光の教室 3
5時間目の授業は体育でした。
じつはその授業中に、ちょっとした事件がおきたのです。
事件は100メートル走のときにおきました。
「よーい、スタート!」
ホイッスルの音と同時に、わたしはからだをまえにたおして走り出しました。
そして1位でゴール。タイムは12秒1.3です。
「あーりん、すごっ。めっちゃ足速いじゃん」
おどろきながらも、ハルカさんはわたしの足の速さを我がことのようによろこんでくれました。
「アリナちゃん、陸上部に入りなよ」
「女子サッカー部でもいいんじゃない。あの速さならレギュラーまちがいなしだよ」
みんながほめてくれるのがうれしくて、わたしは照れ笑いを隠すのに必死でした。
でも、このタイム。じつはかなり力を抜いて出した記録なんです。
だって本気で走って、うっかり世界記録を更新しちゃったら、大変なことになっちゃいますもんね。
つぎの組の準備ができたときです。
「タクミ、だいじょうぶか」
男子グループのほうから叫び声が聞こえました。
見ると、スタートラインでタクミくんがたおれています。
「タクミがたおれてる!」
だれかの声で、わたしたちはみんな事件現場へ走りました。
「おい、タクミ、しっかりしろ」
野球部の赤星くんが、たおれたタクミくんに声をかけます。
「タクミ、だいじょうぶか」
「ああ……だいじょうぶだ」
タクミくんがよろよろと立ちあがります。くちびるはむらさき色で、ひざもガクガクふるえています。とても、だいじょうぶなようには見えません。
「はは、きのう、夜遅くまでミーチューブ見てたせいかな」
タクミくんは周囲を心配させまいと、ムリに笑いました。
「わりぃ、おれ、ちょっと保健室に行ってくる」
「わかった。おれも一緒に行くよ」
タクミくんは赤星くんに肩を貸してもらって、保健室に行きました。
「タクミ、だいじょうぶかな?」
「そういえばバスケのときも、ちょっとしんどそうだったっけ」
男子生徒だけでなく、あつまった女子生徒も心配そうにタクミくんを見送ります。
体育の授業がおわっても、タクミくんは教室にもどってきませんでした。
大土先生の話によると体調不良のため、そのまま家に帰ったそうです。
「まだまだ暑い日がつづくんだ。みんなもこまめに水分を補給して、熱中症には気をつけるんだぞ」
帰りのホームルームで、大土先生がそう注意しました。
「いまから放課後面談の日程が書かれたプリントをくばる。各自、自分の順番と時間を確認しておくように」
「大土先生、放課後面談ってなんですか?」
「そういえば日向にはまだ放課後面談のことを話してなかったな。黒中には、授業がおわったあとに教師と生徒が1対1で悩みや進路について話す、放課後面談っていう行事があるんだ」
大土先生がプリントをかかげます。
「夏休みのあいだ、みんなにもいろいろなことがあったと思う。勉強でも部活のことでもなんでもいい。もし悩んでいることがあったら、どんなことでもいいから、おれに相談してほしい。なぜなら1組は――」
「みんなが、まるっと大家族でしょー」
ハルカさんが、おどけた声でいいます。
「オッチー、わたし、お小遣いもっとほしいんだけど、どうしたらいいー?」
「勉強をしっかりして、ご両親のいうことをちゃんと聞けば増えるかもしれないぞ。さあ、きょうのホームルームはこれでおしまいだ。みんな、あしたも元気に学校へこいよ」
放課後になると、わたしはハルカさんと一緒に部活動の見学に行きました。
そうだ。せっかくなので、わたしが見学した部活を少し紹介しておきますね。
【テニス部】
テニス部は男子と女子にわかれていて、女子は運動場のとなりにある専用のテニスコートでラリーの練習。男子は筋トレをしていました。
【女子サッカー部】
顧問の先生の指導のもと、部員みんなが一生懸命にパスやヘディングの練習にとりくんでいました。
【ラーメン研究会】
その名のとおり、ラーメンを食べたりつくったりする部活です。わたしが見学したときは部員たちが熱心に新メニューを考えていました。
「つぎはバスケ部を見よっか」
ハルカさんにつれられて、わたしは体育館へ行きました。
わたしたちが見学にきたとき、女子バスケ部がコートでミニゲームをしていました。
バスケのゲームは攻守の入れ替わりがはげしく、たった数十秒のあいだに何度もシュートが打たれ、両チームの得点がどんどんふえていきます。その展開のはやさに、いつのまにか、わたしもハルカさんも夢中になって、ゲームを観戦していました。
ミニゲームがおわり、部員たちが休憩に入ったときです。
「どうだ、日向もやってみないか」
ふりむくと、いつのまにか大土先生が、うでをくんで立っていました。
「うわぁ! 大土先生、いつからそこに?」
「ついさっきだよ。男子のランニングがおわって帰ってきたところなんだ」
「あ、もしかして大土先生って、男子バスケの顧問なんですか」
「ああ、こどものときから、ずっとバスケをやっててな。一時は本気でプロをめざしたこともあったんだぞ」
大土先生は、転がっていたバスケットボールをひろうと、それを10メートルもはなれたゴールにむかってシュートしました。
「オッチー、すごーい」
ボールがゴールの枠に入ると、ハルカさんが拍手で称えます。
「どうだ、日向もやってみないか」
大土先生がもうひとつボールをひろって、わたしに投げました。
――あれ?
ボールに触れたときです。
あきらかにボールの質感とはちがう、ネバネバとした粘り気のようなものを手のひらに感じました。
「もし日向がフリースローを成功させたら……そうだな、おれが自腹で1組のみんなにプリンを買って、あしたの給食で出そう」
「マジで!」
ハルカさんが叫びました。
「オッチー、それウソじゃないよね?」
「ウソなもんか。職員免許に誓ってもいいぞ」
「あーりん、やろ。いますぐやろ」
ハルカさんが、わたしをグイグイとコートのほうにおします。
こうしてわたしは強引すぎるかたちで、生まれてはじめてのフリースローを経験することになったのです。
フリースローラインからゴールまでの距離は約4.2メートル。
力の加減とボールの軌道を計算して、わたしはシュートを打ちました。
ふわっと虹のようなカーブを描いて飛んでゆくボール。
結果は――。
「ドンマイ、あーりん」
シュートをはずしたわたしを、ハルカさんがねぎらいます。
ボールはゴールの枠にあたってはねかえり、フリースローは失敗におわりました。
「あーりん、そんなに落ちこむことないって。ほら、プリンなんていつでも自分で買えるんだし」
口をつぐんだわたしが落ちこんでいるように見えたのでしょう。
ハルカさんが、わざとらしいほどのあかるさで声をかけてくれました。
でも、わたしが無口になったのは、フリースローに失敗したからではありません。
シュートを打ったあとも、あのネバネバとした粘り気が、手のひらにのこっていたからです。
そっと手のひらを見ると、まるで巣をつくるかのように、細長いクモの糸がついていました。
みなさんはクモの糸を触ったことがありますか?
クモの糸って、細くてすぐにちぎれそうですけど、じつはとっても強くて、しかもよく伸び、おまけにネバネバ。だから取り払うのに、けっこう苦労するんです。
事件の調査などで古い建物に入ると、かならずといっていいほど顔や髪にクモの巣がくっつくんですよね。
それを手ではらう経験を何度もしてきたので、わたしは手のひらについた糸がクモの糸だと気づけたのです。
――でも、どうしてバスケットボールにクモの糸が……。
はじめに粘り気を感じたのは、大土先生が投げたバスケットボールをキャッチしたときです。
つまり、クモの糸は最初バスケットボールについていて、わたしがキャッチしたときに手のひらについたというわけです。
「日向、惜しかったな」
大土先生がコートに入ってきます。
「ん、どうした? もしかして手がいたいのか?」
「いえ、だいじょうぶです」
とっさにそうこたえると、わたしは両手をスカートにおしつけて、手のひらを隠しました。
いまにして思えば、あれはわたしの悪魔としての本能が、危険を察知していたのかもしれません。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。




