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呪いのひとりごと

作者: ウォーカー

 ブツブツ、ブツブツと、ひとりごとを口にしながら老爺が歩いている。

老爺の背中は丸まっていて、服装はお世辞にも清潔とは言えない。

すれ違う人達は、その老爺を避けて距離を取っている。

だから、その老爺が何を喋っているのか、聞き取れた人はいなかった。

ただ一人を除いて。


 その男は金に困っていた。

浪費癖、賭博依存症は生来からのもので、何かと目に付く物に金を出し、

毎日、浴びるように酒を飲むものだから、

ただでさえ少ない収入はすぐに底をついた。

「ああ、腹が減った・・・。

 金、金さえあれば、何だってできるのになぁ。」

街を歩くその男の目の前には繁華街、飲食店が立ち並ぶ。

しかし今のその男のポケットには、食事をするほどの金も無かった。

「どこかに金になるようなことはないかなぁ。」

すると行く先から、何やら人が避けていく様子が見えてきた。

人が避けているのは、一人の老爺。

見るからに小汚く、ブツブツとひとりごとを口にしていて、正気には思えない。

しかしその男は、その老爺が向かってくるのに、避けようとはしなかった。

「あんな年寄りでも小銭くらい持ってるだろう。

 ちょっとばかし拝借して、昼飯代にしようか。」

その男は、老爺にスリをしようと、あえて近付いてくるのを避けなかったのだ。

老爺が近付き、その男とすれ違う寸前。

その男は老爺の懐に手を入れようとして、耳にしてしまった。

老爺のひとりごとを。

「山・・・金・・・金庫・・・暗証番号・・・」

老爺の途切れ途切れのひとりごとを組み合わせてみると、

こんなことを言っているようだった。

「街の外れ、山にある洞穴ほらあなに金庫を隠してある。

 その中には、たくさんの金品が入れられている。

 金庫の暗証番号は25342424242。」

老爺のひとりごとの意味を聞き取って、その男は驚き、そしてほくそ笑んだ。

「山の中に金庫だって?こいつは良い事を聞いたぞ。

 みすぼらしい爺さんでも、金を貯め込んでいるものだな。

 いや、金を貯めてるからこそ貧しいのか。

 まあどっちでもいい。

 早速、この爺さんの金庫の中身を貰いに行くか。」

その男は老爺から聞いたひとりごとをすぐにメモに取った。

それから、老爺からスリをした財布の中身を確認し、

金庫の中にあるであろう金をいれるための鞄を買って、

街外れの山へと向かっていった。


 街外れには、ハイキングには少々厳しすぎる山があった。

生い茂る木々は手入れもされていない。草も伸び放題。

決められた山道以外は、人が足を踏み入れることもない。

その山道に、その男は立っていた。

周囲の様子を確認する。

見渡す限り、自分一人、他には誰もいないようだ。

それを確認して、その男は山道から森の中に足を踏み入れた。

「万が一にも、お宝探しを他人に見られたくないものな。

 そんなことになったら、金庫のお宝を横取りされるかもしれない。

 一人でこっそりやらないとな。」

その男は森の中をコソコソと移動していった。

「え~っと、あの爺さんのひとりごとでは、洞穴があるんだっけか?

 こんな森の中で洞穴を探すなんて、それだけでも一苦労だな。

 でも金のためだ。頑張ろう。」

老爺がひとりごとで言っていた金庫には、金品が詰まっているはず。

その男は老爺のひとりごとを信じて、山の森の中で探索を続けた。

ぼうぼうに伸びた草を掻き分け、木々の影を覗き込み、

大岩をどかし、それでも洞穴は見つからない。

「やっぱり、爺さんのひとりごとなんてデタラメだったのか?」

その男が諦めかけた時。

森の中、丘の土壁の部分に、ぽっかりと穴が空いているのを見つけた。

「もしかして、あれが爺さんの言う洞穴か?

 よし、調べてみよう。」

もう一踏ん張りと、その男は土壁へ向かっていった。


 森の中の土壁に空いていた穴は確かに洞穴と呼べるものだった。

高さは大の大人が腰を屈める程度、横幅は両手を広げられる程度。

何者が掘ったのだろう。

動物が掘ったのか、それとも人間が掘ったのか、

その男には判断がつかなかった。

ともかくも洞穴には違いない。

その男は軽く腰を屈めた窮屈な姿勢で、洞窟の中を進んでいく。

やがて洞窟には入口から差す日光の明かりも弱々しくなった。

その男はライターを点けて明かり代わりにした。

ライターの揺れる炎の明かりが、男の顔を照らしている。

同時に、洞穴の土の壁や天井も炎に照らされている。

「こんなところに金庫なんかあるのか?」

その男は疑心暗鬼で足を進めていった。


 洞穴は緩く曲がっていって、入り口が見えなくなった。

しかしどうやらこのあたりが終点らしい。

土壁に四方を囲まれ、行く場がなくなったところで、

その男も足を止めざるを得なかった。

だがそれでいい。目の前に、目的のものを発見したから。

洞穴の奥、後ろ半分を土に埋めるような形で、金庫は眠っていた。

「おーっ!これが爺さんの金庫か!

 まさか本当にあっただなんてな!

 人の話はよく聞いておくものだな。」

その男はニンマリと笑顔になって、金庫に飛びついた。

「暗証番号!暗証番号は25342424242・・・だったはず!」

男はライターを地面に置いて、メモを確認した。

そして土に埋まった金庫の土を手で払い、ダイヤルを見つけた。

もどかしくもダイヤルを回していく。

25342424242。

ダイヤルを回し終わると、カチャンと小気味よい音がして鍵が外れた。


 街外れの山には洞窟があって、確かに金庫もあった。

今、金庫は、土埃を立てながらその扉を開いていった。

中にあるのは、札束か、宝石の数々か。

その男はいやらしい笑みを浮かべて中身を見た。

そして、眉をひそめた。

金庫の中に入っていたのは、札束などではなかった。

宝石などでもない。

金庫の中に入っていたのは、招き猫の置き物だった。

右手を上げた、招き猫の置き物。

「なんだこりゃ?」

その男はしかめっ面で、金庫の中の招き猫を掴んだ。

その招き猫は木彫りのようで、元は白かったようだが、

古くなって今は黄ばんでしまっている。

塗装もところどころ落ちてボロボロだ。

頭の上には御札が二枚、バツの形に貼られている。

「・・・これ、骨董品か何かか?」

少なくとも、純金で作られている、ということはなさそうだ。

中に何か入ってはしないかと振ってみるが、特に何の感触もない。

さて、どうしたものかと、その男が考えていると、

ふと、洞窟の入口から足音がする。

「だ、誰だ!?」

振り返ってその男が言う。

すると、逆光の中に一人の人影が立っている。

背中の丸まった人影には見覚えがある。

ライターの炎が照らしたその顔は、あのひとりごとを言っていた老爺だった。

老爺はその男が金庫を開けて中身の招き猫を手にしているのを見ると、

黄色い歯を剥いて笑ってみせた。

「お前、その招き猫を盗んだな?」

「い、いやっ、これは・・・」

その男は口ごもった。

手の中には招き猫。招き猫が入っていたのは、鍵のかかった金庫。

どう言い訳しても盗んだとしか言いようがなかった。

しかたがなく、その男は言い訳した。

「あ、ああ。そうだよ。

 俺が金庫を開けて、中にあったこの招き猫を盗ったんだ。

 あんたのひとりごとで聞いてな。

 済まない。でも、すぐに返すから許してくれないか。」

頭を下げて謝罪するその男。

すると老爺は、踊るように大笑いして喜んだ。

「お前!その招き猫を盗んだと認めたな!

 ではそれはもうお前のものだ!

 これでやっとわしは呪いの招き猫から解放される!

 やった!やったぞ!

 まさかこんな手に引っかかる奴がいるとは!

 カカカカッ!」

老爺はかすれた声で、腹を抱えて笑った。

その男は何が何だかわからない。

てっきり盗みを咎められるかと思ったのに、

盗まれた当の本人は笑って喜んでいるように見える。

「お、おい、爺さん?」

その男が声をかけると、老爺はくわっと目を見開いて言った。

「いいか、よく聞け。

 その招き猫は、ただの置き物じゃない。

 呪いの招き猫だ。」

「呪いの・・・招き猫?」

「そうだ。それを持っていると、招き猫の呪いに襲われるようになる。

 逃げ道は一つだけ。招き猫の置き物を他人に譲ること。

 ただし、押し付けたり捨てたりしようとしても駄目だ。

 それでは自分のもののままであることに変わりはない。

 他人が自分からその招き猫を貰ってくれることが必要だ。

 例えば、今のお前のように、盗んでくれたりな!

 カカカカカカッ!

 まったく、お前は儂の思う通りにやってくれたよ!

 それじゃ、儂はこれで帰るとするか。

 お前はせいぜい、呪いの招き猫と仲良くな。」

老爺は唾を飛ばしてまくし立てると、笑いながら洞穴を出ていった。

その男はポカンとした顔で言った。

「あの爺さん、頭は大丈夫なのか?」

呪いの招き猫など、正気の話とは思えない。

それでも気味が悪かったのと、その招き猫が金目になりそうもなかったので、

その男は金庫の中に入っていた招き猫の置き物をその場に置いていった。


 老爺がひとりごとで呟いていた金庫の話は罠だった。

老爺の言う通りに山の洞穴で見つけた金庫を開けると、

中には招き猫の古い置き物が一つ、入っていただけだった。

その招き猫は呪いの招き猫で、持っていると呪いがあるという。

話の真偽はともかく、金になりそうもないその置き物を、その男は捨ててきた。

そのはずだったのに。

その男が山から街のアパートの自室に帰ると、いた。

明かりを点けると、部屋の真ん中にあの招き猫の置き物が置かれていた。

その男は反射的に飛び退いた。

「何で!?どうしてこれがここに!?」

その男に家族はいない。

何を尋ねようが答えてくれる人はいない。

招き猫は無表情に座っている。

ともかくこのままでは気味が悪い。

その男は招き猫の置き物をゴミ袋に放り込むと、

近所のゴミ捨て場に捨てに行った。

「ゴミの日なんて知ったことか。これでもう捨てたことになるだろう。」

だが駄目だった。

その男が招き猫の置き物を捨ててから家に帰り、しばらくすると。

コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえる。

「はい。」

応対に出ると、そこにはゴミ袋を抱えた大家の老婆が立っていた。

「これ、お宅が出したゴミでしょ?

 駄目だよ。ゴミの日はちゃんと守らないと。」

大家の老婆は仏頂面で、有無を言わさずゴミ袋を押し付けると、去っていった。

その男がゴミ袋の中を覗くと、そこにはやはりあの招き猫があった。

「呪い・・・じゃないよな?

 ただ今日がゴミの日じゃないから、大家の婆さんに怒られただけで。」

気味が悪いが仕方がない。

その男は今日のところは招き猫を家に置いておくことにした。


 寝苦しい。胸の上に何かが乗っている。

眠っていたその男は、ハッと目を覚ました。

時間は深夜。いや、それよりも。

布団の上で眠っていたその男の上に、招き猫の置き物が乗っていた。

「何でだ?確かにゴミ袋に入れておいたはずなのに。」

見るとゴミ袋は、まるで猫に食い破られたように千切れていた。

「畜生!これが招き猫の呪いだっていうのか?」

その男は毒づいて額の汗を拭った。

胸の上の招き猫を掴んで、部屋の壁に放り投げた。

投げられた招き猫は壁に当たって床に転がった。

その男は布団をかけ直し、再び眠りについた。


 痛い。頭や身体を打ち付けられたようだ。

再び、眠っていたその男は目を覚ました。

時間は目覚まし時計が鳴る少し前。

いや、それよりも。身体が痛い。

調べてみると、頭に大きなタンコブが出来て、身体に打ち身ができていた。

とても寝ている間に普通についた傷ではない。

すぐに思い当たることがある。

昨夜、その男は招き猫を投げつけた。

その招き猫が受けた傷と同じなのではないか?

床に転がる招き猫を調べてみる。

しかし招き猫には傷一つ無い。それがおかしい。

あれだけ強く投げつけたのだから、

金属の塊でもない限り、傷の一つもついたはず。

この招き猫はよくわからないが、重さから木で作られているように感じる。

それなのに、投げつけられて傷一つ残っていないなんて。

つまりこれは・・・。

「そういうことか。

 この招き猫に危害を加えてはいけないんだ。

 そうすると、それが自分の身に返ってくる。

 それがこの招き猫の呪いなんだ。

 いや、呪いはそれ一つだけとは限らないな。」

何をするにしろ、招き猫の呪いを調べなければと思い、

その男はその日の仕事が終わると、

招き猫を持って街の古物商を訪れた。

「いらっしゃいませ。

 お買取をご希望だとかで、どのような品でしょう?」

「それが、この招き猫の置き物だが・・・」

その男が招き猫を取り出した途端、古物商の男の表情が変わった。

「あ、あんた、それ、呪いの招き猫じゃないか!」

「えっ!有名なのか?これ。」

「有名も何も、古物を扱う人なら誰だって知ってますよ。

 呪いの招き猫の置き物。

 そいつの厄介なところは、自分で手放すことができないところだ。

 だからといって粗末にすれば、全部呪いとなって自分に返ってくる。」

「確かに、投げつけたら同じ場所に怪我を負った。」

「じゃあなおさら間違いない。本物だ。

 そんなものを買い取るわけにはいかない。

 悪いが、帰ってくれないか。」

先ほどまでの礼儀正しさは消え、古物商の男はその男を追い出した。

「自分で手放すことができない・・・」

その呪いは、その男は既に確認している。

洞穴とゴミ捨て場と二回も捨てた招き猫は、

現にこうして二回とも手元に戻ってきた。

そして今が三回目。

いや、あるいはそれは幸運だったのかもしれない。

もしもゴミ回収車に回収されて焼却処分などされていたら、

自分の身がどうなっていたことか。

招き猫は呪いの原因であるとともに、その男の生命を握っている。

その男は気味悪そうに、しかし大事に招き猫を鞄にしまい込んだ。


 それからその男はいくつかの古物商を廻った。

しかしこの呪いの招き猫のことは確かに有名だったようで、

どこも引き取るどころか、すぐに店から追い出されてしまった。

どうやら古物商をあたるのは無理なようだ。

だからその男は、招き猫を自分で売ることを思いついた。

道行く人に話しかける。

「ちょっといいですか。この招き猫の置き物、買いませんか?」

「えっ、なんですかあなた。」

しかし突然他人に招き猫を買ってくれと頼んでも、

はいそうですかと買ってもらえるわけがない。

老若男女誰からも断られ続け、終いには警察を呼ばれそうになってしまった。

呪いの招き猫を他人に売るのは無理なようだ。

次にその男は、招き猫を人が欲しがるように仕向けてみせた。

段ボール箱に招き猫を入れ、道端に置いておく。

「貰ってあげてください」

段ボール箱にはそう書いておいた。

要するに招き猫を捨て猫として他人に拾ってもらおうという魂胆だった。

招き猫はそうしておいて、その男は物陰から様子を探っていた。

人が通りがかる。

何事かと段ボール箱の中を覗くが、招き猫を見ても興味はなさそうだ。

次に若い女のグループが通りがかった。

「キャー、見てこれ!捨て猫だ。」

「かわいそうに。」

これは貰ってくれるか。その男はそう期待したのだが。

若い女たちは段ボール箱の中身が生き物でないと知って、態度が変わった。

「なんだこれ、猫じゃないよ。」

「招き猫の置き物じゃない。」

「なーんだ。じゃあわたし、いらない。」

「わたしも、こんな古汚い置き物はパス。」

薄情にも若い女たちは招き猫を拾ってはくれなかった。

その男は観察するのを諦めて、招き猫を回収した。


 招き猫を売るのも拾ってもらうのも駄目。

次にその男が試したのは、寄付をすることだった。

その男の家の近所には孤児院があるのを知っている。

そこにいる子供にあげてしまおうと考えた。

その男は孤児院を訪れた。

「あのう、すみません。」

目に入った保育士らしい中年の女を呼び止める。

「はい、何でしょう?」

保育士の女は微笑みを浮かべている。

「この招き猫なんですが、子供達のおもちゃとして寄付したいんですけど。」

「招き猫を寄付・・・ですか?」

保育士の女の微笑みが心なしか曇ったように見えた。

「大変失礼ですが、ご寄付は金銭のみとさせていただいてまして・・・」

「でも、この招き猫、おもちゃにはいいと思うんです。」

「はあ、そうですか。

 でも最近は、寄付と称して、

 不用品を置いていこうとする心無い方々がいまして、

 ですのでやはりご寄付は金銭のみとさせてください。」

頭を下げる保育士の女に、その男は何も言い返せなかった。

不用品を寄付と称して押し付けようとしているのは事実だったから。

ひとまずその男は、招き猫を家に連れて帰るしかなかった。


 ある日、その男は、街中を歩いていた。

ブツブツとひとりごとを言いながら。

「山・・・金・・・金庫・・・暗証番号・・・」

それは、招き猫を盗むことになった老爺がしていたことと同じこと。

金になりそうな話をわざと他人に聞かせて、招き猫を盗ませようというのだ。

今、山の洞穴の金庫には、招き猫の置き物をしまってある。

これで誰かがひとりごとを聞きつければ、招き猫を盗んでくれるはず。

老爺との一連のやり取りから、

盗まれた場合は呪いから解き放たれることは分かっている。

その二匹目のドジョウを狙おうというのだ。

しかし、街中でひとりごとを言っていると、他人からの冷たい視線を感じる。

自分でも怪しいと思う風体で、

こんな状態の人間に、金目当てで近付いてくるなど、

よっぽどの向こう見ずだけだろう。

それが過去の自分のことだと気が付いて、その男は頭を抱えた。

あの老爺のひとりごとを真に受けるような愚か者は自分だけ。

そんな哀しい結論が出て、その男は招き猫を回収して家に帰っていった。


 ガリガリ・・ガリガリ・・。

夜、柱を引っ掻く音がする。

眠っていたその男が目を覚ますと、柱に引っかき傷が付いていた。

まるで猫が爪を研いでいたかのような傷。

これも招き猫の呪いの一つと言えるだろうか?

招き猫は柱の近くに鎮座している。

その男は諦めて、寝床に潜った。

その上を、招き猫が歩いていく感触がしたが、

その男はもう気にすることもなかった。


 そうしてその男は、招き猫を手放す方法を思いつくことができず、

呪いの招き猫と同居する生活を続けていた。

招き猫の呪いは、迷惑ではあるが、慣れると対処も見つかってくる。

招き猫の置き物を粗末にしない限りは、

要は猫が家の中にいるのと大差はない。

柱で爪を研いで傷だらけにしたり、ふすまに穴を開けたり、

布団に小便をしたり、そこらじゅうを毛だらけにしたり。

迷惑ではあるが、取り返しがつかないわけではない。

少なくとも、招き猫の置き物を放り投げて怪我をするよりはマシだった。

そうして猫の世話のようなことをしていると、

なんだか愛着が生まれてくる気がする。

その男は、古くてボロボロの招き猫の置き物を掃除してやることにした。

古くて煤だらけの身体を拭いてやる。

そうすると何だか、招き猫が喉をゴロゴロと鳴らしているような気がした。

招き猫の身体を改めて触っていて気が付いたのだが、

頭頂部にバツ印のように二枚の御札が貼ってある。

「この御札、なんだろうな?」

御札の下は穴が開けられているようだ。

もしかしたら、中に金目のものでも入っているかも。

その男は懲りもせず、御札に手をかけた。

すると御札も同じく古くボロボロになっていたせいで、

バラバラと朽ちて剥がれていってしまった。

見ると、御札の下、招き猫の頭頂部には、こぶし大の穴が空いていた。

それが御札が剥がれた途端、穴から轟々と風が吹き出し始めた。

いや、ただの風ではない。

実態を伴った風のようなものが招き猫から出てきた。

「ニャオオオオオオ!」

風が吹き荒れる部屋の中で、大きな鳴き声がする。

それは猫のような、もっと大きな獣のような鳴き声で。

宙に浮き黄色く光る二つの目玉がその男を捉えて言った。

「私を封印から解いてくれたのはお前かニャ?」

「お、お前は招き猫か?」

「違うが、そうとも言える。

 私は招き猫の置き物の中に封印されていたものだ。」

それから招き猫だったものは話し始めた。

「今からずっとずっと昔。

 この木彫りの招き猫を作ったのは、私の飼い主だった人だニャ。

 私は興味本位で、招き猫の頭の穴に頭を突っ込んでみた。

 元々はそこに花でも差して花瓶にでもするつもりだったらしい。

 しかしその穴の大きさは、私の頭の大きさにピッタリだった。

 そうして頭が抜けなくなった私は、前も見えない中、

 身動きが取れなくなった。

 じたばたと動き回って、軒下に迷い込んだ。

 その結果、誰にも気が付かれることもなく、放って置かれた。

 飼い主には悪気はなかったのかも知れないニャ。

 でも結果として、私はそのまま猫としての生を終えた。

 それが一回目。

 猫は七つの魂を持っているニャ。

 身体は死んだが、魂の残りは招き猫の置き物に宿った。

 しかし飼い主はそれに気が付かず、私の身体を見つけ埋葬してしまった。

 しかも、化けて出ないように、

 死因となった招き猫の頭の穴には御札で封印して。

 結果として飼い主は、私の身体と、招き猫の置き物になった私をも捨てた。

 私は魂を招き猫に封印されて捨てられてしまったのニャ。

 悲しかった。

 一度死んでしまったことも、それを理解せず、捨てられてしまったことも。

 それから私は、幾人もの人の手の間を、貰われては捨てられを繰り返した。

 それを恨めしんでいる間に、私はいつの間にか超常の力を得ていた。

 それは人間には呪いとして受け取られるような力だった。

 捨てられたくない。粗末にされたくない。死にたくない。

 そんな私の執着は、人間が言うところの呪いとなって、

 この招き猫に魂を宿らせ、超常の力を持たせたニャ。

 すると人間は現金なもので、猫の姿の時はかわいいかわいいと愛でたのに、

 猫の姿を失った途端、呪いだの化け物だと邪険にするようになった。

 だから私は、私の封印を解いてくれるよう、人間を呪いで操ろうとした。

 もう二度と、私を壊したり捨てたりできないように。

 ただ、最初に飼い主が私を譲るという行為を防げなかったので、

 呪いの力をもってしても、私を譲るということは防げなかったのニャ。」

今もその男の部屋の中には、黒い風が轟々と吹き渡っている。

その風の言葉に、その男は納得するところがあった。

思えば呪いと呼ぶには不可思議な現象。

見えない猫を飼っているような感覚。

捨ててはいけないという規則。

危害を加えなければ敵意はない。

これらは全て、招き猫に封印されていた猫の魂がもたらしたものだったのだ。

そしてその男は尋ねた。

「封印から解放されて、お前はこれからどうするんだ?」

「そうだニャ。

 飼い主はとうの昔に死んでいるだろう。

 私はもう魂を使い果たして、いつどうなるかもわからない身。

 好きなところに行って、好きなことをするニャ。」

「そうか、じゃあ、もうお別れだ。」

猫だったものが出ていけるよう、その男は部屋の窓を開けた。

すると、猫だったものは嬉しそうに、窓から飛び出していった。

「そうそう。

 招き猫の意味を知ってるかニャ?」

「招き猫の意味?」

「そう。

 招き猫は手を上げてるだろう?

 あれには意味があるニャ。

 右手を上げている招き猫は金運を、

 左手を上げている招き猫は人を招くと言われているニャ。

 私は右手を上げている招き猫に封印されていたから、

 今の飼い主だったお前に、金運を授けてあげるニャ。」

「ほ、本当か!?」

元はと言えば、その男がこの招き猫を手にすることになったのは、

金に困っていたから。

金運を招いてくれるとなれば、それこそ大願成就に相応しい。

それから猫だったものは、その男の周りをくるっと回って撫でた。

すると何だか、その男の身体に何かが宿った気がした。

「これでよしだニャ。」

「ありがとうよ!たまには戻ってこいよ!」

窓から出ていく猫だったものに、その男は手を振った。

猫だったものは、空をくるりと一周してみせて、

それからどこかへ飛んでいってしまった。

まるで気ままな猫のように。


 こうして、その男は、招き猫の呪いから解き放たれた。

呪いの招き猫に封印されていたものを開放し、その御利益を得た。

右手を上げている招き猫が招くのは金運。

確かにそれからその男には、金運が舞い込んできた。

しかし、その大前提として、忘れていたことがあった。

猫に小判、猫は金の価値を知らない。

今、その男の財布の中には、パンパンになるほどの一円玉が詰まっている。

あれからその男の財布は、空になる毎に、一円玉で満杯になるようになった。

考えようによっては無限に金が湧き出る財布を手に入れたようなもの。

しかしその条件が厳しい。

あの猫だったものは捨てることを激しく嫌う。

そのせいか、財布の中に湧いた一円玉は、無限には湧き出しては来なかった。

一度湧き出てきた一円玉をきれいに使い切った後だけ、

財布の中身が一円玉で満たされるようになった。

財布の中身の小銭をきれいに使い切るのは、意外と難しい。

無限に金の湧き出る財布は、しかし思ったほどには金にならなかった。

「これって御利益って言えるか?」

その男は、少なくとも呪いからは解放された。

しかし、大金を手に入れたとは言い難い。

その男は、部屋に残された招き猫の置き物に、恨み節を口にしていた。



終わり。


 ひとりごとを口にしてしまうことがあります。

他人がいない家の中ならばいいのですが、

外でうっかり重要なことを口にしてしまっては大変。

その大変なことが起こった場合を考えてみました。


今回の老爺の場合は、ひとりごとはうっかりではなく罠でした。

金目のものならともかく、

ゴミのようなものを他人に盗んでもらうのは難しい。

そのために老爺が考え出した策略でした。


盗まれた呪いの招き猫は、最後には自由になれました。

盗んだ人も、盗まれた人も、盗まれたものも、

全部の人にしあわせになって欲しくて、この結末になりました。


お読み頂きありがとうございました。


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