無敵な異世界人の転落劇
「異なる世界から呼び出されし者
その者らは無敵なり 刃も毒も歯が立たぬ
彼らが倒れる原因は いつも同じ異世界人
二人の異世界人が顔を合わせれば
一人は天の上へ もう一人は地の底へ
必ず互いに殺し合う」
◇
「ん?」
妙な浮遊感におそわれて彼――山田は目を覚ました。
だが疲労のせいかぼんやりする頭はなかなか起きてくれない。
彼は要領が悪いのかいつも道具のように都合よく使われてしまう男だった。
今日もまた会社で自分の仕事だけでなく同僚のサービス残業まで押し付けられてしまった。
それを強く断ることもできずに受け取った後で、「くそ死ね、みんな死ね」と毒づきながらもなんとか終わらせて、風呂にも入らず寝床へ潜り込んだのだ。
ぬくぬくとした布団の中で泥のような眠りについていた彼は目覚ましが鳴るまでは何があろうと起きるつもりはなかった。だが今日という厄日は夢の中までついていないのかそこでも階段を踏み外して転げ落ちてしまった。
――受け身をとらないと!
がばっと体を起こしてから自分がいるのは階段ではなく寝床だったことを思い出す。
――ああ俺って馬鹿だな。部屋で寝てたじゃないか。
たしかに眠る前はそのはずだった。だがはっきりと目覚めた今でも現在進行形で浮遊感――いやジェットコースターが下へ加速していくようにどんどん落下して行く感覚は強まっている。
周りに目を向けると、彼がいるのは部屋ではなく空だった。
さっきまでは深夜だったはずなのに、もう高く上った太陽と抜けるような青空をバックに白い雲が浮かんでいる。
夢の中のシュチエーションよりも更に非現実的だが、山田は空中にいるのだ。
寝間着のままで雲を突き抜けて最近生え際が気になり始めた髪の毛を根こそぎ持っていくような凄い勢いで空から落下している。風圧のせいか寝る前に被っていたはずの布団や毛布はどこかへ吹っ飛んでいったのか手元にはない。
端的に説明すると、山田が目を覚ますとなぜか紐なしでバンジージャンプどころかパラシュートなしでのスカイダイビングをしている最中なのだ。
まったく状況が分からないまま彼は恐怖の叫びを上げようとするが、慌ててそれを中断し目をつぶって頭を抱える。
数秒で激突しそうなすぐ下に大地があるのを目にしたからだ。
――このまま意味も分からず俺は死ぬのか!
そう半ば死を覚悟した彼をまたも妙な感触がおそう。
大音響と共に右半身に到来したのは反発の少ないトランポリンというか柔らかいゼリーを押しつけられるべしゃっとした感覚だ。それに耐え、じっと地面との衝突に備える。
しかしいつまで経っても予想されるような激しいショックがこない。
「まだ落ちてないのかよ? なんだってんだよ、もう……」
思ったより地面は遠く、これだけ待ってもまだぶつからないのかとおそるおそる目を開けた。
だが地表に彼はちゃんと到着していたのだ。しかも現在の位置はクレーターになっている場所のど真ん中である。
落下した地点は森の中だったのか木々に囲まれているが、寝ている体のすぐそばには何もない。何しろ彼は深さ二十メートルは超えようかというクレーターの中心にいるのだから。
横になった山田の体が地面にめり込んで、そこに隕石がぶつかったような酷いありさまになっている。
「くそ、痛てて……いや痛くない!?」
彼は反射的に痛みを訴えるが、自身の体のどこにも痛みがないのに驚く。
地面に落下して大ダメージどころか即死するのが当たり前の高さから落ちたのだ、周囲の木々を吹き飛ばすほどのクレーターができたことからも相当な衝撃があったことが伺える。
それがノーダメージだなんて、これは一体どういうことだ?
混乱する彼の前に、いつの間に現れたのか白髪に立派な髭の威風堂々とした老人がクレーターの淵から覗き込んでいた。
「うむ、この状況で生きていたからにはどうやら間違いないの。まったく厄介なことじゃがまだ最悪ではないか」
自分で勝手に納得すると、仕立てのいい服にきらびやかな装身具というどことなく中世風の装束を身にまとった老人が頷いた。
「ようこそ、異世界人よ。ワシが来てから五十年ぶりの地球からの来客だな」
「――は? 異世界?」
「おお、日本語が通じたかそれは重畳。まあワシもここの国民が話せるのも日本語だけじゃし、一から言語を学ばせる手間が省けたわ。おっとそうじゃった、とりあえずここが異世界だと手っとり早く納得させようか」
疑問で一杯の山田を無視して老人は面倒そうにクレーターで抉れた地面に転がっている石を拾う。「見ておれ」とその手を山田の前に差し出すと、その拳より大きな石が豆腐だったかのようにあっさりと握り潰した。
拳からはほとんど砂のレベルにまで細かくなった石がさらさらと風に飛ばされている。
「え? 今のは本当に普通の石? でも人間の握力で握って潰せるはず……」
「ほれ、お前もやってみぃ」
促されて流されやすい山田も足元の石を拾う。太陽の光にかざしてみるが、外見も手触りも確かにごく普通の石――おそらく花崗岩の欠片である。
「軽く力を入れるんじゃ」
「は、はあ」
言われるままに握りしめるとわずかな抵抗があったのも一瞬、彼の掌中には砂になった石が。
「こ、ここら辺の石は全部もろいのか?」
思わず漏れた声に老人は鼻を鳴らす。
「疑い深い奴じゃの。まあ今のでお前がワシと同じ異世界人というのは確認できたからな、サービスじゃ。ほいほい」
軽いかけ声と共にクレーターのすぐ外にあった大木や岩が、煙を振り払うような何気ない老人の手足の動きよって次々と粉砕されていく。人間の体で行われているとは思えない、ほとんど戦争中の爆撃によってもたらされるような音と被害だ。
「ほれ、お前もやってみんかい」
目を丸くして棒立ちしていた山田も老人に促され、クレーターから出ると傍らの木を相手にする。
しかし彼はまだ状況が飲み込めず、自分のパワーアップを信じ切れていない。そのため選んだ木は老人が倒したものよりも一回りは細く、拳を怪我しないように掌で押すというかなり腰の引けた形だ。
「え、えい!」
躊躇いがちな気合と共に相撲の突っ張りの形に手が動く。
――彼の前にあった木は突き出された掌と同じスピードで文字通り根こそぎ吹き飛んだ。
「は、ははは」
腹の底から笑いがこみ上げた山田は自分の手をぎゅっと握りしめた。
俺ってこんなに強いんだ実感した彼は、嬉々として手足を破壊のために振るいだす。老人の攻撃から免れていた木や岩が片っ端から吹き飛ばされていく。壊せば壊すだけ彼の内部に巣くっていたストレスが薄れていくようだった。
ほんのわずかな間に森だったはずの場所には落下によるクレーターの跡に加えてさらに彼の狼藉によって竜巻がおそったような惨状ができあがった。
「もうええじゃろ、いい加減ワシの話を聞かんか」
放っておけばいつまでもストレスの発散を続けそうな彼の注意を引こうと老人が地面を殴り、山田が墜落した時にできたものと同じぐらい大きなクレーターを作る。
「分かったろう、この世界ではワシらはスーパーマンみたいなもんじゃ」
「あ、はい」
爆発したような大きな打撃音に驚いた山田は老人の言葉に頷く。明らかに地球と違うパワーを彼と老人は有していた。
これだけ金と手間のかかったドッキリを素人の彼一人に仕掛けるはずがない。信じられないが山田は違う世界に来たのは本当らしい。
もともと天涯孤独でブラック会社に勤めているのにも嫌気がさしていたところだ。ファンタジー世界にチート能力を持って移動できたのなら彼にとって悪いことではない。
さらにもし山田が本当に五十年ぶりの異世界からの客人だとすれば、日本語が通じる同郷らしいこの老人とすぐ会えたのは途轍もなくラッキーだ。
「まあ、ワシの家に――というかワシの宮殿に来い」
「え? 宮殿?」
「ああそうか、この国では誰もが知っておるから言い忘れておった。ワシがこの国の王じゃ」
◇
老人――王に案内された宮殿は山田がぼんやりと想像していた通り、彼が幼稚園で読んだ記憶の彼方にある童話の挿絵に出てきたような西洋風の岩造りの立派なものだった。だが城壁や広さよりもまず目立つのはその宮殿の高さだ。
中央に一際高い尖塔があり、それを囲むかのように幾つも塔が立ち並んでいるところは、たしかに敵を防ぐ国境沿いの城よりも権力を誇示する王の住まう宮殿にふさわしい。
これが夢の国にでもあればカップルが喜んで背景にして記念写真を撮りそうな宮殿である。
「王が自らが異変の様子を見に来るぐらいだから、もっと小さな国でちゃちな宮殿なのかと思ってた」
「なに荒事ならばワシが行くのが一番早くて面倒がないからの。他の誰より信頼できるし、あれだけ大きな衝突音はワシがこの世界に現れて初じゃったぞ。そんな重大事を他人には任せられんわ」
そう王である自分がやってきた理由を話すと「それにあの宮殿はワシが建てたんじゃなくて、ずっと前に異世界人を迎えるためと作られたものじゃ」と続ける。
あれだけの宮殿の主なのを別に自慢するでもない。
しかもそうとう昔にあれだけの宮殿を作れる歴史ある国の王となると、どうやらこの老人は彼が思っていたよりずっと強大な権力を持つ王らしい。
そして異世界人というものがこの国の歴史とは深く結びついているようだ。
「そうなんですか」
急に敬語を使い卑屈な笑みで腰が低くなった山田の姿を老人、いや王は胡乱な目で見つめたが、すぐに「敬語はいらんぞ」と吐き捨てた。
「この国の奴らに敬語は言われ慣れておる。たまに来た同郷の者にまで距離を置かれるのは気色が悪いわ」
「でも王様にタメ口というのも、他の者に示しが……」
「この世界にいる他の者なんざどうでもいい」
王の帰還と目ざとい誰かが伝令を走らせたのか、ぞくぞくと騎士や侍女が出てくる。だが王が彼らに向けているのはほとんどさっき砕いた岩や木々を見る温度のない無機物を見る目だ。
「こやつらは正しい意味でワシらと同じ人間ではない。……おお、この山田という奴はワシと同郷の者だ。客人として遇し、宴と部屋の準備をせよ」
後半は集まった侍女の中でも一際美しく、凛とした雰囲気を持ったまだ若い美女に向けてだ。
山田が実に自分好みの美女だと後で王にこっそり尋ねたところその若さにもかかわらず、どうやら侍女長という重責を担っているらしい。
「……綺麗だ」
「そうか、じゃったら自分の力で手に入れるんじゃな。ここでは簡単なことじゃ」
◇
宝石と黄金に彩られすぎで座り心地が悪いんじゃないかと心配になる玉座が安置してあるのは宮殿の大広間だった。普段ここは王の謁見に使われているのだろう、何十人でも収容できそうな広さである。
玉座以外の椅子は今慌てて山田のためにと運び込まれたものしかないのだから、普段は王以外は全員が立ったままなのだろう。このあたり絶対君主の地位、それとも異世界人といものがどれだけ特別かが現れている。
この大広間まで王と山田に行き合う皆が頭を下げる。
王は当然のように堂々としているが、山田はその後をへこへことついて行くだけだ。
速歩でもしばらくかかる通路を通ってようやくたどりついた玉座に、王はどっかりと座り込むと行儀悪く肘をついた。
「ああ、まったく全員気が利かねぇな。おい、こいつの分も杯を持ってこんか」
まだ日は高いのに飲む気満々である。
そのままのだらけた格好で、杯を片手に目の前に置かれた籠に盛られた果物を摘みながら山田に対しこの世界を大まかに説明する。
「ほれ、お前も何か食いながら酒も飲め。飲まんと聞いても面白く無い話じゃからな」
山田の手に杯を握らせると王自らがそれに注ぐ。おそらくワイン――こっちの世界でもそう言うのかは不明だが、それに近いアルコールには違いない。山田が鼻を近づけなくとも芳醇な香りが杯から立ち上ってくる。いつも自分の飲んでいるディスカウントストアのワインとは大違いだとしか美食の経験の乏しい彼には判断できない。
「面倒じゃから一言でまとめるとこの世界は漫画のようなもので、ワシらは現実の世界から迷い込んだようなもんじゃな」
「はあ……」
五十年前に来たという老人がよくマンガを知ってるなと山田はぼんやりとした相槌を打つ。
「マンガの主人公がどんな必殺技を使おうが現実世界のワシらには傷一つ付けられんじゃろ? そしてどれだけタフなモンスターが描かれていてもページを破る現実の手には逆らえんよな。それぐらいの一方的な差がワシらとこの世界の住人たちにはあるんじゃ」
「言い過ぎなんじゃ……」
さすがに信じきれない彼に王は「ワシのこっちでの五十年の生活と戦争での結論じゃ」と告げる。
「ワシが召還されたのはこの国が他国から侵略されかけて、最後の切り札として負け戦の尻拭いをするためじゃぞ。それからここの王になるまでどれだけ戦ったと思う? 数え切れんほど他の国とそしてこの国の兵と戦いそして一方的に敵を殺してきた。もちろん相手も必死じゃから異世界人のワシに対しては正面からだけでなく色々と卑怯な手まで使ってきおったな」
じゃが結局相手の企みは全部無駄だったの。と王はどこか残念そうに口にした。
「どんな剣であろうが異世界人のワシは傷一つ付けられん、どんな毒を飲んでも腹を下すことさえできん。いっぺん罠にかけられて溶岩の中に落とされたことがあったが、それでもワシにとっては多少熱めの温泉と変わらんかった。まあ熱さだけでなく深い溶岩の中に頭まで沈んでもちゃんと呼吸が出来たのはワシもさすがに驚いたがな。まあおかげで溺死の心配もなかったから火口の底から出るのは楽じゃった。
他には弓の名手に急所である目を狙われた事もある。その時は眼球で矢を弾き返してから撃たれたことに気が付いたんじゃが、それでも刺さるどころか目にはさえかすり傷一つない。つまりこの世界にあるどんな武器より、弱点であるはず異世界人の目の方が頑丈なんじゃよ。
この世界の住人がワシらに害を与えるのは不可能じゃ。だからもしワシらが死ぬとしたら寿命か……ワシら異世界人同士が殺しあうぐらいじゃな」
言葉の意味を山田が理解すると、二人の間にぞっとするような寒気と沈黙が落ちる。世界中でこの場にいる王と山田の二人だけが互いに対する脅威となりうるのだ。
その緊張を王は破顔して崩す。
「ほっほっほ、すまなんだ。少しばかり脅かしすぎたようじゃな。じゃがこれまでにこっちの世界へ来た異世界人はその半数が同じ異世界人へ奪われ、そして残りが寿命で死んでいるようじゃからな。ワシがお前を大慌てて保護したのもそのせいじゃ。他のいらん者に拾われてワシと敵対するようになってはたまらんからの」
「あ、ああそうか。俺たちが他からは手出しのできない怪獣のようなものならば取り込みたいと思う奴らがいてもおかしくないのか」
「まあ国王で異世界人とはいえワシに敵対するようなやからは雑草や害虫と一緒じゃ、どれだけやっても全ては駆除できん。だいたいそいつらはワシを殺そうと先の戦争で色々工夫してくれた奴らじゃしな。執念深くいつまでもワシを殺そうとするの工夫にはちょっとだけ感心するぞ。毒はもちろん、各種の薬に酒。総当りで何か効くのがないか確かめておるようじゃ。そうそう、変わり種ではこれまでに死んだ異界人の骨で武器を作ってきたこともあったな」
「あ、それってやばくないか?」
山田がやっていたゲームではドラゴンや強力なモンスターの死体からはいい武器の素材が取れるものが多くあった。無敵である異世界人の遺体からならば無敵の武器が作られてもおかしくはない。
「あー。ワシら異世界人も死ねばこっちの奴らと変わらん死体になるみたいだぞ。実際先代の異世界人の骨で作った短剣とやらで襲撃されたこともあったが結局皮一枚も裂かれなかったしな」
「それなら安心だ」
「じゃから言ったろう? この世界でワシらを殺せるのはワシらだけじゃと。そして今、この国に異世界人はワシ以外にはお前しかおらん。つまりお前がワシに敵対せねば安心できるんじゃ」
「そりゃ同郷の人間に無闇に反抗するつもりはないけど」
「だいたいお前がこっちに来たのも不自然じゃ。異世界人を召還できるような血筋の奴らは全員殺――いなくなったはずなのに、お前を呼んだ奴をまた探しだして処理しなければならん。まったく面倒じゃ。
ああそれと、お前の処遇については心配はいらん。しばらくすればお前に王位を譲ってやるから、それまではおとなしくしておけ」
「は?」
王が発したいきなりの後継発言に彼は手にしていた酒杯を落としそうになる。
「どうせワシは老い先が短い。それに後継者だとはっきりさせておけば、お前も安心するじゃろう。ワシを殺さずとも労せずこの国の王になれるとな」
「え? 跡を継ぐ王子や姫はいないのか?」
「ワシらとこの世界の者との間に子は生まれん。じゃからこの国の奴らは人でないと言ったんじゃ」
つまらなさそうに王はワインをあおる。
「お前がこの案を受け入れてくれればワシは殺される心配がなくなるし、お前もちょっと待つだけで無駄な戦いをせずとも王になれるという双方に利がある取引じゃ」
「なるほど、俺が次の王か。悪くないな」
少なくともブラック社員より数百倍はマシだ。山田はニヤリと唇を歪めると二人の異世界人はがっちりと握手を交わし祝杯をあげた。
◇
「こちらです、どうぞ足下にご注意を」
「ん? おおこりゃまた長い階段だな」
「はい、最上階の貴賓席は異世界という外なる国から参られた客人をおもてなしするための一室です。最上階にありますから、万が一にも侵入者などの危険があってもそれから最も遠い場所で安心してお休みになれます。そういった意味では王様も最上階がいいのでしょうが、あの方は何があっても大丈夫というので一階でお休みになっています」
「まあ護衛なしで俺の落下を見回りに来るぐらい、元気で強いもんんな」
丁寧な日本語で山田が案内されたのは外からでもひと目で分かった一番高い塔の最上階だった。
たしかに最上階は一番見晴らしがいいし、最上階以外に途中の部屋はなく吹き抜けの階段が続くだけというのは敵を防ぐには最適だろう。でも客をもてなすには螺旋階段の移動がちょっと不便でどうかと思える。
それでもこっちに落ちてきてから異常にパワーアップした山田の体ならば、疲れはまったくなくリズミカルに上って行けるのだから問題ない。その時先導するため背を向けてカンテラをかざしたたままの侍女長から初めて案内以外の声がかけられた。
「王様からの譲位のご提案についてどうお考えでしょうか?」
「ん? なんだもうそれが話題になってるのか? 耳が早いな」
まあ次代の王についてこの国の人々が関心を寄せるのは当たり前かと彼は納得する。この侍女長にしても真面目そうな美貌で噂話などに興じそうではない委員長やキャリアウーマンといったタイプだが、真剣な声音で質問してくる。
「あー、うん。受けようと思っている」
「……今の王が魔王と謗られているのを承知で?」
「へえ、何をしたんだあの人?」
「それまでの王を弑逆し、王冠をを奪い他国を侵略し、話す言葉でさえ「ワシに分かるように喋れ」との命令で日本語を使うように強制されました」
「あー、だからあんたらこの国の全員が日本語が使えるのか」
侍女長が硬い口調で返答するのに山田は納得する。異世界の言葉がたまたま日本語とそっくりだったなんてそんな偶然はありえない。それよりは誰かが強制したと考える方がもっともだ。
それにしても「魔王」だなんてこんな所で王を貶める会話をしたのがバレたら彼女は罰せられるんじゃないか? そう不審に思うが山田は自分好みの美女なのだからと素直な心情を吐露する。
「いや、これまであの人が何をしたかは俺には関係ないし。それに俺も無敵の王になれるなら他人から陰口を叩かれても関係ないだろ」
「……左様ですね、失礼しました」
落胆の陰が一瞬彼女の美貌を曇らせたようだが、部屋に着いたと礼をする際にはそれはもう拭われている。
「ここが客間となっています。久方ぶりの異世界からの客人のため多少騒々しくなるかもしれませんがご容赦を。ベッドメイクはきちんとしてありますし、我が国自慢の銘酒もご用意してあります。異世界からきてお疲れでしょうしゆっくりお休みになってください」
丁寧に一礼した侍女長が身を翻そうとするが、その肩を山田は押し止める。
――この世界では俺たち異世界人は何をしても問題がないんだ。
そう自覚してから彼の中にいる下卑た獣がうずうずしていたが、王と飲んだアルコールの力を借りて今それが理性の鎖をちぎりかけていた。
「な、なにを……」
身をよじる侍女長のかんばせは強張り、青白くなっている。
彼の掌にはこの世界の物質に対する脆さだけではなく、成熟した女性のみが持つ柔らかさを感じている。侍女長のすくんだ体からは香水と女の香りが漂ってきた。
山田は自分の鼻の下はこれまでの人生で一番長く伸びているだろうと自覚しつつ、抵抗を試みる美女の肩を無理矢理引きつけた。
「もう少し相手をしてもらおうか」
◇
山田が侍女長を無理矢理組みしいて数時間後、彼女は気丈にも涙は見せないまま張りつめた表情で身支度を整えると振り返らず部屋出ていった。
にやにやとそれを見送る山田はこれまでの人生ではなかった征服感につい疲れているはずなのに用意されている酒に伸びてしまう。
彼が日本では味わったことのない美酒に美女、それがここでは力尽くで容易に手には入るのだから笑いが止まらない。
「まるで俺のためにあるような世界だ」
しかも待っているだけで次代の王になれるのだから言うことなしだ。
もし反対者がいても異世界人である山田に面と向かって異を唱えられる者などいない。
上機嫌のまま酔いつぶれて高いびきの深い眠りについた。だが彼が目を覚ましたのは期待していた侍女長による朝の挨拶などではなく覚えがある浮遊感だった。
「おいおい、またかよ」
短時間で同じシュチエーションとなるせいか、はっきりと目を覚まし落下をしながらも今度の彼には余裕があった。
最初に落ちてきた時の方今の塔をの中を落下するよりがよほど高く怖かったのだ。
あの時は完全に死を覚悟したが、今回彼は自分が無敵モードであるのを把握している。
たとえ下にあるのが石畳はおろか槍が敷き詰められた落とし穴であろうとも、この世界の物質では自分の体に傷一つつけることは不可能だと知っているのが余裕を生んでいた。
落ち着きを取り戻した山田の体にはベットで横になっていたせいかシーツと毛布が絡まっているのに気がつく。邪魔だとそれらを引き剥がして自分が落下する予定地に目を凝らすと――
そこにあるのはなぜか二階の床ではなくまたベットだった。
天蓋が付いている立派なものだが、あんなものは彼の体に触れただけで弾け飛ぶ。おそらくその下にあるベットまで突き抜けて宮殿の土台となっている地面か、もしあれば地下室にまでめり込むだろう。
まあ山田にとっては痛みがいっさい無い上に怪我をする危険性がないためそこから出てくるのが面倒なだけだが。
それでもまだこっちの世界での経験の浅さ故か自然と丸くなり防御態勢をとる。
「ぐあっ!」
「うおっ!」
この世界では異世界人には一切縁のないはずの激痛に山田は顔を歪ませた。
――何が起こったのだ?
痛みと視界が揺れる感覚に彼は混乱する。この世界では何が起ころうと心配はいらないはずなのに――
だが小さなクレーターの中心には彼と粉々になったベッドだけではなく、他にも原型を止めているものがあった。
この世界で一番硬く破壊しずらい山田が猛スピードで落下してきたにもかかわらず、である。しかもそれが彼に対してダメージを与えたのだ。
異世界人に対してそんなことが可能なの「もの」はこの世界には一つしかない。
「お、王が……」
そう山田の下敷きになっているのは王だった。天蓋付きのベッドで寝ていた王は落ちてきた山田に潰されたのだ。打ち所が悪かったのか頭からは出血し、驚きに満ちた目を見開いたままだがすでに呼吸は止まっている。
「おい、誰か来い! 緊急事態だ!」
叫び声が宮廷内に響くがそれに応える者は誰もいない。
いや、大勢が遠くから息を殺してこっちの様子を伺っている気配はある。しかし近づこうとは、ましてや彼らを助けようなどとはまったく思っていないようだ。
「くそ……」
山田は立ち上がろうとするが、肘ががくりと折れて地面に突っ伏す。その拍子に口から鮮血を吐き出した。
――ああ、そうか。
ここに至って彼はようやく理解した。
元々頭が鈍いわけではなく性格と要領が悪いだけの男だ。死ぬ寸前のせいかいつも以上に頭が回っているのだから、ここまでくれば嫌でも事態の真相が把握できる。
「ごほっ、俺は結局ここでも道具扱いだったってことか……」
◇
「死んでるか?」
「ええ、間違いなく二人とも息をしておりません」
おっかなびっくり死体を検分していた兵士が異世界から来た二人ともに死んでいるのを確認する。
その途端「おおー!」という歓喜の雄叫びで宮殿は揺れ動いた。
これで悲願ともいうべき異世界人排除を実現できたのだ。様子を伺っていた廊下のそこかしこで「ご先祖が苦労してこの宮殿を作った甲斐があった」と老若男女を問わず抱き合って泣いている。
その中にいたこの国本来の王家の血筋を引く巫女はほっとその豊かな胸をなで下ろした。異世界人の王によって半ば嫌がらせで侍女長をやらされていたのだが、これでやっと胸のつかえが取れた。
やっと恨み骨髄の二人を綺麗に始末できたのだ。
仕掛けの後でたとえまだ息があったとしても仕方ないと覚悟はしていた。
被害は出るだろうが異世界人には薬や手当が効かないのから、怪我をすればそれが致命傷になる確率が高いと踏んである程度の人的被害も許容していたのだ。それがほぼ即死になったのだから大当たりと言っていいだろう。
あの「魔王」はようやく寿命で退場しようという時期なのにロクなことをしない。死期が近づいたのを悟った身勝手なあの男は八つ当たりで自分が死ぬ前に国を滅ぼそうとしていたのだ。
しかし、異世界人の王がただ敵味方の被害を増やすだけの無茶な戦争を始めようとしても誰も止めることはできないのがこの国の現実だ。
異世界人を止められるとしたら異世界人だけ。
だから彼女は五十年に一度の星の並びにかけ、禁断とまで言われる召還術を実行したのである。その結果新たな災厄となりかねない異世界人をまた呼び出すのに成功した。
彼女の理想を言えば出会ったその場で王と新たな異世界人の二人が殺し合いをして共倒れになってほしかった。
だが案に相違して二人は同郷だったのか意気投合し互いに争うことがなかったのだ。
これで当初予想していた以上事態は悪化した。手に負えない怪物の数が二倍になったのだから。
この国に二人も異世界人が存在するなど国民の誰一人として我慢できることではない。しかも魔王は国を滅ぼすのは一旦取りやめたようだが、自分の後継を新たな異世界人に託すという。
魔王が認める、どうやっても殺せない若い異世界人が新たな国王となる――それは考えうる最悪の事態だ。
どうかそれだけは避けようとそれとなく新たな客人に魔王の所業を教えて翻意を試みるが、全て他人事のような冷たい人間だった。
それどころか彼女に狼藉をして辱めたのだからもう一片の慈悲を与える必要もない。
やはり山田という異世界人もこの国に災いをもたらす者でしかないということだ。
これまでにさんざん異世界人には屈辱を味あわされていたのだから、殺害計画を実行するのにためらいはなかった。
どうやってもこの世界のものではダメージを与えられない異世界人を殺すには、異世界人を使うしかない。
だが、薬での洗脳は不可能。身内がいないのでは脅迫も不可、利を持って取引しようにも力で全てを手に入れられる彼ら対する交渉は困難を極める。
彼ら同士が感情的な対立でぶつかってくれるのを煽り、祈るしかなかったのだ……今回までは。
今回の殺人の真相は宮殿の皆が協力して寝ている魔王の凶器を落として殺害したというありふれたものだ。
ただ一つ珍しいとすればその「凶器」が呼び出した異世界人だったことだろう。
もともとこの宮殿そのものが異世界人を殺すための設計だ。
ただそれを実行するには魔王の体を傷つけられる異世界人という「凶器」が入手できなかっただけなのだ。
計画は長年の間に練りに練られていた。
まず異世界人用の客間を一番落下距離がある高い塔の最上階に設置し、ニ階をはさんで王の寝室をその真下に置く。王の部屋の天井以外は吹き抜けになるように空間を作り、二階の屋根は取り外しができるようにしておく。
これで最上階から直通で王の寝室へ繋がるようになる。
最上階の客間にあるベッドが静かに傾くとそこで眠る異世界人が落ちていく穴が口を開くからくりが仕掛けてある。
落ちていく人間が王の寝室のベッドに直撃するように、何度も平均的な人間の重さの人形で実験を重ねて塔の角度と王と客室のベッドの位置は調整した。
後は塔や部屋の配置、王の部屋の屋根が開閉式なのを不自然に見えないようにとカモフラージュするだけだ。そのためのに他の塔も作り、王のベッドは天蓋付きで寝ている彼が上の異変に気づかれにくくしていた。
数十年をかけて作られたこの異世界人を殺すためだけの宮殿とそれを暗示するわらべ歌の対象は実は今回の魔王ではない。殺そうとしたのはその前の代の異世界人だった。しかし彼の寿命が尽きるまで宮殿は完成しなかった。
それだけ時が流れても異世界人への恨みと備えを忘れないようにと宮殿の建設は止まらず、殺害計画を示すわらべ歌の広がりも衰えなかったのだから、どれほど異世界人が呪われているかが伺える。
巫女が山田という人間を最初に召喚した時に空から落したのも、今回の作戦で凶器として使えるかの「性能テスト」だったのだ。
まさしく魔王を倒すためにのみ凶器としてだけ呼ばれ、それ以外を求められなかった彼はある意味もっとも勇者らしかったのかもしれない。
「異なる世界から呼び出されし者
その者らは無敵なり 刃も毒も役には立たぬ
彼らが倒れる原因は いつも同じ異世界人
二人の異世界人が顔を合わせれば
一人は天の上へ もう一人は地の底へ
必ず互いに殺し合う」
わらべ歌の通りに殺人は計画され、そして完璧に実行された。
こんなある意味おぞましい歌を未来を担うべき子供たちに代々語り継いでいたのだから、その恨みは計り知れない。
――次に異世界人がこちらの世界に来る日があるのか?
巫女である資格を失った侍女長には分からない。
ただその時が二度となく、これからはただのわらべ歌と宮殿として終わってほしいと願うだけだ。