60.予想外の出会いです(第三話)
初日の試験を終えてジャレッドが帰宅し、三兄妹は少し早めの夕食の時間を食堂で過ごしていた。
そこで試験の話を聞くとかなり手応えがあったとかで、今のところは今日の結果について不安な様子は見受けられなかった。意識はすでに明日の試験に向いているようだ。
ただ、かなり注目されてしまったとジャレッドはうんざりしている。フロストの人間なのでそこは仕方ない。想定していたことだ。十二歳で一級魔法使いになったローレンスの弟、というのも理由だろう。
「初日おつかれさま」
「ああ」
「同い年の人っていた?」
リデラインの質問に、ジャレッドは「んー」と斜め上を見る。
「年上ばっかだったな」
「それはそうだろうね」
魔法使い試験の合格者の年齢は基本、若くて十二歳前後だ。ジャレッドのように十歳で受ける者は決して多くないし、まして合格する者もほんの一握りである。
「兄上と同級生だって人も何人かいて、なんかやたら話しかけてきて面倒だったな。試験に集中すりゃいいのに」
「――へぇ」
ローレンスの声が低くなったことに、リデラインもジャレッドも気づいた。
微笑を湛えたままのローレンスだけれど、目がまったく笑っていない。
「そいつらの特徴、教えてくれる?」
そいつら、という呼び方でもローレンスの機嫌が急降下したことがよくわかる。弟の集中を妨げた者たちに苛立っているのだろう。
不穏な気配を感じたのか、ジャレッドが訝しげに眉根を寄せた。
「……何考えてんの?」
「ちょっと忠告してやろうかと思って」
ローレンスは笑顔でさらりと言ってのけた。忠告とは何をする気だろうか。
その同級生とやらは、未来のフロスト当主と仲良くしたいのに思うように距離が縮まらないため、偶然にも試験に弟が居合わせたことで懐柔してフロストに取り入ろう、という腹積りだったのかもしれない。――ローレンスがとても嫌っているやり方だ。
「どうせそいつらと会うのも明日で最後なんだからほっとけばいいだろ」
試験は明日で終わる。試験のあとなら気持ち的にも余裕が生まれるだろうし、あれこれ熱心に話しかけてくることは予想できた。けれど一蹴すればいい。
年上だからとか、年齢は関係ない。予定が詰まっていると誤魔化すのは容易だ。領地に帰ればどうせ関わることもない人たちである。
「放っておいたらエスカレートするんだよ、こういうのは」
にっこりと笑みを深めるローレンスの怒りが静かに燃えているのを感じて、ジャレッドは何も言わずに任せることにしたようだ。
(仲良くなる道は閉ざされたなぁ、その人)
真逆の結果をもたらすことになってしまったことを、その同級生はいつ知るのやら。リデラインはぱくりとステーキを食べた。
◇◇◇
夕食後、珍しくローレンスがリデラインを部屋まで送らずにベティに預けて、リデラインは湯浴みのために食堂を出た。
残ったジャレッドは、何か話があるのだと察してローレンスを窺う。
「明日の試験の帰り、たぶん茶髪に赤い瞳のネイサンという名前の男が接触してくると思う」
神妙な顔でローレンスがそう告げるので、ジャレッドも自然と表情が引き締まった。
「なんだ、フロストを敵視してる奴か?」
「いや、僕の友人だ」
「……友人」
「うん」
友人と聞いて、ジャレッドは肩から力が抜けた。
兄は人をあまり信用していない。ヨランダの件があって、更にそれが顕著になったように思う。ただ、それをあの綺麗な作り笑いや物腰柔らかな態度で覆いつくして隠しているだけだ。
そんな、人と距離を置いている兄が、友人だと言った。相手側が勝手にそう思い込んでいるのではなく、ローレンスが友人として相手を認識している。一体どのような人物なのだろうかと気になった。
「クラスメイトでね。困ったことに、だいぶジャレッドとリデルに興味を持っているらしい」
ローレンスの弟妹だから、ということだろうか。何を期待されているのか不明すぎる。
「だから俺に近づくって? 俺が来てること言ったのか?」
「ううん。人脈が広すぎる奴だから、ジャレッドが試験に参加してたって話が今頃耳に入っていてもおかしくはないってだけ」
雰囲気からすると兄はどうやらその友人を警戒しているらしく、ジャレッドは困惑する。
「で、話がしたいとかうちに来て夕食に同席したいとか言い出しかねないんだけど、話は聞かずに無視して帰ってきてほしい」
「……友達なんだろ?」
「そうだね。でも、リデルに会わせたくない」
「リデライン? なんでだよ」
ローレンスが友人を紹介してくれるとなれば、リデラインは初対面の相手に緊張しつつも喜びそうだ。人馴れの練習にもなりそうだし、友人だというなら協力してもらうのもいいのではないかとジャレッドは思った。
しかし、ローレンスの考えは違うらしい。
「ネイサンは無駄に顔が整ってる女たらしなんだよ」
「無駄に……」
「それに、人と距離を詰めるのが上手い。だから会わせたくない」
褒めているのか貶しているのかはっきりしないそんなことを大真面目な空気感で口にしたローレンスに、ジャレッドは呆れた眼差しを送る。
納得してしまった。要するに、妹をとられたくないらしい。
「心配しなくても、さすがに八歳のリデライン相手に変な考えは起こさないだろ。それとも変態なのか?」
「そういう意味では変態じゃないと思うけど、問題なのはリデルのほうだよ。あいつに興味を持つ可能性がまったくないとは言い切れないだろう」
自分で言いながら想像して恐ろしくなったのか、ローレンスから冷たい魔力が漏れ出ている。ジャレッドはますます呆れを強くした。
「あの人見知りでそこは心配いらねぇんじゃ……」
「あいつの人の懐にするりと入る手管を侮ったら絶対に後悔する」
ローレンスは心底嫌そうな顔をしている。
(兄上の友達になってるくらいだしな……)
その友人が人と仲良くなることに関して技量が高くとも、リデラインがその友人に興味――要するに恋情に近いような感情を抱くことがあるとは非常に考えづらい。なんせ、このローレンスが兄なのだから。
「とにかく、話には一切耳を傾けることなく帰宅してほしい。リデルが一緒に王都に来てることも漏らさないように。いいね?」
「……まあ、わかった」
翌日、帰宅したジャレッドは邸の前で、気まずさから兄と目を合わせられずにいた。兄はあの目が笑っていない笑顔を浮かべているのだろう。視線がびしばし突き刺さっている。
「――ジャレッド?」
責めるような声音で名前を呼ばれて、ジャレッドはだらだらと冷や汗を流す。そうして一言。
「悪い……」
謝罪の言葉を弱々しく口にした。
それもそうだろう。昨日に続いて今朝、試験会場に向けて出発する前も改めて散々言い聞かせられていたのに。
「水くさいなぁ、ラリー。弟が来てることを親友の俺に黙ってるなんて」
ジャレッドの隣には今、茶髪に赤目の無駄に顔が整っている男が立っているのだから。




