フミニアたち姉妹が先ほどから利康を持ち上げるように話をしている。が、ミッテウルからの威圧感はむしろ重みを増す。
受け取りようによってはフミニアのみならず、アイアノにまで手を出しているように見えるためであろうか。
いや、ミッテウルは間違いなくその疑いをかけている。
かけられる重圧と気まずさ。
それに利康はどうしても気を取られて、道具を清める行程を繰り返してしまう。
プレッシャーに追いつめられ、乱れた心で茶にのぞむわけにはいかない。
利康はその思いから目の前のもてなしに没入しようとしているのである。
やがて利康の呼吸は静まり、柔らかに垂れた目が引き締まる。
「……うん?」
利康の顔つき。そしてその身にまとう空気の変化。それにミッテウルがかすかに声をもらす。
しかし利康はその声を聞き取ってしまったことすら集中の不足と、静かに深い呼吸を繰り返す。
完全に汗がひき、呼吸の鎮まり整ったところで、利康は改めて礼。
それは茶器を清め始める前のものに加えた、自身の未熟さゆえに点前の乱れたことを詫びての礼。
そして柄杓を手に構えた利康は、ただ真っ直ぐに整った柄とその先の鍋だけを見据える。
帛紗を挟んで鍋の蓋を取って脇の蓋置きに。
そうして柄杓を炭火から与えられた熱で微かに揺らめく湯へ入れる。
汲んだ熱い湯を茶褐色に垂れ白釉の碗へ注ぎ、鍋の上に置き柄杓。
ここまで一連の所作を音も無く済ませて、茶筅通し。
湯の熱を茶碗と茶筅とに馴染ませるように混ぜ広げて。
温め終えた茶筅を定位置に置くと、使っい終わった柄杓一杯は木製の建水へと移して碗に残った水気を茶巾で拭きとる。
丁寧な、しかしもたつきの無い清めの作法。
それを終えた利康の手はいよいよ膝前の棗茶器へ。
蓋を開けた器の中には、もはや残り少ない抹茶が。
しかし利康はもうしばらくは、あるいは二度と手に入らないかもしれないそれに、躊躇なく茶杓を入れる。
たっぷりと一杓。そこからやや少なめにもう一度。
それだけで残っていたほとんどの抹茶を入れて。器に張り付くように残っていた粉もすべて残らずきれいに一碗へ。
空になった茶器を閉めて床に戻し、褐色の椀にも鮮やかな緑を茶杓で軽くほぐす。
そして左手を膝に、右手に持った茶杓で茶碗の縁を二度叩く。
チン、チン。と小気味良い小さな音。
これは茶杓にくっついて、使われずに無駄になる茶を無くすための作法である。
そして抹茶全てを落とした茶杓を棗の上に乗せて、水差しの蓋を外す。
よく冷えた井戸水。
炉や風炉で熱し続けていないため、鍋の湯を冷ますに不可欠ではない。
おまけに冷ましすぎては適温から落ちてしまうため、加減は難しく、失敗もできない。
水量を密に加減して柄杓に汲み、湯の中へ。
そのまま湯をかき混ぜて、鍋の中の温度を均一に導く。
そしてほんのりと湯気を立てる湯を取り出して茶碗に移す。
控えめに注いだ後、柄杓に残る湯は鍋へ返す。
利康は切り柄杓に鍋へ置いて、持ち替えた茶筅を碗へ。
褐色の茶碗の中、湯を受けた茶を手早く、しかし柔らかにかき混ぜる利康。
その手に従って、湯と一体化していく茶であるが、その様子はこれまでの薄茶とは違う。
泡の無い濃緑。
そこからはさらりとした飲み口を思わせる軽さは見られず、重みさえ感じさせる。
それほどの濃さであるから、湯の動きもまた点てると言うよりは「練り上げる」と呼ぶべき重厚さがある。
利康はそうして滑らかに練り上げた緑に、再び汲んだ湯を足す。
茶筅をすすぐように注いでさらに茶を練る。
そして茶筅を抜いた後に残るのは、葉の色を甦らせたかのような深く濃い緑。
湯に溶けて薄くなっているはず。なのに艶めいた茶は木と繋がっていた頃と同じか、むしろそれ以上に深い色を湛えている。
凝縮された生命さえ感じさせる一杯の茶。
利康は魂を込めて練ったそれを回して面を客に向けて差し出す。
「トシヤスさん、このお茶は……?」
碗の横に帛紗を添えたところで、フミニアの声が。
薄茶を点てるのとは違う練りを見せた時点で疑問は感じていたのだろう。
初見の深色の茶についての説明を求める目と言葉に、利康は目尻を柔らかく下げてうなづく。
「これは濃茶という形式のものです」
抹茶が残り少なく、また茶碗も人数分に足りない中、利康が採用したのは濃茶として出すことであった。
「今はお客様全員で回し飲みにするということだけ頭に入れて下されば結構です。さ、どうぞ」
必要以上に冷めてしまえば服具合が悪くなる。利康はとにかく、ひとりで一碗を飲み干さないことだけを念押しして飲んでみるようにすすめる。
それに従って、いつの間にか見よう見まねの正座に居ずまいを正していたミッテウルが茶碗へ手を伸ばす。
フミニアらとは違い、茶の湯に触れるのすら初めてのミッテウル。
しかしながら添えられた帛紗の意味を理解して、碗とそれを持つ手との間に挟む。
「すまんな、二人とも。先にもらう」
両手に持ち上げながら、並ぶ娘たちへ断りを入れる。
これは作法の定型としてはむろん間違いである。
しかし先に教えていないこと。そして相客に気づかう心が正しいこと。
そのことから利康は、ミッテウルと自分とをうかがい見比べる姉妹の目に、微笑みを返すだけで答える。
そんな目配せのやり取りに、ミッテウルは軽く首を傾げるも、娘たちの指をついての返礼を受けてから濃茶を一口。
「む!?」
舌に茶を迎えるや否や、目を見開いて唸るミッテウル。
「お服具合、味や飲み心地はいかがですか?」
電撃を受けたように固まってしまったエルフの美男に、利康は分かりやすくなるようにと意味を捕捉して茶の具合を尋ねる。
「ああ……くっきりとした苦みがあるが、それがために隠れていたほのかな甘味が後からはっきりとしてくる……これほどに奥深い味わいの飲み物が存在したとは……!」
ミッテウルは問われるままに一口目から受けた感動を語り、感嘆の息をひとつ。そして茶碗を傾けて二口目を口にする。
ミッテウルの口から茶の評価を聞いて、利康は頬が緩むのを抑えきれなかった。
利康が異世界に持ちこんだ抹茶はそもそもが薄茶用の低質のもの。
普通に濃茶に仕上げようとすれば、苦みと渋みばかりが強くそれだけで味のほとんどを埋められてしまう程度のものである。
だから利康は濃茶としては薄めになる様に湯の比率を増やして練り上げたのである。
しかしこれは不足の中で捕った苦肉の策。
一種の賭けであり、具合よく仕上がる確信があったわけではない。
もう一度同じ条件で仕上げてみろと言われても、また味わい良く練り上げられる自信は持てないほどに。
利康にも、周囲を排除するほどの没入が生んだ絶妙の加減であったとしか言えないのだ。
そんな博打品を客に出してしまったことに、利康自身も無謀が過ぎた無礼な行いだとは思っている。
だが、この一座は客に認められた。
そのことに利康は笑みのまま密かに安堵の息をつく。
「ところで、見たところこの一杯に材料を使い切ってしまっていたようだけど……」
不意に投げかけられた問いの声。それに利康が顔を上げれば、娘たちに茶碗を回したミッテウルと目が合う。
「ええ、そうです。この一席で使い切りました」
「また手に入る当ては? 異なる世界から持ちこんだ品なのだろう?」
「残念ながら……作り方は大まかに頭にはありますが、原材料にできる葉を探してる段階です」
質問に対して利康は、苦笑交じりに包み隠すところなく答える。
これで茶葉に通じる味の葉を見つけられない限り、二度と茶席を開くことはできない。
胸を満たしていた満足感に水を差す現実。
この事実には利康も沈んだ感情が顔に浮かぶのを抑えられない。
「この一杯に、そんなもう手に入らないかもしれないものをすべて……」
利康の答えに、ミッテウルも沈んだ声で呟き、頭を振る。
「……もしかしたら、力になれるかもしれない」
そして顔を上げたミッテウルの言葉に、三人の目が集まる。
今回もありがとうございました。
これで書き貯めはすべて出し切りましたので、次回からの更新は、完全に不定期となります。




