91.伯爵領に行きます(第二話)
討伐がきっかけで大量の死者が出てしまう事態。それを防ぐための手がかりとなるであろう植物の存在を知ってから、約ひと月が経った。相変わらずリデラインは調べ物に精を出している。
何か引っかかりを覚えたものには印をつけており、薬草図鑑や素材――おそらく解毒薬に必要だと思われる材料を書き出していた。しかし、材料は着実に判明しつつあるのに、どの魔物に効果があるのかはいまいち見えてこない。討伐で警戒すべき魔物がなんなのかがわからないままなのだ。
一方で、リデラインの訓練は非常に順調と言えた。
ウォーキングから始まり、ランニングや筋トレのおかげで基礎体力の向上は確実に成果が出ており、最近は筋肉痛もなくなっている。ようやく一般的な体力くらいにはなっただろう。
魔法の訓練も問題はなく、討伐の手伝いで役に立ちそうな魔法を中心に訓練メニューをこなしてきた。
「お嬢様、そろそろ休憩なさってはいかがですか?」
ベティがテーブルにトレーを置く。
「本日のおやつはタルトタタンですよ」
「タルトタタン……!」
なんて素晴らしい響きなのだろうと、リデラインは目を輝かせる。
トレーの上には、一ピースのタルトタタンが載ったお皿と紅茶セットがあった。ベティはそれをリデラインの前に置く。
「りんごはオスニエル様が贈ってくださったものを使用したそうです。王家に献上される高級りんごだそうですよ」
「南部の極一部の地域でしか育たないっていうあれね!」
リデラインの目の輝きが増した。今の時期はあまり手に入らないりんごなのだけれど、さすがは王家の血筋である。
オスニエルはすでにノリスマレー侯爵家に帰っている。フロスト公爵家での滞在は二週間ほどで終了した。来訪も突然だったけれど帰るのも突然で、前日に『満足したから明日帰るよ』と言い出して宣言どおりに帰っていったのだ。とても自由だった。
「んー!」
タルトタタンを一口食べて、リデラインはあまりの美味しさに声を上げる。頬がとろけそうだ。
そんなリデラインを微笑ましく見守っているベティは楽しそうに笑った。
「ふふ。オスニエル様がくださったりんごでお嬢様がこんなにお喜びだと知れば、ローレンス様は拗ねてしまいそうですね」
ローレンスは現在、試験期間真っ只中である。
ローレンスの誕生日には無事に完成したタッセルとカメラ、あとは筆記用具などをいくつか贈った。するとローレンスは当然のようにリデラインたちに直接お礼を伝えるために帰省しようとしたらしく、執事のポールが全力で止めたらしい。ローレンスの長い長いお礼の手紙と共に届いたポールからの手紙に、大変でしたと書かれていた。
「ところでお嬢様。旦那様からお話があるそうで、時間が空いたら執務室にと」
「お父さまが?」
なんの話だろうと、リデラインは首を傾げた。
休憩を終えたリデラインは、デイヴィッドの執務室を訪れた。デイヴィッドだけかと思ったらヘンリエッタもいて、向かい合うソファーに両親とリデラインで分かれてそれぞれ腰掛けている。
どことなく明るいとは言えない空気を感じ取って、リデラインは僅かに緊張していた。ベティはいない。ジャレッドもいない。室内には三人だけだ。
「すまないな、急に呼び出して」
「いえ……」
リデラインは用意されている紅茶に口をつける。
ベティや兄たちもいない状況で両親といる時間というのはなかなかあることではないので、それも緊張に一役買っていた。
「話しておきたいことがあったんだ。ヘイズ夫妻……君の両親について」
「両親、ですか?」
眉を顰めたリデラインに聞き返されて、デイヴィッドが頷く。
「先日、君たちが王都に行った際のことだが、ヨランダが君の両親と手を組んで、ある犯罪組織に依頼して君たちを害そうとした」
「!」
知らされた衝撃の事実に、リデラインは目を見開く。
ヨランダの名前が出てきたこともそうだけれど、実の親がヨランダと繋がっていたこと、犯罪組織など、驚愕するには十分すぎる情報だった。
「君たちが誘拐されたのを夫妻が助け出したと装い、我々に金銭を要求するつもりだったようだ」
(……あの人たちならやりそう)
リデラインはぎゅっとワンピースを握った。
どんな人たちか覚えてはいないけれど、知っている。お金のためなら実の子供を売るような、子供への愛情など皆無の人たちなのだから、意外でもなんでもない。
「それは未然に防いだのだが、私たちは君を引き取る際、二度とリデラインに関わらないこと、援助を求めないことなどを夫妻に約束させた。しかし夫妻はそれを守らず、あまつさえ君たちに危険が及ぶ悪質な手段を用いて利益を得ようとした。よって強制労働刑になっている」
「……そうですか」
王都の後始末がどうとケヴィンがうっかり零して叩かれていたのはこのことだったのだと、リデラインは気づいた。
王都に向かう魔動列車で結界の魔道具を設置したのは、その動きを悟らせないためだったのだろう。つまりあの列車の中で事が起こっていたということだ。
ローレンスが本当の親に会ってみたいかと脈絡なく訊いてきたのは、ヘイズ夫妻の愚行がきっかけだったのかもしれない。
「当然のことだと思います」
リデラインがそう言って頭を下げると、デイヴィッドとヘンリエッタは瞠目した。
「申し訳ありません。ジャレッドお兄さままで巻き込まれそうになっていたのですよね」
「どうしてあなたが謝るの? 悪いのはあの人たちで、あなたは何も悪くないわ。顔を上げて」
「ですが……」
これはリデラインが持ち込んでしまった厄介ごとだ。悔しさや罪悪感でいっぱいになっていると、ヘンリエッタが隣にきて抱きしめてくれる。
「あなたを責める人なんていないわ。あなたは私たちの娘なの。彼らの子ではないの。だから、責任を感じることなんてないのよ」
ヘンリエッタの言葉に、デイヴィッドも「そうだ」と続く。
「ヘイズ夫妻はとっくに君の親ではない、他人だ。君に罪はない。それに、唆したのはヨランダのほうだ。罪があるとしたら、長い時をかけてヨランダを増長させてしまった私たちにある」
「お父さまたちは何も悪くありません」
「……なるほど。確かにこれは納得できないな」
困ったように、デイヴィッドは眉尻を下げた。
リデラインが自分には無関係だと思えないように、デイヴィッドたちの心にも罪悪感が深く根付いているのだろう。悪くないと言ってもそれが消えることはない。
「リデラインは私たちの娘だ。そうだろう?」
「はい」
「ならば納得してほしいな」
「……では、お父さまたちも」
「そうしよう」
堂々巡りになりそうな気配を察して、お互いに無理矢理ではあるけれど引き下がることを決めた。
「この話をしたのは、討伐で傍系が話題にする可能性があるからだ。表向き、ヘイズ夫妻は体調を崩して療養としている。リデラインにもそう頭に入れておいてほしい」
「わかりました」
突然夫妻揃って療養ともなれば、傍系は疑念を抱き、リデラインに直接訊ねる恐れがある、ということのようだ。
「それともう一つ、伝えなければいけないことがある」
デイヴィッドは言いづらそうに口を開いた。
「お嬢様」
図書室に戻ったリデラインは、ベティにぎゅっと抱きついた。ベティはリデラインの頭を撫でる。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
そっと、リデラインは目を伏せる。
実の親のことは、それほどショックではなかった。ジャレッドまで巻き込んで危険なことをしようとしていた彼らには底のない怒りが湧いているし、みんなに迷惑をかけてしまったということは、やはりまだ気にかかっている。けれど、血縁者に利用されそうだったことに対して傷ついたわけではない。
今はただ、デイヴィッドから伝えられた最後の事実の衝撃が大きかった。




