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3. どうやらここは紛れもなくファンタジーな世界らしい


 ソファに腰かけて、ローデンが淹れてくれた紅茶を啜りながら、目の前で拗ねているこの家門の当主だという青年――ジョイス・ロア・エンデルを見る。

 なぜ彼が拗ねているのかと言えば、然も当たり前のように咲良の隣に座ろうとしたので向かいに座るように促したところ、まったく聞く耳を持たなかった。そのためちょっと脅してやったら不承不承ながらも向かいに座ったのだが、ずっと不機嫌な顔を隠さない。


 大層な脅しではない。が、実に大人げないものだ。

 ジョイスとは絶対に話さない、そう言っただけ。ただ彼にはその件に関して少しばかりトラウマがある。

 その経緯を話そうと思ったら、彼が七歳だった頃にまで遡る。まあ簡単に言えば、咲良が祖母から貰って大事にしていたガラス細工をジョイスが壊した。もちろん彼に悪気があったわけではない。けれど、その壊れてしまった姿を見て、一瞬にして頭に血が上り、暴言を吐いた後、泣きながら謝罪をする七歳も年下の子を相手に、無視して口を利かなかった。

 翌日。寝て起きたら頭も冷えていて、朝一番にジョイスに謝って仲直りしたけれど。


 それはさておき。

 ムスッとしながら紅茶を啜るジョイスを尻目に、ローデンがテーブルに菓子を並べていくのだが、彼の口元が少々笑っている。それがどう言った類のものか咲良には判らないが、老執事のその顔を見たジョイスの唇がさらに尖がっていく。

 先程のやり取りを見ていても思ったが、この二人、主人と使用人の関係でも気の置けない仲のようだ。ちょっと羨ましい。


『普段菓子を振舞うような客もなく、急な事でしたので大したものはご用意できませんでしたが……どうぞお召し上がりください』


 勧められて、会釈しながらテーブルの上に視線を走らせる。そうは言っても、大皿に乗った焼き菓子の種類は十分だろう。


(むしろこんなに並べられてもな)


 全部食べる必要はないのだが、こっちを見てくるローデンの圧が凄い。

 恐る恐る手を伸ばし、その中でもシンプルな焼き菓子を抓んで口に運ぶ。さっくりとした歯ごたえの後に木の実の香りが口中に広がる。


『……おいしい』


 ピスタチオのような色味でヘーゼルナッツのような風味がする。


『そちらは “貴婦人の森” でしか取れない木の実を使用したエンデルの伝統的な焼き菓子でございます』

『貴婦人の森?』


 おうむ返しに聞き返すと、ローデンが頷く。


『このエンデル領を古くから守護されていらっしゃる精霊王の住まわれる森です』

『へ……へえ』


 少々引き攣った笑みを浮かべる。


(精霊王とか、いきなりファンタジーぶっこんできたな)


 異世界に来てしまった時点で十分ファンタジーなのだが、見知った顔があるせいか、まったくそんな気がしていなかった。


『そして初代ロア・エンデルのお母上でもございます』

『ふ~……んん?』


 左手首の内側を無意識にぼりぼり掻きながら、さらっと流しそうになったローデンの言葉に首を傾げる。


(お母上? ……精霊王が?)


 何かの聞き間違いだろうか?

 ファンタジーは決して嫌いではないが、当事者になったら正直困惑する。それを察したジョイスがやれやれとばかりに溜息を吐くと、しばらくぶりに口を開いた。


『ローデン。サクラの世界では精霊王もいなければ、魔獣もいないし魔法もないって教えたよね?』

『そうでしたそうでした。これはうっかり』


 ほほほと笑うローデンは、間違いなく好々爺だ。一家に一人いると和みそうな気がする。

 ローデンにつられてほんわかしていると、正面のジョイスが立ち上がり、テーブル越しに咲良の左手を取った。さっきからぼりぼり掻いていた手首に視線を落とし、『掻き過ぎ』と眉を顰めつつも反して口元がにやけている。

 ジョイスの矛盾した態度に首を傾げつつ『だってずっとむず痒いのよ』と反論していると、ローデンがどこからともなく繊細な模様が彫られた幅三十センチほどの木箱を持ってきた。それをテーブルに置いて上蓋を起こす。中を覗いてみると、何となくだがラインナップ的に薬箱っぽい。


『ええっと、痒み止めは……と、ありましたありました』

『僕がやるから貸して』

『左様でございますか』


 にまにま笑うローデンから蓋の空いた薬瓶を受け取ると、素知らぬ顔をしたジョイスが流れるように咲良の隣に移動してくる。

隣に座る口実を与えたようでスッキリしないけれど、この痒みを取り敢えず何とかしてくれるなら致し方ない。

ジョイスは左手で咲良の手首を掴み、もう片方の手では持ったままの薬瓶から軟膏を指に取る。器用だな、と咲良が眺めているとジョイスが言を継いだ。


『ほんとは薬なんか必要ないんだけどね』


 イタズラっぽく笑うと、痒くて堪らない左手首の内側にジョイスが唇を落とした。

 ぶわっと燃え上がる熱のような感覚に驚きを隠せず、咲良は目を見開いて手首に視線を向ける。

生まれた時からあると聞いている葉っぱのような痣が次から次へと増殖し、柔らかな熱が手首をぐるりと取り囲んだ。

咲良が唖然としている間にも、蔦植物の成長を早送りで見ているかのように腕を絡めとって這い上っていく。増殖していく仄かな熱がロングTシャツの袖の下で腕の付け根にまで達したのを感じる。手の甲にも伸びた蔦模様の痣は、彼女の薬指にまで到達するとピタリと動きを止めた。

まるでインドのヘナタトゥーのようになった痣からジョイスに目を移し、陸に上がった魚のように口をパクパクする。

あまりの事に言葉が出てこない咲良に対して、美麗な青年がにっこりと微笑んだ。


『もう痒くないだろうけど、一応薬塗っておくね?』


 聞きたいのはそこじゃない――常ならばそうツッコムところだが思考が上手く纏まらず、咲良の視線はひたすら己の腕とジョイスの顔を往復する。

そんな咲良の困惑を察したローデンが咳払いをし、『旦那様』とどこぞのスケベおやじヨロシク咲良の手首にねっとりとした手付きで――実際ねっとりとした軟膏なのだが、きっとそれだけではない――薬を塗るジョイスに声を掛けた。


『奥方様にきちんとご説明をなさいませんと』


 さっきからツッコミそびれている “奥方様” 呼ばわりされて、咲良がキッとローデンを睨むが、微塵も堪えていない。むしろ嬉しそうに見える。


(ちょっとヤバイ性癖の人?)


 いい人そうで好ましく思っていたのだが、もしかしたら考え直す必要があるかも知れない。


『ああ、そうだね』


 頷いたジョイスが手に持っていた薬瓶をローデンに差し出した。老執事はそれを受け取ると速やかに蓋を閉める。


『どこから説明しようか……』


 首を傾げているジョイスにローデンが真っ新なハンカチを差し出す。それを受け取って指に付いた軟膏を拭い取ると、きれいに畳んでテーブルに置いた。ローデンがすかさずハンカチを上着のポケットに仕舞い込む。

 青二才といえるだろうジョイスに傅くローデンを見て、咲良は苦笑いを浮かべた。


(庶民のあたしとは世界が違うな……ってか、そもそもの世界が違ったわ)


 その “そもそも“ がまるきり違う彼が、こうまで咲良に執着する理由として考えられるのは、子供の頃の刷り込みに他ならないだろう。

 いきなり知らない世界に放り込まれて途方に暮れた状況で、危機を救ってくれた咲良は、彼にとって何にも代えがたい存在だったろう。ましてや齢七歳の子供だ。幼いながらに感じた恩義を愛情と勘違いしたのだと思う。


(大の大人だって途方に暮れる。しかも優しくされたらほろっともするわ。……あたしには、顔見知りのジョイスがいてラッキーだったわね)


 右も左もわからない所にいきなり放り出されていたら、最悪なことになっていた可能性だってあるのだ。


(考えるのも怖いわ)


 自分の腕を抱いて身震いをする。


『サクラ大丈夫? 寒い?』


 何気ない仕草でジョイスが咲良の体を抱き寄せ――きらないうちに、彼女の手がジョイスの顎を下から抉るように押しやった。


『ひ、どい――……心配しただけなのに』


 咲良の手から逃れたジョイスが情に訴えってくる。が。


『邪なものを感じた』

『……気、のせいだから』


 とか言いながら目が泳いでいる。

 ジョイスの目から目を離さないまま『ハウスッ』と、先ほどまで彼が座っていた向かいのソファを指さす。しばし咲良を見返しながら抵抗していたが、結局はすごすごと席を移動した。

 そこまでしてふとローデンの存在を思い出した。

 主を犬扱いして不興を買わなかったかが気になり、少し離れた所に立ってこちらを見ているだろう執事を盗み見る――と、有難いことに彼は視線を外して見て見ぬ振りをしてくれていた。

 向かいでまた拗ね散らかしているジョイスに目を戻し、嘆息してから口を開く。


『で、いつになったらいろいろ説明してくれるの?』


 ジョイスはどんなに拗ねていても、咲良に問われたら答える子だった。

 それはどうやら今も変わっていないらしい。

 咲良の手首にあった痣が突如成長を始めた理由を彼は『ロアに選ばれた紋様(しるし)を持つ花嫁が、エンデルの森の貴婦人から祝福を受けたから』だと言った。

 貴婦人の祝福というよりも、咲良的にはジョイスの口付けのせいという感が強いなと、首を傾げてからふと思い浮かんだ疑問を口にする。


『ちょっと待って。ロアに選ばれたって、そんなん異世界にまで及ぶもの?』

『そうなんだよね。これまでの歴代花嫁様たちが異世界から来たなんて話はこれまで一度もなかったから、何かしらの原因があってそうなってしまったのか、サクラが変わっているだけなのか』

『地味にディスってる? あたし云々はいらなくない?』

『可能性がないわけではないでしょう?』


 面白くないが、まったくもってその通りなので、ムッとしたまま紅茶を啜った。


   ***


 なおもジョイスの説明は続き、時代はこの大陸にまだ国としての概念がなかった頃、およそ千二百年前にまで遡る。

 大陸の最西端に位置する半島には、数多くの豪族たちが幅を利かせていた。

同じ頃、雄大な山々と森に隠れるように小さな集落ができた。

 彼らはエンデルの森の外。数日歩いた所にある土地から逃げ込んできた者たちだった。常ならば己の領域に人間を入り込ませたりしないのだが、この時は違った。悪さをするでもなし、木々と大地、そして精霊たちに敬意をはらう性質を持ち合わせていたので、エンデルの森の貴婦人――サチュヴァリエスは彼らを容認したのだ。


 サチュヴァリエスに庇護されながら、麓で暮らすこと数十年。

 小さな集落は多少大きくなったものの変わらず、たまに些細な諍いがある以外は、基本的に平和そのものだった。

 そんなある日、一人の男児が産声を上げた。これまで幾度も聞いてきた赤子の声だったのに、サチュヴァリエスは何故だか心が惹かれた。

 カルグと名付けられた赤子はサチュヴァリエスから一入ひとしおの加護を賜り、美しく雄々しくも心優しい青年に成長する。


 そして青年は恋に落ちた。

 カルグは狩りをしていてうっかり森の奥深く、禁足地に踏み込んでいた。高木がなく、ぽっかりひらけた場所に柔らかな光が差し込んでいる。その光景の美しさに溜息を漏らした時、ふと彼の視界に飛び込んだのは、周囲の木々が枝を伸ばして作られた大きな揺り椅子で、うたた寝をするサチュヴァリエスだった。

青年は、新緑の髪と瞳を持つ美しい精霊王に一目で囚われた。

彼女もまた、赤子の頃から見守り続けてきた青年の魂に恋をしていた。

 サチュヴァリエスは人の姿を装って集落に住み、カルグと愛を育んだ。やがて二人の間に息子――ロアが生まれる。


 けれど、人の命は瞬く間だ。

 最愛の伴侶は儚くなり、最愛の息子は純粋な人間よりも緩やかだが、それでも確実に年老いていく。

 ロアの最期の言葉は、母の愛したカルグの子孫たちの安寧と、集落の民の幸福を永久(とこしえ)に願うものだった。

 以来、ロアの資質を受け継ぐ者の左胸に精霊樹の葉のリースとその内側に精霊文字の刻まれた加護紋が現れ、精霊と親和性の高い娘の左腕に蔦が絡むような加護の模様が出現するようになったという。


 それからというもの加護紋を持つロアの直系と、精霊に選ばれた花嫁の婚姻が続いた。

 もちろん中にはそれに反した者もいたし、エンデルの山々から採掘される富を狙った者のが強引に姻戚になったりと、精霊たちの不興を買ってしまったこともあった。そうなると決まって、精霊たちのご機嫌が直るまでメトロシア王国の全土で不作が続く。

 誰も好き好んで窮地に立ちたいとは思わない。

 故にロアの者に手を出さないというのが、この国の不文律である――あるのだが、それでもたまに愚かな権力者が現れたりもする。例えば現王のように。



 ロアと花嫁の関係を話し終えると、ジョイスは淹れ直されたばかりの紅茶を一気に飲み干す。熱くないのかと目を丸くして見ていた咲良に彼はにっこりと微笑んだ。


『と言う訳なんで、サクラは僕の花嫁だから』


 向かいから手を伸ばして彼女の左手を取ると、愛しそうに薬指の根本から手の甲に向かい親指で蔦模様をなぞった。


『え、あたしに選ぶ権利は?』


 噛みつくような形相でジョイスに問えば、彼はコテンと首を傾げて束の間頭を巡らせ、それはもう爽やかな笑顔で言った。


『ないよ、多分』

『ないって』

『サクラはこれまでに誰ともお付き合い出来なかったでしょう?』

『な……なんで……』


 もはや黒歴史と言っても過言ではない過去を、知りようもないジョイスに言い当てられて咲良が挙動不審に彼を見返した。

それに気付いてか気付かずにか、ジョイスは言を継ぐ。


『どの時代も男側はわりと自由に女性を選ぶことが出来るらしいけど、女性側はいろんな意味で難しいよね。あ、僕はサクラ一筋だから安心して。尤も。花嫁様は加護の模様が目立つから、男も下手に手出しして袋叩きに遭いたくないだろうし、それ以上に害虫が付かないよう護られているからね。精霊たちに。だからね。僕を逃したら、サクラはずっと一人だよ? たぶんね』


 衝撃的な言葉の数々に咲良の脳がフリーズするが、そんな彼女にジョイスはお構いなしで続ける。


『これまでも他国にいてなかなか出会えなかった事はあったらしいけど、同じ世界にすらいないなんて、僕ほどひどい状況はないよね。あ、もちろんロアの直系でも反抗的な性格のご先祖様もいて、普通の女性を妻にした方もいたよ。けど国が荒れるものだから長続きする訳ないよね。周囲から突き上げを食らうだろうし。結果的に “ロアの花嫁” を迎えて国が安泰なんて事になるから――サクラ聞いてる?』


 ジョイスの言葉が耳を素通りしていく。


(……あたしは一体、何を聞かされているのだろう?)


 ジョイスを選ばなければ一生おひとり様がほぼほぼ確定しているとか、いったい何の冗談だろうと思いたい。

 しかも自分の結婚が国の繁栄を左右するとか。


(――……重いっ!!)


 逃げてもいいだろうか、と半泣きの瞳で傍らに控えている老執事を見る。

 すると彼は咲良の言わんとしている事をすぐさま悟り、薄く笑みを浮かべたまま小さく(かぶり)を振った。


   ***


 念願の咲良に再会することが出来たジョイスが彼女から離れようとせず、執事の指示で男性の使用人たち数名がその身柄を確保しているうちに、ローデンから侍女長のアルテを紹介された。

恐らく三十前後であろう余計な装飾のない黒の踝丈(くるぶしたけ)のワンピースを上品に着こなし、ひとつに纏めた茶髪にヘーゼルの瞳。小柄で、つい手を伸ばしたくなる少しぷにぷにした感触が気持ち良さげな体形をしている。

おっとりした面持ちの優しそうな女性の後をついて行き、案内されたのは事もあろうかジョイスの部屋のすぐ隣。


(こんなに近くて、ジョイスを確保する意味があったのか?)


 少々鬱陶しかったので助かったけれど。


『ようやくこのお部屋の主がいらっしゃって、ほっといたしました』


 そう言いながら侍女長アルテはオーク材の扉を押し開ける。

 やはりこの侍女長も流暢な日本語を話す。必須科目というのは本当のようだ。

 アルテに促されて咲良が一歩中に足を踏み入れると、アールデコ調の室内と家具で纏められた、まさしく咲良好みの落ち着きのある部屋だった。


『わたしなどは大分地味だと思うのですが、旦那様が奥様はこちらの方がお好きだからと仰って』


 と、困ったちゃんに手を焼いてると言わんばかりの溜息を吐く。

 これがロココ調の部屋だったなら、一も二もなく部屋のチェンジを願い出ていた事だろう。とてもじゃないが落ち着いて座ってもいられなかった筈だ。

 わずかな期間とは言え、咲良の嗜好を理解するとは一緒に暮らしただけのことはあるなと、『奥様じゃないから』の反論の言葉を失念して納得してしまう。


 アルテに誘われるままソファに腰を下ろして間もなく、ノックが三回。続いて女性が自分の名前を告げた。扉の外で応えを待っているようだ。

 扉を見詰める咲良の代わりにアルテが応えると、きりっとした女性が入って来た。

 年の頃は咲良と同じか、それより少し上だろうか。膝丈の黒いワンピースと、白いエプロンのお仕着せ姿。黒いストッキングに黒い編上げのショートブーツを履いている。

 彼女の足元に少し違和感を覚えつつ、侍女が咲良の前にやって来るのを待つ。

 ジョイスよりも少し黄味がかった白金髪のポニーテールが肩で揺れる。形の良い額の左から右へと撫で付けるように分けられた前髪。切れ長の二重には、菫色に輝く宝石を嵌め込んだようで、どこか近寄り難い雰囲気がある。


(こーゆー美人、嫌いじゃない。むしろ好き)


 目の前に立つお仕着せ美人に咲良の口元が緩むが。


『お初にお目もじ仕ります。奥様付きの侍女と相成りましたメリッサと申します』


 お腹の前で手を重ね、深々と頭を下げるメリッサ。


『……』


 彼女の時代錯誤な日本語の挨拶にドン引きしている咲良を気にする風でもなく――むしろよく出来ましたと言わんばかりにアルテは頷いて、言葉を引き継いだ。


『メリッサは代々騎士の家系で、エンデル緑鎖騎士団(りょくさきしだん)副団長、ルコール・サルトの妹になります。奥方様の護衛も兼ねておりますので、常にお傍にお置き下さいませ』


 アルテが慇懃に頭を下げてくる。対して咲良はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。


(誰かが常に一緒とかって、嫌すぎるんだけど)


 昔から女同士がつるんで行動する事の意味が分からなくて苦手だった。


『えっと、侍女とか護衛とか、いらないです、よ?』

『そういう訳には参りませんっ』

『そんな。あたし如きに大袈裟ですって』

『決してそのような事はございません』


 いる、いらないと、どちらも一歩も引かずにいたら、メリッサが咳払いをした。ハッとして二人がメリッサに目を向ける。すると彼女は小さく頭を下げて視線を落とし、ゆっくり口を開いた。


『奥方様はこちらの世界の事はわからないことが多いでしょうし、お傍に侍らせて頂けましたなら、お役に立つこともあるかと』

『あ、えっと、確かにわかんない事だらけだけど、そーゆーのに慣れていないし、うざいと言うか』

『うざい、とは?』

『……煩わし、い?』


 確かそんな意味だったはずと首を傾げながら言葉にすれば、メリッサは『左様でございましたか』と目を閉じてゆっくり頷く。

 うざいやら煩わしいとか、面と向かって言うのはさすがに言い過ぎただろうかと、良心が咎めてくる。けれど、それはいらぬ心配だった。


『それでしたらご安心を。気配を消してお傍に侍るのを得意としておりますので』


 にこりと微笑んだ彼女は、鋼メンタルだった。



 メリッサに邸内を案内されながら、咲良は先ほどまでの事を振り返る。

 侍女を付ける付けないでしばらくアルテと押し問答になったが、結果的に咲良が折れた。でなければこの問題は延々と終わらないと考えたからだ。

 その代わりと言っては何だが、言葉遣いをもっと砕けたものに変えて貰った。傍にいるだけで咲良を疲弊させることが目的ならば別だけれどと、皮肉を交えてアルテに提案したら、彼女は不承不承ではあったが頷いた。


(彼女等にしてみたら待ちに待った花嫁らしいから? あたしの不評を買っても良い事はないでしょうし、まあここが落としどころよね。尤も、彼らの思惑通りにおとなしく花嫁になるつもりはないけどね)


 “ロアの花嫁” がエンデル領の、ひいてはこの国の豊穣の鍵ということはジョイスたちの話を聞いて大体理解した。

 けれどなぜ自分が、異世界の訳の分からない風習に従わなければならないのか。そこが納得できなければ、ただの自己犠牲だ。薄っぺらな正義感や押し付けられた義務感なんかに従っては、後悔しか生まれない。


(好きで来たわけじゃないもんね)


 好きで来たわけじゃないのに、成す術もなく日本(向こう)の常識を押し付けられた幼いジョイスの不安は、今の咲良の比ではなかっただろう。


(……それを言ったらあたしが物凄く我儘みたいよね)


 ふと、左腕に絡みつくようなヘナタトゥー的花嫁の証を見る。

 ジョイスを選ばなければ、一生おひとり様決定だと言われた。


(一生おひとり様か……ふっ。あ、ところでこれって、ずっとこのままなのかな? 向こうに帰ってから、仕事できなくなるじゃん)


 基本華美な格好は禁止である。一目でわかる所のタトゥーなど論外だ。

 咲良は帰れることを疑っていない。

 ジョイスは二度とも自分の世界に帰っているのだから、間違いなく帰れると確信している。ただし、時期を選べないのが難点ではあるが。


(せっかく柔整の資格取ったんだもんね)


 帰ることが出来なかったら国家資格がもったいない、などと連々考えていたら、不穏な表情をしたメリッサが声を掛けてきた。


『奥……サクラ様?』


 因みに『奥方様』と呼んだら返事しないと言ってある。


『なぁに?』

『いま、何やら良からぬ事をお考えではなかったですか?』

『良からぬ事? いえ。まったく?』


 心当たりがないので首を振ったが、メリッサは信じていないらしく、胡乱な目つきで咲良を見てくる。


『そう、ですか』


 納得していなさそうだ。

 しかし本当に心当たりがないので、こくこくこくと連続で頷いた。

 彼女は一体咲良の何に反応したのだろう。

 内心では首を傾げつつ、彼女の案内について行く。

 プライベートルームのある三階から二階へと案内され、ジョイスの執務室をノックしようとしたメリッサに『邪魔してはいけないから』とそれっぽいことを言ってスルーしようとしたら、中から部屋の主が飛んで出て来た。


『サクラ! ずっと待ってたのに』

『待ち伏せって……きもっ』

『酷いっ』


 本気で泣きそうな眼差しを向けられると、七歳児だった頃のジョイスの顔が思い出されてぐっと詰まる。

 思えば、小さい頃のジョイスにはメチャクチャ弱かった。親も居らず、言葉も解らない見知らぬ土地に一人。幼い子には酷すぎる状況に同情もあったが、咲良に懐いてくる小さなジョイスの容姿も相まって、そりゃあもう天使としか形容できないほど愛らしかったのだ。

 同じ時間軸で成長したのであれば、ジョイスはまだ十七歳のはずで。

 しかし。六年ぶりに再々会した彼は、いろいろ素っ飛ばして咲良よりも年上の二十六歳になっていた。可愛さもなにもあったものじゃない。


(顔立ちは綺麗なままだけどね)


 縋る眼差しを向けてくるジョイスに小さく溜息を吐く。そのタイミングで奥からローデンがやって来ると、咲良に一礼をしてジョイスを引っ張って行った。

 閉まった扉の向こうで、ジョイスが『あとで一緒に夕餉をとろうね』と叫んでるのを聞いて、メリッサが鼻で小さく笑っている。

 この二人の主従関係、一癖ありそうでなかなか面白そうだ。




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