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05.異世界転生しました(第五話)


 リデラインが落ち着いた頃、ノックの音がまた響いた。リデラインの代わりにベティが「どうぞ」と返事をすると、現れたのはローレンスだった。


「お兄さま」

「どうやら仲直りはできたようだね」


 微笑むローレンスにこくりと頷いてみせると、歩み寄ってきたローレンスは「偉いね、頑張った」と褒めてくれたあと、リデラインの目元を指で軽く撫でた。


「赤くなってしまっているね。ベティ、冷やすものを」

「かしこまりました」


 ベティが一礼して退室するとローレンスはベッドに腰掛け、相変わらずの慈愛に満ちた笑みでリデラインを見つめていた。


「寝ていなくて大丈夫?」

「はい」

「そっか。……うさぎのりんごはベティが持ってきてくれたのかな? 食べないのかい?」

「食べます」

「うん。お腹も空いてるだろうからね」


 ローレンスはりんごをフォークでさすと、リデラインの口元に持ってくる。


「はい、あーん」

「あーん」


 とてもキラキラした顔で自然と動いているので、リデラインも反射的に口を開けてりんごをしゃくり、と食べた。

 もぐもぐしてうさぎりんごを一つ食べ終えたところでベティが濡らしたタオルを持ってきて、ローレンスは受け取ったそれをリデラインの目元にあてる。


「ローレンス様、私が……」

「いいよ。必要なことがあれば呼ぶから、ベティは少し休んでいるといい」

「……かしこまりました。では失礼いたします」


 ベティは最後に寂しそうにリデラインに視線を向け、部屋を後にした。


「リデルがみんなと仲良くなるのはいいことだけど、やっぱり嫉妬してしまうな」

「……?」


 ローレンスの呟きに、リデラインは首を傾げる。するとローレンスは誤魔化すようににっこり笑った。


(うっ。かっこよすぎる……!)


 推しからの供給に内心で呻く。よく考えると、『あーん』をしてもらったり目元をタオルで冷やしてもらったりと、供給過多である贅沢な現状にようやく思考が追いついた。

 急に恥ずかしさが湧いてきて挙動不審になると、ローレンスが不思議そうにする。


「どうかした?」

「いいえ。ただ、お兄さまがかっこよくて」

「嬉しいことを言ってくれるね」


 キラッキラのスマイルを惜しげもなく妹にサービスしてくれるローレンスに、リデラインの心はまたも撃ち抜かれてしまった。


 小説の中では、取り付く島のないリデラインに、公爵夫妻はリデラインとの仲をいつしか諦めてしまった。リデラインを傷つけてしまったという後悔から問題行動を厳しく叱責することもできず、その苛烈な性格の増長は止まらなかった。

 ローレンスの弟でありリデラインにとっては下の兄も、リデラインとの仲は悪くなっていく一方で、衝突してばかりだった。

 使用人たちの中で唯一ベティだけが自分の意思でそばに残ってくれたように、家族で最後までリデラインに向き合っていたのはローレンスだけだ。


(だから、これからはちゃんと……)


 一年もすれ違ってしまっていた分、それ以上に時間を埋めていきたい。

 そのためにはやるべきことがあるので、ローレンスの笑顔にころっとやられている場合ではない。


「お兄さま、お願いがあります」

「なんだろう。可能な限り叶えるよ」


 傲慢でわがままな妹からのお願いなど、本来であれば不穏さに警戒するところだろう。しかしローレンスはニコニコととてもご機嫌な様子だ。


「すごくうれしそうですね?」

「そうだね。リデルとこんな風にゆっくり話せるのは久しぶりだから……奇跡みたいだ」

(うっ)


 推しが心底嬉しそうに、それでいて照れたように零した笑みは、リデラインの心臓を的確に撃ち抜いた。何度目だろうか。

 出生とこの家に引き取られた嘘交じりの経緯を知ってから前世を思い出すまで、一年以上もの間ヨランダしか信用していなかったリデラインは、徹底的に公爵家を拒絶してきた。小説ではそれが変わらなかった。

 奇跡みたいだと表現するのは、あながち過大とも言えない。


「ベティに先を越されたような気持ちになる心の狭い兄を許してくれるかい?」


 どこまでも優しさが詰め込まれた声音に、また目頭が熱くなってくる。本当に子供の体は感情豊かで制御ができない。


「許すもなにも、悪いのは全部私です……っ」


 大声で泣き出しそうになる衝動は抑えるけれど、ポロポロと涙が溢れていく。ローレンスもベティも、なんて優しいのだろう。

 リデラインは確かに実の親に捨てられたけれど、新しい場所、そして一部を除いた人々に、本当にとても恵まれている。


「今までごめんなさい、お兄さま」

「リデルは何も悪くないよ。ただ僕たちがもっと上手く、リデルに心の準備ができる環境を整えられなかったのがいけなかったんだ」


 ローレンスは包み込むようにリデラインを抱き寄せる。リデラインの頭を撫で、優しく音を紡ぐ。


「ほんの少しだけしか同じ血が流れていないけど、リデルは僕の大事な妹だよ。この先何があろうとも、決してそれは変わらない。どうか信じてほしい、僕のお姫様」

「……っ」


 喉の奥がつっかえて、リデラインはぎゅっとローレンスの服を握りしめ、隙間がなくなるくらい抱きついた。

 僕のお姫様。ローレンスが昔からリデラインに向けていた言葉だ。誰からも大切にされるお姫様に憧れていた幼いリデラインのための台詞であり、それでいて嘘偽りのないローレンスの本心。


 小説の中で、ローレンスは本当にリデラインを大切にしていた。自身の出生の負い目から次第に性格が歪んでいく義妹を目の当たりにしてなお、最後までずっと。ヨランダの意図的な出生の漏洩で彼には必要のないはずの責任を感じ、リデラインが道を外すことを正せなかったほどに。

 リデラインの記憶でも、ローレンスはいつだってリデラインの味方だった。使用人につらく当たるリデラインを優しく注意し、諭し、それでも態度を直さないリデラインに根気強く付き合った。決して見捨てなかったし、義妹を想うローレンスの気持ちを偽りだと否定するリデラインに怒鳴ったりせず、信じてほしいと穏やかに、真摯に伝え続けていた。

 そんなに想っているリデラインに最期まで拒絶された小説の中の彼は、どれほど苦しみを抱えていたのだろう。


 小説では報われなかった。けれどここは現実だ。リデラインは彼の想いが本物だと知っている。


「お兄さま、大好きです」

「僕も大好きだよ、リデル」


 大好きという気持ちに、大好きが返ってくる。それがどれほど幸せなことか。


「それで、お願いって?」


 しばらく抱擁を堪能して名残惜しいものの少し離れたあと、ローレンスから問われた。そうだったと、リデラインは本題を思い出す。


「ほしいものがあって。ちょっと高いものなんですけど、他のみんなにはないしょで用意してほしいんです」

「値段だけが不安要素ならまったく問題ないね。なんでも言ってごらん。このお兄様が必ず手に入れてみせるよ」

(かっこよすぎる……!)


 微笑むイケメン。そして、どんなに入手が困難なものであっても手に入れられるという安心感が絶大の、自信満々な台詞。


「えっとですね――」


 リデラインがお目当てのものの説明をすると、「ああ、そうだね」とローレンスは顎を摘んだ。


「確かに多少は値段が張る代物だけど、我がフロスト公爵家にとっては痛くも痒くもない金額だよ。それくらいのお願いならいくらでも聞こう」

「ありがとうございます、お兄さま」


 さすが頼りになるお兄様である。宣言通りの返答だ。

 リデラインも公爵家の金銭事情が桁違いであることを承知しているので、無理のない要望だと最初からわかっていた。


「しかし、みんなに内緒でとは、僕の可愛いお姫様は一体何を企んでいるのかな?」

「悪者たいじです」


 にっこりと笑って告げれば、ローレンスはぱちりと目を瞬かせるのだった。


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