光の教室 1
それから2週間以上たった9月4日。
その日、わたしは学生服を着て、黒霧中学校の1年1組にいました。
「きょうから、このクラスの一員になる日向アリナさんだ。みんな、仲よくしてあげるんだぞ」
今年で26歳になる大土ヨシノブ先生が、生徒の顔を見まわします。
「日向、みんなに自己紹介を」
「転校生の日向アリナです。よろしくお願いします」
わたしがおじぎをすると、みんなが拍手で迎えてくれました。
転校生というのはウソですし、日向アリナというのも、もちろんウソの名前です。
黒中の生徒と悪魔が入れ替わるというウワサの真相を調べるには、実際に学校を調べるのがいちばん。
そう考えたわたしは、先生に許可をもらって、転校生・日向アリナとして黒中に〝潜入〟することにしたのです。
「見てのとおり、日向の目や髪の色はみんなとちがう。けど、そんなことで日向をいじめたり、仲間はずれには絶対にしないでほしい」
「そんなこと、おれらがするわけないじゃん、オッチー」
「てか、むしろうらやましいぐらいだわー」
そんな声があちこちから聞こえます。
「わかっているならそれでいいんだ。日向、はじめてでいろいろと不安なこともあるだろうが、そんなときはおれやクラスのみんなに遠慮なく相談するんだぞ。なんせこのクラスは――」
「みんなが、まるっと大家族でしょー」
男の子のひとりが、からかうようにいいました。
「オッチー、いいかげん聞き飽きたよ、それ」
「おまえたちはそうかもしれないが、日向はそうじゃないんだ。よし、きょうはせっかくだから、みんなに『蜘蛛の糸』の話をしてやろう。だれか、この話を知ってる人はいるか?」
「わたし、知ってまーす」
ポニーテールの女の子が、手をあげました。
「地味な高校生がクモに噛まれて、スーパーヒーローになるやつでーす」
女の子の冗談で、教室が笑いにつつまれます。
「こら、岸田。ふざけるんじゃない」
「ごめんなさーい♪」
岸田と呼ばれた女の子が舌を出して、あやまり(?)ました。
この子の名前は岸田ハルカ。
そう。今回の依頼者、中川ユリさんの親友とは彼女のことなのです。
「まったく……『蜘蛛の糸』というのは、地獄にいるカンダタという罪人が天から降ってきたクモの糸をのぼって極楽へ行こうとする話だ。けど、クモの糸をのぼるカンダタを見たほかの罪人たちが自分も極楽へ行こうと、その糸をのぼりはじめる」
大土先生が話しはじめると、あれだけうるさかった教室がしーんと静まりました。
「たくさんの罪人がぶらさがったクモの糸は、いまにも切れそうだ。そこでカンダタは罪人たちにこう叫ぶ」
大土先生はこぶしをふりあげると、
「こら、罪人ども。このクモの糸はおれのものだぞ、おまえたちは一体だれに訊いてのぼってきた。おりろ、おりろ!」
「きゃー!」
大土先生の迫力に、女の子たちが悲鳴をあげます。
「カンダタが叫んだ瞬間だ。糸はプツンと切れ、カンダタたちはみんな地獄にまっさかさまに落ちていった」
大土先生は徐々に声のトーンをさげて、ぶきみに話をしめくくりました。
「おれはな、クモの糸は人を思いやる気持ちでできていたんじゃないかって思うんだ。だからカンダタが、糸をひとりじめするようなことをいわなければ、糸は切れずに罪人みんなが極楽へ行けたかもしれない」
大土先生が、一語一語かみしめるようにゆっくりと話します。
「おれがこの話でみんなにつたえたいのはな、自分のことだけじゃなく、他人のことも考えることのできる人間になってほしいってことなんだ」
大土先生が、みんなの顔を見まわします。
「みんなには他人のこころに寄り添える人間になってもらいたい。他人のことだから、自分のことじゃないからという理由で、人の気持ちや悩みを理解しない人間にはなってもらいたくないんだ」
「そのために、みんなを家族のように思って接しろ。そうっすよね」
そういったのは窓際の席にすわった男の子でした。
するどい切れ長の目。
筋のとおった、かたちのよい鼻。
そして絹糸のようにサラサラの髪の毛。
イケメンです。
まちがいなく1組でいちばんのイケメンです。(もちろん、うちのウサちゃん先生のほうがイケメンですけどね!)
「岩根のいうとおりだ。くるしいときは助け合い、たのしいときは一緒に笑う。そうやってみんなを家族のように思って接すれば、かならず人の心に寄り添える人間になれると、おれは信じている」
大土先生が熱をこめて語ります。
「ところで日向の席だが――」
「おれのとなりにきなよ」
手をあげたのは、あのナンバー1・イケメンくんでした。
「おれのとなり空いてるからさ、ここにくればいいよ」
「日向、岩根がああいってるが、かまわないか?」
「え? ええと……」
ちらりとクラスメイト――おもに女子生徒の顔をうかがってみましたが、意外なことに嫉妬の視線はひとつもありません。
それどころか、
「日向さん、うらやましいー」
「せっかくだから、となりすわっちゃいなよ~」
なんて、となりにすわることをすすめるような発言をするのです。
「みんながそういうなら、かまいませんけど」
「それじゃあ決まりだな。日向、わからないことがあったら、なんでも岩根に訊くんだぞ。あいつ、ああ見えて意外と面倒見がいいんだ」
「意外とってなんだよ、オッチー。ひでえなぁ」
岩根くんが口を尖らすと みんなが笑いました。
――みんな仲がよさそうでよかった。
中学校の生活を知らないわたしは、マンガやドラマのような恐ろしいイジメが1組でもあるのではないかと、ひそかに心配していました。
でも大土先生やみんなの笑顔を見て、このクラスはイジメとは無縁であることがわかまりました。
ただ油断をするわけにはいきません。
もしかしたら、わたしを含めて、このクラスには人間がひとりもいないのかもしれないのですから。
「よろしくお願いします、岩根くん」
席にすわると、わたしは岩根くんにあいさつしました。
「タクミでいいよ。おれのほうこそよろしくな、アリナ」
「アリナって……いきなり呼び捨てですか」
「ん? なんか変?」
「変っていうか、ふつう初対面の人を名前で呼び捨てにはしませんよね」
「いいじゃん、別に。それにオッチーがいってただろ、みんなのこと家族みたいに思えって。だから、おれ、おまえのことアリナって名前で呼ぶぜ。いいだろ?」
岩根くん――いいえタクミくんが、ぐっとわたしに顔を近づけます。
「ち、近いです! 顔が近いです!」
「お、アリナの髪むちゃくちゃいいにおいすんじゃん。なあ、どんなシャンプーつかってんの? 教えてよ、な?」
タクミくんがさらに顔を近づけてきます。
「ちょ、ちょっと……」
このままじゃ鼻と鼻がぶつかっちゃう。
いえ、鼻ならまだいいです。もし口と口が触れ合ったら……。
ダメ、ダメ、ダメ! そんなこと絶対ダメです!
わたしの好きな人は月読ソウマただひとりです!
ほかの人とキスなんて、絶対ありえません。
「ち、ち、近すぎです、タクミくん」
わたしが顔を遠ざけても、タクミくんはそんなことおかまいなしに顔をぐいぐい寄せてきます。
――このままじゃ、本当にキスされちゃう。
パニックで頭がまっしろになった、そのとき。
キーン、コーン、カーン、コーン
神さま、ありがとう!(わたしは悪魔ですけど)
チャイムが鳴って、みんなが授業の準備をはじめました。
「あとで教えてくれよな」
タクミくんは、そっと耳元でささやくと、授業の準備をはじめました。
――たいへんな人のとなりにきちゃった。
ほてった顔をクーラーの冷気でひやしながら、わたしはクラクラする頭でそんなことを考えました。
(つづく)
更新は毎日おこなう予定です。




