私、虫しか殺せない魔術師なんですけど
よろしくお願いします。
イーリス・ダルマンは国立魔術師団に勤めている。花も恥らい行き遅れと呼ばれるまでのカウントダウンに入りかけた二十歳。
攻撃魔術、下の下。
治癒魔術、素養なし。
防御魔術、才能なし
生活魔術、一部特化。
落ちこぼれ、と呼ばれても仕方ない程度の実力でなんとか魔術師団に齧りついている状態だ。得意なのは生活魔術の延長と言われる『殺虫魔術』だが、これだって自分があまりにも虫が嫌いすぎて特化したに過ぎない。だめ、虫、本当に、だめ。きもちわるい。
そんなイーリスに与えられる依頼といえば、食料庫に蝿が湧いたとか、池の淵でヤブ蚊が大量発生しただとか、高貴な方のお邸に出た黒くて光るアレの退治とか……大っ嫌いすぎて開発したはずの殺虫魔術を使った害虫駆除ばかり。どうしてこうなった。
魔術式を教えるから誰か他の人も、と上司に縋り付いても誰も取り合ってくれず。そりゃあ誰だってわざわざ虫担当にはなりたくないだろう。そっと目をそらす同僚たちはきっと血も涙もないんだ。ひどい。
そんなイーリスに何故か生活魔術部門長も魔術師団長もすっ飛ばしての登城命令が出た。イーリスがいるのは国立魔術師団で、王城にあるのは王宮魔術師団。選ばれしエリートしかいない王城へ、何故落ちこぼれ扱いの自分が……と考えても理由なんかひとつしか思い浮かばない。
ついに王城での害虫駆除か……それこそ爵位のある方々が覚えて行ってくれたら末端男爵家程度のイーリスには回ってこないであろう依頼なのに……あぁ行きたくない……虫も嫌だが王城だなんてデビュタント以来行ったこともないのに……
結論から言えばイーリスには『王家直属魔術師団員に任命する』というとんでもない辞令が出た。それも王命である。
何を言ってるんだろうか。虫退治しか出来ないのに?エリートしかいない王宮魔術師団の中でも精鋭揃いの王家直属?いやいやいや、意味分からないって。ははは、御冗談を……え、冗談でもなんでもない……?なんでぇぇぇぇ?!
それからは国立魔術師団も実家も大騒ぎである。なんせ落ちこぼれ扱いだった男爵令嬢が突然の王家直属への大抜擢だ。裏があるのではないか、実はダルマン家は王家と繋がりがあるのか、なんでうちの虫が嫌いなだけの娘がそんなことに?!とあちらもこちらも困惑・疑惑のオンパレード。
疑惑の目を向けられても困る。なんせイーリス自身が何故なのかがわからないのだから。
とりあえずすぐに移動とはいかない。せめて誰かに殺虫魔術を引き継いでもらわねば。これでもそこそこ依頼はあるのだ。イーリスひとりが抜けたから、はい、今後はできません、というわけにいかないくらいには。
生活魔術部門の面々は嫌な顔をしながら渋々試してくれたもののあまりうまくできそうにない。どうやら下の下の才ではあるがイーリスに攻撃魔術適正があったから発動できたものらしい。
……と、いうことは、だ。少なからず攻撃魔術適正を持つ人でなければいけない。しかも時間は限られている。下がりすぎてもうこれ以上は無理というくらいに眉を下げて部門長達も巻き込んだ結果、攻撃魔術部門からイーリスの同期が一人選ばれた。
子爵家の令息で……正直ちょっと苦手な相手。上の者にはヘコヘコするくせに一度下に見た相手には高圧的かつ小馬鹿にした態度でネチネチネチネチとどうっっっでもいい話を延々繰り返してくるタイプだ。あの人に教えるの……?というかあの人が害虫駆除、するの……?蝿もヤブ蚊もアレも?
「何故僕がこんな低俗な魔術を覚えなければいけない……!」
「大変申し訳なく…あ、そこの術式違います。そのままでは作動しません」
「うるさい!なんで…なんでお前みたいな落ちこぼれが王家直属に……ありえない……」
ぶつぶつねちねち言いながらも王命に関わる故に逆らうこともできずに殺虫魔術を覚える彼には本当に申し訳ない。申し訳ない気持ちはあるが今までのことを考えると少しだけざまぁ。いや、これから自分が放り込まれる所を考えるとそんなことも言ってられないのだが。
そうしてなんとか彼の殺虫魔術が形になったところで、最早殺意と呼んでもおかしくない彼の視線に送られてイーリスは王宮へと移動することになった。
結局何もわからないままに王家直属魔術師団に迎えられたイーリスに、王家直属魔術師団長からされた説明は本人も知らぬことだった。
「先日港にある商家の倉庫の害虫駆除をしたね?」
「……はい。たしか鼠の駆除をしたら蝿が湧くようになったとかで……恐らく死骸から発生したのかと」
「そう、それだ。その時に依頼主から強めに魔術をかけてくれないかと言われた?」
「はい、倉庫が広かったのと発生箇所がわからないので強めにかけてほしいと言われたので通常よりも強くかけました」
「その結果、倉庫内に入り込んでいた盗人が捕まった」
「え?」
「本来君の殺虫魔術では人どころか小動物も害せないはずだった。しかし強くかけたことで人体にもその影響が出た」
ざっと血の気が引くのがわかる。今まで虫は駆除できても鼠すら無理だった。なのに人に……?
「ま、まさか……死……!」
「いや、命に別状はない。だが酷い目眩に耳鳴り、それに嘔吐といった症状でふらふらの状態で発見された」
「そんな……」
「盗人が捕まった時に騎士団の尋問で『何か魔術が展開されたと思ったら急に具合が悪くなって隠れてることができなくなった』と」
口元を覆う指先が震える。攻撃魔術すら人に向けて撃ったこともないのに、自分の魔術が人を傷つけることになるなんて。
「この件は口外するなと厳令を出した上で騎士団長経由で国立魔術師団長にのみ通達された。そこから私のところに話が上がってきてね」
「わた、私、そんな、人を害するつもりなんて……」
「うん、わかってるよ、イーリス。通常よりも出力を上げるのはあの場が初めてだった。そのための術式もあの場で構築し直した。それが効きすぎた、ということだね」
「……はい、試す前にそのまま使ってしまったせいです……」
「そう、それはいけないことだった。そこは反省してほしい」
「も、もちろんです!普段なら試作をそのまま使ったりしません!」
「それならいい。今後君が身を置くのは更に安全性に気を配らなければいけない場所だということは重々承知してくれ」
「はい……申し訳ありませんでした……」
震える指先も声も、じわりと滲む涙も、全部自分が驕ったせいだ。覚えていられないくらいに使ってきた魔術だから、少し威力を上げるだけだから、元が虫程度にしか効かないのだからと、問題ないと試作もせずに展開したせい。もしこれで捕まった人が死にでもしていたら……考えるだけで背筋が凍る。
「……思い悩む君には申し訳ないと思う。だが、それこそが王家直属魔術師として迎えるきっかけになったんだ」
「この件が、ですか?」
「あぁ。如何に平和な世の中でもね、貴い方は少なからず御身を狙われることがある」
「……っ」
「毒や薬には専門の者が居る。傍らには騎士も控えている。それでも防げないこともある。例えば室内や天井裏に潜んだ者、とかね」
「で、でも、それでは、侵入者以外にも」
「……それは大丈夫。これは秘中の秘だけど、王家の方々は何かあった時のために攻撃魔術無効化の魔道具をお持ちだから」
どこに付けてるかは内緒だよ、と人差し指を口に当てて微笑む師団長。とんでもないことをさらっと言わないでほしい。どこに付けてるかどころか攻撃魔術無効化なんて聞いたこともない。確かに殺虫魔術には攻撃魔術が含まれているけども。凍った背筋が汗で滝。
「つまり、イーリスには移動先の部屋に『強めの害虫駆除』をしてほしい。君が害虫駆除をした後で騎士に確認させれば確実だろう」
「害虫駆除……」
「そう、害虫。王族の入る部屋に虫がいては、ね」
「虫…ですか……」
「うん、虫。強めにかければネズミがいても対応できるし」
「ねずみ……」
「害虫もネズミも駆除できるなんて頼りになるなぁ」
なんとも晴れやかに言わないでほしい。こちらはもう頭がパーンと弾けそうだ。こんな、家族にすら何も言えないような任務に就くなんて、蝿退治してた時には考えもしなかった。本当は今も私はどこかの倉庫で虫退治しててこれは全部夢では……?むしろ夢であってほしい。
頭はぐるぐるして考えも何もまとまらないし、かと言ってここまで来て無理ですもまかり通らない。なんせ王命。腹をくくるしかないとはこの事か。
「が、がんばります……」
なんとか絞り出せたのは震えた小さい言葉だけだった。
それから三ヶ月、イーリスは王家直属魔術師としてなんとか日々を過ごしている。私室や視察先、会談場や謁見の場などで使用人などに全員部屋を出てもらって殺虫魔術を展開させる。その後に騎士に室内を確認してもらい、王族の到着を待つ。今までに『害虫』『ネズミ』が出たのは二度。それがどこから来た『ネズミ』かまではイーリスは知らない。噂では隣国の高位貴族の紋が出たとか出ないとか……
しかし今はイーリス以外にも殺虫魔術を展開できる者が増えたので、イーリスだけの負担ではないのがありがたい。王宮魔術師団の面々は馬鹿にもせずにこんな魔術もあるんだね、こんな使い方ができるとはね、と若干楽しそうに殺虫魔術を試してくれたのだ。
国立にいた時もこうやって分担できてたらよかったのに、と思わずにいられないのは仕方がない話ではある。そういえば彼は無事に害虫駆除をしているのだろうか……
「慣れてきた頃が一番危ないってわかってたのに!!」
そして今朝、イーリスは豪快に寝坊した。王家直属に移動してから寮生活になったイーリス。ずっと張り詰めていた気が緩んだのだろう。始業まであと僅か。寮から魔術師団まではイーリスの足でも走れば五分でいける……いけるはず。最低限の身支度だけ整えて、午前を乗り切れば昼に細かいところは手直しすれば大丈夫だろう。今日は午前中に害虫駆除はなかったはずだし。
とにかく早く出なければ!と部屋の扉を開けた瞬間に一匹の蝶だか蛾だかが部屋に飛び込んだのが見えた。こんな時に!と思いながらも今は虫よりも遅刻の危機のほうが優先だ。帰ったら殺虫魔術をかければいい!イーリスは決して早くはない足で最高速で駆け出す。遅刻はギリギリしなかった。
朝の全力疾走で一日の体力の半分を使ったが、他は何事もなく一日を終えて寮の部屋へと戻ったイーリスは朝のことを思い出した。何処にいるかわからないし、扉を開けて目の前に……なんて考えただけで悲鳴が出そう。なので扉の隙間から殺虫魔術を展開した。ここ最近の任務の勢いで『強めの殺虫魔術』を。
クローゼットの中で、ガタンと何かが倒れる音がした。
何とは言いませんが殺虫剤取りに行ってる間に見失ったんですよね…




