96.伯爵領に行きます(第七話)
討伐の参加者が拠点に全員揃い、会議用テントではフロスト公爵一家と家の代表者を集めた最終確認が行われていた。
討伐は五人から十人程度の班に分かれて行動することになる。連携の出来を考え、お互いをよく知っているそれぞれの家や騎士団の人間が固まる組み合わせが普通なのだけれど、実力面で偏りがないように考慮する必要も出てくるので例外はある。そして一部、実力者を揃えた班を森の奥の危険な区間に配置する。
ローレンスは本来そちらの班に入る予定だったらしいけれど、ジャレッドの参加が決まって変更になったとか。
ローレンスの班はジャレッドとオスニエル、そしてフロスト騎士団の騎士が数名。森の西側、端から中間辺りまでが討伐担当範囲だ。デイヴィッドとヒューバートはいわゆる実力者班で、森の深部の討伐を担当する。
討伐の進行状況によって、最後の数日はローレンスも実力者班に変更になる可能性があるという。
「大きな変更は必要なさそうだな」
「はい」
「では準備を進め、これより三十分後、広場に集合だ」
「は!」
デイヴィッドの声に皆の返事が揃う。代表者たちが退出していき、リデラインは見慣れた顔ぶれだけになった空間でふぅ、と小さく息を吐いた。
討伐前ということもあり、代表者たちは集中している者が多かった。しかし、中にはリデラインやジャレッドを品定めするような視線を向けてくる者もいたため、居心地がとても悪かったのだ。
もっとも、すぐさまローレンスに睨まれた彼らは、気まずそうにしながら会議にしっかり意識を向け始めたけれど。
「リデル、大丈夫?」
「はい」
ローレンスが心配そうに顔を覗き込んでくるので、リデラインは笑顔で返事をした。それでもローレンスの表情が晴れないので、「大丈夫ですよ」と付け加える。
「フロスト家の者として、このような場には慣れていかなければなりませんからね」
「……そうだね。頑張った」
褒め称えるように、ローレンスがリデラインの頭を撫でた。
「ローレンス兄さん。離れがたいのはわかるけど、準備しないと」
オスニエルから注意されて、ローレンスはぐっと眉根を寄せる。
「やっぱり心配だ。護衛増やすとか――」
「はいはい。さっき妥当な理由なく配置替えを希望するのは身勝手で秩序を乱すとか言ってたのは誰だったっけ? 急に増やすとかだめだから、諦めて急いで」
容赦なく却下したオスニエルがローレンスを引っ張っていく。ジャレッドもそれに続いて、三人は会議用テントを後にした。
仲がいいなぁと微笑ましく見送ったリデラインの隣にヘンリエッタが来る。
「私たちも行きましょう。渡すものもあるでしょう?」
「はい」
リデラインはヘンリエッタと同じテントを使うので、荷物もそこに運ばれている。
ヘンリエッタとそのテントに行って必要なものをベティから受け取ったリデラインは、ベティも連れ、ヘンリエッタと共にフロスト公爵家の男性たちのテントへと歩みを進めていく。後ろには護衛の騎士二人もついているので、五人での移動だ。
途中で、向かいから歩いてくる男性にリデラインは目をとめた。
右目が黒い眼帯で覆われているその男性は、どこかの騎士団の制服を身につけている。年齢は若そうで、ローレンスの少し上くらいに見えた。顔立ちも綺麗で目を引く。
彼はリデラインたちを視界に捉えると脇に立ち、すっと頭を下げた。ヘンリエッタが会釈をして通り過ぎ、リデラインも同じように歩みは止めずに軽くお辞儀をする。
少し離れたところで振り返ると、当然のことではあるけれど、彼はこちらに背を向けて歩いていた。
「お嬢様、どうかされましたか?」
「……ううん」
後ろを気にしているリデラインにベティがそう訊いてきたので、リデラインは前を向いた。
ローレンスとジャレッド、オスニエルの三人が使っているテントと、デイヴィッドとヒューバートが使っているテント。二つは隣同士だ。
テントの前でヘンリエッタと別々になり、リデラインはローレンスたちのテントに入る。
三人は剣を身につけ、護身用魔道具の確認などをしていた。
「オスニエルお兄さま」
軽く伸びをしているオスニエルが一番近かったのでまずは声をかけると、「なに?」とオスニエルが首を傾げる。
「ハンカチ、受け取ってくれますか?」
畳まれたハンカチを差し出すと、オスニエルは軽く瞠目した。
「ほんとにくれるんだ」
「うそだと思ってたんですか?」
「いや……」
言葉を濁したオスニエルに、リデラインはむっとする。
「いらないなら捨ててもいいですよ」
「だから、それはローレンス兄さんに殺されるって」
オスニエルはリデラインからハンカチをもらって、刺繍を観察した。
「ベタですけど、ノリスマレー侯爵家の紋章です」
「……ちょっと歪なとこあるけど、結構上手いね」
褒めるだけではなくわざわざ下手なところを指摘してくるところがオスニエルらしい。素直に褒めてくれてもいいのに。
「初心者なので、そこは大目に見てください」
完璧な出来とまではいかなかったけれど、複雑な紋章をそれなりに再現できたと自負している。
「まあ、ありがと」
「怪我しないでくださいね」
「ん」
(おお……)
最後に短い返事をしたオスニエルの表情が少し和らいだ。いつもの毒気が薄くなっており、かっこいいとリデラインは心の中で感嘆する。改めて顔がいいなと感じた。
「リデライン」
呼ばれたので振り返ると、ジャレッドが無言で手を差し出してきた。リデラインは瞬きをして、それから思わず笑い声を零す。
「はい、お兄さまどうぞ」
ジャレッドにもハンカチを渡す。こちらはフロスト公爵家の紋章の刺繍だ。
「催促してくるなんてかわいいねー」
「うっさい」
「俺が先にもらってるの見て妬いたんでしょ」
「ちげぇよ」
からかうリデラインに追撃でオスニエルも入ってくる。赤い顔で否定するジャレッドにまたも声を出して笑うのを堪え切れなかったリデラインは、強烈な視線を感じて元凶のほうに顔を向けた。
足を組んで椅子に座っているローレンスが、にっこりと笑みを浮かべている。
「――僕は最後みたいだからちゃんと妬いてるよ」
とにかく拗ねているのは、いつもより三割増しのキラキラを飛ばしている笑顔でわかった。リデラインはローレンスに駆け寄る。
「どうぞ、お兄さま」
こちらもフロスト公爵家の紋章の刺繍入りのハンカチだ。それを渡すと、ローレンスはまじまじと刺繍を見つめ、一度指で撫でてから目を細めた。そして、椅子から降りて片膝をつくと、リデラインの手を取り、手の甲にキスをする。リデラインが息を呑むと、ローレンスはこちらが蕩けてしまいそうな柔らかい表情を見せた。
「こんなに心強いお守りはそうそうないよ。ありがとう、僕のお姫様」
兄の際限のない愛おしい気持ちが溢れた眼差しに、リデラインは火傷してしまうのではないかと思った。
その後、拠点内の開けた場所に皆が集まり、演壇の上に立つデイヴィッドが声を張る。
「これよりストウ森の魔物討伐を開始する!」
その宣言により、いよいよ討伐が始まった。




