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2. ツッコミどころ満載の再会


その日の夕刻。

大陸の最西端にあり、北南西の三方を海に囲まれた半島の小国メトロシア王国と、隣の大国サンテル王国を結ぶ唯一の国境を右手に控え、堅牢な邸の重厚な二枚扉の前に、これまたガッシリとした馬車が一台停まるや、その扉を叩きつけるように開け放った青年が、苛立ちを顕にして馬車から降りてくる。

主人の帰りを玄関先で待ち構えていた老執事は粛々と一礼しつつ、想定内だったとは言え、(すこぶ)る不機嫌な主人にこっそりと溜息を漏らした。

この数年、王都から戻って来た主人の機嫌が良かった例がない。しかも今回は王命で呼び出された所為か大概剣呑な雰囲気だったが、復路三日で更に怒りが熟成されての帰宅は、いつも使用人たちの胃をキリキリと痛め付けた。

 そして案の定、目で問うた老執事に護衛騎士たちが何とも言えない顔で小さく首を振る。

王もこの国境伯―― “ロア” の名を冠するエンデル直系の特殊性を解っているのだから、いい加減諦めてはくれないものかと、使用人一同思わずにいられない。

主人は老執事が開けた扉を抜けて、足音も荒くズカズカと邸の中に入って行く。その後ろを追い掛ける老執事を振り返ることなく、彼は盛大に愚痴りだした。


「ったく、毎度毎度毎度ッ! ロアの者が誰彼構わず婚姻を結べないことは、この国の人間ならば子供だって知っている事実だろッ! どいつもこいつも欲の皮を突っ張って、媚び諂う姿は醜悪すぎて反吐が出そうだってのに、王は近々傀儡の姫を送り込んでくるつもりだ」


 歩きながらタイを弛め、脱いだフロックコートを斜め後ろからついて来る老執事に突き出す。手元が軽くなると今度は左右のカフスボタンを外す。これもやはり執事に突き出すが、彼は恭しく受け取った。

 青年の愚痴は続行している。


「しかもっ。しかもだ! 『その後に “ロアの花嫁” が現れたなら、妾にでもすれば良かろう。まさかこの国の姫を妾にする気ではあるまい?』とほざきやがった。あの強欲の腐れ王がッ!!」

「それはまた……」


主の先手を打って、八つ当たりから調度品を守りつつ、嘆かわしく言葉を漏らす。

メトロシアの国王は、何が何でもロア・エンデル当主の伴侶に王家の人間を捩じ込みたいようだが、しかしそんな事をすれば、かの貴婦人のご機嫌を損ねてしまうのは明白だ。大欲非道で暗愚な王たった一人の為に、何代にも渡って悔やむことになるのは、これまでの歴史上でも分かりきった事であるのに。

裏を返せば、それだけこのエンデル領が魅惑的、ということなのだが。


「一刻も早く、花嫁様が現れて下さると良いのですが……」


主人を思うあまり言葉が口を突いて出たのだが、後ろを振り返った主の恨めしそうな眼差しに口を閉ざす。


「僕だって……っ」

「はい。なかなか難しいお相手だという事は、使用人一同、重々承知してございますとも。ですから、旦那様も心穏やかにその日をお待ち下さい。必ず。必ずお見えになりますよ」

「ローデン……、そうだな」


力なく微笑んだ主人に大きく頷いた。

主の部屋の扉を開ける。沈んだ背中がローデンの前を横切るのを見送り、今はここに居ない花嫁に切なる思いで「早くお見えになってくださいませ」と独り言ちた。



***



バシバシと半ば殺意を込めて背中を叩けば、咲良を窒息死させんばかりに締め付けていた腕が弛み、彼女は膝から崩れそうになる。それを掬い上げる腕に引き戻されて、咲良は咄嗟に腕を突っ張って睨み上げた。


『ちょっと! いきなり何……っ!?』


勢いで怒鳴ったものの、見上げたそこには蕩けるような笑みを浮かべた西洋人の麗しい風貌が眼前にまで迫っており、咲良は反射的に背中を反らして言葉を呑み込んだ。

白金髪にフォレストグリーンの瞳。左の目尻にはホクロがあって、なんとも言えない既視感に頭が痛くなる。


(――いや。彼に会ったのは初めてだし。ちょっと色合いが似てても、ぜんっぜんっ違う人。関係ない。全くの赤の他人。だから……)


必死に否定しようとしているのに、胸がザワザワする。

力強い腕に腰を引き寄せられて一瞬息が詰まった。するりと左の頬を撫でられて小さく反応すると、男の大きな手が彼女の顎をくいっと持ち上げる。そして彼の親指が咲良の小さな唇を愛おしそうに辿り、その僅かに開かれた唇の隙間を指先が優しく押し開いた。

指の腹で歯列をなぞりながら口中に分け入ろうとしてくる。

微かに脳裏を過ぎる危機感。


(え……? これって……)


例え咲良の彼氏いない歴が年の数だったとしても、この行動の意味する所に気付かない程鈍くもないし、男の麗しい相貌がゆっくり迫ってきたら、ほぼ間違いない。咲良の恥ずかしい勘違いでなければ。

目の前の男はめちゃくちゃ美麗だし、キスの一つや二つくらい『まいっか』と思わなくもないけれども。

僅か数秒の間に伸るか反るかそんなことを考えて、しかし咲良はギリギリ踏み止まった。ここまで枯れ葉カーペットの敷き詰められた人生を歩んで来たのだから、今更どこの誰とも知れない男相手にファーストキスは譲れない。


(……ファーストキス……? いやうん。ファーストキスだ。まちがいない。なんかチラッと頭掠めたのは錯覚よ。絶対そう)


だからそれが如何なる美形男子――ちょっと残念感は拭えないけれども本能が “反れ” と訴えてくるので、それに従ってみることにした。

彼女を捕らえる男の手を振り切って、咲良は思いきり身を捩り――偶然視界に飛び込んできた現実を二度見した後で『うそ……』と呟いた。

愕然とした面持ちで、一歩、また一歩と踏み出す足取りは何とも危なっかしい。


『サクラ?』


彼女の行動を訝しむ男の声が、耳を素通りして行く。

恐る恐る伸ばした指先が触れたそこには、見たこともない精緻で美しい彫刻の施された扉があった。咲良はドアノブを回して扉を押し開き、茫然と呟く。


『なんで……?』


扉の向こう側には、初めて目にする室内。

先刻まで咲良の自室が確かにそこにあったのに。

扉を締めて深呼吸し、再び押し開ける。

けれど、慣れ親しんだ咲良の部屋はそこになくて。


『なんでなんでなんでっ!? 先刻までここにあたしの部屋があったのに、なんでないの!?』


何度も何度も、半狂乱になって扉を開閉し、状況的に背後に立つ男の寝室であろう部屋に乗り込んだ。壁と言う壁を叩いて周り――絶望に頭を抱えて喚き散らす。

そうして、諦めが脳に浸透する頃。

背後からそっと抱きしめてくる男の腕。

男の胸に背中を預け、咲良は呆けた面持ちで床に視線を落としている。


『わかるよ。突然こんな状況、驚くよね』


耳に吐息がかかる距離で心配そうに囁いた声に、ビクリと震えた。

彼の『わかるよ』といった言葉に反論の声は出なかった。それが上っ面の慰めでもなければ、詭弁でもないと、決して認めたくないけれど知っている。

太陽の下でキラキラ煌めいた白金髪とフォレストグリーンの瞳。

あの頃の幼い面影が瞼の裏に蘇る。


(本当に、認めたくないけど……)


ぶすっくれた顔の咲良をくすくす笑いつつ、彼は彼女の耳殻をやんわりと唇で挟んだ。

一気に火照った咲良の耳を、唇が悪戯にはむはむする。


『ちょっとなにっ。やめて』


擽ったいのに腰の辺りがゾクッとする。未知の感覚にどこか不快さも感じて、微かにイラッとしながら身を捩った。けれど咲良を捕らえた男の腕が容易に開放してくれる筈もなく。


『やだ。やっとサクラに会えたのに』

『あたしは、貴方のことなんて知らないし』

『そんな嘘、本当に通用すると思っている?』

『……』


彼の腕の中で、耳を食む唇から必死に逃げる咲良の脊椎を、筆舌にしがたい震えが走り抜け、途端に膝からカクリと力が抜けた。床に崩れ落ちなくて微かに安堵したのも束の間、彼女の躰を掬い上げるようにして抱き上げると、彼はスタスタとベッドに歩いて行く。


『ちょちょちょっ』

『なんかサクラ思い出せないみたいだし、仕方ないよね?』

『仕方ないって何が!? おかしいでしょこの展開』

『……。ショック療法は、こっち(・・・)でも有効な手段だよ?』


小首を傾げてチラリと何かを考えた後、にっこり微笑んだ彼に本能的な震えが走る。

ヤバイと思うのに、ベッドへ降ろされると逃げる間もなく咲良の上に覆い被さってきた。男の表情はとても妖艶で、一瞬、流されてもいいかもと思わせる。


(いやダメでしょ。なに血迷ってるのよ)


咲良は左手を大きく振った――と同時に何かがぶつかって腕に伝わってくる衝撃と硬い打撃音。

男の顔が右にぶっ飛んでベッドの上に転がり、それとほぼ同時に咲良が起き上がってベッドから離れる。少し離れた背後から年配男性の悲鳴に似た声がした。想定外の声をくらって反射的に振り返ると、咲良をスルーした年配男性が血相を変えて見目麗しい青年の元に駆け寄っていた。慌てたように捲し立てていたが、何を言っているのかさっぱり解らない。まったく聞いたこともない言語だ。

 内装は見る限りヨーロッパのような雰囲気を醸し出しているのだが、言語はあちら独特の発音とは違うようだ。もっとも、何語を喋っているのか判ったところで、どこの国の言葉も解らないのだから意味ないのだけれど。

 それにしても。


(一体どうなってるの!? クローゼット開けたら外国って、これが自分に起こってる事じゃなかったら、ヤバイ薬やってるって疑っちゃう案件よね)


 冷静なようだが、これでもかなりテンパっている。テンパっているけれど、悲しいかな多少の免疫はあった。認めたくないが。

 白髪に穏やかな面立ち。鳶色の瞳に左側だけ片眼鏡(モノクル)。黒のスーツにクラブタイ。使用人と思われる年配の男性は、絹糸のような白金の髪にフォレストグリーンの瞳を持つ麗しの青年と何やら話しをしている。そこに咲良の名前がチラホラと登場しているようだが、いったいどういう状況だろう。

 チラチラとこちらを窺う男性二人の視線に、居心地の悪さを覚える。


(後先考えず一目散にこの場から逃げ去りたいけど……)


 ここがどこかも分からないのに、闇雲に逃げ出すのは賢明なやり方ではない。


(そうは言ってもねぇ)


 麗しの彼が咲良を窮地に追い込むとは考えたくないが、使用人の男性が彼女の事をどう思うかはわからない。片や突然部屋に現れたどこの馬の骨とも知れない不審人物の咲良――しかも家人を殴り倒したところを目撃されている――と、片やセクハラお貴族様でも年配男性にとっては雇用主であり、吹っ飛ぶくらい横っ面を張り倒された被害者――自業自得だが――である。

 とても咲良に分があるようには思えない。

 何故なら――


(オジサンがどこから見ていたか知らないけど、セクハラしてもまかり通っちゃうような、理不尽で道理が通らないお国柄だったらどうしよ)


 そんな心配をしてしまうのは、二人の衣装を見るに現代の服装とは思えないからだ。昔のヨーロッパを舞台にした映画の衣装のように見えた。


(中世末期とか、近世初頭とか、かな?)


 まったく詳しくはないのだが、雰囲気だけはそれっぽい。

そこから察するに、身分とか、差別とか、咲良の道理が通らないのではないかと不安になる。

しかし。

正当防衛だったとは言え、年配男性の罵声の一つや二つ覚悟していたのに――言葉が解らないからダメージはほぼないだろうけれど――男性の瞳が潤んだかと思いきや、感極まったように何やら言いながら泣き出したから驚いた。

 そんな年配男性を宥めながら麗しの彼の視線が咲良に向けられ、次いで彼女の左手に注がれた。


『……サクラ。その手に持ってる物は何? やたら痛かったんだけど』


 言われて左手を目の高さまで持ち上げる。それと同時に麗しの彼の右頬に視線を送ると、赤くなって腫れてきているのが見て取れた。少しばかりやり過ぎたかと思いつつ、バツが悪いのでその事に触れないまま口を開く。


『あ~これ』


 手と一体化しているかのように、持っていたことすら忘れていた。

 咲良はやや大きめの、黒革で拵えたバニティバッグを床に置いてファスナーを開けると、Y字型の物を二丁取り出した。


『じゃーん。スリングショットでしたぁ。こっちがスチール製で、こっちがカーボン製。どっちもあたしの手に合わせて作ったオーダーメイドの一点ものよ』


 両手を前に突き出して自慢気に言う。


『あ、パチンコだ』

『ちちちっ。スリングショットです』

『え? パチンコでしょう?』


 身軽にベッドから降りて、たたたたっとやって来た彼が咲良の前にしゃがみ込んだ。しげしげとスリングショットに見入る。


『駄菓子屋のおもちゃと一緒にしないでよ』

『う~ん。確かに大きさといい、丈夫さといい、比べ物にならないか』

『当然でしょ』

『よく遊んだよねぇ』

『そうだね……あ』


 つい答えてしまってから、しまったと咄嗟に顔を彼から背ける。


『やっぱサクラも覚えてるじゃない』

『何のことでしょう?』

『僕の緑色のパチンコは、まだ残ってる?』

『何のことだか分かりません』

『ねぇねぇサクラぁ』

『聞こえませ~ん』


 言いながら両耳を塞ぐ。すると彼は彼女の手を引き剥がそうとしながら口にした。


『そうやって惚けてても良いことないよ? 言葉も分からない世界で僕を頼らずに、どうやって生きていくの?』


 そう言われて咲良の腕から力が抜けて力なく落ちる。


『今度は僕が、サクラを助けてあげる番だよ』

『うっ』

『そして。今度こそは絶対に、僕のお嫁さんになってもらうからね?』

『え、やだ』

『なんでよ』

『だって……|会うたびに歳の差が違う《・・・・・・・・・・・》って、なんか信用できないじゃない?』


 しばし逡巡し、彼の顔色を窺いながら言を継いだ。

 そうなのだ。

 初めて会った時、咲良は十四歳。そして彼は僅か七歳の子供だった。次に会った時、咲良は十八歳で彼は十五歳。七歳差が三歳差にまで詰められていた。

 いま目の前にいる彼は、どう見ても咲良より年上に見える。それとも同じ年齢でも諸外国の人の方が日本人よりも大人っぽく見えるのと同じ原理だろうか。ぱっと見、咲良の前に居る男たちは西洋人にしか見えない。


『ねえ。いま何歳?』


 聞かれて彼は口ごもる。


(会うたび歳が違って信用できないって言われたら、躊躇もするか)


 きっと彼の頭の中ではぐるぐるといろんな考えが巡っているのだろう。そして導き出した言葉は『サクラは、何歳?』だった。然もありなん。

 しかし人生が掛かっている局面で、不必要に優しくするほど人間が出来ていない。


『自分の歳を言うのに、あたしの歳は関係ないんじゃない?』

『そうなんだけど』

『てか。そもそも十五歳じゃないのは一目瞭然でしょ。今の年齢を言い渋ったところで無意味よ』

『あ……』

『で。何歳なの?』


 それでもまだ言い淀んでいる彼に代わって、別の男の声がする。


『旦那様は御年二十六にございます』


 とても流暢な日本語だった。


『……え?』

『二十六歳にございます』

『ローデン。ちょっと黙ってくれるかな?』

『そうじゃなくって。なんでバリバリ日本語?』


 その問いにしばしの沈黙が流れ、年配の使用人ローデンが『ああ』と手を打つ。


『十七年ほど前から使用人の中に “シノビ” なる者がおりまして、うちの使用人たちはもれなく彼から言葉を学んでおりました。何しろ奥方様になるお方の国のお言葉なので、習得が必須なのです』


 得意満面なローデンの笑顔に、咲良の顔が引き攣る。

 忍者とか奥方とか日本語必須とか。


『……どこからツッコんだらいいのかな?』


 まず、いつの時代の忍者なのだろう。


(ローデンさんの日本語、流暢なんだけど微妙に時代がかっているというか)


 一応、現代にも忍者の末裔という人はいるが、わざとらしく話す古めかしい言葉とも違う。

 そんなことを連々考えていると、新しい情報がまた耳に流れ込んでくる。


『二年ほど前にはご年配のご夫婦が奥方様の同郷から渡って来られまして、最近の言葉などをご教授頂いております』


 十数年の間に咲良を含め少なくとも三組の人たちが、有無を言わさずこちらに連れて来られている様だ。

 こんなに頻繁に行ったり来たりできるものなのだろうか?

 けれど、目の前の青年は僅か数年の間に二度、咲良の前に突然現れて、忽然と消えている。そして今に至るわけだが。


(……なんか、頭痛くなってきたわ)




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