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第一席 お薄をどうぞ

 夜。

 高くそびえた木々の影が黒々と、闇にも濃く浮かび上がる夜。

 ささやかな風に枝葉の擦れ鳴り。その音に混じって夜行鳥と思われる声が細く、しかしはっきりと長く。

 そんな静かな暗がりの中。ぽつりと灯る光。

 松明と石積み竈の火明かり。それらに橙色に染められて浮かぶ人影が二つ。

 一人は紋付羽織袴の和装の少年。

 細身の体を包むのは、無地の草色の小袖にそれよりも深く濃い緑色の袴。

 首を隠すほどの黒々とした髪は後ろで小さく一つ縛りに。

 彫りの浅く、垂れ目がちな顔からは柔和な印象を受ける。

 草織の敷物に正座したその佇まいは、静にして清。夜の静けさと調和している。

 対して、火灯りに浮かぶもう一人は小柄な少女。

 灯火の光を照り返して輝く、背半ばまで届く薄金の長髪。

 青い草染めのチュニックは細身ながら確かに女性を主張するまろやかな曲線を描いている。

 馴れぬ正座に、丸い尻を乗せた足が落ち着きなく動き、柔らかな尻もまた左右に。

 合わせて、透けるほどに白い肌に小さな桃色の花が咲いたような唇もキュッとすぼまり、また小ぶりな鼻のその両上では薄金色の細い眉も堪えながらも悶えている。

 動くまいとしながらしかし堪えきれぬ様子の眉。その下では緑色の目が正面の少年へまっすぐに注がれている。

 馴染み無く緊張したその様子は、そんな愛らしくも日本人離れした風貌も相まって、初来日で正座を体感した欧州人めいた微笑ましさがある。

 しかし長い金髪から覗く耳は、彼女がそのような人種ではないとありありと主張している。

 細く長い耳。

 少年の緩く曲線を描く耳とは明らかに違う異種族のそれ。

 そんなエルフの耳を備えた美しい少女を前に、少年は柔和な笑みを浮かべて一礼。

「これより、お薄を差し上げます」

「よ、よろしくお願いします」

 膝前に手を揃えて折った腰を上げると、エルフの娘も慌ててそれを真似る。

 金色の頭頂部に先に身を起こした少年は笑みを深めて、懐から帛紗ふくさを取り出す。

 紫色の布巾。

 それを手にした瞬間、和装の少年の顔が引き締まる。

 軽く引いてちり打ち。それから長く帯状になるようにたたむと、さらに短くして掌中へ。

 まずは茶を収めた黒い棗形なつめなりの茶器。

 次いで折り返して布面を変えて茶杓を拭き清める。

 そして敷物の傍に設えた石積み竈。その上で湯を沸かす、小振りな鍋の蓋を取る。

 火明かりの橙に躍り出る湯気。

 広々とした口から蒸気を立ち上げる釜の代用品を前に、少年は柄杓の具合を確認。それを湯を湛えた鍋へ。

 汲み上げた湯。

 それを傍らの茶碗二つそれぞれに一杓ずつ。

 濃い茶褐色の無骨な形に、縁から白い釉が垂れるように塗られた抹茶碗。

 対して澄んだ青が全面の、凹凸少なくツルリとした碗。

 素朴と清廉。対照的な二つを前に、和装の少年は柄杓を湯気立つ鍋の縁へ乗せる。

 すると二つのうち茶褐色の碗へ竹の泡だて器、茶筅を差し入れる。

 慣らすように、湯の熱を馴染ませるように手首を返し、回して少年は茶筅を踊らせる。

 やがて茶筅を湯から抜き、柄頭を支えに膝の斜め前に。

 慣らしを終えた道具を手の届く場所に待たせて、少年は湯を注いだ碗を順にゆるゆると回す。

 そして抹茶茶碗二つをその内から温めた湯を、左手側に置いた木椀へ流す。

 湯を出した碗を白い茶巾で拭くと、いよいよ少年は黒い茶器から掬った抹茶を茶碗へ。

 一杓。

 二杓。

 うち二杓目をやや控えめにそれぞれの茶碗の中へ。

 続いて鍋に乗せた柄杓を取って湯を汲む。

 湯気の立つ一杓。

 鍋から汲んだ熱く沸いた湯は、まず無骨な抹茶碗に。

 湯を必要な分だけ碗へ注いで、残りは捨てることなく鍋に戻す。

 そして音もなく柄杓を鍋の口に置くと、少年は茶筅を再び手に。

 素早く動く手。

 それに従い茶筅は緑に染まる湯をかき混ぜる。

 一言もなく、ただ碗の中を見詰めて茶を点てる少年。

 エルフの少女はそんな少年の姿をじっと見つめる。

 長い耳が音に動くこともなく。

 不慣れな正座の痺れに身じろぎする事もなく。

 まるで茶を点てる少年以外の全てが意識から抜け落ちたかのように、ただ真っ直ぐに少年とその手を見つめている。

 やがて少年はほんのりと泡立った緑色から茶筅を引き抜き、泡立て器を一旦休止。次の出番へ控えさせたそれを傍らに鍋上の柄杓に持ち替える

 そして汲んだ湯を青の器へ。やはり必要以上は鍋へ戻して、湯を注いだ二服目の茶をかき混ぜる。

 二つの碗に注がれた茶。それを柔らかく泡立て点て終えると、少年は鍋へ向けて浅く一礼。

 それからエルフ耳の少女へ向き直ると、後に点てた青い茶碗を差し出す。

「お先に頂戴します」

「は、はい……って、いらないんでしたっけ?」

 二つの碗を間に挟み、再度指を着いて礼。それに少女もまた慌てて頭を下げ、不要な事を挟んだかと苦笑交じりに首を傾げる。

「それくらい構わないですよ。見るのも聞くのも初めてなものをやって見せてるだけなんですから、今は気楽に体験してみてください」

 そんな少女に少年は柔らかく笑い返す。

 始める前に軽く流れを説明してはおいたが、それだけで初体験の者が一部の隙なく完璧にこなせるわけも無し。

 ましてやこれは稽古ではない。

 初めて見聞きしたものに興味を持った相手を、足りないものづくしの中でもてなす不時の席である。客の動作を突くこと自体が無粋で道に外れると言ってもいい。

 そうして細かいミスは気にしないと改めていい含めた少年は、自分の側にある無骨な茶碗を両手に持っておしいただく。

 両手に支え、包んだ素朴な器を右回りに二度ずらして、正面を避ける。

 そして一口。少年は手本を見せるため先に抹茶へ口を付ける。

 口中に広がるまろやかな苦み。そして鼻にまで満ちる柔らかな香。

 自身の点てた茶の味わいに、少年は僅かに口元を緩め、まだ器に残る茶を飲む。

 最後に音を立てててすすりきることで、一滴も残さず香り高く味わう。

 飲み干した碗の飲み口を指で摘まみ拭いて、拭くのに使った指は忍ばせた懐紙で清める。

 そして一服終えた器を飲む前とは逆に回して正面へ戻し、膝の前へ置く。

「どうぞ」

 飲む作法を実演で一通りやって見せた少年はエルフ耳の少女へ促す。

「え、えっと……オテマエ、チョウダイイタシマス」

 するとエルフ耳の少女は我に返ったように目をぱちくり。慌てて教えられていた挨拶を、意味も分からぬまま口に出して頭を下げる。

 少年の手本を忠実に辿ろうと、動作ひとつひとつを確認しながら進める少女。

 慎重にぎこちなく、碗一服の茶に振り回されるその様。そこに少年はかつての自分の姿を見てか、微笑ましげに目を細めて見守る。

 そんな固く作法を辿っていた少女であったが、気負って青い茶碗を凝視するその顔は一口茶に口をつけた瞬間に変わる。

「おいしい……」

 眉や頬がほころび、惚けたように流れ出たその言葉。

 聞こえ良いように練り上げた訳でなくただまっすぐな、飾らない感想。

 それに和装の少年は電撃を受けたように身を震わせ、垂れがちな目を見開く。

 単純に未知の味を楽しみ、感動したが故の一言。少年の点てた茶への、点前への喜びを示した言葉。

 純粋な少女の一言に少年は湧き上がる喜びと、同時に恥を胸の内に感じていた。

 入門用の薄茶手前とは言え、油断はなかったか。

 道具も何も足りない尽くしとは言え、もてなしを「これでよし」とした妥協はなかったか。

 何より、今もてなす相手を茶道のさの字も知らぬ相手と見くびってはいなかったか。

 イロハどころか、ただ一服の茶にあらんかぎりの感謝を示すエルフ耳の少女こそ、礼の心髄を表しているというのに。

 その事に思い至った少年の前で、少女は茶を音を立ててすすりきる。

 そしてたどたどしくも、身につけた作法の限りを尽くして飲み干した茶碗を清めて敷物の上に下ろす。

「結構なお手前でした」

 込めるべき意味を知り、それを言葉に乗せて礼をするエルフ耳の少女。

 それに和装の少年は、深く、深く頭を下げて礼を返す。

「不調法にてお恥ずかしい限りです」

 謙遜無く恥じ入った思い。そしてそれ以上に目を開いてくれた事への感謝を込めての礼。

 それにエルフ耳の少女は、少年の思いを知ってか知らずか照れたように笑い返す。

「それにしても、はぁあ……綺麗なお碗ですよねぇ」

 そして言われずとも自分に出されていた青い茶碗を再び持ち上げ、じっくりと眺める。

 持ち上げ、回し、様々な角度から器を物珍しげに見回す金髪のエルフ耳。

 そんな好奇心を隠さずさらけ出した幼げな姿に、少年はただ緩むままに笑みを深める。

「こんな綺麗なの、きっとスゴい宝物だったんじゃないですか?」

 首を傾げ、「使っても良かったの?」と、ばかりに尋ねる少女。それに少年は笑みのまま首を横に振る。

「そんな高価なものじゃないですよ。稽古用の大量生産品ですし」

「ええ!? こんなに綺麗な器なのに!?」

 高いものではないとの言葉に、少女は信じられないとばかりに青い茶碗を持ち上げ眺める。

「うん、まあ。でも今はそれしかないから、場合によってはすごい価値がつくかもです?」

「やっぱり宝物じゃないですか!?」

 しかし前言を翻した少年の言葉に、少女は急に手の中の重みが増したように、全身で器を支える。

 そして二人はどちらからともなく笑い出し、重ねたその笑い声をかがり火の外、夜闇の中へ溶け込ませていった。

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