63.予想外の出会いです(第六話)
ネイサンは「せっかくだからそのまま泊まらせてくんない?」と要望を出したものの、さすがにローレンスがそこまで折れることはなかった。冷然として「帰れ」とネイサンを追い出したのである。
その後、ローレンスはネイサンを同行させるのは考え直さないかと何度もリデラインにお願いしてきたけれど、リデラインは笑顔で「ごめんなさい」と拒否した。
ローレンスには申し訳ないものの、学園でのローレンスの話を聞くことができる貴重な機会であるため、リデラインは浮かれていたのだ。先にジャレッドはネイサンと話をしていたと聞いた時は「ずるい!」と騒いだものである。
そうして翌日。学園の授業が終わって昼過ぎに、ローレンスを逃すことなくがっちり捕獲して、ネイサンは再びローレンスと共に邸にやってきた。
「制服は目立ちませんか?」
応接室に案内されたネイサンにリデラインがそう疑問を投げかける。
自分の家に帰っていないネイサンは当然、学園の制服だ。街中でこれは目立ってしまう。半日授業ということでおそらく制服を着たままの生徒たちが王都中にいるだろうけれど、それはつまり、王立学園の生徒――貴族の家の子であることを示しているのだ。
「ラリー服貸してー」
「お断りだね。帰ったら?」
「冷た」
これ幸いとばかりにローレンスが帰宅を促すと、ネイサンはひらひらと手を振る。
「心配は無用だ。俺に抜かりはない。今朝のうちに着替えこっちに送っといたからなぁ」
「はい。こちらにございます」
この邸を管理している執事が、トランクをネイサンに渡す。
「そうそう、これこれ」
「……ポール」
裏切り者を見るような目でローレンスが執事――ポールを見据えると、ポールは胸に手を当てて軽く頭を下げる。
「ローレンス様のご友人の私物ですので、丁重にお預かりいたしました。お嬢様とジャレッド様がこちらにいらっしゃる間はお二人のご希望を最大限に叶えるようにとローレンス様がご命令なさっていたので、必要なことだと判断いたしました」
「……忠実すぎる使用人を持つのも考えものだね」
「大変光栄なお言葉でございます」
ローレンスの嫌味もなんのその、ポールは一礼した。とてもできた執事である。
「そんじゃ着替えるから一人にしてくんない? それとも俺の裸見たい?」
「馬鹿なこと言ってないでゆっくり着替えればいいよ。その間に僕たちは出かけるから」
「ラリーより俺のが着替え早いって」
そう言いながらネイサンが制服のジャケットを脱ぎ始めたので、みんな応接室を後にした。まだ制服のローレンスは着替えのために自室に戻り、リデラインとジャレッドはポールとエントランスホールに移動し、椅子に座って二人を待つ。
先に着替えを終えて現れたのは、やはりネイサンだった。
「お昼はレストランだっけ。人数増えたってちゃんと連絡してくれてんのかねぇ」
半日授業の日は学園でお昼休憩がなくそのまま帰宅となるので、リデラインとジャレッドもまだ昼食は食べておらず、王都のレストランで食べることになっている。最初は三人で予約を入れていたはずだ。
「兄上のことですから、もう観念してると思います」
「ラリーは結構俺に酷いよ?」
「それでもです」
ジャレッドの言葉にネイサンは目を細める。
「おにーちゃんのことよく見てるんだなぁ」
どこか含みがあるように感じられて、リデラインはじっとネイサンを見つめた。
「俺ね、ラリーのことすごい大好きなのね」
(知ってる)
辺境伯家の三男で、この容姿で、準一級魔法使いという肩書き。彼はその魅力的な手札を活かして自由奔放な生活を送っている。誰とでも仲良くできるけれど、その実、他人へ心を開くことがほとんどない。
人に強い関心を持てない。それがネイサンという男だ。
しかし、彼はローレンスのことをとても気に入っている。確か明確なきっかけはローレンスの冷酷な一面を偶然見かけて、ということだったと思うけれど、小説ファンの間ではローレンスと自身の似ている性質を感じ取ったのが一番大きな理由だろうという推察が多かった。
「弟くんと妹ちゃんのことは前々から話を聞いてたんだけどな。――正直に言えば、会ったこともないけど嫌いだった」
ネイサンが纏う空気が変わって、ジャレッドが警戒するように表情を引き締めた。
ポールも目つきが鋭くなったけれど、リデラインが一瞥すると目を丸めて、それから優雅に軽く礼をとった。口出し無用、というリデラインの意図は伝わったようだ。優秀な執事だと再認識する。
「弟くんたちは幼いから色々整理できないってのも理解はできるけど、あいつが君らとの関係で苦悩してたの、一年ずっと見てきてたからなぁ。こんなに大切にしてくれる兄がいて反発するなんて贅沢だなって思ってたよ」
彼はローレンスのことが大好きだ。友人として、とても大切に思っている。
ゆえに、小説のネイサンはリデラインを嫌っていた。周りからの注意をまったく聞き入れず、横暴な振る舞いを続けていたリデラインを。特別講師となり実際にリデラインに接して、その嫌悪は強固なものになったのだ。
「ま、俺も他人のことあんま言えねぇんだけどな。俺のはちょっとした反抗期程度だから、話聞くだけでも相当だなってわかる君らほど拗れてはない」
ネイサンの兄たちはローレンスと似たタイプらしく、弟を溺愛している。思春期のネイサンからすると鬱陶しいのだろう。けれど確かに、リデラインたちのような関係性とは違った。普通の兄弟といった感じだ。
「最年少で一級の資格を取ったのだってすげえことなのに、俺が見てきたあいつはずっと悩んでた。弟妹が比較されて苦しむくらいなら取らなきゃよかったって」
ジャレッドがぎゅっと拳を握りしめる。
ローレンスが資格を取ったのは周りの大人たち――傍系がうるさかったからだ。フロストの名を高めることに必死な傍系たちが、ローレンスにしつこく試験を受けるよう進言したことで、ローレンスは仕方なく受けた。合格すれば弟妹に魔法を教えることができる、と前向きに考えてはいたのだろう。小説でもそんな説明があった。
結局、色々あってその機会はこれまでほとんどなかったけれど。
「妹ちゃんの言動には特に頭を悩ませてたな」
ネイサンの赤い瞳がリデラインを捉える。
「血の繋がりなんて目に見えねぇものなのに、人ってそこに大なり小なり縛られるよなぁ。本当の親子や兄妹じゃねぇと、関係性によっては気を遣いすぎてお互いにすり減りかねない。今は改善されてても、今後、またそれで拗れないって保証はねぇだろ」
「それは私への忠告なんですか?」
真剣な眼差しでリデラインが訊ねると、ネイサンは僅かに目を見開いて、それから「へぇ」と口角をつり上げる。
「違うって受け取ったのか」
「そのように聞こえました」
「そ。まあそうだよ。俺は君らじゃなくてラリーのほうに偏ってるからな」
リデラインが座る椅子の背もたれに手を置いて、ネイサンはぐっと顔を近づけてくる。
「見たくねぇの。あいつが兄だからって無理して一人であれこれ抱えることになるとこは」
「そうですね。それは私たちも望まないところです」
「なら多少は安心だな」
満足そうに笑ったネイサンが離れていく。
「妹ちゃん、思ったよりもしっかりしてんね。人見知りっていうからてっきり気が弱いのが本質だと思ってたわ」
「とっても気弱ですよ」
「そうは見えねぇな」
探るような目を向けられるので、リデラインはにっこりと笑う。
「ネイサンさまは、ローレンスお兄さまのことが本当に大好きなのですね」
「そうだよ」
「では、これからもお兄さまをよろしくお願いいたします。妹として、貴方のようなお方がご友人なら安心ですわ」
ニコニコして最後まで告げると、ネイサンはまた瞠目したあと、「――あっはは!」と笑い声を上げた。
「妹ちゃんいいね! 俺君みたいなタイプ好きよ。おにーちゃんに似てる」
「ありがとうございます。私もネイサンさまのようなお方は嫌いではありません」
「そこは好きって言ってくんねぇのな」
おかしそうに笑う彼に、リデラインは「ネイサンさま」と極めて真面目な顔つきになる。
「お兄さま、学園ではやっぱりモテモテですか?」
「たぶん妹ちゃんが予想してるよりすっげえモテモテよ」
「ぜひそのあたりをくわしくお聞かせください!」
「オッケー。そういう約束だもんなぁ」
(切り替えが凄すぎて怖い……)
リデラインとネイサンが盛り上がる横で、ジャレッドが引いていると。
「――二人から離れろネイサン」
「あら。邪魔者がきた」
「誰が邪魔者だ邪魔者は君のほうだよ」
着替えを終えて急いで来たようで、息を切らしたローレンスが乱入した。
「ポール。君がついていながらなんでネイサンがこんなに二人に近づいてるんだ」
「申し訳ございません」
ローレンスの怒りの矛先がポールにまで向けられたので、リデラインは彼が悪くないことを慌てて説明するのだった。




