act.10 うわさばなし
ピアキィ・ケルト・エファインはいかなる人物か。
まず彼は絶世の美青年である。本人がどれだけそれを自覚しているかはさておき、彼が歩くだけで老若男女問わず皆が振り返るような美貌を持っている。一方でその性格は冷淡。一緒に過ごすうちに、彼が案外気の長い性格らしいとは思い始めていたが、いかんせん彼には「常識」というやつが欠如していた。…主に、暴力の方面で。
彼は「むやみに暴力をふるってはならぬ」という教えを受けたことがないらしい。以前アルカナが病み上がりで外に出たときの怒りようといったら。否、そもそもあれは怒っていたのだろうか?ミュウを何べんも踏みつけていた様子は非常に涼やかだった。
さらに、彼は平気で人を傷つけるような物言いをする。アルカナは薄々気づいてきた。彼が人を蔑むとき、そこに深い意味はない。彼の辞書に「遠慮」や「気遣い」といった言葉はないらしく、彼にとっては世間話をするのと同等の調子で侮蔑のことばを吐くのだ。要するに彼にデリカシーというやつはかけらもない。
そんなわけで、彼の妻であるアルカナ・ハイネントはかく語る。ピアキィはどうしようもない子供だと。
だから最近はアルカナも肩の力を抜いて、ピアキィに言いたいことを言うようにしていた。婚前に姉から「アルカナ。夫に何もかも委ねては駄目よ。夫婦というものは常に女が上位に立っているほうがうまくいくの」と助言をもらい、あの閣下相手になんと恐れ多いと思っていたが、案外ピアキィはアルカナが何を言ったところで怒り狂ったりはしなかった。
「ピアキィ様、野菜もちゃんと食べなきゃだめですよ」
「…野菜嫌い」
口を尖らせてピアキィが反論した。彼の偏食にも困ったものだ。また勝手にピアキィはアルカナの皿に朱色の野菜を移してくる。アルカナは溜息をついてそれに手をつけようとすると、我が夫はにやりと口端を上げた。
「アルカナが手ずから食べさせてくれるっていうならありがたくいただくけど」
アルカナは真っ赤になって絶句した。給仕をするミュウが「夫婦漫才はよそでやってくれ」とつぶやいた気がする。すかさず彼女を見るが、ミュウはしれっとしたまま脇に立っている。ピアキィがくすりと笑う。
最近彼の笑みが柔らかくなったのは気のせいだろうか。せめて嵐の前の静けさでなければいいのだが。アルカナは自分の横で黙々と肉料理を頬張るファレイアの口をナプキンで拭いてやりながら一人ごちた。最近はファレイアもアルカナに懐いてきて、何かにつけてアルカナの後をひっついてくる。時々ピアキィが絡むと、アルカナを出し抜いてやろうと息巻いているが、それも子供と思えばかわいいものだ。彼女にとってアルカナは、ライバルのようなものらしい。
皆この関係に慣れてきたということかしら、ピアキィを盗み見る。さすが王族というべきか、彼の食事の手は洗練されていた。物音一つたてずに料理を口に放り込んでいく。いつの間にかまじまじと見てしまったらしい。アルカナの視線に気づいて、口をモゴモゴさせながら「何?」と尋ねてきた。アルカナは慌てて自分の皿を見下ろした。
「い、いえ」
「ふうん?」
きっと女性に見つめられるなんて、彼にとっては日常のことなのだろう。さして深く問うてくることもなく、ふわりと目を泳がせただけでピアキィは食事に戻った。アルカナは気恥ずかしくなった。
ピアキィは食事を済ませるとすぐに席を立ってコートを取った。
「お出かけですか?」アルカナはコートを着る手助けをしながら声をかけた。
「仕事が残ってる」
「まあ…お気をつけて」
忙しい身だというのに、わざわざ夕食のために部屋まで戻ってきてくれる、その優しさが嬉しい。思わず勘違いしてしまいそうになる。別に、彼はアルカナのことなんてなんとも思っていないのだろうけれど。
自分で考えておきながらチクリと胸を痛めていると、部屋から出て行こうとしたピアキィが不意にアルカナの後頭部に手を回してきた。何事かと顔を上げたところで、アルカナは硬直した。
触れるだけのキスは一瞬だけで離れていった。目を丸くして、ぽかんと呆けるアルカナに、ピアキィはにっと笑って出て行った。いたずらが成功した少年のような顔だ。
扉が完全に閉まってから、アルカナは立ち尽くしたままつぶやいた。
「…やだ、どうしましょうミュウさん。私、今『愛されてる』なんて思っちゃいました」
「惚気はいいから残さず食べなさい」
◆
アンノはいつも終業の時刻になるとアルカナの部屋にやってくる。娘にべろべろに甘いアンノは、とてとてと父の腕めがけて駆けてくる娘にうっとり笑っている。アルカナは苦笑して、ピアキィ様も子供ができたらああなるものかしらと考えた。想像するだけで寒気がする。そもそも、彼のファレイアへの対応を見ている限り、彼は子供が嫌いなようだ。
「いやァ、いつもすいませんねェ、アルカナ嬢」
頬の筋肉を極限まで緩ませたアンノが言う。アルカナはにっこり笑った。
「お気になさらないでください。私こそたいしたお構いも出来ませんで」
「いやいや!随分助かってますよ。今度是非ウチにも遊びに来てください。女房が閣下の嫁を見たいってうるさくって」
「奥様のお加減は、その後いかがですか?」
「最近は随分よくなったモンですよ。相変わらず寝たきりですけどね。ここ最近、フィーがアルカナ嬢のことばっかり話すもんだから、神殿まで会いに行きたいと言い出す始末で」
「まあ」
アルカナはくすくす笑った。アンノの話し振りからいって、具合がいいのは本当だろう。
アンノの奥方は、以前はそれはそれは鬼のように強いファナティライスト兵の一人だったそうだが、一年前に大病を患って、屋敷で絶対安静の生活が続いているらしい。ファレイアはあまり母の話題を出してこないが、アンノの話を聞く限りでは、家では母にべったりだそうだ。
「あの閣下も、小さい頃は女房に懐いていたんですよ」
「そういえばピアキィ様は、アズラーノ様の家でお育ちになっていたんですよね」
どんな方だったんですか?世間話のつもりで話を振ると、なぜだかアンノはふらりと視線をさまよわせた。突然まじめな顔をして、腕に抱いたファレイアをおろして、アルカナを手招きした。
「アルカナ嬢、ちょっと」
「…?」
ファレイアを頼むとミュウに目配せして、廊下に出たアルカナは、ついてきたアンノを見上げた。彼は少しバツが悪そうな表情だ。
「アルカナ嬢にはもっと早くに言うべきだと思っていたんだが…」
「なんです?」どうにも不穏な予感がした。
「アルカナ嬢、閣下の家…エファイン家について、どのくらいご存知ですか?」
「ピアキィ様の家?」
そういえば聞いたことがない。そもそもピアキィは自分のことをあまり話したがらない。結婚生活の間に、彼の好みや性格については大体把握してきたが、それだって彼の行動を見てアルカナが勝手に判断していることだ。
怪訝そうなアルカナに、答えを聞くまでもなくわかったらしいアンノは、一旦人通りのないことを確認してから口火を切った。
「本来は、閣下があなたに言うべきことだが…多分あいつは言わないだろうから、俺から言わせてもらいたい」
「一体なんなのですか?」
「彼の家は、アー、少し特殊でね。俺達とは…そう、人種が違うとでもいうのか」
「それは、単純に彼がファナティライストの王族に連なる生まれだ、というのとは、また、違うお話…のようですけど」
「完全に無関係とは言いづらいですけどね」
アンノは肩をすくめた。それから身を乗り出して、声を潜めて言う。
「落ち着いて聞いてくださいよ?閣下は、不老不死なんです」
はあ?思わず間の抜けた声が出た。アンノの表情があまりにも真剣だったから、アルカナもじっと身構えていたが、まさかそんな下らない話が飛び出すとは思わなかった。そういえばアンノは、高等祭司の大貴族という身分にしては気さくで冗談好きな男だし、あんまりアルカナが不安そうな顔をしているから、気遣ってくれたのかもしれない。アルカナは噴出した。
「うふふ、いやですわ、アズラーノ様。何を言い出すかと思えば。まあ確かに、ピアキィ様は人間離れして美しいお方ですけど」
「おや、信じては下さらないのですか」
「少し前までだったら、信じたかもしれませんわ。でも今は、ピアキィ様の人となりも大体分かってきましたもの。ニンジン嫌いで寝相が悪くてわがままで。ふふっ、あの人が不老不死なんて、そんな、まさか…」
アルカナはだんだん不安になってきた。アンノは黙りこくったまま、その場に立ち尽くしたままだ。其の目はじっとアルカナの一挙一動を見逃すまいとしている。彼は何も言わない。アルカナは頬の筋肉が奇妙に引きつるのを感じた。
「…え、そんな、まさか、ですよね」
「ところが、アルカナ嬢。残念ながら嘘でも冗談でもないんですよ、これが」
そういわれても。アルカナは戸惑って、アンノから視線を逸らした。不老不死。そういえば先日、ミュウが突然その話を出してきた。彼女が、ピアキィの家名が、不老不死の神話にあるものと同じだと気にしていたように思う。不老不死?まさか。そんなの御伽噺だ。仮にそんなものがいたとして、アルカナのイメージでは仙人のような姿だと思っていた。間違ったって、ピアキィのような暴君など想像できない。アルカナは乾いた笑いを浮かべた。
「ハ、ハ…アズラーノ様、だって、そんなおとぎばなしみたいなこと…」
「御伽噺なら、よかったんですけどねェ」
アンノは憂えるように頭をかいた。それから、不意に夜になっても美しい庭園を見て、アンノは尋ねた。
「アルカナ嬢、シェーロラスディ陛下って、何歳に見えます?」
よりにもよってこのタイミングで、あまり追究したくなかった話を出されるとは思っても見なかった。この話を出されれば、納得せざるをえないのは目に見えていた。しかし、アンノの厳しい声音から逃げることもかなわず、アルカナは観念した。
「……多く見積もっても、せいぜい三十に満たない、というあたりですね」
「ということは、アルカナ嬢も勘付いたところはあった、というわけだ」
アルカナの記憶違いでなければ、シェーロラスディ陛下は今年で御年51歳である。しかし、あの男はどう考えても三十代にすら見えない。ピアキィだって、二十歳を超えているにしては童顔だが、世界王陛下に関しては若作りにしても次元が違う。彼の若々しさは異常だ。それでも、不老不死といわれるよりは、まだ劇的な若作りなのだと言われたほうが納得できる。アルカナは頬に手を当てため息をついた。
「私、てっきり陛下は魔術であのお姿をとっておられるのかと…アズラーノ様のお話でなければ、笑い飛ばすしかありませんけど」
「対外的にはそういうことになってます。不老不死なんて言われて妙な輩に襲われちゃあ大変だ。といっても、そうやすやすとは死ねないんですが」
「…不老不死ということは、やっぱり、…不老不死なんです、よね」
上手い言葉が見つからずにアルカナは途方に暮れた。老いない、死なない。意味がよくわからなかった。本当に、そんなことがありえるのか?彼の言葉を信じたいと思うものの、あまりに突拍子すぎて頷くしかできなかった。実際に目の当たりにしなければ、きっと一生理解できないだろう。
アルカナの戸惑いを悟ったのだろう。アンノは無理することはないとばかりに微笑んだ。
「まァ、信じられなくても無理はありません。とりあえずそういうことにして、話を進めてもいいですか?」
「はあ」
まだ妙な話が続くのか、アルカナの目がチカチカした。
「不老不死一族というのはね、どこかオカシイ。人間の常識が通用しないといいますか、妙に『人を傷つける』ということに躊躇がない。なまじ自分達が死なないだけに、痛みや死に対して恐怖が薄いというわけで」
「ああ、それは」
確かに、ピアキィにはそんなところがある。ミュウに対する仕打ちもそうだし、すぐに「殺す」だのと物騒な台詞を吐く。アルカナは合点がいって頷いた。「不老不死」云々に関してはまだとても信じがたいが。
「本来は、閣下のような片親がフツーの人間のときは、ある程度まともな神経が備わるモンなんですけどねェ。あの母親…レイン様は、そこんとこ全く興味がないというか」
「レイン様というのは、ピアキィ様のお母様、ですよね」
王弟殿下と結婚した平民の女。確か王弟と仲違いして離縁し、奥方のほうはじきに病死したという話だ。王弟殿下は外交などで世界中飛び回り、ファナティライストにはほとんど帰ってこないとか。そして、ピアキィはアズラーノ家に引き取られたと聞いている。先日のピアキィの話では、母になんら感慨もない様子だったから、ひょっとすると親子関係のほうも芳しくなかったのかもしれない。
「最初はね、レイン様も、王弟殿下…ケルト殿下もよかったんですよ。見るも仲睦まじいご夫婦で、エファイン本家は平民の女だとこぞって反対したそうですが、ケルト殿下の溺愛ようときたらそりゃあ直視しがたいほどで。…ピアキィ閣下が生まれるまではね」
「どういうことですか?」
「エファイン家に限らず、不老不死一族は容姿もまた珍しくてね。エファインは緑の髪と瞳って特徴があるんですよ。レイン様もずいぶんご期待されてました。不老不死の子供を産めるだなんて栄誉なことだって」
アルカナは眉をひそめた。ピアキィはまばゆい金髪にみかん色の瞳。シェーロラスディ陛下のような緑はかけらも混ざっていない。それに、アンノの言い方にはどこか違和感を覚えた。
「ま、結果はご存知の通りです。ピアキィ閣下がケルト殿下にまるで似てないことで、レイン様の本性が出ちゃったんですねェ」
「本性、というと?」
「レイン様は確かにケルト殿下を愛していらっしゃったんですが、あの人が愛したのはどちらかというと殿下の身分だった。不老不死で王弟である殿下を手に入れて悦に入ってたんですよ。エファインの御子を産めば、自分もエファイン家の者として認められると思ったんでしょう」
「…ピアキィ様は、お母君が、神殿で我侭放題だったと」
「息子にそう言われちゃあ世話ありませんねェ!エエ、エエ。あの方は美人だったし、そこらの貴族なんかよりずっと気位が高かった。思い返してみれば、私も随分こき使われたものだ」
アルカナはアンノの口調に瞠目した。彼がこんな風に、誰かを軽蔑するさまを見るのは初めてだ。そもそも、彼の険しい表情自体が見慣れない。
「しかもあの女は、どうにかして自分も不老不死にしてくれないかとケルト殿下にねだったのですよ。フン、まったくばかばかしい!ケルト殿下がレイン様と種族が違うことに心底悩んでいたというのに、面の皮の厚い女だ」
「そ、それで、王弟殿下はどうなさったのですか?」
「もちろんレイン様に見切りをつけましたよ。当然の話だ。けれどその後がまずかった。ピアキィ閣下は母親似で、ケルト殿下はどうしたって閣下も愛すことができなかった」
「そんな!」
アルカナは愕然とした。
「だって、ピアキィ様は何も悪くないじゃないですか!」
「まァね。でも、気持ちはどうにもならない。だから私が閣下を引き取ったんですよ。あの方が八歳の頃かな。あの横暴な性格は矯正できませんでしたが」
アルカナは黙り込んだ。自分は両親に愛されて育ったし、姉とも仲が良かったから、当時のピアキィの思いを推し量ることはできない。でもきっと、あの閣下は堂々と生きていたのだろう。彼の縮こまった様子など、アルカナには想像が付かなかった。母にも父にも愛されない中で、しゃんと背筋をのばして神殿の廊下を歩いているさまが浮かんで、アルカナの胸が軋んだ。
「ますますわからなくなりました」
「なにが?」
「どうして、ピアキィ様は私なんかを妻にしたんでしょうか」
アルカナだって半分平民のようなものだ。アルカナも彼の母のようになる可能性を、ピアキィは考えなかったのだろうか。
するとアンノは視線を泳がせた。
「アー…多分聞かないほうがいいとおもいますよ?」
「ピアキィ様が私に恋愛感情を抱いて結婚したわけじゃないことくらいは分かってます」
むっつりと返したアルカナに、アンノは目を見開いた。
「いや、そういう意味ではなく。私もどうしてアルカナ嬢なのかは知りませんがね。体外的な理由では、不老不死について何も知らず、権力に興味がなく、閣下のほうが婿入りする必要のない女がいいとか」
「そういえば、似たような話は顔合わせのときに聞きましたけど」
「閣下はシェロ様の腹心の部下ですし、あの顔ですから、お嬢さん方からも良家からも憧れの的です。一方で閣下は、母親のこともあって自分に媚売る女はとにかく嫌い。というわけで、下級貴族っていうのは最初から候補にあったんですよ。そこでアルカナ嬢を選んだのは閣下の裁量なので私に理由はわかりませんが」
アンノはなにやらニヤニヤしている。アルカナは、ピアキィが不老不死だといわれた時以上に、彼の言葉が信用ならなかった。ピアキィが「自分に媚売る女は嫌い」だって?そんな馬鹿な。最近はすっかりなりを潜めているが、アルカナはピアキィが女遊びの激しい人間だということを忘れたわけではなかった。今だって、仕事と言っておいて他の女とよろしくやっているのかも。今日の花も白くなかった。ピアキィは嘘をつく男ではないが、かといって誠実な男だとはこれっぽっちも信じていなかった。
まるで愉快な反応もないアルカナに、打てば響くと期待していたらしいアンノは興が殺がれたようだ。ひとつ溜息をつく。
「とにかくも、アルカナ嬢には閣下のことを知っておいてほしかったんでね。女官たちにあることないこと吹き込まれちゃ閣下がかわいそうだ」
「ピアキィ様がそんな瑣末を気にするとも思えませんけど」
「いやいや」
アンノがにっこりして言った台詞に、アルカナはこれから先、アンノの言はあまり真に受けないようにしようと心に決めた。
「だって、アルカナ嬢は閣下の愛する奥様ですから」
もともと不老不死の血は強いので、順当にいけば閣下は緑の髪に瞳になるはずなんですが、ピア様は突然変異で母親の色を受け継いでいます。そのうちレイン嬢の話もどっかで書きたい。