07.悪者退治です(第二話)
「はい、これ。お願いされてたもの」
翌日、ローレンスは早速お願いしていたものを入手して、リデラインの部屋に嬉々として持ってきてくれた。仕事が早すぎる。
「ありがとうございます、お兄さま」
「僕のお姫様のためだからね」
さらりとローレンスは言ってのける。その台詞が本当によく似合う美貌をしていて違和感がない。
嬉しいけれど、とても面映ゆい。恋愛経験がなく、入院生活で見知った顔ぶれとの交流が大半だった日本人としての記憶を思い出してしまったので、どうしても以前より気恥ずかしい気持ちが大きくなる。推し相手なので尚更だ。
決して嫌なわけではないしむしろご褒美なので、やめてと言うつもりはない。好きなだけ堪能させてもらう。
受け取った箱を大事に持ちながら、ソファーに座っているリデラインはちらりと隣のローレンスを見上げる。
リデラインが八歳なので、ローレンスも小説に登場する年齢より若い。回想でちらっと出てくることはあった年齢で、十六歳だ。よって学生である。貴族のほとんどが通う、小説の主な舞台にもなる王都の学園に在籍していて、今は長期休暇でフロスト公爵領のこの公爵邸に帰省している。
休暇中のローレンスにお願いをするのは申し訳ない気持ちもあるけれど、むしろもっと頼ってほしいと言わんばかりにあれこれ何かしてほしいことはないかと事あるごとに確認されるので、まあいっかと思っている。
熱く見つめていたために、視線に気づいたローレンスが目を合わせ、どうかしたのかと訊くように柔らかい表情で首を傾げた。キラキラしている。とっても輝いている。
「か」
「ん?」
「かっこよすぎます、お兄さま……」
感動のあまり素直に思ったままを零すと、ローレンスはぱちりと目を瞬かせたあと、ふわりと笑みを見せる。
「ありがとう。リデルもいつも可愛いよ」
心臓がぎゅん、となった。美形の破壊力は恐ろしい。
しかし、確認したいことがあるのだと思い出し、リデラインは発狂している脳内とバクバク脈を打っている心臓をなんとか落ち着かせる。
「お兄さま、私のもう一つのお願いもちゃんと守ってくださってますか?」
「もちろんだよ」
「ありがとうございます」
リデラインは昨日、リデラインの誤解が解け、元のような関係に戻れたことをまだ他の人たちに言わないでほしいとお願いしていた。それはベティにもだ。ローレンスやベティと仲良くなったことがヨランダの耳に入らないようにするためである。
理由は訊かれたけれど、悪者退治に必要だから少しの間だけでいいと説得した。それだけで受け入れてくれたので、本当に甘いなと再認識したものだ。
「リデル」
昨日のことを思い出していたリデラインを、ローレンスが真剣な声で呼んだ。
「父上と母上が君のことをとても心配している」
箱を持つ手に力が入った。
公爵夫妻はリデラインを大切に思っているけれど、だからこそ距離を取っている。リデラインが熱で寝込んでいた期間も、きっとリデラインの意識がない時にはお見舞いに来ていたのだろう。しかし、リデラインが目を覚ましてからは一度も訪ねてきていない。強い拒絶と反発が向けられると、この一年の経験で知っているからだ。
「リデルの様子を直接確かめたいと言っていたんだけど、どうかな」
会ってくれないか、ということらしい。ローレンスは家族で仲良く暮らしていくことを願っているので、なんら不思議ではない提案だ。できることなら聞き入れたいという思いはある。
「今は会いたくないです」
「……そっか」
深く考えることなく言葉を選ばずに発言してしまったリデラインは、寂しそうに笑みを零したローレンスの姿にはっとした。
「あの、今は、今はですから!」
「今は……?」
「はい、今は、です。悪者たいじが終わったら、会いたいです」
今の状況で公爵夫妻に会うと、これからの計画に支障が出てしまうのだ。ローレンスの望みを叶えたいだけでなく、リデラインだってもちろん、公爵夫妻に会いたいと思っている。
優しい人たちなのだ。リデラインのことを大切にしてくれる両親。リデラインを見捨てることのない人たち。だから、嫌なわけがない。
「会って、あやまりたいです」
そう呟くように告げると、ローレンスは微笑んだ。
「うん、わかったよ。じゃあその『悪者退治』が終わったら、すぐお兄様に教えてくれるかい?」
「はい、もちろんですわ。お兄さまに真っ先にほうこくします」
キリッとした表情で意気込んだリデラインが約束する。
「本当に可愛いなぁ、僕のお姫様は」
顔を綻ばせたローレンスがリデラインの頬にキスをしたので、リデラインは卒倒しかけてしまった。生のローレンスに慣れるのはまだまだ先になりそうだ。
ローレンスが名残惜しそうにしながらも用事があるからと出かけたので、リデラインは早速行動に移った。
サイドチェストの上に置かれている花瓶に生けられた花の中に、ローレンスからもらった魔道具を作動させて上手く隠す。たったこれだけで準備は万端だ。
昼食の時間になる少し前、ヨランダが部屋にやってきた。
食事を運んでくるのはベティの仕事だ。ヨランダはその前に、ベティがリデラインを悪く言っていたと告げ口をすることで、毎度リデラインの心を刺激してベティに強く当たるようにしているのだ。今日もそのための訪問だろう。
「ねえ、ヨランダ」
ベッドの端に座って、リデラインは口を開いた。
「今日もね、ローレンスお兄さまが部屋にきて体調はどうかって心配してくれたの。やっぱりとても嘘には見えなかったわ。それに、お母さまたちも気にかけていると、お兄さまはおっしゃっていたの。お兄さまたちは、本当に私のことを大切に思ってくれているんじゃないかしら」
指をもじもじさせながら期待を抱く子供のように振る舞えば、ヨランダはリデラインの前にしゃがんだ。ヨランダの目線が下になり、こちらを見上げている。
「騙されてはいけません、お嬢様。何度も申しておりますが、あの方たちはお嬢様を心配などしておられません」
「でも……」
「信じて、また傷つきたいのですか? 私はお嬢様にこれ以上傷ついてほしくないから本当のことを話しているのです。私が嘘をついていると、お嬢様は仰りたいのですか?」
迫真の演技だ。リデラインが養子になってからずっと世話役を務め、一年もリデラインを操っていただけのことはある。
「そうじゃないわ。ただ、ヨランダのかんちがいで、お兄さまたちはもしかしたら……」
「お嬢様がいらっしゃらないところで、皆がお嬢様を魔力だけしか価値がないと言っております。旦那様も奥様も、そして坊っちゃま方も含めてです。侍女でありながらベティも、他の使用人たちも立場を弁えず、そのような侮辱を……。私はしっかりこの耳で聞きました」
つらつらと、彼女の口からは嘘ばかりが飛んでくる。
「お嬢様はまだ幼いですから、嘘を見抜くことは難しいでしょう。旦那様方を信じたい気持ちも理解できます。しかし、事実は事実なのです。期待はしないほうがお嬢様のためなのです」
そうだ、幼いリデラインには嘘を見抜くことが難しかった。
罪悪感など、ヨランダの中には欠片もないだろう。こうすることが正しいと信じきっているのだから。
「私がずっとおそばにおりますから、どうか騙されないでください」
「……ええ。ありがとう」
どの口が騙されないでなどと宣っているのか。リデラインは内でふつふつと湧き上がる怒りを抑え込んだ。