表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/5

4.出会い

 

 ジョイス七歳の初秋。

 祖母の療養のために別荘暮らしをしている祖父母たちがジョイスに会いたがっていると、継母に追い立てられるようにして幼い彼ひとりが馬車で邸を出立した。


 馬車の窓から遠ざかっていく景色を眺める。

 エンデル領はメトロシア王国唯一の国境を守護する領地だ。

 所々トンネルになった険しい山間の街道が終わると同時に、精霊王の結界に護られた上で、寸分の隙もない堅牢な砦と関門がある。山を削って作られた砦に迂回路はなく、獲物がやって来るのを待ち構えている翼竜の目を掻い潜りながら、うんざりするほどの高さがある砦をよじ登って密入国するのは、文字通り命懸けだ。

 年に幾人かの犠牲者が出ると聞いている。子供のジョイスでさえ無謀だと分かるのに、大の大人が馬鹿なのではないのかと父親に言ったら苦笑していた。


 関門を抜ければ、数百年に渡って開拓され、山の中腹にしてはそこそこ大きな領土――エンデルだ。

 背後には翼竜が住まう険しい山々が峰を連ね、王都に繋がる街道は急な斜面と崖を有する林道。どちらからも攻め込むには難しい立地である上に、精霊王サチュヴァリエスの庇護を賜っている。


 過去に攻め込もうとして痛い目を見た貴族や国は両の手でも足りない。豊かな領土であり、メトロシア王国建国よりも二百年ばかり歴史の古いエンデルは、王国で唯一治外法権を認められた領土でもある。

 かつて王国は欲を掻き過ぎたがためにエンデルを征服し、ロアの血族を抹殺しようとした。当然、精霊王サチュヴァリエスは激怒し、エンデル以外の国土を一夜にして荒廃さてしまったのだ。


 そんな状態が長引き、窮状を見兼ねたその時代の “ロアの花嫁” が助け舟を出し、王国は九死に一生を得た。その際に不可侵条約が結ばれたのがおよそ六百年前。

 今よりもっと幼い頃から幾度も聞かされてきた歴史。

 左の胸に加護紋を持って生まれたジョイスは、エンデルの次期領主になる。それは絶対だ。


(けど……)


 ジョイスをよく思わない人物は、一定数いる。

 正直しんどい。

 そうこうしているうちに領地の終わりが見えてきた。

 中央の王都方面に向かって林道を西に駆け抜けた馬車が、エンデル領を抜ける石造りの大橋を渡り、南に進路を取る。


 ジョイスが向かっているのは、海に近く年間を通して温暖な祖母の生まれ故郷だ。長年エンデルに尽くしてきた祖母のために、祖父が終の棲家に選んだ土地でもある。

 そんな祖父母がジョイスを呼んでると言われれば、彼に否やはない。喜んで行く。

 しかし、父が不在の間に追い立てられるようにエンデルを後にした彼の心に、一抹の不安が顔を覗かせる。

 そしてそれは的中した。


 馬の(いなな)きが聞こえてきたのとほぼ同時に、車体が傾ぐ。

 馭者の悲鳴。

 車窓から見えたのは、川底に向かって落下していく光景。

 ジョイスは固く目を瞑り、死を覚悟した。



 ***



 咲良十四歳――八月に入ったばかりの夏休み真っただ中。

 母親と一緒に近くのスーパーに向かっている途中、ご近所さんに出会って立ち話を始めた母にうんざりした視線を向け、小さく溜息を漏らす。


(暑いのにわざわざ立ち止まって話し込むとかって……)


 おしゃべり好きの話は無意味に長くていけない。

 このままでは熱中症になりそうだ。

 早く行こうという気持ちを込めて、母のブラウスの背中をツンツン引っ張る。が、母はちらりと咲良を見ただけで、またお喋りに戻ってしまう。


 女二人のケタケタとした笑い声に、もう一度溜息を吐いた。

 こうなったら母のことは諦めて、いったん家に戻ろうかと思い始めた頃。

 ふと、誰かに呼ばれた気がした。

 咲良は辺りをキョロキョロと見回す。

 歩道がなく中央線もないような住宅街の道路。その車道の真ん中辺り。暑さのせいだろうか、空気が歪んだように見えた。気になってそこを注視していた咲良は、次の瞬間我が目を疑った。

 どこからともなく小さな子供が現れて、驚いたように辺りを見回している。


(いや。まさかね……)


 そんないきなり何もない所から人が現れるわけがない。


(暑さが見せた錯覚だよ、きっと。うん。きっとそう)


 突然現れたように見えただけと、いま見たものを都合のいいように頭の中で修正する。

 とは言え、このままでは危ない。


「ちょっとそこのボクぅ。そこにいたら危ないよぉ」


 道の真ん中で立ち尽くす少年に声を掛けてから、日本人ではないことに気付いた。


「え、もしかして言葉通じない?」


 夏休みだし、たまに子供の髪の毛を金髪にブリーチする親もいるからその感覚で声を掛けたものの、咲良を振り返った少年の顔立ちは西洋人そのものだったのだ。

 周囲の確認をすると、こちらに向かってくる車が見えた。


「とにかく移動だな」

「え、ちょっと咲良?」


 ぶつぶつと言葉を口にした娘を怪訝そうに見る母を無視し、咲良は道の真ん中で佇んでいる少年の元に小走りで急いだ。


「こっちおいで」


 少年の手を取って引っ張った。

 これといった抵抗もなく、咲良に引かれるまま歩き出す。間もなく、住宅街の狭い道を飛ばして走って行く車の後部を見送りながら「あっぶな」と声を漏らし、少年に視線を向ける。不思議そうに首を傾げて咲良を見上げる少年と目が合った。綺麗なフォレストグリーンの瞳に見詰められ、ちょっとドキッとする。


(こんなちっちゃい子相手に、血迷ってる場合か……それにしても、綺麗な顔してるなぁ)


 こっちを見上げてくる少年に微笑み返し、母のいる路肩まで戻った。


「危ない車ねぇ。ああいうのこそ捕まえてくれないかしら」


 車を見送った母が咲良を振り返りながら言った言葉に「まったくね」と同意する。

 それにしてもと、咲良は辺りに目を走らせる。

 保護者らしき人物は見当たらない。


「迷子かな?」

「そうねぇ」


 母娘の会話を聞いていたご近所さんは、「あら大変。そろそろ行かないと」と言ってそそくさと退散していく。

 面倒事から逃げたご近所さんに母は苦笑し、少年に目線を合わせて前屈みになった。


『お父さんかお母さんは一緒じゃないの?』


 母が英語で少年にいろいろ訊ねた。しかし少年は首を傾げるばかりだ。


「英語じゃ通じないのかしら?」

「そうなのかも」

「困ったわね」

「うん」


 母娘は少年を見ると、ほとほと困ったとばかりに溜息を吐いた。

 もしかしたら迷子の届けが出ているかも知れないからと、少年の手を引いて交番に行ったが、残念ながらそのような届け出はなかった。

 出身国がわからないから大使館に問い合わせるにも時間が掛かる。


 取り敢えず警察経由で保護施設に預かって貰うことになり、咲良たちが交番を後にしようとした時だった。

 少年は聞き慣れない言葉を捲し立て、咲良にしがみついて離れようとしない。そこで無理に引き離すのも可哀想だからと、母が少年のことを請け負ったのだ。

 咲良には年の離れた兄と年上の従兄弟たちはいるが、親戚に年下の子供がいない。常ならば『また余計なお節介を』と母に苦言を呈するところだが、弟妹の面倒をみることに微かな憧れがあった咲良は、二つ返事で賛成した。


「あたしは咲良。サ・ク・ラ」


 少年と目線の高さを合わせ、自分を示しながら自己紹介をする。きょとんとした表情の少年にもう一度繰り返す。


「サ・ク・ラ。あっちの人はお・かあ・さ・ん」


 それで自己紹介だと気付いたらしく、意味が解らない言葉を連ねた後に自分の胸に手を当て「ジョイス」と名乗って軽くお辞儀をした。


「あら。着ている服もそうだけれど、ちょっと良いところのお子さんなのかしら? 咲良よりもずっと礼儀正しいわね」


 質は良さげだが時代錯誤的な服装のジョイスをチラ見してから、母を軽く睨む。


「育てたお母さんがソレ言う?」

「ほんとにね」


 しれっと答えた母に、少し不貞腐れた振りをする咲良だった。



 ***



 “咲良が男の子を拾いました” とだけ連絡を受けた父が、その日はいつにもまして早い帰宅をした。

 そこで詳しい経緯を聞いた父が「そっか」と声を漏らす。きっかけは咲良だったが、決定したのは彼の愛妻である。世話焼きな性格を知っているので、早々に諦めた。

 もっとも彼が納得できなかったとしても、犬猫の子供のように、拾った場所に返してきなさいとは言えない。


 加えて甲斐甲斐しく世話を焼く娘の嬉しそうな表情を見たら、彼はもう何も言う気が起きなくなった。

 このあと彼に残された仕事は、長年ひたすら真面目に働いてきた会社をこの春に退職し、連れ添ってきた妻と海の上で悠々自適な旅行を楽しんでいる父に連絡をすることと、都心の大学に進学して家を出ている息子に連絡をするくらいだろう。


 人が良くて世話焼きな祖父母と母の姿を見てきたせいか、少々ドライな息子の呆れている姿が目に浮かぶ。

 それでも夏休みの間に一日くらいは顔を出すかも知れない。明日にでも保護者に引き取られるかも知れないが、それならそれで良い事だ。

 今日は十数年ぶりに子供をお風呂に入れる仕事を任された――が、徹底的に嫌がられた。

 まあそれは仕様がない。初めて会った見ず知らずの大人の男に警戒心を抱いくのは当然だ。ましてや無防備な状態になるわけだから。


 しかし。いくら相手が小さな子供だとしても、年頃の娘と一緒にお風呂に入れさせるのは父親として断固反対だ――年頃でなくとも許さないが。

 結局、咲良にしがみついて離れないため、彼女がお風呂に入れた。ただし、彼女は入れただけで一緒には入っていない。それでもかなりの譲歩だと思う。彼の妻は呆れた笑みを浮かべていたけれども。



 ***



 ジョイスを保護してから三日目。未だに保護者が見つかったとの連絡がない。

 小さな子供の捜索願が出ていないのは異常だ。何か事件性があるのではと事情聴取が行われたが、どんな言葉も彼には通じないのだからお手上げ状態だ。

 しかし早くもこちらの言葉を理解し始め、お陰で多少の意思の疎通が図れるようになった。これも咲良の献身あってこそだろう。


 とにかくジョイスは物を知らなかった。

 良い服を着て血色も良いことから、監禁などの虐待に遭っていたとは思えない。

 持って生まれた性格もあるので断定はできないが、森山家限定で早々に人見知りをしなくなった様子からして、健全な家庭で育っているようにも見える。

 なのにいちいち驚くのだ。特に電化製品に。

 世界は広い。地形的な関係でまともに電気が通っていない国も多い。そんな外国から出て来たせいで、保護者達も連絡が取れないのだろうかと思う程だ。


 それで思うところがあるのだが、ジョイスの左胸に月桂樹のようなリースと、その内側に見たこともない文字のようなものが描かれている。

 こんな小さな子供にタトゥーを入れるなんてと思ってしまう反面、妙に格好いいからなんとなくモヤッとするのだが。

 でももし民族的な風習ならきちんと意味があるのだろうし――護符と言えば護符に見えなくもないので――そう考えて思いつく限りのワードやタトゥーの画像で検索したものの、それらしきものは探し出せなかった。


(ただの親の趣味?)


 世の中には咲良が知りえない常識がたくさんある。それを自分の常識の型に嵌められるわけもない。それは祖母がよく孫たちに言っている言葉。

 初めてジョイスをお風呂に入れた時に、目に飛び込んできたジョイスのタトゥー。そっと触れた時に、彼は嬉しそうな、誇らしそうな、そんな表情をしていた。

 ふと、その時のジョイスが咲良の左手を取って、手首の内側、葉っぱ模様の痣にキスをしたのを思い出す。

 自分よりずっと小さいのにその仕草が様になっていて、うっかり見惚れてしまったのがちょっと悔しい――などと思っている咲良だったが、彼のその行動がマーキングだったと知ることになるのは、これから十年後の話である。



 十日過ぎても、二週間過ぎても、ジョイスの保護者からの連絡がない。

 いよいよこれからどうするべきかと大人たちが頭を悩ませている頃、咲良とジョイスは庭で遊んでいた。

 数の概念を教えるのに駄菓子屋でおはじきを買った時に、一緒にパチンコを買った。黄緑色のそれがジョイスの目を引いたのだ。

 その時、正直彼が何を言っているのか咲良には分からなかったけれど、とても楽しそうにしていたので、故郷に関連することを言っていたのではないかと推測するが、寂しがって泣くようなことはなく、子供らしくないと、その時ふと思った。

 庭に転がっている小さな石を集め、並べたペットボトルを的にして交互に射ち合いっこをしていると背後から声を掛けられた。


「「おにい」」


 振り返った二人の顔に満面の笑みが浮かぶ。

 バイトだサークルだと言って、盆暮れの数日しか実家に顔を出さない兄の樹生(たつき)が、ここ最近足繁く帰ってくる。もちろん目当てはジョイスだ。

 いつもならドライな性格の兄なのだが、蓋を開けれてみればお節介な祖母と母親の遺伝子をしっかり受け継いでいたらしい。この二週間で今日を合わせると三回目の帰省となれば、かなりのハイペースである。何がツボったのやら。


「よおジョイス。元気か?」

「おにい、あたし、ゲンキよ」

「ちっちっち。ジョイス。ボクは元気です、だろ」


 常に一緒にいる咲良と母の女言葉を覚えてしまったジョイスの言葉を矯正する樹生を見て、当の本人は首を傾げる。


「だめ?」

「ダメじゃないんだけど、むしろ違和感ないんだけど……おい咲良。お前ジョイスの前では僕って言えよ」

「なんでよ!」


 兄の不条理な言葉に抗議すると、二人の間に両手を広げたジョイスが立った。


「おにい。サクラ、いじめる、だめよ」

「イジメてないよ。ジョイスに男の子っぽい話し方教えてやってくれって言ったの。なあ咲良、お前得意じゃん。俺の言葉遣い真似してたんだから」

「え~。ジョイスの好きなように話せばいいじゃん。おかしいと思ったら自分で治すでしょ。あたしみたいに」

「冷たいな。ジョイスが恥ずかしい思いするだろ」

「若い頃の恥は買ってでもしろって」

「それ言うなら “苦労” な」

「おばあちゃんが言ってたもん。恥ずかしい思いをしたことは絶対忘れないから、同じ失敗は繰り返さないって」

「間違っちゃないけど、俺もばあちゃんにそう言われた記憶あるけど、そりゃトラウマだろ」

「そうやって打たれ強くなるんだって」

「打たれ強くなる奴ばっかじゃないからな?」


 だんだん白熱していく二人に挟まれていたジョイスが樹生を突き放し、涙目で咲良にしがみついた。その行為に軽くショックを受けた樹生が茫然とジョイスを眺めている。


「ジョイス、大丈夫だよ。ケンカしてないからねぇ」


 兄妹の会話のほとんどは理解できなくとも、言い合う会話の端々に自分の名前が出てくれば不安にもなるだろう。啜り泣く彼の頭を撫でながら咲良がそう言うと、不安そうな眼差しで見上げてきた。


「ねっ。おにい」

「おう。仲良しだからな」


 樹生が咲良の肩に腕を回し、その手で彼女の頭を搔い繰りまわす。ぐちゃぐちゃなった髪の毛に咲良が渋面していると、ジョイスから小さな笑いが漏れた。



 夏がもうすぐ終わりを迎える頃、別れは突然やって来た。

 休日の家族が揃った朝食の席。ぐらりと空間が歪んだのを感じて皆が目を合わせたのとほぼ同時に、紗の中にジョイスが閉じ込められた。中で彼が喚いているけれど、咲良たちには聞こえない。

 手を伸ばした咲良の前で、ジョイスは掻き消えた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ