35.兄離れはできません(第二話)
約束の日になり、リデラインはベティの手を借りて準備を進めていた。
白のフリル、黒や青系統の色のリボンがあしらわれたミモレ丈の濃紺のワンピースは、リデラインとベティのお気に入りだ。子供が着るには暗めの色のような気もするけれど、リデラインは髪も瞳も肌の色も淡いので、むしろ服は濃い色のほうが映える。
ブルーシルバーの髪を銀色の飾りがついた大きな黒のリボンで結って準備は終わった。このリボンはローレンスからのプレゼントである。
「お嬢様、完璧です」
幼い主人を全力を尽くして着飾ったベティが達成感に満ちているのは、見ていてよく伝わってきた。
「かわいい?」
「世界一お可愛らしいです」
訊けば、真顔の全肯定が返ってくる。
親ではないけれど、ベティは親バカタイプのようだ。今までを思い返してみても確かに片鱗はあった。
(まあ、私が可愛いのは事実だしね)
椅子に座っているリデラインが鏡に映る美少女を見つめていると、ノックの音がしてベティが対応する。
部屋に入ってきたのは、こちらも準備を終えたらしい兄二人だった。
ローレンスは黒のシャツに白を基調としたジャケットを着ている。ジャレッドは白のシャツに暗めの色合いのベストだ。
リデラインが見惚れつつも椅子から降りて二人のもとまで行くと、ローレンスは片膝をついて目線を合わせる。リデラインの手を取り、その甲にキスをして微笑んだ。
「とても可愛いよ、僕のお姫様」
(うぅっ!! お兄様こそかっこよすぎます!!)
悶えそうになるのをリデラインは必死に堪えた。
「ありがとうございます。でも、お兄さまたちこそとってもすてきです」
「ありがとう。リデルをエスコートするんだから、気合いを入れたかいがあったよ」
にっこりと笑みを深めたローレンスの輝きが増して、リデラインの心臓が悲鳴を上げた。この兄はつくづくリデラインの好みを的確に射抜いてくる。というか、ローレンスのすべてがツボである。
「ほら、ジャレッドも何か言うことない?」
「……まあ、可愛いんじゃねぇの」
ローレンスに促されて照れくさそうにそっぽを向くも、ジャレッドはお褒めの言葉をくれた。これがツンデレというものなのだろうか。
「じゃあ行こうか」
「はい」
ローレンスが当然のようにそのまま手を繋ぐので、リデラインは嬉しく思いながらしっかり握る。
「ジャレッドも手繋ぐ?」
「……」
「そんな顔しなくても」
リデラインと繋いでいるほうとは反対の手を差し出したローレンスだったけれど、ジャレッドに嫌そうな顔をされて寂しげに手を引っ込める。
「昔は素直だったのに。ね、リデル」
「かわいかったです」
「やめろ」
同意を求められたリデラインが頷くと、赤くなった顔でこちらを睨んだジャレッドは、一人でずんずん進んでいく。
「その速度だとリデルは走らないと追いつけないよ」
開けっぱなしになっていた扉からジャレッドが廊下に出たところでローレンスがそう声をかけると、ぴたりと立ち止まったジャレッドは、振り返って「早く行くぞ」とぶっきらぼうに言い放った。顔を見合わせたリデラインとローレンスは笑みを零して歩き出す。
ベティも後に続いて四人がエントランスホールにつくと、両親や数人の使用人が見送りのために待っていた。
デイヴィッドの視線は羨ましそうにこちらに向けられている。
「三人とも、気をつけるんだぞ」
「行ってらっしゃい」
両親や使用人に見送られて、三人は邸の門を抜けて敷地外に出た。
護衛は二人いるけれど、なるべく三人で過ごさせたいという方針なのか、リデラインたちからは見えないように離れてついているようだ。ローレンスがいるからこそ、護衛と距離を置くことが許されているのだろう。
(わあ……)
公爵邸の敷地から少し進んですぐの領都の街並みを近くで目にして、リデラインは嘆息する。
前世では旅行で国を出たことはなかったので、『外国風』の景色に高揚しないはずがなかった。
フロスト公爵領の領都はこの国第二の都市と言われている。店も多く賑やかで活気があり、車道と歩道は綺麗に整備されていて事故は少ない。街灯などの設備も充実しているのは、フロスト公爵家が領民の暮らしに常に気を配っているからだ。
リデラインは王都を実際に見たことがないけれど、挿絵や漫画で描かれていた光景は知っている。細かいところまでは知らなくとも、確かに公爵領も遜色はないと感じる。
「あら、坊ちゃん方」
領民がすぐローレンスとジャレッドに気づき、親しげに声をかけてきた。二人は街を回ることもよくあるようで、顔が知られているらしい。
すぐに人が集まり、リデラインはローレンスの後ろに少し身を隠す。面識のない人にこんなにも囲まれる経験はなく、人に注目されるのも苦手なので、この状況には不安が募った。
「そちらは?」
領民の一人がリデラインを見てローレンスに問いかけるので、リデラインはローレンスの服を掴む。
「妹のリデラインだ」
名前を聞くと、領民たちは微妙な反応を見せた。
領内にはこれまでのリデラインの素行が流布しているので、この反応は仕方のないことだろう。ヨランダが話をかなり大袈裟に広めていたと小説にも出てきたので、現実となっているこの世界でもそのとおりの行動を起こしていたはずだ。
リデラインは領民から良く思われていない。その事実もリデラインの内に広がる不安を煽った。
領主一家の一員らしく気丈に上品に、それでいて親しみが持てるように振る舞って今までのイメージを一掃するのが理想ではある。けれど、前世から人見知りを拗らせているリデラインには、初対面の大勢を前にお嬢様らしい振る舞いはハードルが高い。
ローレンスとジャレッドも困っているのがわかる。
こうなることは二人も予想していたはずだ。それでもリデラインを外出させたのは、リデラインのリハビリだけが目的ではなく、領民と良好な関係を築かせたいと考えたからだろう。
「リデル……」
ローレンスがリデラインを呼ぶのと同時に、人混みの中から一人の少女が飛び出した。
ローレンスとジャレッドが瞬時に警戒したけれど、すぐにその姿勢を解く。顔見知りのようだ。
少女は茶髪に緑の目をしていて、鼻周辺のそばかすが印象的だった。年齢は見た限りだとリデラインと同じくらいだろうか。
緑の目は、半分ほどローレンスの後ろに隠れているリデラインをじぃっと見つめている。あまりにも熱心な眼差しにリデラインが対応に困り果て、視線を彷徨わせていると――その少女は口を開き。
「あなた、とってもきれい!」
キラキラした目で、興奮したように言い放った。
リデラインはぱち、と瞬きをする。
「お人形さんみたい! 肌白ーい! かわいい!」
「こら、失礼でしょ!」
母親らしき人が少女の手を掴んで後方に引っ張り、リデラインたちに「突然申し訳ございません!」と頭を下げる。
自分が悪いことをしたとは思っていない少女は、母が謝罪していることに困惑しているようだった。
事実、距離感はだいぶ近かったけれど、少女は悪いことなどしていない。ただリデラインを褒めただけだ。
それでも、母親は恐れたのだろう。噂通りの傲慢でわがままな娘なら、平民があのように話しかけるだけで怒りを買ってしまうかもしれないと。
「……ほめてくれた人に謝罪を要求することはありません」
相変わらずローレンスの服は掴んだままだけれど、勇気を出してそう告げると、少女の母親は顔を上げる。リデラインは頑張って笑顔を作って見せて、それから少女と目を合わせた。
「あ、ありがとう」
緊張で吃ってしまったけれど、きちんとお礼を述べる。
(中身年上なのに情けない)
と思いつつも、やはり恥ずかしさはなくならないのでこれが精一杯だ。
前世では入院生活を送っていたし、リデラインも公爵邸にいる者以外とは接点があまりなかった。急に変わるのはどうしても無理である。
体の年齢に少し精神も引っ張られている部分があるので、そういうことで大目に見てほしい。
ずっと少女を見ていられなくて視線を足元へ落とすと、少女がぐいっと近づいてきたのでリデラインは瞠目する。
「かわいい。すごくかわいい。うちの子になりませんか。私、ずっと妹がほしかったの」
「え」
真面目な顔でそんなことを言う少女にびっくりしていると、大きな背中で視界が埋まった。ローレンスがリデラインと少女の間に割って入ったようだ。
「悪いけど、この子は僕たちの妹だから君の家の子にはならないよ」
「じゃあ、一緒に遊びたいです」
「病み上がりだからそのうちね」
「はーい」
少女はあっさり引き下がり、ひょいっと横から顔を覗かせる。
「今度遊ぼうね、おじょうさま!」
「あ、えっと、うん……?」
最後に疑問符がついてしまったけれど頷くと、少女は満足そうににぱっと笑った。
この様子を見ていた周りの領民たちも、纏う空気が緩み始めている。
「噂とは随分違うな」
「なんて可愛らしいのかしら」
「将来は美人さんね」
好意的な視線が多くなり、先ほどまでとは異なる意味で居心地が悪くなる。
その心境の変化を感じ取ったのか、ローレンスがリデラインを抱き寄せた。
「すまないが、妹が緊張しているようだから」
「これは申し訳ありません。今度にでも、ぜひうちの店にいらしてください」
「うちの店にも」
「ああ。寄らせてもらうよ」
ローレンスは領民たちににこやかに対応している。
(慣れてるなぁ)
そして、慕われている。未来の領主として理想的ではないだろうか。やはりかっこいい自慢の兄だ。




