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第7話 再びノルヴァールへ



王都での「禁じられた饗宴」から数日が過ぎた。

エリクスは、重く沈む馬車の揺れの中で目を閉じていた。窓の外には、遠ざかっていく王都の石畳が見える。貴族たちの華やかな宴も、政敵たちの冷笑も、もう彼には関係がない。

いや、本当はそう思おうとしているだけだった。


あの夜、饗宴の席で暴かれた「飢饉の隠蔽工作」は、王都を揺るがす政治的な爆弾だった。王家は面子を守るため、真実を知るエリクスを表立って罰することはできず、「一時的帰郷」という名目でノルヴァールへの帰還を命じたのだ。

だが、実際には左遷に近い。

王都の人々にとって、辺境ノルヴァールは「凍土の果て」、飢えと寒風しかない地だ。


「やはり、戻ることになるのか」

エリクスは呟き、膝の上で指を組んだ。

彼の脳裏には、あの小さな領地の人々の笑顔が浮かぶ。

パンを焼いていた老女、干し肉を分け合っていた子どもたち、そして彼を「領主様」と呼び慕った農民たち。

彼らの手のぬくもりが、ふと胸の奥に灯をともす。


馬車の外では、冷たい風が唸り始めていた。季節は早くも秋の終わり。北のノルヴァールは、もう雪の気配を孕んでいるだろう。

飢饉はまだ終わっていない。

彼が王都に呼ばれている間、民はどんな冬を過ごしていたのか。

その思いが、彼の胸を締めつけた。


「旦那様、まもなくノルヴァール領に入ります」

馭者の声が響く。

エリクスは頷き、分厚い外套を羽織った。

彼の視線の先、遠くの丘には、雪を被った屋根が見えた。かつて、彼が命を懸けて守った村だ。


 


村の入口に馬車が止まると、子どもたちがいっせいに駆け寄ってきた。

「エリクス様だ!」

「ほんとに帰ってきたんだ!」

その声は、懐かしい暖かさを伴っていた。


エリクスが降り立つと、そこにかつての家臣ラドンが姿を現した。

痩せた顔には疲労の色が深く刻まれているが、その瞳は確かな誇りを宿している。

「お帰りなさいませ、エリクス様。正直、もうお戻りにはなられぬかと」

「俺もそう思っていたよ」

エリクスは微笑むが、その笑みに影が差していた。


屋敷に戻ると、最初に彼を出迎えたのは、干からびた井戸だった。水はほとんど底をつき、桶を下ろしても泥水しか汲み上がらない。

「この状態か……」

「ええ。川の水も濁りがひどく、井戸を掘り直すにも凍土が邪魔でして」

ラドンの声に、エリクスは眉をひそめた。


飢饉は作物だけの問題ではない。水が汚れれば、病が広がる。人は水なくして食も作れず、清潔も保てない。

ノルヴァールの民は今、二重の苦しみに晒されているのだ。


「食材鑑識の力を使えないか……」

エリクスは考えた。彼のスキルは食材を“視る”ことができる。毒の有無、鮮度、調理法。だが、もしその応用で「水」の質も視ることができるなら。


その夜、彼は外灯の明かりの下で試みた。

桶の中の濁った水に手を差し入れ、スキルを発動させる。

視界に淡い光が灯り、彼の意識に「成分」が流れ込んでくる。

鉄分、腐敗菌、獣性汚染。

なるほど、原因は水源近くの腐敗だ。


「……やはり、上流か」

翌朝、エリクスは村人たちを連れ、凍える森を抜けて川の上流へと向かった。

雪解けの間に倒れた獣の死骸が川を塞ぎ、腐敗した油膜が水面を覆っている。

「これでは……水が腐るのも当然だ」

ラドンが顔をしかめる。


エリクスは冷静に指示を出した。

「獣の遺骸を焼いて埋めよう。水源近くの岩場には簡易のろ過装置を設ける。布と炭、それに砂で作るんだ」

村人たちは目を丸くした。

「そんなもので水が綺麗になるんですか?」

完全ではない。だが、何もしないよりはずっといい」


彼の言葉に、村人たちは動いた。

半日後、ろ過装置は完成し、再び水を汲む。

エリクスはその水を掌にすくい、スキルで確認した。

腐敗反応、なし。

小さく息を吐き、彼は笑った。


「これで、命を繋げる」

それは誰にでもできる魔法ではなかった。

だが、確かに“救い”だった。


村人たちはその夜、かまどの火を囲んで語り合った。

「やっぱり、あの方はただの領主じゃない」

「“食材鑑識”の力でここまで」

その言葉を遠くで聞きながら、エリクスは静かに空を見上げた。

曇り空の向こうに、王都の灯があるような気がした。


「王都は今、どうなっているだろうな」

彼のつぶやきに、ラドンが言葉を返す。

「噂では、水不足が深刻らしいです。上流の城下町では、井戸水が濁り始めているとか」

エリクスは息をのんだ。

王都までもが、同じ苦しみを迎えているのか。


──水。

それは生を繋ぐ最も原始的で、最も軽んじられやすい資源。

次の危機は、もはや飢えではなく「渇き」なのかもしれない。


エリクスはその夜、ノルヴァールの水瓶のそばで静かに祈った。

その瞳には、遠い王都への憂いと、ひとつの決意が宿っていた。


 




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