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しらゆり  作者: 佐倉アヤキ
その1 とつぐまで
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act.4 間合いの攻防

 結婚が決まっても、ピアキィに、彼の習慣を変える気は毛頭ないようだった。いつもどおり、あの宿でブロンドの女性と待ち合わせするかの閣下を、これまたいつもどおり窓から眺めてアルカナは嘆息した。なんと図太い神経をお持ちのものだ。悲しみを通り越して、アルカナは心底呆れ返った。きっとピアキィにとって、アルカナの存在など毛ほどの価値もないのだろう。今だって、チラリと視線を上げて、アルカナが様子を伺っているのに気づくなり、見るも麗しき不敵な笑みを浮かべて去っていく。隣に、アルカナの知らない美女を伴って。


 あの後…顔合わせで閣下に泣かされた後だ…ピアキィは、不可解な言動などまるでなかったように、ぶっきらぼうに「行くぞ」と言うが早いか、アルカナの手首を引っ張って神殿の入り口まで送り届けた。父の前では、完璧な王子様の皮を被って。

 とんだ二重人格である。いや、アルカナが知らないだけで、ピアキィにはもっとたくさんの面が潜んでいるのだろう。複雑な生まれの方だから、一筋縄でいくようでは、何かと不都合が多いのかもしれない。好意的に捉えてはみるものの、それにしたって、彼は人を傷つけるのが好きだ…特に、アルカナを。部屋に閉じ込められている婚約者を放って他の女性と遊びまわるなんて、これは立派な浮気ではなかろうか。


 ファナティライストの貴族社会では、婚約した女性は結婚までの三ヶ月ほどの期間、外に出ることを禁じられる。特に男性との面会などもってのほかで、その間は婚約者とも会ってはならないのが決まりだ。

そういう意味では、私、毎日のように閣下と「お会い」しているわね…浮気現場を眺めながらアルカナは眉をひそめた。責められるいわれはないだろう。アルカナだって好きで見ているわけじゃない。けれど、彼から目をそむけて見ないふりをするのは、ピアキィに敗北する気がしてアルカナには不服だった。あの美しい青年にできることなんて、せいぜいしてやったりな笑みを浮かべる彼をにらみつけることくらいだから。

 普通ならば、婚約者と会えないかわりに、互いに手紙を送りあうのがセオリーだが、その面でもピアキィは一般的でなかった。本来美辞麗句を凝らした文章が綴られているはずの封筒の中身は、何故か半紙にくるまれた小さな押し花が入っていた。


 いつも、その辺の道端に咲いている野花だった。淡い桃色の花もあれば、濃い青も、時には花弁のない薬草もあった。

 アルカナはこの贈り物に閉口した。よかれと思っての押し花なのか、何か裏があるのか…いいや、あのピアキィ閣下のことだから何かあるには違いないだろうが、いかんせんこういう花は嫌いではない。派手で鮮やかな花ももちろん好きだけれど。

 まさかあの閣下が自分で押し花を作るところなど想像もできないが、無碍にするものでもない。毎日欠かさずに送られてくる花たちを、アルカナは栞にしたり、ポプリにしたりとするものの、ピアキィの意図はまるで読めなかった。今朝送られてきたのは鮮やかな金色の花。香りが強いから、におい袋にでも入れようかしら。アルカナは冷めた茶を口にしたところで、はたと考え付いた。

 …今日のお相手は、ブロンドの綺麗な女性だったわね。

 アルカナは自分の打ちたてた予想がきっと間違っていないと思い、気が滅入った。



 アルカナは不機嫌だった。婚礼の儀が近づくにつれて次第に苛々していくアルカナに、使用人たちはどうしたものかと首をひねっていた。可愛らしい野花を送ってくる洒落た婚約者の何が気に入らないのかと訝る者さえ。洒落た?アルカナは憤った。むしろなんと悪趣味な男だろう。いわば、これは浮気予告のようなものだ。手にした萌黄色の花を握りつぶしたい衝動に駆られながらアルカナは怒った。窓のむこうでは、花と同じ色のワンピースを身につけた少女が大変楽しそうにピアキィに腕を絡ませている。アルカナの目から見てもうっとりするほど可愛い娘だった。こんな状況でなければ。

 アルカナはすぐに顔を背けた。何が敗北だ、何が花だ。とにかくピアキィにとって自分は邪魔者らしい。自分からも何かピアキィにしてやらねばと思い、自分で読んでも反吐が出そうなほど甘い文句を連ねたラブレターを送りつけてやったところ、次の日彼が送ってきたのは大輪の真っ赤なエソルで、浮気相手は花に違わず華やかな絶世の美女だった。


 こうなったらもう彼をまともに見るのも嫌だった。アルカナは午後のお茶の時間を返上して、窓から背を向けて刺繍を始めた。この背中を見て、ピアキィも精々あざ笑っていればいいのだ。アルカナばかりが不快な思いをするなんて理不尽だ。

 幸い、アルカナは刺繍が得意だった。小さなものなら一刻と経たずに仕上げてしまう。そそくさとアルカナは萌黄色の花を縫い取った。

 アルカナは刺繍の入った小さな巾着に今朝もらった花を突っ込むと、入り口近くの陶器でできた椀を持ち、それに向けて声をかけた。

「トリノ、ちょっと来て頂戴」


 トリノはすぐにやってきた。十四歳の使用人の少年は、心底嫌そうな顔でアルカナを見上げる。小柄な彼は、まだアルカナより頭ひとつ分も背が低い。栗毛の少年は声変わり中の少ししゃがれた声でアルカナに抗議した。

「なんですか、お嬢様。というか僕を呼びつけないでください。嫁入り前なんだから」

「ピアキィ閣下のために私が尽力するのが馬鹿らしくなったのよ」

アルカナは憤然と鼻を鳴らし、におい袋をトリノに突き出した。彼は怪訝な顔でそれを受け取った。

「それを閣下に届けてちょうだい」

「何で僕が。配達人がいるでしょう」

「その配達人って女の子でしょ。私と同年代の男の子が運んでくれることに意義があるのよ」

「ハハーン…ヤキモチやいてほしいんだ」


 アルカナは頭を抱えた。ヤキモチ?あのピアキィがそんな思いを抱くわけがない。これは戦いなのだ。あのピアキィに、自分は彼に振り回されてばかりではないのだと一泡噴かせてやるための。しかし、ここでトリノの機嫌を損ねたら意味がない。アルカナは「どう取ってもらっても構わないわ」と返した。

「ただ、絶対に送り届けてね。あなたっておっちょこちょいなんだから」

「そ、そこまでじゃありません」

「この間お母様のお気に入りの花瓶を割ったのがあなただってこと、私が知ってるの、お忘れかしら」

トリノは閉口した。こう言えば彼はアルカナに従わざるを得ないことを知っていた。アルカナはにっこり笑った。

「お願いね、トリノ。あなただけが頼りなの」

「…奥様にばれたら殺される…」

トリノはうなだれて、「ワガママお嬢様め」と毒づくと、アルカナの部屋を後にした。



 ピアキィは、突然の事情で代わったという婚約者の使者をまじまじと見た。アルカナよりも幾分年下だろうか。随分と小柄で、長身のピアキィは彼を見下ろす形になった。顔の造形は可もなく不可もなく、といったところか。愛嬌のある顔は、ぽかんと間抜け面をさらしてピアキィを見上げている…ピアキィはさわやかに微笑んでやった。

「いつもの子は来ないんだな。君は彼女の代理?」

「えっ、あ、ハ、ハイ!お、おお、お嬢様に無理を押し付けられまして…」

正直な男だ。ピアキィはわずか眉をひそめた。昨日自分に背を向けて一体なにをやっているのかと思えば、彼と直接面会したということか。まったくもって単純な女である。


 先日この神殿へやってきた彼女を思い出す。懸命に涙をこらえて、スカートを握り締める姿だ。何の力もないか弱い女かと思っていたが、ピアキィの想像よりも、なかなかどうして骨があるではないか。見事な刺繍に、ピアキィは思案した。彼女の考えを量りかねたこともまた面白い。そして、縮こまってブルブル震える情けない使用人に顔を向けた。

「アルカナは、」

ちょっと口を閉ざした。

「…アルカナ嬢は、どんな子だと思う?君の目から見て」

「えっ!?え、えーと!?」

「俺はまだ、彼女のことをよく知らなくてね。花など贈ってはみたものの、彼女の好みも分からない状態だ。アルカナ嬢のことをもっと知りたいと思うんだが、君、なにか教えてくれないかな」

努めて婚約者を知ろうとする健気な男を演じると、案の定この使用人はコロリと信じた。感銘を受けた様子で、顔を紅潮させて何度も頷く。

「えっと、お、お嬢様は、白が好きだってよく言ってます、よ!」

「白?」

「はい!アヌザンの花なんかが好きだったと思います。あとレースとか、リボンとか、女の子らしい持ち物も好きだけど、自分より姉君のほうが似合うとか言って、ほとんど持ってなかったと思います」

「……白、か」


 そういえば、先日着ていた桃色のワンピースも新品同様で、どこかちぐはぐな印象を受けた。脳内で、あの少女に白くて可愛らしい衣装を宛がってみる。

 ……悪くない。

 ピアキィは机に用意した封筒を取り上げた。少し考えてから、窓際に置いた花瓶を見た。一輪の白いエソルが差さっている。長い指を伸ばして、花を抜き取ろうとして…少し迷ってから、花弁を一枚だけ取って、半紙にくるんだ。


 「頼んだよ」

封をして使用人に渡すと、少年はキラキラと目を輝かせて頷いた。素直な少年である。ピアキィは自分の胸のうちに冷たいものが流れるのを感じた。まったくもって、自分とは違う少年である。

その少年がぺこぺこと頭を下げて去っていくのを見下ろして、ピアキィはにおい袋を握り締めた。くしゃり、なにか巾着の中に硬さを感じて、ピアキィは袋を開けた。花の脇に、小さなメモが折りたたまれて奥に押し込まれている。取り出すと、達筆ではないが丁寧な女の字で、大層な嫌味が書かれていた。


 『このにおい袋を萌黄色のお嬢さんに差し上げたらいかがでしょう』


 ピアキィは冷笑を浮かべた。本来彼女に渡すはずだった封筒をゴミ箱に投げると、宙に浮いた間に封筒が燃え上がった。一瞬小さな爆発があったかと思うと、ゴミ箱に入ったとき、手紙は灰になっていた。

エソル:バラのこと。(rose→esor)

アヌザン:ナズナのこと。(nazuna→anuzan)

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