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53.出発と到着の裏で(第四話)


 部屋に案内されて、リデラインはベッドにうつ伏せで倒れ込んだ。


「死にそう」

「いやそれ兄上のほう」


 ジャレッドがすぐさまそう指摘する。

 抜け殻状態でここまで案内してくれたローレンスは、少し用事があるからと出かけてしまった。リデラインが冷静さを取り戻して弁明する前に。

 夕食の時間には間に合わないかもしれないから気にせず先に食べていていい、とのことだった。


「敬語なくすくらい簡単だろ」

「だって……はずかしいの!」

「兄上がリデラインの反応楽しんで自重せずに溺愛してる弊害が……」


 呆れたように呟き、ジャレッドはベッドに座った。


「俺の時はあっさりだったのに」

「私とジャレッドお兄さまなら照れる担当はお兄さまだもの」

「……」


 ちなみに、ジャレッドの部屋は隣である。ローレンスに『無理です!』宣言をしたリデラインが冷静になり、ローレンスに対する自身の言動を思い返して落ち込むことを見越して、わざわざこちらに来てくれたのだ。

 なんだかんだでやっぱり優しく、面倒見がいい兄である。


 むくりと起き上がったリデラインは、不安そうな表情でジャレッドを見上げる。


「ローレンスお兄さまに嫌われたらどうしよう……」

「それはない」

「ありえませんね」


 ジャレッドに続いてベティも即座に否定した。そして、ベティはトランクから取り出したくまのぬいぐるみをリデラインに渡す。


「ご安心ください。ローレンス様はお嬢様とジャレッド様になら、たとえどんなに傷つけられようともお嫌いになることなど絶対にありません。今回のように少々の間、魂が抜けた状態になるだけです」

「それは安心していいの……?」

「そのうち戻るはずですので問題はありません」


 そのうち……本当に戻るのだろうかと、リデラインの疑問は解消されない。

 リデラインの心情を察して、ベティは「お嬢様」と言葉を紡ぐ。


「敬語をなくすのは難しいのですよね?」

「たぶん無理」

「でしたら、こういうのはいかがでしょうか。お嬢様が――」


 ベティからのとある提案に、リデラインは頬を赤くさせ、ジャレッドはまたまた呆れを滲ませる。


「そっちのほうが恥ずかしいだろどう考えても」

「……わかったわ。やる」

「まじか」

「やるったらやる」



  ◇◇◇



 夜の店が多い通りからずれた裏の通りは、王都の中でも治安の悪い場所だ。たちの悪い酔っ払いは可愛いもので、怪しい店の拉致に近い強引な勧誘、違法取引などの巣窟になっている、という噂がある。

 そこに、今回リデラインとジャレッドを狙った犯罪組織が拠点にしている建物がある。


 その建物にフロスト騎士団が侵入したのはお昼前のことだった。率いたのは副団長デリックだ。

 騎士たちは一階の見張りを素早く倒し、一人も怪我を負うことなく組織を制圧した。かかった時間は僅か数分であった。


 ヨランダが組織の拠点を訪れたのは、お昼を過ぎてからだった。当日になってもイレギュラーな事態が起きずに計画をきちんと実行できる環境なのか、最終確認をしたかったためだ。

 しかし、組織はすでにフロスト騎士団の手に落ちたあとで、ヨランダは見覚えのある騎士に捕らえられ、椅子に座る形で両手両足を縛られ固定され、部屋に閉じ込められた。万が一にも逃げ出せないよう、椅子を囲うように結界まで張られている。


(どうして、どうしてバレたの……! 私が公爵家であの二人を見張ることができなくなってしまったから、大金をつぎ込んだのに!!)


 フロスト公爵家のために、ヨランダは自身の命を捨てる覚悟で今回のことを企てた。残されたお金をほとんど依頼料として犯罪組織に渡し、協力者も探して実行に漕ぎ着けたのだ。

 組織はフロストが相手だからと入念な下準備を行っていた。組織の手練れが今日も王都の駅の様子を確認しに行ったはずだ。いつもと何か違いはないか、フロストに動きを気取られていないかを、リデラインたちを拉致する実行役たちも連れて、殊更に周囲を警戒しながら確認していたはずなのだ。フロストのタウンハウスにだって監視を置いていたと聞いている。


 成功するはずだった。ヨランダの望みどおり、フロストに相応しくないあの二人が、組織の手でここに連れられてくるのを待つはずだった。

 それなのに。この体たらくは一体なんなのか。


(大旦那様のために、成し遂げねばならなかったのに……)


 ヨランダは歯軋りする。

 もう四十年以上も前、行く当てのなかったヨランダを公爵家に迎えてくれたオーガスタス。あの日から、ヨランダは彼のために、そしてフロスト公爵家のために己のすべてを差し出すと決めていた。フロストがフロストらしくあるために、ただ必死に、己のやるべきことをやってきた。

 そのやるべきことの一つが、フロストに相応しくないものの排除だった。オーガスタスと同じフロストの名を持つに相応しくない者たちがあの家を穢すことを、引退してフロスト領にいないオーガスタスの代わりに防がなければいけなかった。


 八歳の小娘相手にしてやられた時は、本当に絶望した。思いどおりに制御できていると思っていたのに、とんだ女狐だった。フロストの者たちが優しく寛大なのをいいことにローレンスを取り込み、公爵夫妻を取り込み、ヨランダを追い詰めた。たかが没落寸前の子爵家の娘ごときが。

 そのせいでヨランダはフロスト家門の領地に出入りできなくなってしまった。オーガスタスにも会えなくなってしまった。


(私はフロストに必要な存在なのに……!!)


 ヨランダは拳を震わせる。

 あの日のエントランスホールでの出来事が忘れられない。身の程も弁えずにフロストを名乗る小娘の、あの勝ち誇ったような顔。そして、慈しみを持って育ててきた大切な坊ちゃんの、あの軽蔑や嫌悪や憎悪、あらゆる負の感情が凝縮された眼差しと声。


 あれからフロストの誰とも会えなかった。そのまま追い出されてしまった。どんなに懇願しても、オーガスタスも来てくれなかった。

 ヨランダはただ、正しいことをしようとしただけなのに。フロストのために、邪魔な穢れを大人しくさせていただけなのに。主人たちは優しい人間であの哀れな娘を捨てられないから、代わりに教育していただけなのに。


 それだけではない。オーガスタスの血を引いていながらフロストの特徴を何一つとして持たずに生まれたジャレッドも、直接見張り続けていたかった。

 ジャレッドがローレンスを差し置いて当主になる可能性はとても低い。そんなことはわかっているけれど、ジャレッドを推す愚者が家門の中にいる。先代によく似ているローレンスが当主となることに不満を持つ者たちだ。


 先代公爵は当主として圧倒的な力を持っていた。天才的なセンスと恵まれた魔力による魔法の実力、カリスマ性、そして当主としての素質。すべてが揃っていた先代は、彼の教育に携わっていたヨランダの自慢でもあった。先代の存在そのものが、傍系たちへの強い抑止力となっていたのだ。

 ローレンスもその圧倒的な当主の適性の片鱗を見せている。そこに危機感を抱いている者たちは、家門の中で自身の影響力が低くなることを恐れているのだ。

 そして、ジャレッドが当主となれば、操りやすく都合がいいと考えているのだろう。ジャレッドは何もかもがローレンスより遥かに劣っているから。


 可愛くないわけではない。ジャレッドだってローレンスと同様、オーガスタスの孫だ。ヨランダにとっては仕えるべき、守るべき主人の一人。

 しかし、当主には相応しくない。当主になるべきはローレンスであり、ジャレッドが後継者となる道は断たねばならない。傍系におだてられてジャレッドが自分も当主になれるのではないかと期待することがないよう、制御しなければならないのだ。


 すべては、フロストのために――。





 捕らえられ、閉じ込められてから、どれほどの時間が経過したか。窓の外が暗くなって、部屋の外から足音が聞こえてきた。

 ヨランダは顔を上げる。年齢も年齢で、ずっと椅子に縛られている体勢なので、体のいたるところが痛い。


 ドアが開かれ、ローブを纏っている人物がデリックを連れて入ってくる。

 その人物はローブを外した。銀の瞳を捉えて、ヨランダは息を呑む。


「結界があるのにわざわざ椅子に座らせてやったのか。不要な優しさを発揮した者がいたようだな、デリック」

「私の指導不足です。申し訳ありません」


 冷たい表情と冷たい声。明らかに歓迎はされていないけれど、ヨランダはこの再会に歓喜で泣きそうになってしまった。

 オーガスタスと同じ銀の瞳を持つ、フロストの人間。正真正銘、フロストを率いていくに相応しい青年。


「ローレンス様……」


 ローレンス・フロストが、目の前にいる。


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