40.兄離れはできません(第七話)
ジャレッドとリデラインの魔法の指導をしているモーガンは、デイヴィッドの執務室に呼び出されて困惑しているようだった。
その姿を眺めながら、ローレンスは冷ややかに目を細める。
執務室にはデイヴィッドとヘンリエッタ、ローレンス、モーガンの四人がいて、デイヴィッドとヘンリエッタは同じソファーに、ローレンスはその向かいのソファーに腰掛けている。モーガンは座る許可が出ないので立ったまま、呼び出された理由をデイヴィッドに訊ねた。
「今回はどのようなご用件でしょうか」
「心当たりはないのか?」
穏やかとは決して言えない雰囲気のデイヴィッドに問い返されて、モーガンは息を呑む。瞬時に緊張が走り、表情が強張った。
ローレンスは長い足を組み、鋭い視線をモーガンに向ける。
「今朝、ジャレッドに対戦形式で魔法を見せてもらったよ。僕には準三級レベルに達しているように見えた。まだ使えるようになったばかりの氷魔法で、だ」
「……」
「その後も水魔法を少し見せてもらったけど、厳しい試験官に当たったとしても準三級は確実に合格できる実力だった」
モーガンは反論せず黙り込んでいる。顔色が悪く冷や汗が滲んでいる様に、ローレンスが纏う空気の鋭さが色濃くなっていく。
「以前、リデルの魔力操作の訓練をかわった時も少し違和感を覚えたんだよね。あの子の魔力操作はすでに魔法の訓練に入っていても問題ない域だ。『魔力量が尋常ではないから慎重に訓練を進めてほしい』というこちらの要望を取り入れた結果なのかと思っていたけど……ジャレッドのことも重なると、明らかに悪意があるようにしか見えないな」
断定的な言葉に誤魔化しは通じないと観念したのだろう。モーガンは意を決して震える唇を動かす。
「確かに、ジャレッド様についてもリデライン様についても、ローレンス様が見立てられたとおりです。ジャレッド様は数ヶ月ほど前にはすでに準三級の試験に合格できる実力をお持ちでした」
「故意だと認めるんだな」
「はい」
モーガンが肯定したことで、ローレンスは拳を握った。怒りの感情が内で暴れ回り、今すぐモーガンを殴り飛ばしたい衝動をぐっと堪える。
まだ、詰問は終わっていない。明らかにしなければならないことが残っている。
「誰の指示だ」
デイヴィッドが訊くと、返答は意外なもので。
「ヨランダ様です」
三人とも、驚きを見せた。デイヴィッドもヘンリエッタも、もちろんローレンスも。
指示を出したのは傍系の誰かだと踏んでいた。ローレンスを確実に当主に据えたい誰かの企みの一環なのではないかと。そうでなければ、彼が従う理由が思いつかないから。
「なぜあなたが、ヨランダの指示に従う必要があったの?」
ヘンリエッタに問われて、モーガンは視線を落とす。そして床に膝をつき、手をついて、――額をつけるように頭を下げた。
「私にとって、ジャレッド様もリデライン様も、可愛い教え子です。最初は本当に、純粋にお二人の力になりたいと考えておりました。私の力を認めてくださった奥様に報いたいという気持ちもありました」
フロストの傍系にあたる家の出身であるモーガンは、当主である父親の代わりに家門会議に出席することが何度かあった。しかし、後継者ではない。
長子だけれど、父親は前妻の子である彼に跡を継がせる気がないらしい。後妻との間に生まれた異母弟のほうに熱心に後継者教育を施し、もうすぐ爵位を継がせるという話だった。
異母弟の成人と同時に家を出ることになったモーガンは、一魔法使いとして生計を立てていた。若くして準一級魔法使いになったことでフロストの傍系の間で話題となり、それを耳にしたヘンリエッタが彼の才能を買い、ジャレッドやリデラインの魔法の師として推薦したのだ。
「ですが、期待と信頼を裏切る形になってしまいました。申し訳ございません」
声も震えている。後悔や謝意が込められている。
「顔を上げてちょうだい」
ヘンリエッタに言われて顔を上げたモーガンは、少し間を置いて続ける。
「一年前、異父妹から手紙が来たんです」
異父妹と聞いて、デイヴィッドは思考を巡らせた。
「異父ということは母親は同じということか。確か君の母親は離婚後、追い出されて行方がわからないと」
「はい。母は新しい土地に移り住んでそこで再婚したそうです。そして、病にかかってしまったと」
そこまでくると、手紙の内容は想像がつく。
「母だけでなく、再婚相手も患い、異父妹の下の異父弟は事故で障害が残ってしまったらしく、金銭的に困っているので援助をしてくれないか、という内容でした」
「母親の提案か、母親が前々から君の存在を教えていて藁をも掴む思いで異父妹が手紙を出したのか……どちらにしろ、虫のいい話だな。知らないうちに増えていた家族の援助を求めてくるとは」
異父妹はモーガンが公爵家でジャレッドたちの魔法の指導をしていることを聞きつけたようで、金銭的な余裕があると考えたのだろう。フロスト公爵家が支払う給金が高いことは周知の事実だ。
「顔も覚えていない母と、会ったこともない弟妹や義父です。正直、最初の接点のきっかけがこれでは、あまり良い印象はありませんでした。それでも無視はできず……会いに行ってみたのです」
そういえば、一年近く前にモーガンは数日ほどまとまった休暇を要請していたことがあった。そのための休暇だったのだろう。
「酷い暮らしぶりでした。親は病で働けず、体に不自由がある弟を持って、まだ十代半ばの妹が懸命に働く程度の稼ぎでは、到底充分な生活ができるはずもありません。家はボロボロで食事も満足にとれておらず、全員が死に向かっているようなところでした」
貧困世帯への国からの支援は、制度としてまだ不十分な部分が多い。その日の食べ物さえ手に入れるのに苦労する者たちもいる。病というハンデも抱えてしまっては、そこから脱出することは非常に困難だ。
「久々に会った母は、私の顔を見てすぐに気づいたようです。いい扱いをされないとわかっていながら何もできず、私をあの家に置いて行ってしまったことを涙ながらに謝っていました」
自嘲するように、モーガンは笑った。
「会ったところで、謝罪を受けたところで、援助などするものかと思っていたのですが……いざ目の当たりにすると、私はあの人たちを見捨てることができなかった。結局、給金のほとんどを母たちの治療代や生活費に充てました」
血の繋がりは目に見えない。それでも家族とは不思議なもので、切っても切れない縁で繋がっている。どんなに理不尽な目にあったとしても、家族を捨てられない者はいるのだ。
「義父の薬には貴重な薬草が必要で、ほどなくして私の給金でも足りなくなってしまって……給金を上げていただけないか、公爵様に交渉しようと思っていました。ただ、すでに高額な給金をいただいていたので、厚かましいことは承知しており……まずはヨランダ様に相談したのです」
「どうしてヨランダに?」
「ヨランダ様は公爵家に仕えてとても長いお方ですし、公爵様に直談判する前に、ヨランダ様に確認しておきたかったのです。このような要望をしても大丈夫でしょうかと」
デイヴィッドもヘンリエッタも優しい人だと知っていた。事情を話せば受け入れてもらえると思っていた。けれど後ろめたさがあって、誰かに背中を押してもらいたかったのかもしれない。それでヨランダに相談しようと思い至ったのだろう。
しかし、モーガンの予想は外れてしまった。
「ちょうどリデライン様が出生のことを知ってしまった頃だったので、公爵家はばたばたしており難しいかもしれないと……だからヨランダ様が薬の材料を融通すると言ってくださいました」
「……ヨランダは公爵家に長くいたから顔も広いものね」
フロストの後ろ盾があったヨランダは、人脈を使って薬草を入手したのだと推測できる。
「薬草をいただくようになってひと月ほどした頃に、ジャレッド様とリデライン様の訓練を遅らせることを要求されました。リデライン様は魔力のこともありましたし不思議ではなかったのですが、ジャレッド様までとなると疑問があったので訊ねると、それがジャレッド様のためになるからとだけ言われてしまい……」
デイヴィッドとヘンリエッタの表情が険しくなる。
モーガンは再び頭を下げた。
「間違いだと、おかしいとは思っていました。それでも私は、この頼みを断って薬草が融通してもらえなくなったらと考えてしまったのです。本当に、本当に申し訳ございません」




