三話 キヴォトス
「…へへ」
スラは琥珀色の瞳をキラキラさせて笑みを漏らした。
相棒であり、自分の片割れであるもう一人はまだ着替え中だ。彼女の好奇心を抑える人はいない。
彼女は隣室の扉の前で好奇心に駆り立てられていた。
(実は誰かいたりして)
スラはそっと開閉パネルに手を近づけた。
缶を開けるような音が鳴ると、呆気なく扉が開いた。スラは反射的に一歩後ろに下がったが、大胆に部屋へ踏み込んだ。
「‥‥何もない!がっかりだね‼」
自分たちの部屋同様二段ベッドがあるだけで、「指示書」が確認できるテーブルもクローゼットも無かった。物が少ないからか彼女の訴えはよく響く。
「なぁーんにもない。どうして皆志願しないんだろう?土が無くなったら困るのは自分じゃない。誰かが戦えば良いって思ってるのかなぁ。なんにもしないなんておかしいよ」
餌を頬にためたリスのように頬を膨らませ腕を組んだ。
「あ!スラ!」
スラがぷんぷんと一人怒っていると、部屋の外から彼女とよく似た顔立ちの少年が目くじらを立てていた。
この二人の全く違うところといえば性別と瞳の色だ。ティヤは森林のような緑色の瞳でスラより一回り体が大きい。
ティヤはきつい口調でスラを叱る。
「どこに行ったのかと思ったら、勝手に入ったらダメだろ!〝指示書〟以外の目的で他の施設を使うべからずって兵士規律に記載があったのに!ちゃんと読めよ‼なんでいつも勝手に動くんだ!」
「そういう言い方やめてよ!エラそうに!だっておかしいと思わない⁉誰もいないんだよ?」
スラは誰もいない二段ベッドを指差した。
ティヤは真面目に規律を守っているのか、部屋には入らず手招きで出てこいと促す。
「仕方ないんじゃない。もともと沈没都市は〝MSS〟に許可された人たちだけが住める場所なんだから。教養の高い人達は知性的で争いを好まない。ナグルファルでもその人間性は同じなんだよ」
ティヤの見解に、スラは皮肉気に鼻を鳴らした。
「〝MSS〟の教育もタマモノだよねー。そのおかげで私たちが頑張らないといけないんでしょ?いいよね、街の人は。安全圏で平和のためならなんでも言えて」
棘のある言い方をするスラにティヤは少し困った顔をしたが、彼女の言うことを否定はしなかった。彼自身も現状に思うことがあるからだろう。
ティヤは咳払いをして、「ここに来たのは俺らの意志だろ」と彼女を窘め、「先に行く」と歩いて行った。
彼の靴音が小さくなるのを聞きながら、スラは部屋をもう一度見渡した。
「‥‥それにしたって、誰もいないなんておかしいよ」
――――――――――
演習場は外から見ると工場のように巨大な施設である。
街の建物は上部に従って狭まる形が多いが、この演習場は綺麗な長方形の箱型だ。
演習場に入った二人は明日の天気を確認し、風速、波の高さ、気温、水温、湿度などを操作パネルで設定していく。
和服のように袖の広い研修着をベルトで締め、海面滑走用の膝下まである黒いブーツを着用している。軍用ゴーグルも目にかけるのだが、今は首元に下げたままだ。
「完了するまで時間があるし、まずキヴォトスのおさらいからしよう。説明書はちゃんと最後まで読んだよな?」
ティヤが完了までのタイムを画面で眺めながら相棒に尋ねると、彼女は不満そうに顔をしかめた。
「その人を試すような質問、やめた方がいいよ」
「情報整理が苦手なヤツと一緒に戦うから不安。ちゃんと理解しているか確かめたい」
「うわっ。やな奴!他に仲間が増えた時もそんな態度だと嫌われるよ!やーな奴!かわいくなーい!」
「うるさい。協力すべき時に協力できるなら嫌われてもいいよ。まあいいや。俺が復習してやるから、ちゃんと聞いてな?」
「‥‥へぇ。ああそう、いいよ。私、ティヤより心が広いからね。怒ったりしないよ。ちゃんと話してみなよ」
お互いがお互いの生意気な態度に腹を立て、しばらく無言の状態が続いた。
ティヤが咳払いし、「システムマップから」と切り出した。
キヴォトスとは、両の親指、人差し指、中指の六本の指に装着する指輪だ。
従来の武器をモデルにしたものもあり、エネルギーにコストがかからず、指輪本体が壊れない限りは機能に摩耗がない。
資源不足の時代にとってこれ以上ない最高の武器であった。
「各機能の最適化や出力の制御、キヴォトスの軽量化。攻撃手段とは別に、安全に使うための機能も頭に入れておけよ。ああ、そうだ。通信手段の〝エア〟はもう起動させておこう」
「これ便利だよね!通話ってこんな感じなのかな?なんかさ、最先端の便利グッズを使っているみたいでテンション上がらない?」
「気持ちは、分かる」
心のままにはしゃぐスラに、ティヤはつられないよう口元に力を入れて頷く。
キヴォトスの使い勝手の良さはまるでスポーツやゲームのようだ。心が躍る気持ちは確かにあった。
スラはさらに閃き、手をぽんと叩いた。
「ねえ、これをもっと宣伝したら徴兵できるんじゃない?チラシとか作ってさ」
「言えてる。一五歳からなら性別も出生も関係なく使えるわけだし。…いや、それはまた後で話そう。脱線してる」
ついスラの閃きについていってしまったティヤはハッとして首を振った。険しい表情をつくりなおして「いいか」と続ける。
「一番重要な機能は実戦で使う攻撃手段のスキルエリアだ。次に加速・海面滑走など補助するモーションエリア。あとは敵感知や仲間の居場所を探知するマルチレーダー。最後にアクセスエリア。ここまでで分からないところはあった?」
ティヤの問いかけに、スラは小さく首を傾げる。
「ん~。その最後のアクセスエリアかなぁ。これどうやって使うの?説明を読んでも分かんなかった」
「アクセスエリアにある機能は〝フラム〟だな。俺もこれが一番分からないんだ。あともう一つ」
ティヤは言いながら施設の設定を行っていた画面に向き合う。画面のタイムは丁度ゼロを刻んだ。環境設定は完了したようだ。
「マルチレーダーの〝ラダル〟がどうして最弱の設定になってるのか、かな」
「百聞は一見に如かず。まずアクセスエリアの〝フラム〟ってやつを試してみよう」
疑似的な海に出た二人は二〇mほど離れたところで向かい合い、キヴォトスを起動させた。
通信機能〝エア〟のおかげで離れていても会話は問題ない。
「〝フラム〟」
最初にスラが指示を出すと、キヴォトスから銀糸が飛び出し、彼女の左肩に〝ブリッツ〟発射式を編んだ。
あまつさえボン‼ボン‼と雷撃が勝手に砲撃した。
「うあ⁉あぶな!危ない‼」
驚いてスラは声を上げる。ティヤは反射的に屈み、頭を下げて自衛する。
スラの砲撃は止まらず、施設の八方に当たり散らかしていく。彼女が「〝停止〟!〝停止〟しろおお‼」と叫んだことによって収まった。
施設は訓練による損傷も視野に入れて設計されているので、雷撃を吸い取る壁が焦げるだけに留まった。あと何発か食らえば高価な資源に穴を開けることになっただろう。
意図的であれば規律違反と法律違反で処刑になる案件だ。
「なんで急に〝ブリッツ〟が動いちゃったわけ⁉私、言い間違えてた⁉」
「い、いや…」
ティヤはそっと身を起こし、スラの言葉に首を振った。
「しっかり〝フラム〟って言ってた。間違いない。俺が聞いてたんだから」
「私への信頼度が低すぎない?」
「次は俺が試してみる」
ティヤが姿勢を整えていると、文句を垂れていたスラはすぐに身を屈めて頭を押さえた。そんな相棒を見ると〝フラム〟を使うことを躊躇ってしまうが、ティヤは勇気を出してキヴォトスに指示を出す。
「ふ、〝フラム〟!」
「あぁあ!…って、ティヤが二人になった⁉」
思わず声を出した後、スラは改めて驚いた。
キヴォトスから銀糸が大量にわっと解けると、ティヤの隣にもう一人のティヤを編み上がった。
雪のような白い髪。森林色の碧眼。表情はないが、まるで生きている人間のような出来上がりだ。ご丁寧に〝ミエ〟槍式まで握っている。
「あ、これ、もしかして〝イリュジオン〟ってやつじゃないか?相手の撹乱に使えるけど、出力が高いと〝ラダル〟にも感知されるから使う時は注意しなくちゃいけない機能だ。…あ、消えた」
もう一人のティヤはばらばらと銀糸が解け、本物のティヤのキヴォトスへ戻った。
ティヤは自分のキヴォトスを見つめ、少し考えた後、もう一度「〝フラム〟」と指示を出す。
今度はティヤの手に刀剣式が編まれた。
スラはきょとんとしながらティヤのいる場所まで滑走してきた。
「どういうこと?なんでこんな色々出てくるの?」
「これさ、もしかしてランダム選択なんじゃないか?」
「なにそれ」
「アクセスエリアの説明は、【攻撃機能が通常状態となるよう使用者と繋がる】ってあったから、俺はてっきりスキルエリアと使用者の橋渡しみたいな役割かと思ったんだよね。けどそうじゃなくて、ランダムで機能が選択されるのかも」
「…簡単に言って」
スラがすでに疲れたように目を座らせる。
ティヤは一行で伝えてやる。
「つまり。適材適所で機能を選択できないわけだから、この機能は役立たずってこと」
「ええーえ⁉なぁんであるのこの機能ぉー‼」
巨大な施設の中でスラが叫んだものだから、わんわんと反響した。ティヤは鬱陶しそうに耳を塞いで、「俺が知るわけない!」と返す。
「何が出てくるか分からないんじゃ使わない方が安全だから、絶対に、絶対に、絶対に使うなよ」
「三回も言った…。だから私への信頼度が…」
ティヤが有無を言わせないくらい強く警告してきたので、スラは愕然とした表情を浮かべた。
「じゃ、次は〝ラダル〟の出力だな。模擬戦で試してみよう。俺が出力上げた状態で戦うから、スラは通常の、最弱の設定のままでやって」
「いいけど、ティヤはどこまで出力を上げるの?」
「手始めに八%」
そう言うや否や、ティヤはシステムマップの〝チューニング〟を起動させる。そこに〝シメイラ〟という文字とダイヤル表示が浮かび上がる。ティヤがダイヤルを回すと一%設定の〝ラダル〟が八%に上った。
アスタロトの体格と性質に似せた黒い物体が模擬戦相手だ。
スラが操作を終えると、水中の壁際がゆっくりと開いた。五体の模擬戦相手が流れ出てくる。
ティヤは〝ラダル〟から異常を感じないことを確認して「じゃ、このままでこの五体、倒してみよう」とゴーグルを装着した。
―――――――――――
演習が終わり、二人は兵舎に戻って来ると順にシャワーを浴びた。ティヤは二段ベッドの上で、スラは下で横になる。
眠い時に上に登りたくないスラは、我儘を聞いてくれた相棒を見上げる。
彼女は「結局さ」と声をかけた。
「〝ラダル〟は出力上げても大丈夫そうだったよね。どうして一番弱い設定だったのかな」
「〝ラダル〟は感知する優先順位が設定できるだろ。あれって使用者の体の負担を最小限にする措置なんだと思うよ。一度に全部感知できたら体がもたないんだろ。まあ、安全を考慮して五%までしか上げないから試してみよう。実際、体に異変も無かったし」
ティヤの推測に、スラはあくびをしながら相槌を打った。
リスクや危険性まで詳細に記載がなく、やや不満を覚えてしまう。
(一時撤退もしていいわけだし。アスタロトを倒すためにやっちゃいけないこともないし)
自分を納得させようとしたスラだが、腑に落ちなくてティヤに尋ねた。
「ティヤは戦うの、怖くない?」
「キヴォトスが使いやすいおかげで不安はないかな。怖くないわけじゃないけど、選ぶ余地もないまま飢えて死ぬ方が怖い」
「ああ、私もそれは同感。戦うこと自体は自分で決めたことだし、一人じゃないし、特別怖くないけど、」
スラは布団を口元まで引き上げ、眠そうにゆっくり瞬いた。
どこか他人事のようなこの世界で、本物の不安を曖昧に思い出す。
「生きるだけで精一杯になる方が、怖いよね」
―――――――――――
翌日。
初戦が始まる。
二人は雨が降る中、沖に出て海面を滑走していた。
二人は軍用多機能ゴーグルを付けて雨粒から目を守っている。
「今日はこれ以上悪天候にならない予報だけど、戦うのに不都合が生じるくらい足場が悪くなったら即撤退」
ティヤの提案に、スラは頷く。
「もともと海はアスタロトの戦場だもんね。賛成」
スラは風に吹かれる自分の髪を抑えながら海を睨みつける。
(…出てこないな。天候が悪いと餌の臭いが分かりづらいとか?)
ティヤも険しい顔で辺りをまんべんなく見渡す。
(このまま進むと、Fage以降足を踏み入れていない水域に入る。俺達にとっては未開の領域だ)
ここで止まろうと、ティヤはスラに手を上げて合図を出した。
二人はゆるりと止まり、〝ブリッツ〟散弾式を構えた。
「下で動いている気配がある。数は――いッッ⁉」
突然の耳鳴りに、二人は両耳を手で押さえた。
内耳から目元を突き刺すような痛みを感じ、目を開けていられなかった。
危険が迫っていると知らせるその刺激は、次第に体のあらゆる器官を痙攣させ痛みとして二人に伝達させた。
(〝ラダル〟の、出力を上げたせい⁉)
キヴォトス使用者の五感を高める〝ラダル〟は、出力が最低値でも十分であったのだ。特に、敵感知に関しては。
二人共そう直感したが、〝ラダル〟の出力を変更できる余裕がなかった。それもそのはず、耳鳴りの原因が猛スピードで近づいてきたため、痛みが重圧に変わって全身を締め付けた。声も出せず、もう指先も動かせない。
敵が迫ってきている感覚などもう消え失せてしまった。
自分自身も、相棒も、どう殺されたのか分からない。気が付けば二人きりの海には血だまりしか残っていなかった。