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〜噂の始まり〜

噂というものがある。


幸福を与えもすれば、絶望を与えもし、兎にも角にも噂というものがある。


人々の欲望の詰まったそれは時として思わぬ事態を引き起こし、いびつに歪んで全てを喰らおうとする。


倫理と摂理の鎖を解かれた噂は噂怪ソンカイと成り、怪なる存在として昔から人々に畏れられ恐怖された。


人の魂七十五。噂怪は朧気な身を確かなものにするため人々を喰らい、血肉と魂を元に妖怪へと転じる。


噂怪は生まれた瞬間から妖怪を夢見、本能として人々に襲いかかる。


人はただ、喰らわれるのみ……


しかし。


それら噂怪すらも恐怖する存在は確かにいた。


噂を喰らい、噂怪を喰らう者の名は『猫女ネコオンナ


今日もまた、噂を噂怪を喰らうために猫女は帳の落ちた町を闊歩する――




なぜ彼女は振り向いてくれないんだろう。


僕の事が好きなのになぜ興味ないようにするんだろう。


僕を見て。


僕に話しかけて。


僕と触れ合って。


――じゃないと君を、壊してしまいそうだから。








『神の通る町』


街にも成りきれない中途半端に大きいこの町には大層な名前だが、ここはそう呼ばれていた。


何でも神無月の際、神様が通って行かれる道すがらにあるとか。

何でも神様が通ったから出来た町だとか。


昔話だろうが与太話だろうがそんな由来のある町は、神通町ジントウマチと呼ばれ続けて何百と数年有り続けていた。


別段山の幸にも海の幸にも恵まれていない町ながら交通の便は良く、東西南北と四分割するように高速道路と線路が走っており、町の外観を否が応にも悪くしている。


そんな町には、他とは違う奇妙な部分があった。


――『噂』が、異常に多いのだ。


その数は数えるだけで目眩を覚え、それは人の数より多いと誰かが言ってしまうほど。


もちろん真意は、定かではないが。


兎にも角にも花びらのように一斉に咲く噂達は、また同様に一斉に散って消えていく。


だが、出てきては消えてを繰り返す噂のなかにあって、昔から語り継がれているものがあった。


名を『猫女』


幼女か少女か、はたまた女性か老婆なのか定かではない。


本当に女なのかも、定かではない。


それでも確かな事が、一つだけ。


猫女が現れる場所には、奇妙で奇異で奇怪な何かが溢れているのだ。


そして噂は生まれて変わって。


形を成して噂怪となり。


食い散らかすは人の魂七十五。


そして、そして、現れる。


猫女は今日もまた、現れるのだ――








寒風が容赦なく町の全てを撫で上げ、夜の凍てつきは殊更酷くなっていく。


薄墨のような曇り雲は夜の帳を増長し、月と星の陰った空は何もかもを吸い込む闇の大口に見えた。


年の瀬も迫ったこの季節には至極当然な空模様と言えるのであるが、しかし風斬カザキリ 林檎リンゴはこの空を好いていない。


高い位置で結んだ一対の尾髪を風で揺らし、無人となった駅構内に一人で佇む。


寒さに対する防寒か白いマフラーと手袋をして、それに合わせた白のダッフルコートを着込んでいる。


頭には尾髪を結ぶ二つのリボンを付け、濃い茶色の髪が風に揺らめく。

同色の瞳は、ただただ不機嫌そうに眇められている。


寒風に堪える服装をしているが、しかし林檎はこれといって寒いという訳ではない。


ただ寒そうな『フリ』をしろとの助言なので着ているだけ。

本当なら裸でも自分は寒くはない、羞恥心を持っているのでそんな事はやらないが。


頬を寒さに染めず、吐く息の雪花も咲かせず、ただひたすらに林檎は待った。


何を待ってるのかと聞かれれば言い淀んでしまうモノだが、幸いな事にここにそんな事を聞く者はいない。

安心して待っていられるのだ。


――ただ凄く暇なだけで。



(お腹減ったな……)



思い出すのはコンビニの肉まん、おでん、その他諸々etc.


妄想していたら何だか匂いまでしてきたようだ。


凄いな私、さすがだ私。というか食べたい。


そんなこんなを数十回と繰り返しながら、林檎は待った。



「早く来てよ~……」



腹と背中がくっつく前に目当てのモノが来る事を信じて――








夜の帳を塗りつぶすが如く、無音の雪が宙を舞う。


儚いよりもなお脆く、悲しいよりもなお寂しげに、雪は神通町を灰色に染め上げていく。


そんな灰白の蛍が揺らめく中にあって、全ての色を寄せつけぬ『白』があった。


整う毛並みは絹を思わせ、たゆたう尻尾は純白のエノコログサのよう。


月より濃い金黄キンキの瞳は全てを見通すように細められ、標準よりもやや小柄な体躯は寒風に堪え忍ぶ。



「……寒い」



――それでもやはり、堪えられなかったようで。



「何やってんのよ林檎は! ただ受け取るだけってのに一体どんだけ掛かってんのよ!!」



喋っているのは純白の猫。金黄の瞳を見通すためでなく苛立ちに細め、寒風にその身を縮こまらせる。


大人しく家で待っているか付いて行けば良かったと今更ながら後悔して、それでも猫はひたすらに待つ。



「私は忠犬かっての……ああ寒い!」



言っても変わらないけど言いたい、寒いっ、寒すぎる。


これで風邪でも引いたなら林檎の顔に爪立てないと気が済まない。


川と田の字を大量生産の刑にしてやる!



「あっ、譚檎(タンゴ)~。ごめんねぇコンビニで買うの迷ってたら遅くなっちゃった! てへっ」



……うん分かった、とりあえず顔出しなさい切り裂くから。



「え、あの何でそんな怒って……に、肉まん食べて落ち着ぎゃにやぁぁぁぁぁ!?」



――林檎の悲鳴と肉まんの湯気は、冬空へと広がって跡形もなく消えていった。


「それで、ちゃんと受け取ったの?」



寒空の下を歩く林檎を見上げて譚檎は言う。


ついでに譚檎は今、林檎のコートの中に潜って両手で抱いてもらっている状態だ。

尊大な態度の譚檎に刃向かいはせず、しかし憮然とした顔で林檎は見つめ返す。


顔にはもちろん、川と田の字が大量生産されていた。



「大丈夫、ちゃんと受け取ったよ……でもそれなのに乙女の柔肌に傷を付けるなんて、譚檎は気分屋さんすぎるよ~」



「あんたに言われちゃお終いよ。あのね、あんたは寒さなんて“数字でしか認識しない”だろうけど、私は体感しちゃうのよ。寒かったら風邪も引くし、鼻水も出る。かの有名な“猫女”がそんなんじゃ格好が付かないでしょ」



「ただの白猫が鼻水垂らしてても誰も気にしないよぅ~」



「……その川の字を州に変えてやるわ」



歩く人の居ない商店街の道を「ほりゃっ」や「そりゃはっ」や「ほいやさっ」と奇声を上げながら林檎は歩く。


首も右左上下斜め後ろなど小刻みに動かし、他に人がいたならば目線を逸らされていただろう。


そんなこんなを繰り返し、親水川シンスイガワにかかる橋を渡る。


橋の欄干には蓮華の模様が彫られており、反対側は睡蓮の模様。かの極楽浄土を意識したが見事に微妙になりました――町人にそう認識された橋を渡り、林檎は挙動不審で歩き続ける。


閑静な住宅街を抜け、枯れ木の並木通りを歩き、そして一つのアパートに辿り着く。


木材と鉄骨で組まれた外観は年代を感じさせ、赤茶色に錆びた階段は踏むと不快な音を鳴らす。

つまるところ、築何十年的に古いアパートである。


ブロック塀に掲げられた看板には、『富裕荘』とまったく似つかわしく名前が書いてある。


富裕荘の二階まで上がり、一番奥のドアの前で林檎は止まった。


両手は譚檎と肉まんで埋まってたので足でドアを叩くと、はーいと中から返事が返ってきた。


「あっ、林檎さんに譚檎さん。おかえりなさいですの」


ドアの隙間から顔を覗かせたのは、小学生ほどの少女であった。


腰まで伸びた水色の髪を後ろ手に縛り、同色の大きな瞳をキラキラ輝かせながら林檎達を迎え入れる。


デフォルトされた猫マークの入ったエプロンの下は、部屋の中とはいえ半袖ミニスカという服装。


見ているだけで寒くなりそうだが、林檎達は慣れているのかそれには何も言わず、部屋の中へと入っていった。


お土産といって肉まんを渡し、台所と居間を仕切るガラス戸を開ける。

そして眼前に広がるのは、八畳ほどの空間の中央に鎮座する暖房器具。


季節特有の、日本独自の暖房器具に譚檎は潜り込み、林檎は足を突っ込む。


テーブルに置かれたみかんを掴めば、一枚絵のような風景の完成だ。



「やっぱコタツは暖かいわぁ~」



顔だけを出し譚檎が呟く。林檎はみかんを食べながらテレビを付け、そうかなと疑問符で返事をした。



「私や華雪カユキちゃんには要らないものだけどね~。ていうか華雪ちゃんが入ると“溶ける”かもしれないし」



みかんの甘さに頬が緩む。林檎としてはこの暖房器具が必要ではないのだが、しかし美味しくみかんを食べれる特殊性。


暖かみよりもみかんの甘みを得るために、林檎はコタツを活用しているようだった。



「はぁ……あんたみたいな食い意地だけのやつに、コタツの素晴らしさを理解するのは無理のようね。爪の間が黄色くなるまでみかん食べてなさい」



「言われなくても、かな~」



早々に二個目のみかんを掴み、林檎はそのまま寝転った。


と、ガラス戸が開いて少女が入ってくる。

手には盆を持ち、鼻腔をくすぐる匂いから、どうやら肉まんを温め直してくれたよう。



「わっ! そ、そんな風に寝てたら林檎さん危ないですの!」



「おぉ~華雪ちゃん、絶景かな絶景かな♪」


何がと華雪が聞く前に、林檎の声が居間に響く。



「きわどい黒のレース……いやぁ絶景かな絶景かな」



「!?」



林檎の視線はスカートに向いており。


詳しく言えばスカートの中に向いており。


純真無垢に見える華雪の、そんな艶めかしい下着を見せられては言いたくもなるであろう。



「あっ――」



だからこそ。



「どぅわ熱ちゃちゃちゃちゃちゃあぁっ!!?」



華雪がスカートを押さえる為に盆から手を離し、その上に乗っていたお茶がかかってしまうのは――仕方のない事だった。



「あぁ~……幸せだわ」



うるさい周りを無視するように、譚檎は緩みきった声でそう言った――








テレビからは年末らしく特番番組ばかりが流れ、それをBGMに二人と一匹はコタツを囲んでいた。


先ほどまで林檎はお茶のかかった顔を真っ赤にしていたが、回復したのか今は普通に戻っている。


譚檎は相変わらず顔だけを覗かせ、華雪はコタツの横に正座し、お土産の肉まんを頬張る。


林檎もみかんと肉まんを交互に食べながら幸福そうに笑っていたが、突然何かを思い出したように声を出した。



「そういえば私、譚檎に渡してなかったね~」



壁に掛けていたダッフルコートのポケットを漁り、取り出したのは一枚の紙切れ。


ボロボロで変なシミがある、捨てる以外どうすればいいのかと聞きたくなる紙切れを持つとテーブルに置く。


後でいいわよと譚檎が言うが――意外にも反論したのは黒レース下着の華雪であった。



「駄目ですの! 取りにいった妖紙ヨウシが本物かどうか確かめないと! 林檎さんが道に落ちてた物を拾い食いした時に、ただのゴミを拾って入れ替わったりしてるかもしれないですのっ!!」



「んん~、否定はしないけど何だか悲しくなるなぁ」



華雪の熱弁に負けたのか、仕方ないわねぇと譚檎はコタツから這い出してくる。


みかんの皮の散乱するテーブルに上がり、置かれた妖紙をちらりと見た。


ものの数秒もしない内に、譚檎はまたコタツに戻ってしまった。



「本物よ。その汚れ具合、どこをどう見ても本物に間違いないわ」



どこをどう見たらゴミとの見分けが付くか分からないが、兎にも角にも譚檎が言うのならそうなのだろう。


華雪は破顔一笑すると妖紙を手に取った。



「ならこれは“使う時”がくるまで保管しておくですの。いつもの場所でいいですの?」



林檎がみかんと肉まんで膨らませた顔を頷かせ、そうして華雪は立ち上がる。

台所に行くや冷蔵庫の上段を開け、入っているアイスの横に妖紙を置いた。

ほくほく顔で戻ってきた華雪を見ながら、譚檎は呆れたような声を出した。



「何でも冷やすんじゃないわよ華雪。大事なものを凍結保存なんて、あんた達の“一族”しかやらないんだからね」



「で、でも冷やさないと落ち着かないというか……迷惑、ですの?」


神棚に供えていたミニサイズのかき氷を取って、また台所へ。


そして現れた時に持っていたのは特大のかき氷。

練乳のたっぷりかかったかき氷を二つテーブルに置きながら、華雪は不安げに言った。


愛玩動物の猫ですら胸キュンしそうなその表情に、譚檎の良心は多大なダメージを負う。


そんな光景を横目で見ながら、林檎は我関せずを通す。


――というか、今は特大かき氷にしか興味が湧かないだけなのだが。



「べ、別に私は迷惑とは言ってな――あぁ、もうその顔禁止! そんな顔してたら惚れる相手を見つける前に、あんたが他のに惚れられて氷漬けにされるわよ!!」



捨て台詞のように叫んでコタツに潜ってしまった譚檎。


華雪は首を傾げ、意味の分からないと言った顔をする。


仲間に氷漬けにされるなど聞いた事がなく、また同性の自分に手を出すなんて、意味のない事だ。


そんなこんなを考えていると、まるで考えを読んだような林檎の発言が耳をつく。



「北地区の蒼那アオナちゃんとか、見てる目が友達の度を越えてる感じだから気を付けたほうがいいかもねぇ~」



親友の名前を出されて更に困惑する華雪。


確かに必要以上に密着してくるし、一緒に水浴びをしようと執拗に誘ってもくる。


水浴びは『人間の真似事』なので別に必要でないが、あまりに言ってくるので前に一度だけした事があった。


その時は林檎が学校の水着を貸してくれ、それを見た蒼那は「それもまた良し!」と鼻血を出しながら叫んでいたのだが……


少し変わってはいるが、しかし氷漬けにするなどとは考えられない。


そのような事を林檎に言うと、



「スク水で鼻血は末期だと思うな~。ま、危なくなったら譚檎が助けてくれるよ多分」



私かいっ、というコタツの中からのツッコミを無視して、林檎はかき氷にスプーンを突き刺した。


白濁に彩られた氷の結晶達を口に含めば、甘さと冷たさがいっぱいに広がっていく。


気が付けばテーブルの肉まんとみかんは消え、しかしそれらを食ったはずの林檎はかき氷を貪りまくる。


時々くる頭を突き刺す痛みに耐えながら、至福そうに笑って食べ続けるのであった。



「蒼那ちゃんはそんな子じゃないですの! いくら冗談でもヒドいですの!」



頬を不機嫌に膨らませ、しかし怒った表情でも可愛らしい華雪はスプーンを掴んだ。


練乳氷山の一角を崩し自分の口へと運ぶ。


美味しさに目を細め、薄い唇には練乳が付着する。

華雪はその練乳を舌なめずりして拭い、感極まった吐息を漏らした。



「おいしい……ですの」



――正直、その艶めかしい食べ方は禁制ものに見えたが、当の本人は無意識でやった事。


練乳を練乳以外で連想できる程、知識も何も備わってはいない。



(意識なくそんな行動ができるなんて、やっぱり一族の性なのかな~)



のらりくらりと考えながら、林檎はかき氷を胃へと収めていった。








宵も回ったこの時間。

雪に喜ぶ子供は夢現へと旅立ち、犬は小屋の中で寒さに震え、駆け回りなどしていない。


夕食をとうに過ぎた時間というのに、なぜか富裕荘の一室からは美味しそうな匂いが漂っていた。



「カニだぁっ!!」



――林檎の雄叫びは、少しだけ開いた窓の隙間から響き渡った。



「いや、言わなくても分かるわよ」



「いきなりどうしたんですの、林檎さん?」



一人と一匹から訝しげな視線を受け、林檎は箸を開閉しながら照れ笑う。



「なんか急に言いたくなって~……もう一回言っていいかなぁ?」



ご自由に的な空気を感じたので、林檎は再び息を吸った。


喜びの雄叫びをあげようとした――その瞬間。



「カニかぁ!!」



扉を思いっきり開けた音と同時、別種の大声が部屋中に木霊した。



「カニか! カニだな! カニなのだなぁ!!」



ズカズカと上がり込んできた声の主は、呆然とする皆を余所にガラス戸を開け放つ。


そこに現れたのは、快活に笑っている女性であった。

きめ細かな長い黒髪。なぜか男物の甚平を着ており、その合間から見えるのは褐色の肌。


鳥の目のように鋭くつり上がった瞳は黒曜石の輝きを持ち、恐ろしくも魅力溢れる何かを感じさせる。


黒髪は首筋から前に下ろし、豊かな膨らみのある胸を隠すような壁となっていた。


そんな女性は意気揚々とコタツに入り、行儀悪く皿と箸を鳴らして上機嫌な事を伝えた。


譚檎はため息を吐き、華雪は苦笑いし、林檎は愛想笑いで女性を見る。


ぐつぐつと湯気を出す目の前の鍋に注意を向けながら、林檎は女性に話しかけた。


朱毬シュマリさん……き、今日は会議じゃなかったっけぇ? 帰りは明け方になるって聞いてたような~……」



「ああ、予定ではそうだったな。しかし北の代表が来なかったのでな、早めに切り上げたのだ」



「切り上げたって……噂怪そんかいになりうる噂の情報交換や、境界線付近での分担とか話し合わないといけないでしょ? そんなんじゃ噂怪が妖怪に転じて、“妖怪のどれか一族が消える”事になるわよ」



譚檎の言葉に朱毬は箸鳴らしを止め、いたく真剣な表情で眼前を見据えた。


鍋の向こうから華雪は睨まれている気がして、特大かき氷に隠れるように身を縮こまらせる。


そして朱毬の口から紡がれた声は、これまでより何倍も真剣に聞こえた。



「――カニいただきぃ!!」



「って無視かい!?」



動く速さは閃光のように。

掴む強さは万力のように。


鍋に注意を放っていた林檎ですら止められなかった動きに譚檎はツッコミ、しかして意に介した様子なく朱毬はカニを頬張った。



「だけど、そんな事を言っても仕方ないだろ? 妖怪は自分本意に考えるものだし、驕り高ぶる生き物なのだからな」



殻ごと食べる漢らしい朱毬に、譚檎は再びため息を吐く。


そうだ、確かに妖怪は自分本意にしか物事を考えないし、大体話し合いという場が出来ただけでも僥倖ギョウコウである。


噂怪そんかいが妖怪に転じ、そのせいで自らの一族が消えようとも運命として受け入れる。


潔いと言えば聞こえは良いが、ただ単に面倒くさがりとも言えなくもない。



(分かるな~その気持ち……)



鍋の具を皿に山盛りにして食べながら、林檎も似たようなため息を吐いた。

林檎には、譚檎の言い分も朱毬の言い分も分かる。



――『同じような存在』として、どちらの考えも分かってしまうのだ。



「だがまぁ北のとは出来なかったが、他の代表とは少し話し合えたのだ。今の時点で噂怪の出現は無し、気を張るのは噂怪が現れてからでも遅くないだろう」


海老も殻ごと噛み下し、置いてあった酒瓶に手をかける。

手酌でコップに注ぎ、朱毬は一気にそれを飲み干す。


譚檎は呆れたように目を細めてテーブルに上がり、先ほどからかき氷だけ食べていた華雪に寄っていった。


「何でここには馬鹿しかいないのかしら……華雪、私に鍋の具をよそってちょうだい」



「譚檎さんの言い方だと、その馬鹿に私も入ってる気がするですの……」



華雪は嘆きながらも具をよそい譚檎の目の前に置く。

果たしてどうやって食べるのかと言えば、ただ口を開いて、具が運ばれるのを待つだけ。



「……譚檎さん、こういう時くらいは人型に化けてもいいと思うですの」



「私には“妖力の制限”があるんだから、無駄に減らしたくないの。相手に尽くすのは、あんた達一族の得意分野でしょ?」



形だけの反論を口にしてみたが、譚檎は鼻を鳴らして軽く流した。


誰かのお世話は……まぁ好きな方に入るので構わないのだが、けれど自分の楽しみだって優先したい。


練乳部分を制覇し真っ白な体躯を現したかき氷に、どんな極彩色なシロップをかけようかとワクドキしている今、熱気で緩やかに溶けるかき氷より譚檎を優先するのか。



――この葛藤の答えは、しかして最初から一つしか存在していなかった。



「……最初は何から食べたいですの? 譚檎さん」



「カニ!!」



殻から身を取り出してあげ、息を吹きかける。


微細な『氷の混じった息』を吹きかければ、猫舌の譚檎でも食べられる熱さになってくれるだろう。



「早くしなさいよっ」



「はいはい、ですの」



いまだ煙のあがるカニ身を譚檎の口の中へ。


そのすぐ後、棒アイスかっという譚檎のツッコミと何かを切り裂く音が、静かな夜に響いて消えた。

カニの身から上がっていた煙が湯気でなく冷気と分かったのは、それからしばらくしての事であった――








真白の陽光が神通町を照らし出し、小鳥のさえずりが朝の訪れを知らしめる。


昨夜の雪は町全体を白く染め上げ、さながら薄い絨毯を敷き詰めたようであった。


そんな町中を、一瞬で散る雪花の息を吐きながら一人で歩く者がいる。


まだ人々が目を覚ますには早い時間。

それを見咎める者はいなくとも、歩く者は異様という言葉に尽きる格好をしていた。


身の丈は高く、か細く、存在感は消え入るのかと思える程、希薄。


ボロボロのコートは黒一色で、それは黒に更に黒を塗りつけたような印象を持たせた。


陽光の跳ね返らないコートは雪の上を引きずり、なぜか足跡は一つも残されていない。


鍔の垂れた帽子を被り、コートの襟を立てている為に顔は隠れて判然としなかった。


今にも倒れそうに歩く様は、まるで歩き方を知らぬ赤子のように不確かなものである。


だがその者は、ひたすらに進む。

引きずった跡には点々と黒色が抜け落ち、雪に滲んで微かに広がりを見せる。


それでもその者は、前を見据えて前進する。


――そして、見つけた。


自分の存在を、自分の『力』を求める声を。



「カナエテ……ヤロウ……」



欲望のままの雄叫びに、本能のままの己の力を。


そうして得られる血肉と魂は、空っぽの身を埋めてくれるはず。



「ソノ代ワリ……オ前ヲ頂クッ!」



希薄な存在感は確かなものとなり、その者の姿は虚空に掻き消えていった。


残されたのは新雪を裂く引きずりの跡と、闇の残滓を思わせる黒点達だけであった――



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