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第十席 姉思う

 薄靄のかかった朝の森。

 そんな霞にぼやけた木々の間を、軽やかに歩む人影が一つ。

 肩までの細い金髪を揺らして歩く小柄なそれは、美しいエルフの少女アイアノである。

 妹の家に一晩泊って明けた朝。アイアノは父と暮らす自宅のある森ノ都へ向けて早々に出発。

 フミニアはもっと泊まっていって欲しいと姉を引きとめたが、父への報告を理由にフミニア宅を辞してきたのだった。

 もちろんアイアノも、もっとゆっくり妹と過ごしたかったし、利康から茶の湯の手ほどきも受けたかった。

 だがそれはアイアノの立場と、都を取り巻く掟が許してはくれない。

 アイアノも好き好んで百五十歳下の妹と離れ離れに暮らす状況に甘んじているわけではない。

 しかし幼いころのように、都に帰らずはぐれの者の村に暮らそうものなら、父・ミッテウルのみならずフミニアの立場が悪くなる。

 エルフの掟を乱す元凶として、純血主義者が標的とする名目を与えかねない。

 もちろんアイアノもミッテウルも、仮に連中がトチ狂って動くのならばフミニアを連れて森を捨てることに何のためらいもない。

 だがそんなことが起きてしまえば、村に住むハーフエルフをはじめとした住民の多くが命を奪われることになる。

 加えて、都やその他集落のエルフらの間でも対立が激化する事は必至。

 そうなれば最悪、森が戦乱で失われることとなる。

 無事に森の内乱を逃れて生き延びられたとしても、そのような状況に陥ればフミニアも心を痛めるだろう。

 だからこそうかつに動くことはできない。自分たちの手で同族を滅亡へ引きずり込む動乱を起こす愚は冒せない。

 今は雌伏の時。状況を乱すことなく、シ階級での勢力図を徐々に塗り替えていく時期なのだ。

 もちろん義務を果たした上で、色々と大義名分を盾にちょくちょくとフミニアを訪ねるつもりではある。

 アイアノにそれをいままでと変えるつもりはなかった。

「でも、ちょいとは安心できたかな」

 アイアノは歩みを緩めることなくひとり言をぽつり。

 見たことのない黄色い肌色をした人族。思いもつかぬ新鮮な形式の茶を披露してみせた彼と、それを見るフミニアの目。

 それらを思い出して、アイアノの口の端が柔らかく持ち上がる。

 幼いころから家族と満足にふれ合えなかったために、フミニアが他者のぬくもりを渇望する寂しがり屋なのは確かだ。

 だが、それを差し引いてもフミニアは利康に心を許している。

 おそらく一目惚れということか。

 だが同時にフミニア自身も自覚しているわけではないのだろう。

 そんな妹の心の内に危なっかしさを感じながらも、アイアノは湧いてくる微笑ましさに笑みを深める。

 よそ事を考えながらも、しかしその足は地面からはみ出た木の根につまづくことなく。またその体も枝葉にかすりすらしない。

 まるで木々の方から避けているような順調な歩みで、アイアノは森を行く。

 姉としてはひょいと出てきて妹の心に入られたのが悔しく、またフミニアの心をすぐそばで暖めてくれる存在に安心感も抱いている。

 そんな複雑なところはあるが、アイアノとしては利康の存在を歓迎している。

 だから今すぐに利康に元の世界に帰られるのは、アイアノ個人としては望ましくない。

「……でも約束した手前、ウソついたり隠したりっていうのは違うよね」

 そこでまたひとつつぶやいて、形のよい眉の間に谷をつくる。

 利康が元の世界へ帰還することは歓迎できない。だが、協力は約束してしまった。

 世界を渡るという奇跡。無論それは魔術に秀でたエルフとて、一朝一夕に実現するのはほぼ不可能だろう。

 しかし仮に解析できたとしても、できる限りはこちらの世界にいてほしい。他ならぬ(フミニア)のために。

 頭の中での合戦。願望に対する、誠意と倫理の連合軍のぶつかり合いに、アイアノの足どりは鈍る。

 フミニアも利康の帰還と喪失に対して、これ以上の葛藤に苦しむことは容易に想像がつく。

 おそらくは利康のために、と喜んで見送りはして見せるだろう。だがそのあとには、きっと寂しさにひどく泣くのだ。

 それを思えば、アイアノは掟ごときに縛られて、妹のそばにいてやれていない自分自身に暗い嫌悪感を抑えきれない。さらに、利康を自分たちの穴埋めに利用しようとしている事実も加えて、二重に。

 葛藤と自己嫌悪。頭を荒らす嵐と戦に、アイアノは完全に足を止めてため息をひとつ。

 深々と、深々と。悩みそのものを追い出そうとするようなそれ。

「……落ち着きなさいよ……って。まだ研究に手もつけてないんだから」

 自分自身に言い聞かせるために、あえて声に出して呟くアイアノ。

 眉間をもみほぐしながらの言葉のとおり。すべては異世界へ渡す術が見つかったらの話だ。

 そうして深く息を吸って吐き、眉間をほぐしていた手を下ろす。

 その手はそのまま傍らの低木の若芽を摘みとると、その緑を桃色をした唇へと運ぶ。

「父さんと相談もまだだし、その辺もちゃんと話をしてからだよね、うん」

 頭を澄み渡らせ、気を落ち着かせる効果のある葉の若芽。それをかじりながら、アイアノはまた自分を納得させるために呟く。

 誤魔化し引き延ばすのは無しにしても、帰還の術が見つかるまでに誠意を込めて説得してもいい。

 葉の持つ香りと苦味を味わって、アイアノはひとまず悩みに折り合いをつける。

 そしてアイアノはかじっていた生の若芽を飲み込むと、また同じものを何枚か摘みとる。

 摘まんだそれを口に運んで、止めていた足を動かす。

 目の覚めるような生薬草の苦み。

 それを噛みしめながら、アイアノはさっきと同じ木々の方から道を開けているかのようなスムーズさで都への道を歩む。

「ああ、にが……トッシー式のお茶を習うにしても、自由時間増やさないとだぁしね」

 アイアノは口中に広がる苦みに小さく呟く。が、すぐにそのしかめ面を笑みに緩める。

「二人の暮らしにお邪魔するのはちょいと気が引けるけれどね」

 そうして苦笑のまま呟いて、腕を組み軽く首を捻る。

「習うと言えば、アタシ用の器も欲しいよね。いつまでもトッシーの借りてばっかりてのもよくないし。他には……なにがいるんだろ?」

 調達する方法どころか、必要な品そのものに見当もつかずアイアノは首をひねるばかり。

 アイアノの今まで飲んできた茶と言えば、乾燥させた葉や茎、果物を煎じたこの世界に普及しているもの。利康に言わせれば「茶外の茶」のみである。

 それではなにを取りそろえればいいのか、見当がつかないのも当然である。

 しかしそんな状況に対して、アイアノの足どりはすいすいとよどみない。

「ま、基本の基本もまだだし、その辺もトッシーやフミに教えてもらえばいっか」

 なにをするにも、とにかくもう一度フミニアを訪ねる機会を得てから。

 おそらくは先に数歩分進んで手ほどきを受けているであろうフミニアにも助けてもらえばいい。

 アイアノはその結論にうなづくと、まっすぐに向き直り歩みを早める。

 森の精霊の力を受けたその足は、ただ歩いているだけにも関わらず、風のように木々の間を駆け抜ける。

 まるで森そのものを縮めているかのような歩みで、アイアノは鼻歌交じりに森ノ都への道を一直線につき進んでいく。

「あのお茶覚えたらアタシの方がもてなすのもいいよね。あ、いっそトッシーを都に招いて、枯れ木どもをぎゃふんと言わせるのも面白いかも」

 思い付いたままに呟くその顔は、ただ正面だけを見て楽しげに緩んでいた。

読んで下さってありがとうございます。

次回は2月11日の午前0時に投稿いたします。

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