20.知らない出来事です(第一話)
今のリデラインは八歳といえど公爵令嬢。ローレンスの帰省時期なので一緒に過ごせるようにと自由時間は多めに設けられているものの、魔力制御の訓練、マナーレッスン、ピアノやヴァイオリンなどの稽古、勉強と、それなりに忙しい日々を送っている。
あれこれやらなければいけないことが多いのは大変だけれど、前世では入院生活が続いていたために制限のある生活だったので、ここで新しいことを学ぶのは楽しかったりする。
そう、楽しいのだ。それだけではないけれど。
リデラインは自由時間をほとんど図書室にこもって過ごしていた。魔力を少なくする方法を探すことは魔力と魔法の勉強にもなり、苦痛というだけの時間ではない。しかし、ローレンスに構ってほしい欲求を必死に抑えなければいけないのだ。
(これも将来のため……!)
王太子の婚約者になってしまうと、それこそ婚約者として定期的な交流を、と時間が奪われることが目に見えている。それは相手が王太子に限らず、婚約者ができてしまうという事態に共通していることなので、婚約回避は公爵家に長く身を置くために必須である。
それに、公爵家の後継者であるローレンスは多忙だ。リデラインが自由時間のすべてをローレンスに捧げようとしても、常に一緒にいられるわけではない。
しかし、侮るなかれ。ローレンスは弟妹二人を心の底から愛しているシスコンブラコン兄である。忙しいだろうに、一緒に過ごす時間を必ず作ってくれるのだ。
「リデル」
「お兄さま」
今日もリデラインがこもっている図書室にやって来たローレンスは、まずリデラインの頭を撫でて、それからテーブルに視線を投げる。
「もうこんなに読んだんだ。早いね」
積まれている本の数が日に日に減っていくので、最初の二、三日はかなり驚かれたものだ。今ではリデラインの読書スピードを大方把握したようで、ローレンスの反応も落ち着いてきた。
「魔力のことを学べるのはすごく面白いです」
「それはよかった」
微笑んだローレンスは向かいのソファーに腰掛ける。
「今日はどんな本を読むんですか?」
リデラインに会いにやってくるローレンスは、別にリデラインとの会話を目的としているのではない。彼の手にも本がある。リデラインが調べものをしている邪魔にならないよう、彼も読書をしたり仕事をしたりしてここで過ごすのだ。
同じ空間にいることができる、というのが重要なのである。
「上級魔法の本だよ」
「上級魔法……!」
魔法の難易度は大まかに初級、中級、上級の三つに分けられている。上級魔法を使える魔法使いは、魔法使いのスペシャリストである王立魔法研究所や王立魔法騎士団の中でも半分より少ないという。学生で上級魔法が使える者は滅多にいない。
しかし、ローレンスは学園に入学する前から上級魔法をあっさり使いこなしていたレベルの天才である。確か、初めて上級魔法を使ったのは十歳の時だったとか。
改めて兄の才能のすごさを実感しつつリデラインが興味津々で本を凝視していると、ローレンスがくす、と笑いを零した。
「一緒に読む?」
ローレンスは自身の太ももを軽く叩いて見せる。そこに座ってローレンスに後ろから抱きしめられるような形で一緒に読もうというお誘いだ。
(ご褒美でしかない)
ローレンスの膝の上に座ってその温もりに包まれながら本を読むなんて、とても贅沢である。というか本に集中できる気がしない。
「いえ。私にはまだ早いです」
「そっか。残念」
そう言いながらも妖美に微笑むローレンスはどこか楽しそうで、その表情は目に毒すぎた。
(十六歳の色気じゃない……!)
リデラインが悶えているとローレンスが愛おしそうにいつまでも見つめるので、我に返ったリデラインは姿勢を正し、読んでいた本を読み始める。するとローレンスも上級魔法の本を開いてそちらに集中した。
ドキドキしているリデラインの胸は次第に落ち着いていき、そのうち本の内容に没頭していった。
どの本も、まずは生物の魔力に関しての基本的な情報が書かれていることが多い。
生物の体内には魔力を作り出して溜め、全身に送り出す魔力器官――器のようなものが存在する。要するに血液における心臓に似た、魔力のポンプの役割を果たしているわけだ。血管のような管はなく、送り出された魔力はすべての細胞や体液に宿り、古い魔力は自然と体の外に発散されていく。
魔力器官を含め体全体に宿る魔力の総量が、その者の最大の魔力値だ。
魔力器官の大きさ、細胞や体液に宿る魔力量には個人差があり、魔力器官が大きいとそれだけ多くの魔力を作り出せることになる。魔力を減らすためには、この魔力器官を小さくすればいいのだ。
(魔力を強化する魔法、人に魔力を移す魔法……)
リデラインは本の内容をなぞっていく。
魔力器官を小さくする方法は、今のところ発見できていない。
魔法で一時的に体を強化し魔力を増幅することは可能だ。けれど、無理に体を強化することで常態の体に収まらないほどの魔力を長く体内に留めておけば、当然それは相当な負担となり、命の危険にも繋がる。風船に空気を送り続ければ割れるのと同じで、許容量を超える魔力は害にしかならない。
逆に、魔力が少なすぎるのも危険だ。
魔法を発動させるための力となる魔力は、生物の生命エネルギーでもある。血液のように、体内の魔力が一定量を下回ると死に至ってしまう。
魔力は失っても休んだり食事をとることで回復する。その回復が追いつかないほど激しく魔力を消費した場合は一刻の猶予もない。他者に魔力を送る魔法は、魔力暴走などでそのような状態になった時に治療で使われるものだ。
ただ、魔力というのはそれぞれ性質が固有で、血縁関係があって性質が似ていたとしても、他者の魔力には拒絶反応が起こる。そのため、魔力を送る際は自身の魔力を相手の魔力に変質させないといけない。
この魔力変質が難しいらしい。本に描かれている魔法陣が複雑なことからも、難易度の高い魔法であることが窺える。
(魔力の変質……これを魔力器官に応用できたりしないかな)
魔力器官の性質そのものを変えて、魔力を作る量を減らしたりできないだろうか。仮に可能だとしても、事例がないと加減が難しい。失敗して魔力を失うようなことがあれば、それは死に直結する。
(やっぱり、確実に安全に魔力を減らす方法はないのかも)




