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04.異世界転生しました(第四話)


 ヨランダは公爵家でも特に信頼されている使用人だ。対してリデラインは人望のないわがまま娘。周囲がどちらの話を信じるかは想像に容易い。

 ローレンスや公爵夫妻はリデラインに甘いけれど、だからと言ってリデラインの主張だけでヨランダを追い出すような判断はしないはずである。ヨランダが意図的にリデラインを孤立させようとしていることを証明できる、捏造の疑いもかけられないような確実な証拠が必要だ。


 むー、と難しい顔をしながら作戦を考えていると、部屋にノックの音が響いた。


「お嬢様、フルーツをお持ちしました」

「ちょっと待って」


 聞こえてきた声に、フルーツなんてお願いしてないけどなと思いつつも、リデラインはペンとノートをサイドチェストの引き出しの中に隠し、入室の許可を出す。

 扉を開けて入ってきたのは、茶髪に茶色の瞳の侍女だった。


「ベティ……」


 リデラインが前世を思い出す直前、ジュースを間違えたからと当たった侍女だ。

 ベティは起き上がっているリデラインの姿を見て安堵したように息を吐くと、トレーをサイドチェストに置いて深々と頭を下げた。


「申し訳ございません、お嬢様。私のミスで、お嬢様に大変ご不快な思いをさせてしまいました。そのせいで体調まで崩されて……」

「ま、待ってベティ、ちがうわ」


 ぎょっとしながら否定すると、ベティが恐る恐る顔を上げる。


「ですが……」

「確かにちょっとこうふんしすぎたことが頭痛の原因かもしれないとお医者さまは言っていたけれど、元はといえば、ささいなミスであんなに怒ってしまった私が悪いの。ごめんなさい」

「お嬢様……」


 このように言われると思っていなかったのだろう。ベティは瞠目して驚愕を露わにしていた。

 今までのリデラインの態度を思い返すと、また罵倒されることを覚悟していたはずだ。本当に申し訳ない。

 それに、あの頭痛から始まった体調不良は、おそらく前世の記憶を思い出したせいだ。何か別の要因があったわけではないだろう。

 要するに、ベティは何も悪くないのだ。

 けれど、そこまで事細かに説明するわけにもいかないため、医者の診断に全力で便乗するしかない。


 本当のことを言えなくてもじもじとするリデラインを見つめていたベティは、やがて表情を和らげる。


「お体は大丈夫ですか?」

「うん」

「よかったです。フルーツなのですが、お腹が空いた頃だろうと思って勝手ではありますがお持ちしました。どうぞ」


 優しく言葉を紡ぐベティに、リデラインはトレーに視線を移す。りんごはご丁寧に皮をうさぎのようにカットして並べられており、心遣いが感じられた。リデラインはきゅっと唇を引き結ぶ。


「お嬢様?」

「……もっと怒ってもいいのに」


 リデラインがそう呟くと、ベティはきょとりとした。それから少しして、視線を伏せて「えっと」と話し始める。


「あの、私、親に捨てられたんです」

「え……」


 突然の告白にリデラインが目を丸めると、ベティは苦笑した。


「父は、母が妊娠すると姿を消して……母は一人で私を産んで育ててくれていたんですけど、私が五歳の頃に新しく出会った人と結婚して、弟が生まれました。それで、……あまり裕福でもありませんでしたし、母は自分を捨てた男の子供である私をよく思っていませんでしたので、十歳になると、当時暮らしていた領地の領主であるお貴族様の邸に、下働きとして売られたんです」


 生活費も得られるし、いらなくて手のかかる子供を追い出せる。そう考えていたのだろうと、ベティは言った。


「ただ、あまりいい領主様ではなかったので、労働環境もそれほど良くなく……ストレスの多い職場でした。他の使用人たちはお金で売られてきた子供の私に目をつけて、仕事を押しつけ、暴力も振るい……。ストレスを発散するためか、私は嫌がらせを受けていました」


 十歳で働いて、職場で執拗な嫌がらせをされる。現代の日本で暮らしていた記憶があるリデラインには想像もつかない苦しみだ。

 それに、暴力はいじめや嫌がらせの範疇にない。ただの犯罪行為。仕事を押しつけるのだってパワハラで、向こうではかなりの批判を浴びる行為だ。

 この世界でも基本的な認識はそれほど変わらないはずだけれど、理不尽が罷り通ってしまう場所があるのはどこでも一緒である。


「邸に売られて半年ほど経った頃、疲労でふらふらしながら買い出しのために街を歩いていたところ、偶然にも通りがかった奥様とローレンス様にお声がけいただきました。痩せ細って生気のない顔をしていたようで、お気になさったと。事情を話すと、奥様が『もう大丈夫よ』と仰って抱きしめてくださって……奥様が領主様と話をつけ、私はこうしてフロスト公爵家に仕えることになりました」


 優しい声と表情で、ベティは続ける。


「私は家を離れて使用人として半年だけお貴族様の家で苦しい暮らしをしていたに過ぎませんが、それでも、家族に捨てられ、捨てられた先でもつらい思いをして、不安や恐怖を抱えていました。……お嬢様は突然ご自身の出生を知り、動揺し、不安を抱えていらっしゃるだけです。まだ幼いのですから、それを上手く消化できないのは当然です。フロスト公爵家の一員ともなればプレッシャーもありますから、仕方のないことだと思います」


 小説では語られることのなかった、ベティの話。

 彼女は少し、リデラインに自分を重ねていたのだろう。それでずっと、リデラインが豹変しても仕え続けてくれていたのだ。ゆっくりでもリデラインが自身の生い立ちを受け入れ、前を向くことができると信じて。

 思わず、リデラインはぎゅっとベティに抱きついた。


「ごめんねベティ、今まで本当にごめんなさい……」


 顔を見ずともベティが驚いて固まっているのはよくわかった。けれど少しすると、ベティも優しく抱きしめ返してくれる。


「はい、お嬢様。私は気にしていませんから、もう十分です」

「……っ、うう〜……」


 リデラインは泣いてしまった。体の年齢に精神年齢が引っ張られているようで、次々と涙が溢れてくる。八歳とはこんなにも感情が大きくなってしまうのを堪えきれず、表に出すものだったのだろうか。


 自分が養子であることをヨランダから聞かされたリデラインが荒み始めると、若い侍女たちは耐えられずに配置換えをしてくれるよう公爵夫人に頼んだ。そうしてリデラインの周りには昔から公爵家に仕える者たちばかりになり、彼女たちは公爵家への忠誠心や感謝のためだけにリデラインの世話をしていた。

 そんな中で唯一、ベティだけが侍女をやめずに残ってくれた。彼女だけが、見捨てずに根気強くそばにいてくれたのだ。


 ぐりぐりとベティの肩口に顔をうずめると、とん、とん、と背中が優しく叩かれる。


「よしよし、不安だったんですよね。大丈夫ですよ。私はずっとお嬢様のおそばにおりますから」

「ほんとに?」

「はい」

「……また、わがままを言って困らせても?」

「はい。お嬢様はもう、理不尽なわがままは仰らないでしょう?」


 その声音は本当に穏やかで、相手を信じる真摯な気持ちが感じられる。


「そうやって人をかんたんに信じちゃだめなのよ」

「ふふ。仰るとおりですね、気をつけます」


 これは、あまりまともに取り合ってもらえていない気がする。


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