77.放置はできません(第三話)
翌朝。ベティがリデラインの髪をセットしている最中、リデラインは悶々としていた。
ストウ森の討伐がきっかけで、伯爵領に多くの死者が出る。祖父母も亡くなる。しかしそれ以外の経緯が不明で明確な原因がわからない以上、対処すべきことも見えてこない。
単純に考えれば、魔物の討伐に失敗して魔物が大量発生、伯爵領に広がり被害が出る、という流れだろうか。
『特に――が弱い子供や高齢者の割合が高くて――』
ジャレッドのセリフを思い出して、リデラインは難しい顔をする。
(何が弱いの? 戦闘力?)
まだ魔法を上手く扱えない子供や体力的に衰えている高齢者は、抵抗する力が弱いと言える。魔物に殺されてしまう割合が高くなっても不思議ではない。
(けど、騎士たちは避難誘導をしながら戦うはず。避難が優先されるのは基本的に高齢者や子供、女性だし、お祖父さまたちが亡くなるというのも……)
祖父は先代の伯爵でもあるけれど引退している身であり、討伐の後なら現伯爵であるデイヴィッドが領地に滞在しているはずなので、指揮をとるとしたらデイヴィッドだろう。祖父母の安全確保は真っ先に行われるはずだ。
それとも、事が起こったのは討伐からある程度の日にちが経ってからのことだったのだろうか。それならばデイヴィッドは公爵領に戻っているはずで、当主がいない間の責任者として祖父が事態に対処したとしてもおかしくはない。
(そもそも、ローレンスお兄さまやお父さま、フロスト騎士団までいて討伐失敗なんて、正直なところ考えづらい……。お兄さまたちでも倒しきれないような強力な魔物がいるとか?)
ありえなくはないだろう。フロスト騎士団は国内最強の騎士団と謳われているけれど、王立騎士団ほど人数は多くない。史上最高峰の魔法使いと呼ばれているローレンスはまだ十六歳――討伐の時にも十七歳。そして、ストウ森は全貌が解明できていない魔物の巣窟である。
(他にはどんな可能性が……)
魔物討伐の失敗はあくまで可能性の一つ。それのみを前提に対策を講じては、いざ違った時の衝撃や困惑で初動が遅れ、致命的なことになるかもしれないのだ。あらゆる展開を予想し、その予想が外れても思考が停止しないように心がけなければならない。
それに、『瑠璃の記憶』をどこまで信用していいものか、リデラインの中に疑念が生まれてしまっている。あの夢は、あの記憶は、果たして正しいものなのだろうかと。
(……考えたって仕方ない)
本当に伯爵領で悲惨な何かが起こるのかは、その時にならないとわからない。起こらないならそれに越したことはないけれど、起こるほうに進んでいくのだとしたら、止められる可能性が少しでもあるのなら、リデラインが動かない理由はないのだ。
「完璧です、お嬢様」
綺麗に髪をセットしてくれたベティが誇らしげにそう言ったので、リデラインは鏡越しに「ありがとう」とにっこり笑った。
昨夜の夕食と同じ顔ぶれの朝食の席で、リデラインは意を決して口を開いた。
「お父さま」
デイヴィッドだけでなく、皆の視線がリデラインに集中する。
「ストウ森の魔物討伐に、私も同行させてください」
率直に要望を伝えると、皆が驚きを露わにした。リデラインがこんなことを言い出すとは誰も予想していなかったのだろう。事実、あの夢を見なければ、リデラインは大人しくこの邸で留守番をしていたはずだ。
(大量の死者を出してしまう理由がわからない以上、その場にいて情報収集をするのが手っ取り早いもんね)
原因がなんなのか、情報やきっかけが多いほうが記憶も蘇るかもしれないと考えたのだ。そのためには現場に立つのが一番である。
もちろん、討伐が始まるまでにすべてを思い出せたらいいのだけれど、確信できない以上はそうならないことも前提に動くべきだろう。
リデラインの言葉の衝撃が和らぎ、ようやく咀嚼できたらしい両親は、極めて真剣な、厳しい顔になった。
「リデライン、それは危険だわ」
「訓練の進み具合は報告を受けている。実力的にはおそらく不足はないと思うが、リデラインは魔物との実戦経験はないだろう。そんなに甘くはないんだ」
許可はしない、という意志をひしひしと感じた。これは予想できたことだ。
「討伐にはヘンリエッタも同行することになるから一週間も一人で残ると寂しいかもしれないが、ベティたちがいるから……」
「私はまだ資格を持っていませんので、討伐そのものに参加したいとむりは言いません。お母さまのように拠点のお手伝いをさせてほしいです」
ストウ森の周辺には、安全上の理由から村や町は存在しない。しかし、森に異変があればすぐに察知できるよう調査する人員のために、森の近くに小さな建物が建てられている。討伐の際はその建物を中心に周りにいくつものテントを張り、討伐のための拠点とするのだ。
拠点では討伐中に出る怪我人の治療も行う。ヘンリエッタはその後方支援の責任者として同行するので森には行かない。拠点には非戦闘員も多くいるので、リデラインはそこに目をつけた。
本当なら討伐に参加したいところだけれど、リデラインには体力がない。魔物との戦闘という点では経験がないこともあり、まともに討伐をこなせないだろう。拠点のお手伝いという名目がもっともリデラインの同行の許可を得やすいのである。
「拠点も危険がないというわけではない。怪我人の血の匂いに誘われたり、多くの人の気配に気づいて興味を持ったりなど、魔物が森を出て拠点を襲う可能性は否定できないのだ」
「自分の身を守ることくらいは可能であると証明できればよろしいのですか?」
「護身用の魔道具を頼るのなら――」
「いいえ。それはあくまで最終手段だと弁えています」
魔道具は予測できなかった危険や魔力がなくなって戦えなくなってしまった時の砦である。それは理解している。
「今日のジャレッドお兄さまのテストに、私も参加させてください」
「!」
その発言もまた、皆を驚愕させたようだ。
普段、リデラインは八歳らしい振る舞いをしようと意識している。中身は十五歳なので羞恥心に負けてしまうこともあるけれど、なるべくは子供っぽくしているのだ。
そんなリデラインの普段とは異なる雰囲気に、ジャレッドと両親は戸惑っていた。
「リデライン――」
「いいじゃん、やらせてみれば」
困惑しながらデイヴィッドが何かを言おうとしたのを、オスニエルが遮る。
「エル」
何言ってるんだ、と物語っている眼差しでジャレッドに見据えられているけれど、オスニエルはまったく気にしていない。
「本人にこんなにやる気があるんだから、テストくらいしてあげれば? 伯父さん」
「しかし……」
「だめだったらその時は潔く諦めるんでしょ」
そう言って、オスニエルは琥珀色の目をこちらに向ける。
「ね、リデライン」
「はい」
リデラインが返事をすると、引く気がないと察したのだろう。デイヴィッドはため息を吐いた。




