28.仲直りしましょう(第四話)
目を開いてまず視界に映ったのは、見慣れているけれど見慣れていないという不思議な感覚が段々と薄れてきた天蓋だった。朝も夜も、ベッドに寝ていて毎日見る光景である。
(私の部屋だ)
場所を理解して、リデラインは体を起こす。倦怠感に僅かに眉を寄せて息を吐いた。相変わらずベッドはふかふかで寝心地が抜群だ。
気絶する前の記憶ははっきりある。ジャレッドが魔力欠乏症で倒れて、リデラインが魔力変質を行って魔力を送った。そのせいでリデラインも魔力を失いすぎて倒れたのだろう。
両手を握りしめたり開いたりする。
違和感がある。体が重いような気がするし、体内の魔力がいつもより少ない。
(これは……)
自分の状態を把握しようと思考を巡らせていると、ノックの音がして扉が開かれた。入ってきた人物は、リデラインと目が合うと駆け出す。
「お嬢様!」
ベティは力強くリデラインを抱きしめた。
「お目覚めになってよかったです! あのような無茶をして……っ」
ベティはあの場にいなかったけれど、ケヴィンからでも話を聞いたのだろう。心配をかけてしまったのは明白だ。
いくら切迫した状態だったとはいえ、訓練したこともない上級魔法を使うなんて無理をしたとリデラインも自覚している。それでも後悔はない。
「ごめんね、ベティ。ジャレッドお兄さまは?」
訊ねると、ベティは体を離してベッドに腰掛ける。
「ご無事ですよ。昨日のうちに目を覚まされました」
「昨日……」
「お嬢様はほぼ丸一日、眠っておられたのです」
一日と聞いて、ずいぶん寝たな、と呑気な感想を抱く。
そんなことより、ジャレッドが無事だと聞けたことで安心した。リデラインの魔法はちゃんと成功していたのだ。
「お医者様を呼んできますね」
「うん」
ベティは数分ほどでローレンスと公爵家の侍医の弟子――パーシーを連れてきた。
両親は視察先からの帰宅途中に馬車のトラブルがあったらしく、邸に到着するのは今日の夜になるそうだ。
「――とりあえず問題はないかと」
診察が終わり、詳しい説明はローレンスが引き受けてパーシーは部屋を出ていった。
ローレンスの命令でベティも部屋を出て、ローレンスと二人になる。いつも優しい長兄が今はとても厳しい表情になっていて、リデラインはいたたまれない気持ちで視線を下に向ける。
「――まず、ジャレッドのことだけど」
ローレンスが、ようやく沈黙を破った。
「魔力欠乏症だったのは確かだろう。リデルのおかげで今は魔力も安定していて、数日安静にしていれば問題ないそうだ。今のところ後遺症は確認できていないけど、しばらく様子を見ないとなんとも言えないらしい」
「はい」
「リデルがあのタイミングで魔力を送り込んだのは正解だった。騎士団までジャレッドの体は持たなかったはずだ。リデルがジャレッドの自主訓練に気づかなければどうなっていたか……」
訓練場には結界の魔道具がある。訓練時に魔法の影響が訓練場の外に漏れないようにするもので、外からの魔法の感知を阻害する効果もある。リデラインは邸の中――それも訓練場とは反対側にある図書室からでも魔法の反応に気づいたけれど、それがすごいことなのだ。よっぽど近づかなければ本来は感知できない。
リデラインが気づかなければ、間違いなく手遅れだった。
この仕組みは今後、改善するべきかもしれない。もちろん、今回のようなことが二度と起こらないのが一番だけれど。
「リデルはジャレッドの命を救った。それは素晴らしいことだし、感謝の気持ちも誇らしい気持ちもすごくある。――けど、手放しに褒めることはできない」
「……はい」
叱られる覚悟はしていた。
「リデルも魔力欠乏症で倒れたんだよ」
(やっぱり……)
納得した。この体の違和感は魔力欠乏症の名残なのだ。思っていた以上に魔力の消費が激しかったのだろう。
この違和感が一時的なものなのか、治ることのない後遺症なのかは、現時点では誰にも判別できないことだ。
「ジャレッドよりは軽症だったみたいで、騎士団まで運ばれて治療を受けたんだ」
ジャレッドを運ぶ予定だったのが、リデラインに変更になったようだ。
帰宅して報告を受けたローレンスが慌てて騎士団に駆けつけた時、リデラインは治療を終えて騎士団本部の貴賓室で眠っていたらしい。帰宅しても問題ないということで、ローレンスはリデラインを連れて邸に戻ってきたとのことである。
「リデルは魔力が多いから、暴走する可能性が常について回る。まだ魔法の訓練も始めていないのにいきなり上級魔法を使うことがいかに危険か、理解していたはずだね」
「……はい」
「本来なら魔法が失敗する確率のほうが高いから、使うかどうかという選択肢すらないんだけど……才能があることをこんなに恨むことになるとは思わなかった」
苦しそうな顔で、ローレンスの銀の双眸がリデラインを射抜く。
その眼差しにリデラインが目を丸めると、ローレンスの手が伸びてきて――むに、と頬をつねられた。ぱちぱちと、リデラインは瞬きを繰り返す。
優しくてまったく痛みはないけれど、これは罰なのだろう。
「反省しなさい」
「……ひゃい。ごめんなひゃい」
謝罪の言葉を口にすると、ローレンスに抱きしめられた。
「ありがとう。勇気を振り絞って、ジャレッドを救ってくれて。リデルも無事で、本当によかった」
震える声が耳元で聞こえて、リデラインは目頭が熱くなった。ローレンスの背に腕を回して、ローレンスの胸に額を押しつける。
「こわかったんです。ジャレッドお兄さまの顔色がどんどん悪くなって、体も冷たくなっていって」
「うん」
「血を吐いて、頭が真っ白になって、間に合わないなら私が助けなきゃって思って」
「うん」
「失敗しないって自分に言い聞かせて、でも、失敗したらどうしようって、お兄さまが死んじゃったらどうしようって、こわくて」
「うん」
ぽんぽんと、背中を軽く叩かれる。
「お兄さまが無事でよかったです……っ」
「うん。あとで一緒に様子を見に行こうか」
「はい……」
ぎゅううと、リデラインはローレンスに抱きつく腕に力を込めた。




