90.伯爵領に行きます(第一話)
フロスト家門傍系タヴァナー子爵領、領主邸の一室において、タヴァナー子爵は妻と息子二人と話をしていた。
「今回の討伐にはジャレッド様とあの娘も参加するそうだ」
先日行われた家門会議で、ストウ森の討伐にフロスト公爵一家全員の参加がデイヴィッドから発表されたのだ。支持する者、反対する者、傍観する者と、家門の人間の反応は様々だったけれど、比較的歓迎の声が多かったのがタヴァナー子爵の体感だった。
「あら。二人ともまだ幼いわよね。ジャレッド様は実力的に早そうだし、一番下の養子のお嬢様は確か、魔力がかなり減ったという話だったけれど……よく許可が出たものだわ」
「ジャレッド様は一応、四級試験に合格したらしいからな。あの娘は後方支援の一人としての参加らしい」
疑問を述べた妻に、タヴァナー子爵はそう説明する。
後方支援にも危険はつきまとう。自身の身を守る最低限のすべを持っているということだろうけれど、魔力暴走で魔力を失ったのなら高が知れている。
(なんにしろ、これはチャンスだ)
傍系がフロスト三兄妹の下二人と接触できる機会は、最近ではほとんどなかったと言える。以前は会議がフロストの本邸で行われていたので偶然の鉢合わせを装うことが可能だったけれど、それを厭ったローレンスの進言により、家門会議の場が別邸に変わったためだ。今では傍系が本邸に足を踏み入れることはかなり難しくなってしまっている。
だからこそ、今回二人が参加するというのは、家門内で自分の立場を確固たるものにしたい者たちにとっては朗報だった。上手く子供や兄弟を近づかせることができれば、と画策している家は少なくないはずだ。
「いいか、ジョナス。ローレンス様はガードが堅いが、二人を溺愛しているようだ。そちらから絆すほうが効果的だろう」
タヴァナー子爵の長男スタンリーは十五歳、次男ジョナスは十二歳で、スタンリーは子爵と共に討伐隊に参加する予定だ。ジョナスは将来討伐に参加することを見据え、見学と簡単な手伝い要員として拠点に滞在することになる。フロスト家門では十代前半頃の子供たちがその役割を担うことが多い。
リデラインも同じような立場なので、ジョナスのほうが接触する機会が多くなることが予想できる。
「あの娘は家門の役割を何も振り分けられていないような遠縁も遠縁の生まれだ。同じ子爵家でも我々とは格が違う。しかし、今は本家の娘であることは揺るがない事実だからな。取り入って損はない」
「けど、確かまだ八歳とか九歳とかですよね。正直子供すぎるというか……」
十二歳もまだまだ子供だけれど、少し年上に憧れている時期のジョナスからすると、八歳なんて更に子供にしか思えないらしい。不満そうにしている。
「まだ幼いながらも見た目は大変美しいと評判だ。美人に育つだろう。お前かスタンリーの嫁として迎え入れることができれば、我が家は安泰なのだ」
スタンリーは年齢が離れているけれど、貴族の結婚では十歳ほど離れているとしてもそれほど珍しくはないので、六、七歳差は余裕で許容範囲だ。とはいえ、やはり現実的に考えるとジョナスが本命になる。ジャレッドとも年齢が近いので近づきやすいだろう。
本当なら後継者であるスタンリーの嫁にリデラインがほしいところだけれど、欲をかいて他に掻っ攫われるのは避けたい。
(ジョナスがあの娘の気を引けるようなら、後継者も考え直す必要が出てくるな)
公爵家の娘をもらっておいて、爵位を継がない次男と結婚、というわけにはいかなくなる。とにかく、本家との繋がりを強くできるならどちらでも構わないのだ。
「お前は討伐でしっかり実績を残すんだぞ、スタンリー」
「承知してますよ」
スタンリーは自信たっぷりに口角を上げた。
◇◇◇
とある傭兵団の拠点がある建物。その一階の酒場は、傭兵たちの溜まり場でもある。
「ストウ森の討伐、今年らしいぞ」
「ああ、あの」
とあるテーブル席に座る二人の傭兵が話しているのを、窓際に座る一人の男は何気なく耳にしていた。フードを被り、二人の傭兵には背を向ける形になっているので、彼らは男が聞き耳を立てていることに気づいていないようだ。
「最近は二、三年ごとぐらいか? 頻繁だな」
「魔物の動きが活発なのかもな。ま、あそこはフロスト一族だけで長いこと対処してるから問題ないだろ」
傭兵団というのは素行が荒い者が多いけれど、この傭兵団は比較的落ち着いているほうだ。情報にも聡く、色んな話が勝手に入ってくる。
「しかし、傭兵も雇ってくれたらありがたいのにな。あの森の魔物の素材は高く売れるし、希少価値がある素材もよく採取できるってのに」
この傭兵団の拠点はフロスト家門のとある伯爵領にある。大規模な討伐ともなれば傭兵団に声がかかってもおかしくないけれど、フロスト公爵家はそれをあまりよしとしていないらしい。統率が取れるかも定かではない傭兵を雇い入れるのはリスクが大きいと判断しているのかもしれない。
「そういや、今回は公爵家の弟と妹も参加するらしいぞ」
その言葉に、ジョッキを持ちかけていた男の手がぴたりと止まる。そんなことには気づかず、背後の二人は話を続けていた。
「弟と妹……って、ローレンス・フロストの義理の?」
「ああ。討伐に加わるのは真ん中の弟だけで、末っ子は手伝い程度らしいけどな」
「末っ子って確か、相当な魔力量だって噂のだろ」
「それが、魔力暴走で魔力が減ったって話だ」
「うわ、もったいねぇ。魔力が多いから公爵家の養子になれたんじゃなかったか?」
「氷魔法が使えるんだから、追い出されることもないだろ。けどほんと、もったいないよな」
「もし並外れた魔力が俺らにあったら、こんなとこで傭兵なんかしてねぇのになー。騎士から成り上がって貴族の仲間入りとかできたんじゃね?」
「そんな夢みたいなこと、そうそう起きねぇだろ」
声を上げて笑い始めた傭兵二人は、そのままくだらない話に移った。
男はフードの下で、ジョッキを見つめながら呟く。
「フロスト……」
それから、ジョッキの持ち手を改めて掴んだ。
◇◇◇
エクランド伯爵領、領主邸の領主の娘の私室では、部屋の主である少女がご機嫌で窓の外を眺めていた。
「とうとうわたくしも討伐のお手伝いに参加できるのね……」
頬を染め、少女は歓喜に震えていた。
「ローレンス様……」
熱のこもった吐息と共に、少女は名前を零した。
一度その姿を目にして以来、片時も忘れることができなかった、あまりにも美麗すぎる少年。
今度の討伐で、また彼に会うことができる。
「あんなにも綺麗な人、他にいないわ。絶対にわたくしのものにしないと」
少女はうっとりと目を細めた。
◇◇◇




