86.入念に準備します(第五話)
図書室の大きなテーブルにストウ森の魔物一覧、魔物図鑑や薬草図鑑を並べて睨めっこをしていたリデラインは、椅子に座って腕を組み、「むぅ……」と唸る。
(どれも薬があるのは間違いないんだよね)
ストウ森で確認されている魔物の毒には、やはりすべて解毒薬が存在していた。ストウ森がある三つの領地それぞれが薬草やその他の必要な材料を積極的に育てており、供給面でも特段の懸念はない。討伐における犠牲を減らすために、それほど家門内で力を入れてきた歴史があるということだ。
(でも、こんなにしっくり来てるってことは、たぶん魔物の毒が原因だと思うんだけど……決めつけるのは早計なのかな)
伯爵領で多数の死者が出てしまう原因について、やはり完全に記憶が蘇ることはない。けれど、毒だとリデラインの何かが訴えている。
(やっぱり、まだ確認されたことがない魔物が出てくる可能性が……)
ひたすら考えた末、リデラインはテーブルに突っ伏して大きなため息を吐いた。集中力が切れてぼーっとしていると、視線と気配を感じて「ん?」と顔を上げる。
「お、いい感じの無防備な顔」
テーブルの向こうでカメラを持ったオスニエルが悪戯っぽく笑っており、その隣にはジャレッドがいた。どうやら写真を撮られたようだ。
昨日、ヒューバートにお願いしていたカメラが届き、撮影係はなぜかオスニエルになっている。
「もっとかわいいところ撮ってください」
「リデラインはどんな顔も可愛いから安心しなって」
「おだてたって、ごまかされませんからね」
リデラインが頬を膨らませて不満を露わにすると、オスニエルは「はいはい」と言いながらまた写真を撮ってくる。
「ほんっと、顔はいいよね」
「お褒めいただきありがとうございます」
「皮肉だよ」
「オスニエルお兄さまは素直ではありませんから」
リデラインがにっこりと笑うと、オスニエルも同じくにっこりと笑顔を見せた。そんな二人にジャレッドはため息を吐き、テーブルに前腕をつく。
「魔物のこと調べてんのか」
「拠点に運ばれてくる負傷者の治療のお手伝いに必要な知識だもの」
リデラインはヘンリエッタのそばにつくので、薬の準備や管理、簡単な手当ての補助など、忙しなく動くことになるはずだ。そのためにも役に立つ下調べである。
「結構エグい傷の負傷者とかいると思うけど、大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
前世では病院生活があったので、怪我人は見慣れている。突然血を吐く人もいた。
「お兄さまたちが怪我してきたら確実に取り乱しちゃいますけど」
「怪我できないね、ジャレッド」
「お前もだろ」
なんて会話をしていたところで、飲み物を取りに行っていたベティが戻ってきた。トレーをテーブルに置いたベティは、三人にとある事実を告げる。
「――ローレンス様が帰って来られました」
それを聞いて、最初に口を開いたのはオスニエルだった。
「さすがローレンス兄さん。期待を裏切らないシスコンっぷりだね」
その言葉の直後だった。図書室の扉が開かれ、ローレンスが現れる。
銀色の瞳でリデラインたちをしっかり視界に映したローレンスは、落ち着いた様子で微笑んだ。
「――四人揃って、仲が良さそうで何よりだ」
目が笑っていない。声も普段より低い。その綺麗な顔に浮かべられている微笑に隠された怒りが、ちらちらと垣間見える。
「かっこい」
思わずリデラインが零すと、ジャレッドとオスニエルから呆れた眼差しで射抜かれる。
「お前、ほんと……」
「ここで感想がそれ? すごいね」
そう言われても、これはもうオタクでありブラコンのさがなので仕方がない。しかし確かに正直すぎたかと、リデラインは少しだけ反省する。ほんの少しだけ。
すると、こちらに向かってローレンスが歩みを進めてきたので、その足音で再び皆の意識がローレンスへと向けられた。
「オスニエル、久しぶり。元気そうだね」
「うん。ローレンス兄さんも元気そうでよかったよ」
「後で話がある」
「了解」
オスニエルは素直に承諾した。リデラインがテストを申し出たところでオスニエルが真っ先に味方についたと話を聞いたか、聞いていなくとも見抜いたのかは定かではないけれど、文句があるのだろう。オスニエルはそれを理解しているのだ。
ちなみに、カメラをさりげなくローレンスから見えないように体で隠していた。
「ジャレッドは魔物退治を本格的に訓練に組み込んでるみたいだね。そのまま頑張るといい」
「ああ……」
ローレンスはリデラインたちのすぐそばまで来ると、テーブルの上に視線をやった。リデラインが魔物について調べていたということがよくわかる状況に、ローレンスは鋭く目を細める。
そうして、銀色の瞳はリデラインに向けられた。
「リデル、二人で話そうか」
「……はい」
ここで断ることは難しいだろう。
「三人は席を外してくれ」
「わかった」
ローレンスのお願いでジャレッドとオスニエル、ベティが図書室から出て行って、リデラインは椅子に座ったままローレンスを見上げていた。
「おかえりなさい、お兄さま」
リデラインが笑顔を見せると、ローレンスの眉がぴくりと動く。それからローレンスは困ったように笑った。
「ただいま」
「会えて嬉しいです」
「うん、僕もだよ」
ローレンスは流れるようにリデラインの額にキスをする。リデラインは恥ずかしさを覚えつつも、幸せそうに頬を緩ませた。
隣の椅子に座ったローレンスは、じっとリデラインを見つめる。
「手紙は読んだね?」
「はい」
「討伐は危険だ。拠点の手伝いだとしても、必ず安全が保証されるわけじゃない」
「お父さまたちには認めていただきました」
「そうらしいね。でも僕は許可できない」
ローレンスの手がリデラインの頬を撫でる。愛おしいという想いが伝わってくる、とても優しくて繊細な手つきだ。
「討伐に来るのはやめなさい。リデルは賢いからわかっているとは思うけど、問題なのは魔物だけじゃないんだよ」
ローレンスが言いたいのは傍系のことだろう。討伐に参加するのは家門の人間。傍系の中には、リデラインの存在をよく思わない者もいるはずである。悪意を持ってリデラインに接してくるだろう。そこもローレンスだけでなくみんなが心配しているところだ。
「それでも、私は参加します」
「なら僕は、全力を尽くしてそれを止めないといけないね。リデルの望みはなんでも叶えたいけど、こればかりは譲るつもりはないよ」
ここに来て、予想はできていたけれど非常に厄介な壁が立ちはだかった。
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