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00.氷上瑠璃(中編)


 小学五年生の時、体調に異変を感じて病院に行くと、病気が判明した。治療が難しい病気で、三年から四年で亡くなるだろうと言われた。

 中学校は卒業できない可能性が高い。十五歳にもなれないかもしれない。

 急に命の期限を宣告されて、――その時の感覚は、自分が母の娘ではないと知った時と近い気がした。


 まるで、いらない存在だと言われているようだった。





 中学二年生の頃には、ほとんど家に帰れることもなくなっていた。延命治療は拒絶し、緩和ケア用患者の病室に移った。個室なので気楽だ。


「姉ちゃん、またその本読んでんの?」


 面会に来た李都は、瑠璃がベッドに置いた小説に視線を向ける。何度も見かけたことのある表紙だからか、すっかり李都も覚えてしまったようだ。


「こういうのでしか暇つぶしできないからね」

「……姉ちゃん?」

「李都はいいよね、たくさん好きなことできて。友達とどこかに遊びにいったり、家でお父さんたちとご飯を食べたり、外食したり。羨ましい」


 瑠璃の言葉に李都は息を呑んだ。それから薄く口を開けて、しかし何も言わずに引き結ぶ。


(偉いなぁ。まだ小学生なのに)


 言い返したいはずなのに、冷静だ。

 李都だって、たくさん我慢しているだろうに。それを瑠璃にぶつけてはいけないと、頭がきちんと働いているのだろう。


 サッカークラブに入っていた李都だけれど、今年度に入るとやめてしまった。李都なりに家の金銭面を心配してのことだろう。瑠璃は入院しているからと本や漫画を買ってもらってはいるけれど、李都は何かをねだることがだいぶ少なくなったらしい。

 病気になると、つらいのは決して本人だけではない。家族にも負担や不満がのしかかってしまう。


「……俺、外にいる」


 李都が振り返ったところで引き戸が勝手に開いた。廊下から両親が開けたようだ。

 両親は引き戸を開けてすぐそこに李都がいたことに驚いて目を丸くしている。


「李都?」


 母が戸惑った様子で声をかけると、その横をすり抜けて李都は去っていった。

 瑠璃はその後ろ姿が消えて、両親に焦点を当てる。


 父もそうだけれど、母もやつれている。母は家のこともやって、治療費のためにとお昼はパートで働いて、瑠璃のお見舞いにきて、という生活をしている。休まる日はなさそうだ。いつもクマができている。

 自分が生んでもいない娘のために、お腹を痛めて生んだ息子に我慢を強いて、こんなにも疲弊して。


「追いかけたら?」


 瑠璃がそう声をかけると、母は少し迷って、躊躇いつつも病室を出ていった。

 雰囲気がいつもと違うことを敏感に感じ取ったようで、父は真剣な表情になる。


「喧嘩でもしたのか」


 かなり静かではあったけれど、喧嘩と言えるのだろうか。瑠璃はそのつもりで始めたけれど、李都が意外にも大人な反応だったので発展しなかった。

 おそらく、我慢することをもう覚えてしまっているのだ。必要のない我慢までしてしまうほどに、李都の中で当たり前になっている。


「私より、李都を気にかけたほうがいいと思うよ」

「瑠璃――」

「ねえ、お父さん。私のお母さんには連絡したの? 私が病気だって」


 遮って瑠璃がそう訊けば、父は目を見開いて、驚愕を露わにした。

 瑠璃がそのことを知っているなんて、想像もしていなかったことが窺える。


「やっぱり、私が死んでも母親がもう一人いるって言わないつもりだったんでしょ。まあ、知らなくてもいいことだもんね。自分が捨てられたなんて」


 そう紡ぐ瑠璃の声は至って穏やかで、責めている色はまったくない。それでも父は気まずそうに、そして申し訳なさそうに複雑な心情を顔に出している。


「大丈夫だよ。別に怒ってるわけじゃないし。会いたいわけでもない。連絡がついても、捨てた娘にわざわざ会いにくるとは思えないしね」


 死が着実に近づいているからといって、今更、本当の母親に会いたくなったなんてことはない。そう思う日はきっと来ない。所詮は顔も覚えていない人だ。血の繋がりはあろうと、ただの他人だ。

 そんな人に会ったって、感動も何もないだろう。愛情なんて湧かないだろう。


「勝手に出ていったんだっけ。私は母親に似てるらしいから、お父さんは私の顔を見てるのもつらいんじゃない?」

「そんなわけないだろ!」


 叫んだ父に、瑠璃もさすがに驚いた。父ははっとして、「悪い……」と大きな声を出してしまったことに対する謝罪をする。


「……お父さんならそう言うと思った」


 瑠璃は笑みを零す。とても落ち着いた――達観したような笑みだ。およそ中学生とは思えない表情だった。


「でも、お母さんはどうかな。他人の子供のためにこんなに苦労を背負うことを許容できる人って、すごく多いわけじゃないでしょ」

史乃(ふみの)は瑠璃を本当の娘みたいに思ってるよ」

「それってお父さんにはそう見えるってだけでしょ。わからないよ、本当はどう思ってるのかなんて」


 目を背けると、父はベッドに近寄ってきて、瑠璃の手を握る。


「……ずっと、不安だったのか?」


 父が泣きそうになっていて、目を合わせた瑠璃は瞠目する。


「ごめんな、瑠璃。気づいてやれなくて。ごめん……っ」


 こういう反応を期待したわけじゃないのに、やはり父は、どこまでも優しい人だ。娘をちゃんと、愛している人だ。


 それから、李都はやはり戻ってこなかったけれど母が戻ってきて、瑠璃がすべて知っていることを父が話すと、母は震えながら瑠璃を抱きしめた。


「瑠璃は私の娘よ。瑠璃の母親は私だけ。愛してるわ」

「……知ってるよ」


 そう、知っている。わかっている。

 全部、わかってはいるのだ。





 家族が帰って、瑠璃は小説を開いた。

 この小説のWEB版はもう完結していて、来年の春――瑠璃が中学三年生になって少しすると、完結巻が発売される予定である。

 瑠璃の推しは主人公でもヒーローでもなく、当て馬役と悪役令嬢の兄ローレンスだ。

 氷の魔法使い、物腰柔らかで王子様のようなキャラ、美形のシスコンと、瑠璃が好きな要素が詰め込まれた人物。負い目から悪役令嬢の行動を正すことができない人ではあるけれど、弟妹を想う気持ちは本物。

 ただただ愛してくれる人がいるというのは、とても幸せなことなのだ。


(いいなぁ、『お兄ちゃん』)


 こんなに大切にされているのに、悪役令嬢リデラインは家族からの愛を信じきれない。そこは少しだけ共感できる。

 最終的にリデラインは亡くなり、ローレンスは悲しみに暮れる。大切な人がいなくなってしまう絶望感は、作者曰くあっさりめなWEB版でもかなり繊細な文章で書かれていた。


 大部屋に入院していた時、同室の子の病状が急激に悪化してそのまま亡くなった。他の子たちもみんな悲しさのあまり泣いたし、その子の家族も泣き崩れていた。

 いつ命を落としてもおかしくないと覚悟をしているつもりでも、いざそうなると心は耐えられないものだ。


 ――だから。


「私は、いいお姉ちゃんは無理だな……」


 瑠璃の呟きは、空気に溶けた。


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