act.11 かみさまの死んだ日
リビングの花瓶に白い花が差されるたびに、アルカナは少しばかりおしゃれをするのが常だった。なんだかんだ言ってもアルカナはピアキィに恋していたし、好きな人が自分を見てくれるとわかれば着飾りたくなるのが当然というもの。それが彼の気まぐれでしかないのには、アルカナも落ち込むしかないが。
白いレース地のワンピースに、厚手の黒いカーディガンを合わせて、髪には細いリボンを通す。いつもながら女官顔負けの手さばきを、ミュウは手伝いながらまじまじと見つめていた。
「アンタ、どうして神殿にお仕えしようとか思わなかったの?」
「私もいいかなって思ったんですけど、姉に止められたんです。神殿なんて、女達が少しでもいい男に見初められようと互いを化かしあってる悪の巣窟よって」
「……まあ、否定はしないわ」
アルカナはよく知らないが、きっと女官達のアルカナに対する態度を見ている限りでは、その「いい男」とやらはまさにアルカナの夫であるピアキィ・ケルト・エファインその人なのだろう。アルカナはぼんやりと考えた。
今日は「鎮魂日」。双子神が死んだとされる日だ。この日はファナティライスト神殿でも休日となり、国民はみな双子神の死を悼む。当然アンノも休みなのでファレイアは部屋に来ない。ここ最近おてんばなファレイアは、すぐにアルカナを庭へと引っ張り出して服を汚すので、せっかくピアキィが用意してくれた白い衣装たちも着る機会を失っていたのだが、今日ばかりはいいだろう。黒いショートブーツに足を通したところで、前触れもなく部屋の扉が開いた。
「アルカナ」
「きゃあ!お、驚かさないで下さい!」
アルカナが片足を上げたままよろめくと、ピアキィがその腰をキャッチした。深緑のコートから伸びる、彼の大きくて繊細な手のひらに今更どぎまぎしながら、アルカナはごまかすように「女性の着替え中にノックもなしに入るなんて非常識よ」とモゴモゴ言った。ピアキィは気にせずアルカナから離れて言った。
「今日はエファインの本家に行くから」
「え?ご本家って」
思わず振り返って、アルカナはドキリとした。ピアキィはいつもの神官服ではなく、私服に身を包んでいたのだ。真っ白なカッターシャツには細い深緑のリボンがかかり、黒いベストには整然と小さな金ボタンが並んでいる。細いスラックスはすらりと長いピアキィの脚を魅せており、深緑のロングコートも彼にはよく似合っていた。
麗しのピアキィ閣下はアルカナの衣装を上から下まで見下ろすと、リボンの結び目に取り出した淡い黄緑色の花を差した。それからミュウに、「深緑のカーディガン出して」と命令する。
「どういうことですか?」
「エファインの色は緑だから、それにふさわしい色を身につけなきゃいけない」
「いえ、そういうことではなく」
「靴も緑がいいかな」
全く人の話を聞かないピアキィに、頭がくらくらした。一体何事だ。結婚のときですら音沙汰のなかったエファイン家とやらに、今になって行かなければならないだなんて。大体、先日のアンノの言が正しければ、エファインというのは不老不死の一族で、アルカナにとってはまるで未知の領域だった。アルカナは靴を履き替えながら問うた。
「どうして突然?昨日はなにも仰ってなかったのに」
「俺だって好き好んで本家に行きたいわけじゃない」
ピアキィがカーディガンを着せながら言った。苦々しい表情。どうも彼は自分にまつわる話をするときにこうした顔をする。
「毎年鎮魂日には集会があるんだ。俺はもうエファインとは関わらないって言ってるのに、伯父上が無理矢理」
「でも、私もお招きいただいていいんですか?」
ふてくされるピアキィ。出来れば行きたくない。アルカナは黒いコートを着せられながら尋ねた。すると、彼は出し抜けにいつもの笑みでたいそう甘く返してきた。
「俺が嫌々実家に行くのに、お前はそんな夫を見捨てるの?」
「私は巻き添えってことですか」
アルカナも苦い顔をした。何が悲しくて、わざわざ行く必要もない不老不死の居城に行かねばならないのか。しかし夫の命令である。母の教えでは、こういうとき、妻はおとなしく夫の言うことを聞く必要があった。アルカナはまじまじとピアキィを見た。
しかし、このピアキィの実家というのに興味はある。なにせ、彼の母君が狂気的に求めた存在だ。そのエファイン家とやらに、一人息子を不幸にしてまで求める価値があるのか見極めたかったし、この歩く非常識がこんなに嫌っている。自己満足ではあるが、アルカナが状況を整理するいい機会かもしれない。アンノの話はまだ半信半疑だったが、不老不死だなんて一生お目にかかれない存在だ。観光気分で行けばいいだろう。開き直って、アルカナは向かうピアキィの曲がったリボンを結びなおした。
◆
大体、この一族は「不老不死」という存在をどれだけ隠す気があるのだろう。アルカナは揺れる馬車の中で身を縮こまらせながら思った。向かいに座って優雅に脚を組んだ我らが世界王陛下、シェーロラスディ・T・ファナティライストは、やはり緑を基調とした衣装に身を包んでいる。彼はアルカナの視線に気づくなりにっこり笑った。
「私の顔に何かついているかい?」
「い、いえ!申し訳ございません」
すっかり恐縮してうつむくと、シェーロラスディ陛下はくすりと笑った。隣のピアキィはアルカナの肩に頭を預けてすやすや眠りこけている。気まずい空気をなんとか打破しようと、アルカナは努めて明るい声を上げた。
「シェーロラスディ陛下は、ご本家にはよくお戻りになられるのですか?」
「シェロでいいよ。親しい人はみんなそう呼ぶしね」
さらりと無理難題を吹っかけて、シェーロラスディ陛下はにっこり笑った。
「まあね。たまにどうしても本家でやらなきゃいけない会議があるときなんかは。ただ、いちいち大陸に渡るのは面倒だから、必要がなければ寄らない」
この世界は、ドーナツ型をした大陸の中央に内海があり、内海の中央に島がぽつんと存在する。ファナティライストはこの島にある街だ。エファイン本家は、大陸の北西、山脈の広がる場所にあるらしい。海を渡り、港からも程遠い場所のため、一日で行き帰りするのは不可能だ。大概は転移装置を使うらしく、今日もエファイン家行きの転移装置が設置されている小さな祠に向かっていた。神都から出たことのないアルカナは、窓から見える広大な森にも驚くばかりだった。
「まあ、ファナティライスト島には森くらいしかないが。世界中を見て回ればもっと面白いものがたくさんあるよ。東のインテレディアは平原にあるし、北のシェイルは冬になると雪が積もって一面真っ白。南のラトメには確か砂漠があったかな?あそこと、南西の湿原は観光にはおすすめしない。暑いしね。あと西のクライディアにある遺跡群は一度見ておくといい。あれは一生の思い出に残る。まあ、そこで寝こけている彼に休暇がとれた時にでも連れて行ってもらいなさい」
「ピアキィ様は旅行なんて興味ないでしょうけど」
アルカナはくすりと笑った。シェーロラスディも苦笑いを浮かべている。
「わがエファイン家は山岳の中ほどにあってね。外海がよく見えて絶景なんだ。集会のあとにでも、特に景色のいい場所を教えてあげよう」
「集会って、何をするのですか?」
ウーンとシェーロラスディは唸った。
「大概は本家の爺さん婆さんがわめいたり、どこぞのお偉方が腹の探りあいをしたりとか。面白いものでもない。ただ、不老不死四家が集まるし、私の知人も来るから、是非アルカナを紹介したいと思ってね。ピアキィをせっついたというわけだ」
アルカナは思わぬ単語に頭を上げた。世界王陛下はニコリと笑う。口の動きだけで「アンノ」と言った。チラリとピアキィをいたが、彼は身じろぎひとつせずに眠っている。寝顔はますます童顔だった。
「私はわりとね、君を買ってるんだ」
「え?」
「引いては君の家を、かな。ハイネント家は君がピアキィの嫁になってからも権力に固執しないし、話によると周囲の風当たりにもまるで頓着していない。それに、アルカナはこのピアキィに随分気に入られているようだしね」
「そ、そんなまさか」
アルカナは首を横に振った。お世辞にしてもやりすぎだ。
「ただ今の生活に慣れてきただけですわ。ピアキィ様は私なんて気にも留めていらっしゃらないみたいですし」
「ふふ。まあ君は知らないだろうけどね。私の知る限り、ピアキィの"使い捨て"じゃない女性なんて君ひとりだよ」
「使い捨て、なんて」
ひどい言い草だが、婚前のピアキィの様子を知っているので笑うこともできない。頬を引きつらせたアルカナに、シェーロラスディは満足そうだった。
「今日の集会では、ピアキィを小さい頃から知っている者が何人もいる。まあ、妻として、夫の弱味をひとつふたつ握っておくのもいいだろう?」
◆
転移した先は城の中のようだった。灰色の石造りの部屋を見回していると、ピアキィがあくびをしながらアルカナの腰に手を回した。
「伯父上、俺達は隅のほうにいるから」
「まったく、ピアキィ。君は私の護衛も兼ねていたと思うんだが」
「だって俺よりも伯父上のほうが強いし。流石にこの場で世界王陛下を暗殺して得する奴なんていないよ」
苦く笑うシェーロラスディを置いてピアキィはスタスタ歩き始めた。鎧に身を包んだ番兵が扉を開き、二人は広間へと足を踏み入れた。まばゆい光の溢れるシャンデリアの下にたくさんの人がひしめいていた。社交パーティにもほとんど来たことのないアルカナでは、すぐに酔ってしまいそうだ。
きらびやかな人びとがこちらに注目した。やはりここでもピアキィは目立つらしい。アルカナはすぐにピアキィから離れたくなったが、彼はますますアルカナに身を寄せてきた。
不老不死の方々は胡乱げにこちらを見ていた。ひそひそと聞こえよがしに声が飛んでくる。
「あれが世界王の懐刀の…」
「隣にいるのが」
「やだ、あの子が妻?」
「緑を身にまとうなんておこがましい」
確実に、下級貴族のアルカナにいい感情は持たれていないだろうとは思っていたが、それにしても厳しい視線だ。震えが走った。アルカナは縮こまった。すると、隣のピアキィがはっと嘲笑する。
「相変わらずヒトを見下すしかできない腐った連中だ」
「ピアキィ様?」
ピアキィは口端を上げた。彼は堂々と立っていた。むしろ、ひしめく不老不死などより、緑の髪も瞳も持たない自分の方が偉いとでも言いたげに。その佇まいに、アルカナは思わず魅入った。
アルカナの視線に気づいたピアキィは不敵に微笑んだ。
「なに?」
「……いえ」
惚れ直したなんて、絶対に言えない。アルカナはぷいとそっぽを向いた。
壁際の、人のいないあたりに二人で立って、アルカナはようやくひと心地ついた。ちょうどアルカナ達のうしろからシェーロラスディ陛下が現れたこともあり、視線の矛先はすぐに移った。ひとつ溜息をついて、アルカナはピアキィを見上げた。彼は人々に目もくれず、アルカナの髪についた花が曲がっているのを直している。アルカナも夫のコートに手を伸ばした。
「ピアキィ様、襟が曲がっています」
「ん」
実につまらなさそうになすがままにされているピアキィが借りてきた猫のような態度なので、アルカナはくすりと笑った。そこで、人ごみの中から声をかけられた。
「ピアキィ」
向かってきた男よりも、ピアキィの反応にアルカナは気を取られた。ぴんと背筋が伸びて、ぴりりと張り詰めたような空気が流れた。彼の眠たげだったみかん色の瞳が見開かれ、彼はゆっくりと振り返った。アルカナはそこでようやく声の主を見て、あっと声を上げそうになった。
緑の髪がさらりと流れた。瞳も深めの緑。けれど体格はピアキィそっくりの長身だった。顔はあまり似ていない。ピアキィのほうが美しいと思うのは妻の欲目だろうか。彼は感情の読めない表情でピアキィだけを見ている。
ピアキィは恐れるような視線を彼に向けた。それだけ見れば、すぐに彼が何者なのか分かるというもの。ピアキィがこんなに動じている姿を、アルカナは初めて見た。あえぐようにピアキィがつぶやいた。
「父上…」
王弟殿下・ケルトは、憂えるような顔をしてわらった。
転移装置は装置につき行き先が決まっています。力のある魔術師なんかは自分で転移呪文をつかって自由にテレポートすることも可能ですが、大概街や不老不死の住処なんかには転移呪文での侵入を防ぐ結界が張られていて直接街に入ることができなかったり、また大人数を運ぶことが難しいことから、呪文でテレポートする人はあまりいません。