73.一生の不覚です(第六話)
「ところで、氷の魔法ってどう?」
「水に比べると扱い難しいな」
「やっぱそうなんだ」
オスニエルはジャレッドが使えるようになった氷属性の魔法に興味があるらしい。フロストの血筋ではあるけれど、オスニエルには氷属性の適性はないからだろう。もう一つ、フロストの特徴である風属性は受け継いでいる。
基本の四属性の中でも扱いが難しい風属性。しかしオスニエルは風属性の技術が一流だ。
「準三級受ける?」
「そのうち」
「ジャレッドがどれくらい成長したかすごく気になる。訓練の見学させてよ。ていうかさ、ちょっと手合わせしようよ」
「いいぞ」
「負けても拗ねないでね」
「拗ねる」
「はは。拗ねるんだ」
ジャレッドが快く承諾したので、オスニエルはご機嫌だ。
「リデラインのほうも気になるね」
琥珀色がまたリデラインを捉えるので、リデラインはびくつかないように心を引き締める。
先ほどと比較するとそれほど敵意はない。それでもあの目は、リデラインにとっては緊張してしまうものだ。
「体調平気? 後遺症とか」
ミルクレープを完食したオスニエルに訊かれて、リデラインはとりあえず悠然と笑って見せる。
「体調はもう安定してますよ」
「王都で調子悪くなったんでしょ」
「そんなことまで知ってんのか」
「ローレンス兄さんとネイサン卿ってすごく目立つから」
その説明でジャレッドは納得したようだけれど、リデラインはそうではない。オスニエルの情報源に察しがついているからだ。
オスニエルがフロストのことを安易に外に漏らすとは思っていないけれど、どうしても意識してしまう。
「猫が落ちてきたからびっくりしたらしい。あとはまあ、人に酔ったんじゃないかって」
どうやらジャレッドはそう説明されたようだ。
「王都って人多いからね」
それ以上の追及はなく、オスニエルは引き下がった。
「そういや、今日の用件って俺たちの魔法のことだけだったのか?」
「いや、もう一つあるけど……それは夕食の頃になりそう。父さんたちから話あると思うよ。本格的に色々やることになるのは明日からでしょ」
「明日って、泊まってくのか?」
「当然。せっかくこっちまで来たんだし」
「泊まりならさすがに前もって連絡寄こしとけよ……」
「父さんは伯父さんに甘えてるんだよ」
「これは『甘えてる』の範囲なのか?」
ジャレッドとオスニエルの手合わせについては、訓練を担当しているモーガンも快諾だった。いろんな相手と手合わせをすることは経験となるからだ。
リデラインは見学することになり、訓練場の端のほうで段差に座っている。
「くっそ」
ジャレッドは大の字になって地面に仰向けに倒れ込んでいた。荒く呼吸をしており、服も汚れている。そのすぐそばでオスニエルがしゃがみ込み、余裕の笑みを浮かべてジャレッドを見下ろしていた。
「成長してるけどまだまだだね、ジャレッド」
「まだお前とこんなに実力差があるって、結構ショックだ」
オスニエルは息も上がっていないし、服もほとんど汚れていない。
二人の手合わせはオスニエルの圧勝で終わった。風と、それから彼のもう一つの適性である火属性の魔法の組み合わせに、ジャレッドは歯が立たなかった。
「伸び代はあるよ。最後の一手は悪くなかった」
「あれをあっさり無力化しといてよく言うな」
「本心だって。氷の魔法も俺の想像以上に使いこなしてたし、ジャレッドはもっと強くなるね」
悔しそうにしているジャレッドの近くにモーガンが移動する。
「では、試合を振り返っての反省をしましょう」
モーガンはカメラを持って、ジャレッドにそう声をかけた。ジャレッドは体を起こしてあぐらをかく。
カメラはジャレッドとオスニエルの今の手合わせを録画するのに使われていた。記憶が新しいうちに、映像を確かめながら自分の弱点や癖などを客観的に分析するためだ。
モーガンとジャレッドの反省会が始まり、お役ごめんになったオスニエルがこちらに歩いてきた。
「リデラインも俺と戦ってみる?」
「遠慮します」
「そ。残念」
八歳の少女相手なので本気の提案ではなかったらしく、即座に断られてもオスニエルに気分を害した様子はなかった。オスニエルはそのままリデラインの隣に、人一人分程度の距離を空けて座る。
「リデラインさ、俺と目、合わせようとしないよね」
「……」
「なんで?」
理由を訊かれても、正直に答えることはできない。
「私のことが嫌いなら、別に気にする必要はないんじゃないですか?」
「嫌われてるからって感じしないんだよ、なんとなく」
鋭い、と思った。確かにその予想は当たっている。
リデラインが黙り込むと、オスニエルは別の角度から攻めてきた。
「リデラインが王都で体調崩したって話、実はさ、ジェレミーから手紙で教えてもらったんだよね」
ジェレミー。親しい者が呼ぶ愛称だ。リデラインにとってはあまり聞きたくない名前だった。
まさかここで、オスニエルからその話題を出してくるとは。まったく心の準備ができていなくて動揺が隠せない。
「リデラインたちが王都であの猫を任せたフードの男の子。ジェレマイア・ヴァーミリオン」
オスニエルの琥珀色の目。そして、火属性の適性。王太子と同じそれらは、王家の血筋によくあらわれる色と属性だ。
ノリスマレー侯爵家には一代前の当主の代で、当時の国王の妹が降嫁している。オスニエルは王家の血を引いており、王太子ジェレマイアとははとこに当たるのだ。
小説のオスニエルがリデラインを心底嫌悪していたのは、リデラインがローレンスやジャレッドだけでなく、王太子にも迷惑をかけていたからだった。
「動揺はあるけど、そんなに驚いてる感じしないね。――もしかして、気づいてた?」
オスニエルの目が、鋭く細められた。
思わぬ疑いがかけられてしまった。しかも事実なのでやっかいだ。
この疑念をどうやったら晴らすことができるのか、リデラインは思考を巡らせる。
「……私は王太子殿下のお顔なんて知りませんよ」
「目の色は変えずにお忍びすることが多いんだよ、ジェレミーは。不用心だよね。琥珀色の目が確認できたなら気づいても不思議じゃない」
言い逃れ失敗である。
「もしかして気づいてて、気を引くためにわざと体調が悪いふりでもしたのかって思った」
リデラインは目を見開く。オスニエルのその言葉で、小説の内容が頭の中に流れてきた。
『愛しの婚約者の気を引きたいのはわかるけど、やっていいことと悪いことがあるよ、リデライン』
王太子とジャレッドは同い年だ。そして、一つ年上のオスニエルは、王太子に合わせて一年遅れで学園に入学する。王族ということで人間関係に悩むことになるであろう王太子への配慮だった。
王太子との関係が良好なものではなかったこと、主人公と王太子の仲が縮まったことで、焦燥に駆られていた悪役令嬢リデライン。彼女が過激な手段を取るようになると、オスニエルが忠告する場面があった。
オスニエル・ノリスマレーもまた、悪役令嬢を断罪する側の人物。そして、性格はローレンスとよく似ていて、冷酷な判断ができる性質だ。
リデラインはまだオスニエルに嫌われている。その事実は、この状況でリデラインの恐怖心を刺激するには十分すぎた。
震えそうになるのを堪えて、オスニエルの推測を否定するために声を必死に絞り出す。
「そんなこと――」
「――とまあ、一度はそう思ったんだけど、さすがにありえないなって考え直したよ」
オスニエルの雰囲気が、一瞬で緩んだ。
「ジェレミーの婚約者になりたくないって話してたって聞いたし、仮病ならローレンス兄さんが気づくだろうしね。そもそも初対面の相手の気を引きたいとして、連れがいるところでいきなり体調が悪いふりをするって馬鹿馬鹿しいし」
「……」
「ごめんごめん。忘れて」
リデラインがなんとも言えない表情になっていると、オスニエルは笑いながら謝罪の言葉を紡いだ。
(し、心臓に悪い……)
◇◇◇
改めてになりますが、誤字報告については活動報告を読んでくださいと一話のあとがきに書いていますので、注意事項を無視している報告に関しましてはブロックしていきます。句読点とかです。内容によっては様子見をすることもありますが、一発ブロックもありますのでご了承ください。




