51.出発と到着の裏で(第二話)
「なんかちょっとおなかすいた」
魔動列車がフロストの領都を出発して数十分が経った頃、ベッドでごろごろしながら本を読んでいたリデラインは、突然体を起こしてそう訴えた。
「お昼にはまだ少し早いですね」
「デザート!」
「ふふ、かしこまりました。メニューです」
ベティから渡されたメニューブックを開いて、何があるのかを確認する。
メニューブックには文字だけでなく写真も載せられており、瑠璃が触れてきた向こうの世界のそれにかなり近い。ケーキから始まり、パフェやアイス、パンなど、予想していたよりも種類が豊富で悩んでしまう。
「俺も食う」
ぼすんとベッドに座ったジャレッドもメニューブックを覗く。
「お勉強は?」
「息抜きだ。腹減った」
頭を使っているので甘いものを欲しているのだろうか。
「どれになさいますか?」
ベティに訊かれてリデラインは「うーん」と唸る。
とても興味が惹かれているのはりんごのパフェだ。カスタードやパイ、ストロベリーソースなどが綺麗な層になっており、頂上は薄く切られたりんごが扇子を広げたような形でアイスに添えられていて、ビジュアルの破壊力がすごい。ぜひ食べたい。
ただ、一つ問題がある。
「パフェおいしそうだけど、ちょっと多いかも」
「……なら俺が――」
「では私が少しいただきます」
「わぁい」
リデラインが食べられない分はベティが引き受けてくれるということなので、リデラインは遠慮なくりんごのパフェに決めた。
そのままのテンションでジャレッドに視線を送る。
「お兄さまは決めた?」
「……ハニートースト」
なぜかジャレッドはむすっとしていて、ベティは勝ち誇ったような表情をしていたので、リデラインは首を傾げるのだった。
◇◇◇
食堂車で紅茶を飲んでいたモーガンは、何も言わずに正面の席に座った男に視線をやった。
面識のない男だ。ガタイが良く、顔つきも強面。髪でほとんど隠れているけれど、右眉の上あたりに大きな傷がある。
当たり前のように同席してきたということから、自ずと理解できる。彼がどの立場にある人間なのか。雰囲気も只者ではない。
「あんたがモーガンだよな」
「はい、そうですが。貴方は?」
「ヨランダ・エイミスから依頼を受けた、って言やぁわかるだろ」
リデラインとジャレッドを攫うためにヨランダが雇った、犯罪組織の人間だ。それも、組織の首領である。
「護衛の騎士は事前の知らせどおり三人だったみたいだな。まあ少ないほうだ、楽になる」
どうやらモーガンたちが列車に乗り込むところから見ていたらしい。
騎士が三人同行することはすでにモーガンからヨランダ宛に情報を提供していた。この時間の魔動列車に乗車することもだ。だから彼の発言は何も不思議なことはない。
「……フロストの騎士はとても優秀です。人数が少ないからと、そう簡単に出し抜けるとは思えません」
「護衛を引き離すっていうお前の仕事次第でもあるが、まあ問題ないだろ。ちょっとでも離れてくれりゃ勝ちだ。こっちは手練れを十人、俺以外にも列車内に潜伏させてる。王都の駅にも更に十人。そんで、他にも客がいる。ただの一般人どもだ。周りの被害を考えればフロストの騎士も上手く動けねぇだろ」
駅での実行を決めていたのはそれが理由らしい。人の多い場所では魔法を使えば周りの人間も巻き込みかねない。フロストの騎士も躊躇うと踏んでの計画なのだろう。
「慣れているのですね」
「プロだからな。子供を攫って痛めつけるなんて珍しくもねぇ依頼だ。……いや、殺すことも売り飛ばすこともなく最終的に家に戻すってのは、どっちかってぇと少ないほうか」
プロなどと宣っているけれど、ただの犯罪行為を誇られても嫌悪感や軽蔑が増すだけである。
彼らは人の命を奪うことに罪悪感など抱かないような連中だ。おそらく、人をいたぶることを楽しむような、お金のためならなんでもするような、そんな性質の人間の集まりなのだろう。
彼らに依頼するほどリデラインとジャレッドを目障りに思っているヨランダの思考が、モーガンには理解できない。もちろん目の前にいるこの男の思考も。
「しかし、標的があのフロストのお坊ちゃんたちともなると多少は躊躇したさ。下手すりゃうちの組織が潰されかねん」
魔法の名門フロスト公爵家に手を出すのがどういうことなのか、そこは彼らもわかっているらしい。けれど、緊張や恐怖を感じている様子は微塵も見受けられない。居丈高で、リラックスもしていて、心底これからの仕事を楽しんでいる、というのが彼の振る舞いから受けた印象である。
「それでも引き受けたのですね」
「それなりの依頼料をもらえたからな」
「……そうですか」
ヨランダだけが出せる金額で引き受けたとは思えない。利益とリスクが釣り合わないだろう。依頼料を補填した者が間違いなくいるという証だ。
「まさか、今更やめるとか言いださねぇよな? お前も家族の命がかかってんだろ?」
こちらの事情はヨランダから聞いているらしい。
「病気の家族がいるんだって? 健気だなぁ」
テーブルに腕をついて身を乗り出してきた男は、ニヤリと口角を上げる。
「――逃げられると思うなよ?」
家族がどうなってもいいのか、という脅しだ。彼はモーガンに対する念押しとしての役割も兼ねていたようである。
この男は、失敗しないと自信に溢れている。それは己の実力を十分に自覚しているからだろう。
モーガンの見た限りでも、この男はかなり強い。魔法の腕も相当なものだ。なんとなく、雰囲気で察することができる。
モーガンが正面からやり合ったとして、よくて五分といったところだろうか。おそらく経験値に大きく差がありすぎる。裏の世界が長いのだろう。
しかし、だ。
「――うちの坊ちゃんたちの先生をあんまいじめないでくれないか? おっさん」
テーブルに手をついてそう告げた彼もまた、モーガンを凌駕するほどの実力を持っている。
フロスト騎士団の騎士ケヴィンは、男の隣に座った。男の逃げ道を塞ぐためだ。
男は目を見張り、それからすぐにケヴィンを睨みつける。
「お前確か、フロストの騎士だな。モーガン、これはどういうことだ?」
「……」
「はっ、やっぱ怖気づきやがったか。見るからに子供の誘拐に協力できるような人間じゃねぇもんな、お前」
男はまた、威圧的な笑顔を浮かべる。
「いいぜ。そんなにお望みなら、フロストの坊ちゃんと嬢ちゃん、そしてお前の家族、全員俺たちが――」
話している途中で、男は突然倒れるようにテーブルに突っ伏した。目を見開きながら「かはっ」と苦しそうに息を吐き出す。
「フロストに手を出したのが間違いだったな、おっさん。今頃は王都の駅にいる連中もフロストの騎士に捕まってるだろ。大人しく気絶しとけ」
ケヴィンが冷たく告げたと同時に男は白目を剥き、そのまま気を失った。
その様を眺めて、モーガンはごくりと息を呑む。
ケヴィンは年齢的にまだ若い騎士だ。しかし、戦闘面での強さはフロスト騎士団の中でも上位だという。魔法で男の意識を奪った手腕は見事と言わざるを得なかった。
「列車内に十人いるそうです」
「ああ、全員捕獲しましたよ」
モーガンは驚きで瞠目する。
さすがフロスト騎士団だ、仕事が早い。騒ぎも起こさずにあっさりやってのけたのだろう。
ケヴィンの他にもフロスト騎士団の者が複数人、乗客に紛れて列車に乗っている。それはこの男の仲間を捕らえるためで、作戦が上手くいったようでモーガンは安堵した。
ヨランダがこの男の組織に依頼したことは、フロスト側はとっくに把握していた。モーガンがヨランダを経由して彼らに情報を与えていたのも、ローレンスから指示を受けていたからだ。渡す情報はすべてローレンスが決めていた。
「お客様、そちらのお客様は……」
通りかかった車掌がテーブルに酷い形相で突っ伏している男を見て驚愕し、声をかけてくる。それにケヴィンは頭を掻いて笑った。
「ああ、お構いなく。連れは疲れて寝ちゃってるだけです。寝顔恐くてすみません」
「あ、いえ……」
「食堂車が混んできたら起こしてちゃんと席に連れてくんで、もう少し寝させてやってもいいですかね」
「はあ……」
そう誤魔化して車掌が離れていって、ケヴィンはメニューブックを手に取った。
「向こうに着くまで暇ですし、何か食べます? あ、モーガン先生はジャレッド様たちのとこに戻ったほうがいいですかね」
気絶しているものの犯罪組織の首領が隣にいるこの状況で何かを食べようと思える精神に、モーガンはちょっと引きながらも感心してしまった。




