69.一生の不覚です(第二話)
ジャレッドの魔法使い試験や嬉しくない邂逅もあった王都の滞在を終え、領地に戻ってきたのが三日前のこと。
今日の午前中は空き時間がかなりあり、リデラインは自室で机に向かっていた。ローレンスに出す手紙の最後の一文字を書き、「よし」と満足げにペンを置く。丁寧に封筒に入れ、ベティに手伝ってもらって蝋で封をする。
前世では馴染みのなかった封蝋は異世界ものの創作物に触れていたことで憧れの一つだったけれど、この世界に転生した今では慣れたものだ。
「じゃあベティ、お願いね」
「かしこまりました」
手紙を預かったベティは、主人の手紙を大事そうに持って部屋を出ていった。
ベティを見送って、リデラインは椅子から降りてソファーに移動する。テーブルに置いているカメラを起動させると、ローレンスの写真が空中に映し出された。
一定時間で自動で次の写真に変わる設定にしているので、色んな写真が次々と出てくる。
(制服姿たまんない)
普段は見ることのない姿ばかりなので、自然と頬が緩んでしまう。
王都滞在中は実際に目の当たりにできたのでこの目に焼きつけたけれど、やはり制服を着たローレンスの破壊力はえげつない。普段の貴族然とした服装ももちろん素晴らしいのだけれど、制服には制服にしかない魅力があるのだ。
初めて制服姿を見たときは、視界があまりにも幸福ではしゃぎすぎて、ジャレッドに若干引かれてしまった。興奮して褒め称えるリデラインにローレンスは嬉しそうだったけれど、さすがに自重したほうがいいとリデラインは判断して、その後は抑えていた。それでもがっつり見ていたわけである。
小説の主な舞台となる時期にはローレンスはとっくに学園を卒業していたので、挿絵でもコミカライズでも制服姿はほとんど描かれなかった。貴重なのだ。
(しかも、ジャージ姿まである!)
体育祭の写真のようで、汗を拭うローレンスの服の下から腹筋がちらっと見える角度だ。この写真にリデラインが何度やられたことか。やはり色気が爆発している。
「――また見てんのか?」
写真のローレンスに見惚れていたリデラインは、急に聞こえてきたジャレッドの声にびくっと跳ねた。その反応にジャレッドも目を見開く。
「お、お兄さま……びっくりしたぁ」
「こっちの台詞だ。大袈裟だな」
「レディの部屋に入る時はノックしなきゃだめでしょう?」
「したのに返事がなかったんだよ」
曰く、ベティからリデラインが部屋にいると聞かされていたので、ノックに返事がないのは何かあったのではないかと心配になって勝手に入ることを選択したらしい。それで妹はただ写真に夢中になってノックが聞こえていなかっただけなのだから、安堵よりも呆れを強く感じているようだ。
「ごめんなさい……」
「別に、何もないならそれに越したことはねぇだろ」
しゅんとしたリデラインが謝ると、ジャレッドは特に気にした様子もなくそう告げた。
「それにしても、暇さえあればだな」
ジャレッドは写真に視線をやりながら、リデラインの隣に腰掛ける。見すぎだろと言いたいらしい。
「お兄さまだって気になるくせに」
「まあ……」
「なんだかんだブラコンよね」
ニヤニヤしているリデラインを見るジャレッドの眼差しはうんざり気味だった。
「お前ほどじゃねぇよ」
「そうでもないと思うわ。私はかくさないからわかりやすいだけよ。ジャレッドお兄さまは恥ずかしがり屋さんだから、ちょっとひかえめに見えるだけ」
図星をつかれたためか僅かに眉を寄せたジャレッドは、リデラインの視線に耐えられなかったのか何も言わず、顔の向きを写真へと戻した。反論してもリデラインに言い負かされると察したのだろう。その耳がほんのり赤くなっていて可愛い。
これ以上からかうと酷く拗ねてしまいかねないので、この辺りで勘弁してあげようと、リデラインも再び写真に意識を向けた。
どれほど眺めていても飽きない、大好きな兄の姿。もちろん実物の素晴らしさには及ばないけれど、寂しさを多少は紛らわせることができる。電話のようにリアルタイムで直接会話ができるようなものがないこの世界では、離れている相手を身近に感じるための手助けになる。
それに、一人でいるとあれこれ考えてしまうのだ。昨日はレッスンなどでスケジュールが埋まっており忙しかったのでよかったけれど、時間ができると脳内に嫌な情景が浮かぶ。それを紛らわせるためにもローレンスの写真で癒されることは効果的だし、悪夢に魘されることも減る気がした。
「私やジャレッドお兄さまといる時と全然違う」
「そうだな」
リデラインの感想にジャレッドも同意を示す。
写真の中のローレンスは外向けの顔をしている。キリッとしていながらも優しげで、紳士で、よく周りを見ている。気を抜いていない時の空気感である。
けれど、ネイサンと映っている写真では、それが和らいでいる。うんざりしているように見えるものの年相応で、これが素なのだ。
こんなにもわかりやすい違いに、――このカメラで写真を撮った者も、他の人たちも、きっと気づかない。身内だからこそわかる変化なのだろう。
「お兄さまの姿を見ることができるのはいいんだけど、こんなにかくしどりされてたんだってふと思っちゃって、怒りもわいてくるのよね」
貴族、それもフロスト公爵家の後継者。加えてこのルックスと、史上最年少で一級魔法使いになった圧倒的な実力。学園内にとどまらず、外では記者に狙われることだって当然ある。
学園内だって、同じ学び舎に通う学生であっても、クラスメイトであっても、結局は他人だ。貴族同士の腹の探り合い、フロストに取り入ろうとやたらローレンスを持ち上げたり、勝手に格付けをしたりといったことが日常茶飯事であることは想像に容易い。ローレンスが心を開いているわけでもない――心を開けるはずもない人たちばかり。たとえ仲の良い人であったとしても、隠し撮りが許されていいわけがない。
ローレンスは不愉快に思っているだろうけれど、慣れてもいるのだろう。
目の前に映し出されているのは、リデラインにとっては貴重なローレンスの記録。それでも、ローレンス本人にとってはそうではないはずなのだ。
「やっぱり捨てようかな……うぅぅでももったいない……」
「兄上がいいって言ってたんだから気にすんなよ。知らない奴が持ったままよりお前の手元にあるほうがよっぽどいいだろ」
ジャレッドはリデラインの頬を人差し指で軽く押して、「考えすぎても意味ねぇぞ」と続ける。
「言っとくけど、お前だって撮られる立場なんだからな」
「わかってるわ」
以前ローレンスとジャレッドと街を歩いた時だって、そのことが新聞に記載された。
故意にリデラインの悪評を広めていたヨランダのような件はあったけれど、使用人たちには守秘義務があるので、邸内のことは情報が漏れないよう管理されている。しかし、一歩外に出ればリデラインたちは当主の子供。フロストを牽引する立場にあるのだから、その一挙手一投足が注目されている。
領民は親しみを込めて、まるで自分の子供や孫の相手をするように接してくれるけれど、外部の人間もそうとは限らない。外での振る舞いには神経を使うことになる。
フロストの一員である以上、その覚悟は必要だ。
常に見られている。だからこそ家族の前では、邸の中では、心安らかにいたいし、みんなにもそういてほしい。
リデラインはカメラに手を伸ばしてオフにしたところで、短くため息を吐く。
「あと一ヶ月以上もお兄さまに会えないなんて……」
「ひと月半は我慢できてたんだからいけるだろ」
嘆くリデラインに対して、ジャレッドは冷たい。
「てか、来月の頭には帰ってくるんじゃないか? 誕生日だし」
「――え?」




