71.一生の不覚です(第四話)
リデラインとジャレッドは、当主であるデイヴィッドの執務室の前にいた。二人で扉を見つめている。
「たまにあるけど、また連絡なしで来たんだろうな」
「たぶんね」
このフロスト公爵家に先触れも出さずに訪問して追い返されない人はかなり限られてくる。今回の訪問客――彼らは、そのわがままが許容される数少ない人たちだ。
ジャレッドは普段どおりだけれど、リデラインは少し緊張していた。
この扉の向こうで待っているのは完全に身内なので、本来であれば緊張するような相手ではない。ジャレッドの姿勢が自然である。
隣のリデラインの心情には気づいていないようで、なんの心構えも必要ないジャレッドは躊躇わずにノックをする。「入りなさい」とデイヴィッドの声がした。
扉を開けて中に入ったジャレッドに続いて、リデラインも執務室に足を踏み入れる。
デイヴィッドは応接用のソファーに腰掛けていた。その向かいのソファーに、普段この邸にいない人たちの姿がある。
訪問客は二人だ。男性と少年。
(うわ……)
灰色の髪に青い瞳の男性と、彼に顔立ちがよく似た少年。どちらも文句のつけようがないくらいの美形で、リデラインは息を呑んだ。
男性はリデラインたちと目を合わせると、表情を和らげる。
「二人とも久しぶりだね」
その髪と瞳の色、そして顔立ちも、祖母パトリシアを思わせる。
男性はデイヴィッドの実弟、ヒューバート・ノリスマレー。リデラインたちの叔父にあたる人物だ。だからヒューバートに関しては、先触れなしの訪問であってもデイヴィッドは大目に見ることにしている。
ヒューバートは一応、子爵位を持っている。けれどノリスマレー侯爵家に婿入りしているため、社交界では女侯爵の夫としてのほうが知名度が高い。無論、フロスト公爵の実弟であることも周知されていることは前提で。
「お久しぶりですわ、おじさま」
「おや……」
にっこりとリデラインが笑顔を見せて挨拶をすると、ヒューバートはきょとんと目を丸めた。
以前ヒューバートと会ったのはもうずいぶん前だ。まだリデラインが前世の記憶を思い出す前、つまり荒れていた時期が最後だったので、すっかり雰囲気が変わった姪の様子に驚きを抱いているのだろう。
ヒューバートの隣にいる灰色の髪に琥珀色の瞳の少年は、ヒューバートの息子オスニエル。誕生日の関係で今は二歳差になっているけれど、ジャレッドの一つ上の従兄弟である。
こちらもリデラインの態度が予想外だったようで、しかしヒューバートとは反応が異なり、探るような色彩を帯びた眼差しをリデラインに送っている。その視線に負けないように、リデラインは笑顔をキープした。
「オスニエルお兄さまも、お久しぶりです」
「……そうだね」
リデラインの挨拶に短く返したオスニエルは、ジャレッドに笑いかける。
「ジャレッド、元気?」
「ああ。エルも元気そうだな」
「うん、何事もなく」
オスニエルは楽しそうに柔らかい雰囲気で話しており、久々にジャレッドに会えた嬉しさを滲ませている。
「四級試験に合格したんだってね、おめでとう」
「情報早くないか」
「王都のことはすぐ入ってくるからさ、うちは」
「ああ……」
肩をすくめたオスニエルに、ジャレッドは合点がいったようだった。確かにノリスマレー侯爵家なら王都の情報もすぐに把握できるだろう。
「一人前の魔法使いだね」
「まだ四級だけどな」
「この年齢で四級はすごいことだよ」
「お前に言われてもあんま褒められてる気がしねぇ」
「俺は天才の部類だから」
「相変わらず自信満々だな」
オスニエルは九歳の時に準三級の試験に合格している。十二歳となった今では準二級魔法使いだ。数々の魔法の功績を誇るフロストの血筋の中でもかなりの実力者である。
「さすがにローレンス兄さんと比べたら霞むけど」
「兄上は規格外すぎるから気にするだけ無駄だ」
さらっとジャレッドがそう口にすると、オスニエルは意外そうに目を丸めた。それからにっこりと笑う。
「そうそう。気にしたって仕方ないよ」
和やかに会話が繰り広げられている。しかし、オスニエルにはリデラインとコミュニケーションを取ろうという意思が見事に感じられない。
予想どおりではある。オスニエルは――いや、もと言うべきか、以前のリデラインをよく思っておらず、嫌っているのだ。王都で会ったネイサンのように。もっとも、ネイサンにはもう気に入られているようだけれど。
一人っ子のオスニエルにとって、従兄弟のローレンスとジャレッドは兄弟のような存在である。一歳しか違わないものの年下のジャレッドのことを特に可愛がっており、二人を悲しませ苦しませてきたリデラインを嫌悪するのは必然だった。
そしてそれは、小説でも顕著に描かれていた。オスニエルも小説の主要キャラクターなのだ。
「ジャレッド」
ジャレッドとオスニエルの会話のキリの良いタイミングで、デイヴィッドが声をかける。
「久々だから色々と話したいこともあるだろう。私はバートと話があるから、三人でゆっくり過ごしてくるといい。ちょうどおやつができる頃だしな」
「わかった」
子供たち三人でのティータイムを勧められて、断る理由もないジャレッドはもちろん了承した。オスニエルも口を挟まないので拒否をするつもりはないらしい。
以前はよく公爵家に遊びにきていたオスニエルと会うのが久々なのは、オスニエルがリデラインを避けてこちらに来なくなったからだ。それをデイヴィッドも承知しているはずなのに、リデラインが変わったからまた仲良くできると踏んで三人の時間を勧めたのだろう。
(そんなに上手くいくものじゃないと思うんだけど)
ヒューバートは大人なので、寛大な心でリデラインを受け入れてくれるとは思う。しかし、オスニエルはそうはいかないはずだ。
それに、問題なのはオスニエルの気持ちだけではない。
ちらりと、オスニエルの視線がリデラインを捉える。目が合うと、冷え冷えとした琥珀色を覆い隠すようにオスニエルは爽やかな笑みを浮かべた。




