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第4話 王都からの召喚



ノルヴァールに春が訪れた。

雪が解け、荒地だった丘陵にもようやく若草が顔を出す。

エリクスは収穫を終えたパン小麦の乾燥具合を確かめながら、領民たちの笑顔を眺めていた。

ほんの数か月前まで、飢えと寒さで泣いていた人々が、今では希望の種を手にしている。


「この小麦、味がいいですよ。去年よりもずっと香ばしい」

若い農夫が土のついた手で、焼き上げたばかりのパンを差し出した。

香ばしい香りが風に混じり、エリクスは胸の奥が温かくなる。


この地に来て、ようやく“自分の居場所”を見つけた。


そう思った矢先だった。

王都からの使者がやってきたのは。


銀の紋章を刻んだ馬車が丘を登ってくる。

見慣れない紋章に領民がざわめく中、馬車から降り立ったのは、緋色の外套をまとった青年騎士だった。

その胸にはロザミネート家の紋章、二本の剣と薔薇が刻まれている。


「お久しゅうございます、エリクス様。王都よりの急使です。」

「……アレンの使いか?」

「いえ。陛下直々の召喚命令です」


空気が重くなった。

王都、ロザミネート家が治める中央政治の中心。そこでは、近年激化する貴族派と改革派の対立が深刻化していると噂されていた。


使者は巻物を差し出す。

封蝋を割ると、金の印章とともに厳命の文字が並んでいた。


「ロザミネート家嫡男、エリクス。王都評議会に出席せよ。

新法『領地再編令』に関し、汝の意見を求む。」


エリクスは眉をひそめた。

“領地再編令”、それは各領地の権限を中央が再び掌握するという、王の強権政策。

つまり、辺境領主たちの自治を奪う法だ。


ノルヴァールのような貧しい土地にとって、それは死刑宣告に等しい。


「……皮肉だな。無能と追放された男が、今さら王都の評議に呼び戻されるとは」


隣にいた執事の老ハロルドが静かに言った。

「陛下が貴方を呼ぶ理由は、一つではありますまい。」


エリクスは頷いた。

この召喚の裏には、弟アレン、そして王都の権力闘争が絡んでいる、それだけは確かだった。




王都は、久方ぶりに見る光景だった。

白亜の宮殿、整然と並ぶ貴族たちの馬車、そして冷たく光る大理石の階段。

その美しさの下に、幾重もの思惑が渦巻いている。


「おお、これは。辺境の“食材鑑定士”殿ではないか」

皮肉を含んだ声が、会議場の扉をくぐると同時に響いた。

声の主は侯爵レーヴェン。改革派筆頭の老貴族であり、弟アレンを強く支持する人物だった。


円卓の奥には、国王ルディウス三世が座していた。

黄金の冠を戴くその眼差しは穏やかでありながら、鋭い光を放っている。


「久しいな、エリクス。そなたの働き、北東ノルヴァールの飢饉を鎮めたと聞く。見事であった」

「過分なるお言葉、恐れ入ります」

「しかし、この“領地再編令”に異を唱えるという噂もある。真か?」


静寂。

空気が一瞬で張りつめる。


エリクスは一歩前に出て、まっすぐ王を見据えた。


「はい。陛下。この法は地方を殺します。

民を守るために、土地と風土を知る者こそが領主であるべきです。

ノルヴァールの地で学びました。

王都から見えぬ小麦一本にも、人の命が宿るのです」


会議場のあちこちから、ざわめきが起こる。

レーヴェン侯が鼻で笑った。


「詭弁だな。貴様は“食材”しか見えぬのではないか? 政治は味覚で動くものではない」


それでもエリクスは引かなかった。

「ですが、飢えは政治よりも先に民を動かします。

空腹の民は剣よりも恐ろしい。

彼らが飢えれば、国そのものが崩れます」


国王の瞳が、微かに笑ったように見えた。


「……良い。言葉に魂があるな。この国には、己の言葉で語る者が少なくなった」


しかし、その言葉に反応したのは別の人物だった。

会議室の隅から立ち上がったのは、弟アレン=ロザミネート。

黄金の髪を整え、完璧な礼服を身にまとった青年。

しかし、その瞳は兄を射抜くように冷たい。


「兄上。美しい理想論です。しかし、国政とは感情で動くものではない。

陛下、兄は地方での働きこそ立派ですが、政治の場には不向きです。」


エリクスは目を伏せた。

かつての家族の面影は、もうそこにはなかった。


アレン。お前もまた、この国に飲まれたのか。


王は沈黙したまま、重々しく口を開く。

「この件、結論を急ぐ必要はない。

エリクスよ、そなたの見た“地方の現実”を文書にして提出せよ。評議会は一週間後、再び開く。」


会議が終わり、エリクスはひとり廊下を歩いていた。

ふと窓の外を見れば、王都の夜景が広がっている。

煌びやかな光の海の中に、貧民街の暗い影がぽっかりと口を開けていた。


その光景に、彼は静かに拳を握った。


「この国の“飢え”は、まだ終わっていない」




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