30.仲直りしましょう(第六話)
二人きりになると、やはりまずはなんとも言えない沈黙が流れた。ローレンスがいたほうが空気的にはよかったのではないかとリデラインは思ったけれど、ローレンスは逆だと判断したから出ていったのだろう。
ジャレッドは部屋に入ってきて最初に立ち止まった扉に近い場所から動いていない。後頭部を軽く掻いたあと、こちらに視線を向ける。
不意にぱちりと目が合ってきょとんとしたリデラインは、とりあえず笑ってみた。すると、ジャレッドが意を決したようにベッドの傍らまで歩いてきた。体の運び方がどうもぎこちない。
「た、体調はどうだ?」
一度言葉が詰まったことからも、緊張していることが伝わってきた。訊ねられたリデラインは目を細める。
「少しだるいくらいですよ」
「そうか」
「はい」
短いやりとりで再び沈黙が流れ、ジャレッドはまた頭を掻いた。緊張を誤魔化す時の癖なのかもしれない。
まだ、リデラインにどう接していいのか迷いがあるらしい。一年以上もまともに兄妹らしい話はしていないので、仕方のないことだろう。
それに、今回のことでリデラインも魔力欠乏症になり倒れてしまったのだ。ジャレッドが責任を感じていないはずがない。
「お兄さまはもうなんともないんですか?」
「そうだな。昨日はさすがに疲労感があったが、もう治った」
「よかったです」
動きがぎこちないのは緊張の影響のようだし、ローレンスから聞いていたとおり、今のところ後遺症はなさそうだ。死にかけたというのに頑丈なものである。
「でも、まだ休んだほうがいいですよ」
「安静にしてろって言われてるけど平気だって。むしろ死にかける前より元気な気がする」
それは気のせいでは、と言いたかったけれど、リデラインは言葉を呑み込んだ。そんなことよりも確かめたいことがあったからだ。
「死んでも仕方ないって、思ってましたよね」
「――!」
リデラインの問いに、ジャレッドは瞠目した。それから目を伏せる。
「覚悟はした。死ぬんだろうなって思った」
魔力欠乏症で倒れた時のことを思い出しているのだろう。
ジャレッドは自身の魔力がなくなっていくのをはっきりと感じていたはずだ。血まで吐いて、死が頭をよぎったのは疑いようもない。
だからリデラインが魔法を使うのを止めようとしたのだろう。失敗してリデラインが自分を責めてしまうと考えて。
「まさかお前に助けられるとはな。あんな無茶、普通はやんねぇだろ」
「お兄さまに言われたくありません」
「……は。確かにそうだな」
短く笑い声を零したジャレッドは、真面目な顔つきになると深く頭を下げた。
「悪かった、巻き込んで」
真剣な声音は、心からの言葉だとこちらに伝えてくる。
自分が死にかけたことよりも、リデラインまで危険な状態になったことが、ジャレッドの心に一番深く突き刺さっているように見える。ジャレッドは優しいから。
「すごくこわかったんですよ。もう一人で訓練するのはやめてください」
「ああ。誓う」
顔を上げて真摯にリデラインを見つめて告げるジャレッドに、リデラインは目元を和らげた。
約束を破るような人ではないので、これで一安心だ。
「ローレンスお兄さまからはお説教されましたか?」
「すげえ怒られた……」
ジャレッドは顔を青くし、遠い目をして弱い声を絞り出す。よっぽど恐ろしかったようだ。
(死にかけたんだから相当怒るよね)
ローレンスはシスコンブラコンの兄で、弟妹にはとても甘い。しかし、助けるために無理をして倒れたリデラインとは違い、ジャレッドは危険だと理解していたうえで一人で魔法の訓練をし、命を落としかけたのだ。ローレンスが激怒しないはずがない。
(激おこお兄様、見たかった)
不謹慎だとは思うけれど、興味が勝ってしまった。
ただ、ローレンスは感情任せに怒鳴るのではなく淡々と理詰めで怒るタイプなので、ジャレッドは精神的にかなりきつかったのだろう。
「ジャレッドお兄さまのことが大切だからですよ」
大切だから心配で、もしかしたらと嫌な想像に恐怖が生まれるのだ。
「……そうだな」
ぶっきらぼうに呟いたジャレッドの頬が照れくさそうにほんのり赤みを帯びていて、声音からも嬉しそうにしているのが感じられて、リデラインの心が温かくなる。
こうしてジャレッドと普通に話せるのも、とても嬉しい。
(ローレンスお兄様もこんな気持ちだったのかな)
リデラインが前世の記憶を思い出してから関係が改善すると実感できた時、ローレンスも同じような気持ちになったのだろう。
「――リデライン」
頬を緩めていると、ジャレッドに名前を呼ばれた。
まっすぐ見つめられて、リデラインも弛緩していた表情が引き締まる。
「俺、ずっとお前に嫉妬してた」
「……」
ここでなぜかと問うほど、リデラインは鈍感ではない。
口を挟まず、聞くことに徹する。
「お前は魔力も多いし、俺と違ってフロストの全部を持ってた。……勝手に劣等感を抱いて、お前といるのがつらくなって、避けてたんだ」
自分の出生について知る前から、ジャレッドに距離を置かれていると感じていたのは事実だ。その寂しさが少しずつ積み重なっていって、自分がフロストの娘ではなかったことを知ってそこに結びつけて、爆発した。言ってはならないことをジャレッドにぶつけてしまった。
「お前が本気であんなことを言ったわけじゃないって、たぶんわかってた。ヨランダにも違和感を持ってた。なのに俺は、お前と関わらないことを選んだ」
(……そっか)
ジャレッドの罪悪感は、そこにもあったのだ。
「昨日は……お前が兄上との訓練で、魔力で木を再現してるのを偶然見かけた。俺は魔力操作の訓練は終わってるけど、お前ほど繊細な腕はねぇんだ。魔力で木をあんなに緻密に再現するなんてできない。それをやってのけたお前を目の当たりにして、焦った」
見られていたことにまったく気づいていなかったリデラインは、その告白に驚いた。
「それで衝動的に、限界とかも考えずにこっそり魔法の訓練をしてあの様だ。お前まで巻き込んで、つくづく情けねぇ」
ぐっと力を入れて拳を震わせたジャレッドは、また頭を下げる。
「本当に、悪かった」
「……顔を上げてください、お兄さま」
リデラインの願いどおり、ジャレッドが顔を上げて目を合わせる。
「私も、ごめんなさい。お兄さまにひどいことを言って」
「その謝罪はもうもらった。謝らないといけないのは俺だ」
「でも――」
「でもも何もない」
ジャレッドがそう言うので、リデラインはむすっとする。
「じゃあ、私もお兄さまからの謝罪はさっきもらったので、これ以上はいりません」
「は? いや――」
「いやも何もないです」
びしっと言い放たれて困惑したジャレッドに、リデラインは要求する。
「謝罪より、別の言葉がほしいです」
目を丸めたジャレッドは、それから眉間に薄くしわを作りながら暫し思考を巡らせて、思い至ったのか「あー……」とガシガシ後頭部を掻く。
「……ありがとう」
相変わらず照れくさそうに、目も合わせずに紡がれた言葉に、リデラインは満足した。
「どういたしまして。私はお兄さまの命の恩人なので、これからたくさんわがままを言いますね」
「調子に乗るな」
乱暴に頭を撫でられる。これもジャレッドの照れ隠しの一つなのだろう。
頭を撫でられ――というよりも揺さぶられながら、楽しくて笑っていたけれど、途中からはそうもいかなくなった。
リデラインは、病人である。
「……なんかふらふらします」
「は? ……俺のせいか!? 寝ろ! 今すぐ横になれ!」
慌てて手を止めたジャレッドは「医者を呼んでくる!」と出て行く。
「ふふ」
ふらふらは治っていないけれど、思わず笑い声が漏れてしまった。
これが二人の、仲直りの形だ。




