act.8 ライバルは三歳児
翌日、蒼白な評定で部屋にやってきたミュウに、アルカナは首をかしげた。昨日彼女が忘れていった包みを持って、「ミュウさん、忘れ物ですよ」と差し出すと、彼女はひったくるように包みを抱えた。
アルカナは眉尻を下げた。
「ミュウさん、どこかお具合が悪いのですか?顔色がよくありません」
「大丈夫よ」
「お医者様をお呼びしたほうが…」
「大丈夫だってば!」
少々きつい口調で言い、ミュウは青い花を生ける作業に戻った。アルカナはそれ以上追及することもできず、何か気がまぎれる話題を提供しようと頭をひねった。
「…あ、そうだ。今日から私、部屋から出てもいいんですよね。私、何をすればいいんでしょう?」
「アンタにもうちょっと頭が足りてたら夫の執務の手伝いもできたでしょうけど?」
ミュウの痛烈な嫌味に、アルカナはたじろいだ。唇を尖らせて、「でも、政治のむずかしいお話に女が口を出すなんて…」と口ごもるアルカナに、ようやっとミュウも口端を上げた。緊張もほぐれたらしい、彼女の口調が幾分かやさしくなった。
「昼になったらアズラーノ卿がご息女をお連れになるそうよ。アズラーノ卿の奥様はお体が弱くていらっしゃるから、お子様の世話もままならないのですって」
「それで、私がご息女のお世話を?」
「そういうことになるわね」
そうしてミュウはまた憂鬱そうにため息をついた。一方でアルカナは少し心が浮き足立った。
「それなら任せてください!私、子供って大好きなんです」
「…ねえアンタ、"不老不死"って信じる?」
「その子はどういう…え?不老不死?」
いきなり話題がすりかわって、アルカナは話をしながらてきぱきと髪を結う手を止めた。きょとんとして振り返ると、ミュウは相変わらず心ここにあらずだ。アルカナは目を瞬いた。
「不老不死って、御伽噺にあるやつですよね?双子神が死ぬとき、ふたりの魂がよっつに引き裂かれて、それぞれよっつの不老不死の一族を作ったっていう」
「…御伽噺……そう、よね。御伽噺」
「あ、そういえば、世界王陛下の家系、エファイン家、でしたっけ?その一族のひとつと同じ名前ですね。エファイン、ソリティエ、シエルテミナ、ノルッセルって名前だったと思いますけど。このお話が由来にでもなってるんでしょうか」
ミュウは答えなかった。一体どうしたのだろう。アルカナはかんざしを髪にはめ込んで彼女に向き直った。
「ミュウさん、本当に大丈夫ですか?その不老不死がどうかしたんですか?」
「……なんでもないわ」
あくまで頑ななミュウにアルカナは口をつぐんだ。それから、この世界に伝わるいくつかの御伽噺を思い出す。
この国では、御伽噺のキーワードには「不老不死」というのが定石だった。例えば、先の双子神の話もそう。それと、世界の危機に現れるという「赤の巫子」とかいう救世主の物語も、確かその救世主が不老不死という設定だった。…要するに、幽霊だとか死神だとか天使とかいう存在と一緒だ。信じている人は信じている。そんな不確かであいまいな存在。
ひょっとしてミュウも不老不死を信じていたのだろうか。ともすれば悪いことをした。不用意に「御伽噺」だなんて言ったから傷つけたかもしれない。謝ったほうがいいかと口を開いたところで、
「ファレイア!ちょっと待ちなさい!フィーちゃん、駄目だよ!」
今までに聞いたなかでもワントーン高いアンノの声が聞こえたと思った直後、けたたましい音を立てて部屋の扉が開いた。気まずい空気も吹き飛ばし、目を丸くしてアルカナとミュウが注目した先には、ほんの小さな女の子がずんと仁王立ちしていた。
「アルカナっていうののへやは、ここかしら!」
ふんぞり返った女の子はキンキン声で言った。アルカナはぽかんとした。
「は、はい…ここですが」
「ふーん」
女の子はズンズンとアルカナの足元まで来ると、大仰に腕組みをして、じろじろアルカナを舐めるように見た。3、4歳くらいだろうか。かわいらしいお洋服に身を包んでいるのを見るに、どこかいいところの息女なのは確かだ。アルカナはピンときた。彼女がアンノの娘に違いない。昼と言いつつ今はまだ朝だが、予定が早まったのだろうか。アルカナはにっこりして女の子と目線を合わせた。
「あなたがアズラーノ様の娘さん?」
「そーよ!アンタがピアさまのおよめさんね!」
「ええ」
ピア様?可愛い渾名だ。あの最低男からは想像もつかない。内心でほくそ笑んでいると、女の子はハッと鼻で笑った。明らかな嘲り笑い。アルカナは目を見開いた。
「なーんだ!たいしたことないじゃない!」
「……うん?」
女の子は居丈高に胸を張ると、ピアキィそっくりの不敵な笑みでアルカナを見た。一体この子は何を言ったのだろう?自分の聞き間違いだろうか。アルカナが気を取り直して口を開くと、女の子は実に偉そうに続けた。
「アンタみたいなブサイクなんかより、フィーのほうがずっと、ずーっと、ピアさまにふさわしいの!フィー、おっきくなったらピアさまのおよめさんになるんだもの!」
「……ええ?」
開口一番がライバル宣言、いやそればかりか、かなり失礼なことを並べ立てられた。アルカナは二の句も継げない。怒るどころか呆れることも笑うこともできず、ただただこの小さな女の子に口をあんぐり開けていると、開け放した扉のむこうから、アンノがひょっこり顔を出した。
「アアァ…駄目だよフィー、アルカナ嬢にご迷惑をかけては」
「パパ!」
女の子がくるりと振り返った。やはり、彼女はアンノの娘ということで間違いないらしい。よく見ると、目元のあたりがアンノそっくりだった。彼女は父親に飛びつくなり、アルカナを遠慮なく指差した。
「パパァ、パパァ、フィーをピアさまのおよめさんにしてくれるんでしょ?なんであんなのがおよめさんなの?ねえパパ、フィーも、フィーもピアさまのおよめさんになりたいー!」
「ごめんなフィーちゃん。フィーはピア様のお嫁さんにはなれないんだよー…すいませんねェ、アルカナ嬢。うちの娘がご迷惑をかけて」
「い、いえ…では、そちらが?」
「ハイ。娘のファレイアです。もうすぐ四歳になるんですが、まァちょっとばかし失礼なコト言っても大目に見てやってくださいね」
「はあ」
それにしたって、いくら三歳児と言えども初対面の女性に「ブサイク」はないだろうと思いつつ、アルカナはポーカーフェイスを気取って笑みを崩さなかった。ミュウは何も言わずにじっとファレイアを見つめている。苦々しい顔なのは、ピアキィと似たような表情を浮かべるこの女の子が気に食わないからだろうか。
気を取り直して、アルカナはファレイアに言った。
「はじめまして、アルカナといいます。えっと…フィーでいいかしら」
「だめよ!」
ファレイアは勝ち誇ったように言った。
「フィーのことフィーって呼んでいいのはね、パパとママとピアさまだけなんだから!」
「そう、じゃあ」
「アルカナはフィーのこと、"ファレイアさま"って呼びなさい!」
とんだ女王様だ。アンノはさすがに見咎めて声を荒げようとしたが、アルカナは別段気にしなかった。自分が小さい頃も、トリノに似たようなわがままを言ったものだ。懐かしくなってアルカナは目を細めた。
「そうですか。じゃあファレイア様とお呼びしますね」
「そーよ!」
「ああ…すいませんねェ、アルカナ嬢」
「いえ、お気になさらないでください。アズラーノ様がお帰りになるまでお世話させていただけばいいのですか?」
「はい。本当は昼食ってからの出勤だったんですが、この子がはやく閣下の嫁に会わせろと聞かないモンで」
「へえ」
このお嬢様は、ピアキィに首っ丈のようだ。あの最悪が人の姿をして歩いているような男も、案外子供には優しいのだろうか。だとすれば随分と笑える話である。アルカナは愛想良く返した。
「どうせすることもないですし、大丈夫です。ファレイア様、お預かりいたしますね」
「よろしくお願いします。定時には迎えにくるんで。フィーちゃん、いい子でいるんだよ?」
「はーい!」
元気のいい返事だ。アンノも満足したのか、ひとつ大きく頷くと部屋を出て行った。残されたアルカナは、じっとこちらを見上げるファレイアを見下ろした。どうにも視線が痛い。
アルカナは努めて笑顔を取り繕った。
「さあ、ファレイア様。何をして遊びましょうか?」
「えーっと、えーっと、おままごと!」
アルカナはおやと目を瞬いた。アルカナに対して敵意満々だから、ひょっとして何かにつけて文句のひとつでも言われるかと思っていたが、存外素直な返事である。しかも、随分と可愛らしい遊びだ。アルカナは小さい頃は大概トリノを馬にして遊んだものだった。
なんだかんだ言っても三歳児よね、ほほえましい。アルカナは頷いた。
「いいですね。ファレイア様はなにをやりたいの?」
「おひめさま!アンタはフィーの"げぼく"ね!」
「……」
下僕なんて難しいことば、よく知ってるわね。全く関係のない台詞が飛び出しそうになって、アルカナは口を閉ざした。思わずミュウを見ると、笑いを必死になってかみ殺しながら悶えている。よほど三歳児にしてやられるアルカナが痛快らしい。盛大にため息をついた。
アルカナの思いなど知ってか知らずか…おそらく知る由もないだろう…ファレイアは楽しそうに続けた。
「でね、でね、そこのオバサンはフィーをいじめるわるい魔女ね!」
「おば…っ!?」
ファレイアの中ではミュウも配役に名を連ねているらしい。アルカナは苦笑した。ミュウは笑みもいずこかへ吹き飛ばして怒り狂っている。
「それでー、ピアさまがフィーをたすけてくれる王子さま!」
「え?」
アルカナは慌てた。
「だ、駄目ですよファレイア様。ピアキィ様はお仕事でお忙しいのですから、おままごとはできません」
「なんで?」
ファレイアの顔は至極無邪気だった。
「ピアさまはいっつも、おしごとよりフィーのことだいじにしてくれたもん!」
「で、でも…」
これがせめて、相手がアンノあたりならアルカナでも対処のしようがあったが、ピアキィではまずい。アルカナもミュウも、先日の一件のショックからだってまだ立ち直りきってはいないのだ。仕事のこともそうだが、まずこんな子供の戯言を聞いて、あのピアキィがどんな暴挙に出るか。
煮え切らない返事のアルカナに痺れを切らしたのか、ファレイアの表情の雲行きが怪しくなってきた。口元がしわしわになって、涙をこらえ始める。アルカナははっとした。
「ファレイア様、」
「うわああああん!!やだ、やだやだやだああっ!!フィー、ピアさまとあそぶー!」
堰を切ったようにファレイアが泣き出した。よほどピアキィは彼女に気に入られているらしい。どうしたものかとオロオロしていると、扉がキィと音を立てて開いた。ファレイアは泣き止まない。ミュウがぎくりと肩をこわばらせた。アルカナは息を呑んで、反射的にファレイアを抱き寄せていた。
金髪の暴君は、みかん色の瞳を眠たげにこすれながら、ふらりと部屋に入ってきた。随分とお疲れらしい。ファレイアがピアキィの姿に気づいて、ピタリと涙を止めた。
「ピアさま!」
「あ?」
ピアキィはそこでようやくファレイアの姿に気づいたようだ。ぼんやりしたまま問いかけてくる。
「……アー…なんでもういるんだよ」
「ピアさま、ピアさま、フィーに会いにきてくれたの?」
「めんどくさ…」
アルカナは青ざめた。彼のこの調子では、明らかにファレイアを疎んじている。子供好きとは思えない!とっさに立ち上がって、アルカナはファレイアを庇うように立った。
「お疲れ様です、閣下」
「ん…」
「お休みになられますか?申し訳ありません、騒がしくて…」
ピアキィはアルカナと、自分の足元に纏わりつくファレイアを見比べた。そして薄っすらと微笑む。この笑顔に騙されてはいけない、アルカナは気張った。
「なに?心配しなくてもこのガキを蹴り飛ばしたりはしないから安心しろよ」
「え?」アルカナは拍子抜けした。
「アンノの娘に手出ししたら、俺の後ろ盾がなくなるだろ」
アルカナは絶句した。やはり最低男は最低だった。要するにアンノの娘でさえなければ手出しもいとわないということか。
ものも言えないアルカナにはお構いなしに、彼は嫌悪感むき出しでファレイアを見下ろしている。ピアキィのこういう表情も珍しい。ミュウを蹴りつけた時ですら、底知れぬ微笑みをたたえていたこの男が。
「あーあ、昼までアルカナを枕に寝倒す予定だったのに」
「な!」アルカナが真っ赤になって狼狽した。ピアキィは気にも留めない。
「ま、いいか。コイツは女官に押し付ければ。さ、おいでアルカナ」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
無理だ。いや、夫婦になったら、寝所を共にするのは当然かもしれない。だが、結婚してから同じベッドで眠ったためしなど無いし(そもそも彼がこの部屋にいるのを見ることさえ結婚式の後に倒れて以来だ)、この平凡もいいところのアルカナが、絶世の美青年であるピアキィと夫婦になったところからしてすでにおかしいのだ。アルカナは赤面したままぶんぶんと首を横に振った。
「だっ、大体、今日の花は白くないじゃないですか」
苦し紛れに言ってやると、ピアキィはちらりと花瓶の中身を見て口端を上げた。アルカナの腕をぐいと引いて囁くように甘く言う。
「嫉妬した?安心しろよ、今日の恋人は女じゃなくて仕事だから」
「し、し、嫉妬なんて!」
「ピアさま!」
悲鳴を上げんばかりに抗議の声を漏らすアルカナは、しかし容赦なく足を踏んづけられて悶絶した。アルカナへの敵対心をメラメラ燃やして、ファレイアがピアキィの脚に抱きついた。この三歳児ときたら、この暴力王子に対して怖いもの知らずな。きっと将来は大物になるだろう。
「ねえねえピアさま、フィーといっしょにおままごとしよう?あのね、フィーがおひめさまでね、ピアさまがおうじさま!アルカナはフィーのげぼく!」
「へえ?」
いつファレイアがピアキィに蹴られるかとひやひやしていると、意外にも彼は興味を示した。器用に片眉を上げてファレイアを見下ろした。
「そりゃいいな」
「でしょ?でしょ?ねえピアさま、でね…」
「だけど残念なことに、俺にはもう心に決めたお姫様がいるんだ」
これにはファレイアだけでなく、アルカナもミュウも目を丸くした。ピアキィはにやりと笑うと、ファレイアを引っぺがしてアルカナを抱き上げた。突然視界がぐるりと回って、アルカナは思わずピアキィの首にしがみつく。端正な顔が眼前に広がって、アルカナはぎくりとした。
ピアキィは白々しくも満面の笑みを浮かべた。
「フィー、俺はこの下僕と一緒にベッドに行くから、そこの女官とおとなしく遊んでろよ。寝室の扉を開けたらオシオキするからな」
「ちょ、ちょ、ピアキィ様!?」
問答無用でアルカナを連れて寝室へ去っていくピアキィと、呆然としてその場に立ち竦むファレイアの図を一歩下がったところで見守っていたミュウは、ひとつため息をついた。
「…とんだ三角関係もあったものね」
とにかくも、一拍あとにまた泣き出すであろうファレイアをどうしたものか。貧乏くじを引かされたミュウは心の中で号泣した。
三歳児がどの程度の言語能力を持つのか調査していないので、ファレイアの語彙が達者すぎるかもしれません。あくまで物語としてお楽しみくだされば幸いです。