第6話 禁じられた饗宴
王都の夜は、美しく、そして不気味だった。
金糸のカーテン越しに灯る蝋燭の光、ワインの紅、香辛料の匂い。
だがその奥には、目に見えぬ腐臭が潜んでいる。
エリクスは、王城近郊の私邸に招かれていた。
主催は王の側近にして貴族派の重鎮、カルドウェル公爵。
「友好の晩餐」と銘打たれた宴には、王政の中枢を担う貴族たちが集っていた。
彼らは微笑み、互いの杯を交わしながら裏では互いの領地と財を奪い合っている。
それを知っているエリクスは、グラスを口に運びながらも、どこか冷めた視線を投げていた。
テーブルの中央には、見たこともないほど豪奢な料理が並んでいる。
金箔を散らした仔羊のロースト、海の向こうから運ばれた果実、そして透明なスープ。
その一品一品が、まるで「権力の象徴」そのものだった。
隣に座る侯爵夫人が、微笑みながら声をかけてきた。
「まぁ、エリクス様。辺境ではきっと、こんな料理は召し上がれませんでしょう?」
「ええ。ノルヴァールでは、パン一切れに皆で感謝していました」
「まぁ、素敵ですわ。でも、飢えを知らぬ者ほど“味”を楽しめるのですわよ。」
その言葉に、エリクスの指が一瞬止まる。
飢えを知らぬ者ほど、味を楽しむ。
それは、まさにこの国の現実そのものだった。
宴の中盤、公爵が立ち上がった。
「諸君、今宵は特別な客を迎えている。“ノルヴァールの救済者”、エリクス=ロザミネート卿だ」
拍手と笑い声。
だがそのどれもが、祝福ではなく「観察」の目だった。
どんな男が、飢えた土地を立て直したのか。
どこまで愚直に理想を語るのか。
それを測るような視線ばかりだった。
カルドウェル公爵がワインを掲げる。
「今夜のために、特別な食材を用意した。北部の氷湖で獲れた“白魚”だ。
王都でも滅多に手に入らぬ逸品、存分に味わうがいい」
皿が運ばれてくる。
透き通るような白魚。香りは上品だが、どこか異様に甘い。
その瞬間、エリクスの胸の奥で、なにかが“疼いた”。
(この匂い、知っている。だが、これは……)
彼は静かにスキルを発動した。
《食材鑑識》。
視界が暗転し、食材に宿る“記憶”が流れ込む。
凍てつく湖、水面に沈む影、そして、人の血。
「……っ」
思わずスプーンを置く。
その白魚は、自然のものではなかった。
飢えた民が食用に改造した“禁忌種”、人の肉を与えて成長させた、人工の生物。
つまり、王都の食卓に上がっているのは、“人の命”を材料にした料理だった。
エリクスは息を呑んだ。
しかし、貴族たちは笑いながらそれを口にしている。
甘い香りの裏に、何が混ざっているかも知らずに。
「……これが、王都の“饗宴”か」
彼の呟きに、背後から声がした。
リディアだった。黒衣のまま、影のように近づいてくる。
「お気づきになりましたか。これが“禁じられた食卓”。
公爵派の一部が、飢饉対策として裏で作らせている“人造食材”です」
「人を喰って国を保つ。そんなものが、正義と呼べるか」
「彼らにとっては“効率”なのです。命も、食も、政治も、数字でしかない」
怒りが込み上げる。
エリクスは席を立とうとしたが、リディアが止めた。
「まだ動いてはなりません。証拠を掴むまでは」
「だが、このままでは」
「静かに、“見届ける”のです。貴方のスキルが、いずれ王都を変える」
彼女の言葉は冷たいが、どこか信頼の色があった。
その瞳に映るのは、同じくこの腐敗を憎む者の光。
宴が終わった夜、エリクスは月明かりの下で一人、屋敷の庭を歩いていた。
花壇に植えられた薔薇は、美しく咲いている。
だが、その根元には肥料として“腐った穀物”が混ざっていた。
「表の花は咲き誇る。だが、その下は腐っている」
ふと、風が吹き抜け、遠くで鐘の音が響いた。
王都南方の市場で暴動が起きたという報せが届いたのは、その翌朝のことだった。
民が、食料の不足に怒り、貴族の倉庫を襲ったのだ。
王都は、再び“飢え”に飲まれようとしていた。
翌日。
王宮の一室で、リディアが密書を差し出した。
「陛下は貴方に、“一時帰還”を命じられました」
「……ノルヴァールへ?」
「はい。陛下は、次の“飢え”が始まる場所を予見しておられます」
エリクスはゆっくりと目を閉じた。
ノルヴァール、かつて「無能」と呼ばれた土地。
しかし、今、その土地こそが唯一の希望になるかもしれない。
「結局、私はまた“食”に導かれるのか」
「いいえ、貴方が“導く”のです。エリクス=ロザミネート。この国が何を食べ、何に飢えているのか、見極められるのは、貴方だけです」
リディアの言葉は静かだったが、確かな重みを持っていた。
エリクスは立ち上がり、窓の外に広がる王都を見下ろした。
そこには、煌びやかな光と、黒い煙が混ざり合っていた。
人々の歓声、悲鳴、そして、どこかでパンを焼く匂い。
「……行こう。ノルヴァールへ。あの地から、もう一度“命の味”を取り戻す」
彼の声は、夜明け前の空に静かに溶けていった。




