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第5話 揺らぐ王都



王都に吹く風は、どこか焦げた匂いがした。

春だというのに街角のパン屋は閑散としており、市場では穀物の値が二倍に跳ね上がっている。

民の笑顔が消えた王都、それは、ノルヴァールの飢饉の前夜と同じ空気だった。


エリクスはその匂いを、嗅ぎ分けることができた。

この国が、腐り始めている。


宿舎の机に広げた報告書には、王都北部の穀倉地帯で起きた異常気象の記録が並ぶ。

冷害、土壌の酸化、そして輸送の遅延。

しかし、それ以上に奇妙だったのは“数字の操作”。


「穀物の搬入量が、実際の半分に抑えられている?」

報告書を手にした老執事ハロルドが眉をしかめる。

「はい。誰かが意図的に、流通を滞らせています。まるで、飢えを作っているように……」


その瞬間、扉が叩かれた。

入ってきたのは、王都の情報官リディア。

短く切った栗色の髪に、冷たい灰色の瞳をした女性だった。


「……やはり気づきましたね、エリクス殿。

 ここ数週間、倉庫の穀物が“消えて”います。夜のうちに運び出され、闇商人の手に渡っている」


「誰が指示している?」

「表向きは分かりません。ただ、裏で糸を引いているのは、“レーヴェン侯爵”と見る者が多い」


あの老侯爵の名を聞き、エリクスは静かに息を呑んだ。

改革派の旗頭。だが、その実態は、混乱の中で権力を肥やす策士。

今度の“領地再編令”も、王都に穀物利権を集中させるのが真の目的だと囁かれていた。


「食材を、武器に変えようとしているのか」


食材は命だ。

それを操る者は、民を支配できる。

エリクスには、彼らの狙いが痛いほどわかった。




数日後、王城評議会の再開日。

議場の空気は以前にも増して殺気立っていた。

王の席の周囲には、貴族派と改革派が二分して並び、互いに睨み合っている。


国王ルディウス三世は沈痛な表情で口を開いた。

「各地で物価が乱れ、民の不満が高まっている。だが、貴族たちは互いを責め合うばかり……」


そこへ、レーヴェン侯が立ち上がる。

「陛下! 混乱の根源は“地方領主たち”にございます。

辺境の領地は収穫の報告を偽り、王都への献上を怠っている。だからこそ“再編令”こそが必要なのです!」


場内がざわめく。

エリクスはゆっくりと立ち上がった。


「ならば問おう、侯爵殿。なぜ王都の倉庫から、夜ごと穀物が消えているのですか?」


沈黙。

次の瞬間、レーヴェンの顔色が変わった。


「何の証拠がある!」

「証拠なら、あなたの商会が闇市で取引した記録を提出しましょうか?“エルン商会”、あなたの息子の名義で登録された穀物流通会社です」


場内がどよめいた。

王の眉が動く。

リディアがすかさず資料を差し出し、王の側近に渡す。


レーヴェンは声を荒らげた。

「貴様……辺境の亡霊が、王都の政治に口を出すか!」


「私は亡霊ではない。

ノルヴァールで、民の飢えを見てきた“生者”です。

民が食えぬ政治は、政治ではない!」


その言葉は議場の石壁に反響した。

一瞬、誰も口を開かなかった。

やがて王は静かに立ち上がり、玉座から降りる。


「エリクス。そなたの報告と証拠、確かに受け取った。

この件は、王命として調査を命じる」


レーヴェンは歯を食いしばり、顔を真っ赤にした。

そして、隣の席から、別の声が上がる。


「……陛下。兄上の言葉は立派ですが、民を思う気持ちがあっても、それだけでは国は守れません」

アレン=ロザミネートが静かに立ち上がった。

「改革派の混乱は、旧貴族の腐敗だけが原因ではない。

“地方の独立”を求める動き、つまり、兄上のような者たちの理想主義も、また火種なのです」


エリクスは弟を見つめた。

その瞳の奥に、一瞬の揺らぎを見た。

迷っている。アレン、お前は本当に……?


だが、アレンはすぐに表情を戻した。

「陛下、私はただ、兄上の身を案じているのです。彼は、利用されています」


その言葉に、議場が再びざわめく。

王が手を上げて沈静を促すと、ゆっくりと告げた。


「よい。今日の議はここまでとする。だが覚えておけ。

 この国の民の飢えが続く限り、王都もまた揺らぐであろう。」




会議後、王城の庭でエリクスは夜風に当たっていた。

月明かりが白く庭石を照らす。

その背後から、アレンが歩み寄ってくる。


「兄上。あなたは、本気でこの国を変えようとしているのですか?」

「そうだ。だが、私が変えたいのは“国”ではない。“人”だ。王も貴族も、民も誰かが腹を満たすために、誰かを飢えさせる。そんな国では、誰も救われない」


アレンはしばらく沈黙したのち、低く言った。

「兄上の言葉は正しい。だが、それを実現すれば、誰かが必ず“損をする”。そしてその誰かが、次の“飢え”を作る」


「それでも、止まらぬ限り続くだけだ」


風が吹き抜けた。

二人の距離は、ほんの一歩分。それでも、その溝は深かった。


アレンは背を向け、暗闇に溶けていった。

その足音が遠ざかるたび、エリクスは胸の奥で何かが崩れていくのを感じた。


「……王都もまた、飢えている。名誉に、権力に。」


夜空に響いた彼の呟きは、冷たい月光に飲まれて消えた。




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